「ディック。お前、もう少し上手くやれ」
「ええー?」

ディックはベッドに寝転がりながら、パンダマン、もといブックマンへとぶーたれた表情を向ける。手に持つ本が重い。疲れた、と今度はごろりとうつ伏せになった。「なんだよジジイ。いつもはもっとこうさー、必要以上に関わんなとか言ってんじゃん」「必要以上に関わるなということと、必要未満な関わりは違う」 ぴしゃりとブックマンは言葉を叩きつける。

「なんだ、護衛の子どもも、お前が好きそうな顔をしている人間ではないか。適当に愛想を引っ提げて、信頼でももぎ取ってこい、このジュクジュク未熟者が」

自分の好みをブックマンに把握されてるとは、なんとなく微秒な気持ちである。ディックは思わずげんなりとした表情をした。



「さて、まだこの城の調査が残っているからな」と、ブックマンはふらふらと消えて行った。調査なんてうそぶいているが、彼がこの城の風呂を気に行ったことくらい知っている。風呂場職人のサンスケが「やあ、風呂好きが増えて嬉しいもんだ」と嬉しそうに話しているのを聞いたことがある。おいおいジジイ。

弟子には上手くやれなんていいながら、自分はちゃっかりお風呂タイムだなんて理不尽な気持ちになる話だが、ディック自身、今の自分の態度はよくはない、と気づいていた。別にに対する罪悪感がある訳じゃなく、ブックマン候補として、私情に流されることなく行動すべきだ。
ディックは誓った。今日こそ、に会っても、笑顔で対応しよう。そう、笑顔。スマイル。


「おはようございますディックさん、いい天気ですね!」
「俺には曇り空などんより雲にしか見えんけどね、シッシッ」
「朝っぱらから追い出し口調……!?」
「あっ、間違えた。おはよう、いい天気さー」
「さっきと言ってることが違う……!?」

アウッ!? とショックを受けた顔をしたが、今度は反対に訝しげな表情でディックを見つめる。やべやべ、とディックは自分の口元を押さえた。(おかしいさー?)おかしい。いくら嫌いな人間だろうと、適当にうまくやれるところが自分の長所の一つではなかったか。それに、別にが嫌いだと言う訳じゃない。それどころか。

「顔は好みなんだよなー」
「……すみません、何のお話でしょうか」
「いやいや、こっちの話」

なんでだろーなー? とディックは首を傾げた。そしてそのままへと背を向け、さかさか進む。その後ろをがくっついてくる。「ディックさん、今日はどちらに? また図書室でしょうか」 うーん。なんでだろうか。「ディックさーん?」 ディックはちらりと振り返った。きょとんとした表情でこっちを見ている少女が目に映る。

「……これかなぁ」
「はい?」
「いや、嫌いって言うか鬱陶しいのかもしんね」
「……あうっ!?」
「あ、ワリー、間違い間違い」

それそれ。やっぱりそれそれ。なんだかディックは気分がすっきりして、たったか軽快な足取りで、日課である、図書室こもりに専念することにした。そろそろ図書室の本も、読破しそうな勢いだ。




ディックが図書室にいる間は、は部屋へと入ってこない。約束の時間を設けて、後で待ち合わせをする。ついこの間、ディックがやっとの思いで彼女と結ばせた約束だ。ときどき背中へとちくちく突き刺さる髭の司書の視線が気になるが、まぁ気にしない。多分後でディックの行動をへと知らせているのだろう。

ディックはぴーぴー、鼻歌まじりで紋章についての本を開く。現在調べていることと言えば、そう、のことだった。正確に言えば、の額にくっついていた得体のしれない紋章である。風の紋章に似ていた。ような気がする。でも別物。こういうことは気になって仕方がない。

風の紋章に関する書物を中心に、どしんと紋章についての本をテーブルの上へと積んでいる。いくら読んでも読んでも、お目当ての紋章にはヒットしない。腹が立つ半面、こういう調べるという行為自体はワクワクして好きだ。

多少上機嫌なままに、ディックはページをめくっていた。「ちょっと」ふと、誰かに声をかけられたような気がしたが、そのまま気にせず読み進める。気の所為だろう。「ちょっと、あんた」 少年の声だ。聞き覚えがない声なので、多分人違いだ。

「その耳ちゃんと機能してるワケ?」
「ぎゃー!」

ひゅんっとディックの耳の辺りに、するどい風が吹きつけた。
文字通り、鋭い風である。ディックの耳当たりに指を伸ばすと、赤い縮れた糸が指についていた、と思ったら、血だった。傷は浅く、すぐさま耳たぶの傷はふさがったものの、これは冗談じゃない。一体何をしたんだ、と急いで振り返ったそこには、緑色の衣装を着た少年が、ふんぞり返っていた。美少年である。

その少年が、あんまりにも堂々とディックを見下ろしていたものだから、ディックはなんとなく体を後ろへと逸らした。しかしよくよく考えれば自分よりもあっちが先にしかけたんじゃないか、と強気な表情で文句を言おうとしたとき、「ちょっとそこの眼帯」という少年の不機嫌な声に、「あ、はーい」と普通に返事をしてしまった。不覚である。

「眼帯、あんた、ちゃんとルールってものを分かってる? 一人で何冊も本を持って、机の上にどーんと乗せちゃってさ。信じられないんだけど。もっと周りの人間の迷惑を考えて欲しいよね」
「え、ああ、……わりー……」
「わかったらさっさとどいてくれない」
「あのさー、俺ディックっつー名前で、眼帯とかじゃ」
「ちょっと眼帯邪魔」
「サーセン」

聞く耳を持ってくれない。
ディックはしょぼしょぼとしながら立ち上がり、少年へと席を譲った。そして少年はわがもの顔でディックが借り出した本をぴらぴらとめくる。少年にやられた耳たぶがピリピリと痛い。ディックは耳たぶをなでながら、あれ? と首を傾げた。(……これ、どうやってやられたんだ?)

少年が武器を持っている様子はないし、そもそも背後にて武器を持たれて立たれていれば、ディックだって気づく。彼は素手で、何やら妙な技をこっちにしかけてきたのだ。少年が呼んでいる書物が紋章についてを扱うものだと気付いて、ディックはハッとした。

「なあ、あんた。紋章使いなん?」
「あんたなんて名前の人間はここにはいないね」
「ワリー、少年」
「ルック」
「わかった。ルックな」
「うるさい眼帯」
「…………(なんか泣きそう)」

会話があんまりかみ合わない。取りあえず、自分の名前が眼帯ではