「ハーン……。紋章……なるほど紋章ねぇ」
「あれ、どうかしましたかディックさん」
「ぎゃー!!」

ディックは読んでいた分厚い本を見事なまでに自分の足の上へと落とした。とがった角が足に突き刺さっていたい。ひいひいしながら片足をあげて、「あ、大丈夫ですかディックさん?」と元凶のくせしてあわあわ心配げに瞳を揺らすがむかつく。っていうかうすうす気づいているのだけど、自分はこの女と相性が悪いと思う。

「なんでもないさー。なんでもないさー。なんでもないないさー。って訳で、シッシッ!」
「そ、そんな犬猫を追い払うように!」

ガビンッと口元に手のひらを乗せて、頭の上に金だらいでも落ちたかのような顔をする女を無視して、さかさかディックは歩いていく。「あ、あれ? ディックさん、どちらに行かれるんですか? ディックさーん」「オッ、ジーンさんたまんねー。ストライクッ!」「ディックさーん!?」

気持ち速めにと足を動かしても、そいつは必死でついてきた。ディックは眼帯をさわりながら、彼女の顔を自分の視線から隠す。「ディックさーん! あのっ! もう一度言いますが! 私、あなたの護衛役なんですよー!」 きこえなーい。

ディックはサッと図書室の中へと入って行く。その後ろをが追う。司書のユーゴはそのお決まりの光景を気にすることなく、優雅に自分の髭を説いた。ちなみに彼は一応18歳なのだが、未だに初対面で自分の年齢を言いあてられたことがない。

ディックはくるりと本棚を一周すると、そのまま扉へと消えていく。図書室からは、「あれ? あれ? ディックさん? ディックさーん!」と自分を問いかける声が聞こえるが、まったくもって気にすることなく、手のひらの本をぴらぴらめくりながら、くああと一つあくびをついたのだった。まったくめんどくさい女め。



「見つけましたぁー!!」

ディックが(まったくもって軍には不似合いな)薔薇園にて優雅に本をかかえ、お茶を一杯すすっている最中、がつりと背後から誰かにぶつかられた。まあ犯人は明らかに一人である。ディックはチッと盛大な舌うちをした。そしてぎょっとした顔のを見て、あくまでもにこやかな表情を張り付けた。

「ん? 俺になんか用でもあんの?」
「え……ああ……ありありですよ!! 私、さんに頼まれてるんですからね。きちんと職務を全うせねば、副リーダー補佐として示しがつきません!」
「ああハイハイ」

まあ座れよ、とでも言うように、ディックは隣の席をぽんぽんと手のひらで叩く。では失礼して。とはその場へ滑り込んだ。「まあいいさ。丁度俺も、誰かに話を聞きたかった訳だし」 そしてぴらぴらと本をめくる。

きょとりとしたの顔へ、本のページを突き出した。「この、紋章っつーやつ。あんまピンとこねーんだけど。解説してくんない?」
      世界を理解することは、ブックマンの仕事の一つである。

はきょとんとした表情をして、本のページへと目を落とした。そしてあらかた瞳を動かすと、「ここに書いている以上に、私には説明することはできません」「いーんだよ、そんなこと。生きてる人間のナマの声を聞くことが重要なんだよ」「……はあ、それなら僭越ながら」

はこほん、と一つ咳をついた。そして緊張をはらんだ声で説明した。

「まあ、そもそも紋章とはですね」



全ては古い古いおとぎ話から始まる。
一本の剣と盾が争い、その火花と砕け散った宝石たちが紋章となり、大地に降り注いだ。それらは不思議な力を持ち、時には火を、時には水をと民に別け与える。中でも真なる27の紋章とは、不老であり、災いを呼び起こされるともされているのだが、実際のところ、現在確認されている真の紋章は極端に少ない。現在達が反旗を翻している赤月帝国の帝王は、その確認される真の紋章の一つ、覇王の紋章を宿していると言われている。


「……と言う訳でして……」 エヘン。エヘン。は咳を繰り返しながら、「こんなもんでしょうか?」とちらりとディックを見つめた。ディックは「ハァン」となんとも言えないような返事をして、あくびをする。「そーいうことが聞きたい訳じゃないんさ」「えっ」 そういうことが聞きたいんじゃないのだ。

だいたい、そんな説明など資料を見れば事足りる。実物を確認したいのだ。本物を見て、納得したいのだ。ブックマンの血がうずく。ピンッとディックはひらめいた。

「そういえば、あんた確か紋章を持ってるって言ってなかったか?」
「あ、……はい。一応三つほど宿していますけれど」
「よし、それ見せてくんね?」
「えっ」

はささっと後ずさった。けれどもそんなを逃がす訳もなく、ディックはの腕を掴む。がっちりと力強く片手で回されてしまった片手を見て、は慌てたように、「放してください」と呟いた。取りあえず無視である。
ディックは先ほど読んでいた本の内容を思い出した。紋章とは、通常は一人最大三つまで宿すことができる。初めは右手。その次は左。そして最後に額となる。彼女が三つ宿しているということは、それ全てということだろう。なるほど、とディックは手始めにの右手を持ちあげて、じっくりと確認してみた。「ひー……」との短い悲鳴が聞こえるけど無視する。

なるほど、これは確か、資料では炎の紋章と書かれていた奴だ。これで炎が出せるということか。そして今度は左手。大地の紋章、という奴だろう。念のためにとの左手を裏返し、指の間の隙間までチェックする。「いやー……」 無視である。ふむふむ。そして最後にと、の額へとディックは手を伸ばした。

前髪で隠された部分をどかし、ディックはまじまじと彼女の額を見つめてみた。「……あれ」おかしい。自分の記憶の中の紋章と一致しない。あえて言うのであれば、風の紋章と言う奴に似ているかもしれない。けれども違う。記憶力がよくなければ、ブックマン候補などやってられない。

ディックはの前髪をあげたまま、まじまじとその模様を見つめた。そして放っておいた本のページをめくろうと、を掴んでいた手を離す。その瞬間、はふらふらと背後に倒れた。ガゴンッと中々にいい音が椅子の上に響く。ディックはぎょっとして、倒れた上に椅子から転げ落ちて地面の上で小さくなっている、副リーダー補佐を見た。なんだこいつ。

本を抱きかかえたまま近寄って見ると、は顔を真っ赤にさせていて、ハッとディックに気付いたかと思えばあたふたと顔を動かし、ずるずるとはいつくばるようにして逃げ始めた。ディックは暫くの間その芋虫をぽかんとした表情で見つめていたが、先ほどまでの自分の行動を思い出して、ははんと笑う。残念ながら、その事実に気付かないほど鈍くはない。

ディックはにやりとしながら、にまたがり、彼女の両手を頭の上で固定させた。そしてもう片方の手で、真っ赤にそまったのおでこを触りながら、「ほら、動かれると確認ができねーんだけど?」

「ちょ、ちょっと勘弁してください」とほんのり涙目になるを見て、ディックはなんだか愉快な気分になった。「え? なにをやめろって? ちゃんと言ってくんなきゃわっかんねーなー?」「だ、だから……」「あっはははー。このまま食べちゃうのもありかもしれ」「…………オイ」


聞こえた低い声に、ディックは笑顔を張りつかせながら、ゆっくりと顔を上げる。「見かけないと思って様子を見に来てみれば……誰が、何を食べるって?」 ぼきぼき。ぼきぼき。両手をならす青バンダナを見ながら、はっはは、とディックはたらりと冷や汗をかいた。「……もちろんそれはお昼ご飯を」

ちょっとしたジョーダンです。なんちゃって! そう言いながら即座に飛び去り、薔薇園を駆け抜けていくディックの後ろを、「今日と言う今日は……! ちょっとそこに座れ……!」と激怒しつつ疾走するフリックの姿が見れたとか。




一人薔薇園に残されたは、「ハー……」と重いため息をつきながら、ディックが残した本を懐へと寄せ、図書館に直してこようとふらふらと重い足を動かした。どうせそこで待っていれば、あの人はまたやってくるだろう。ほんのちょっぴり、やってられない。
さんめー……」



2011.05.24
 back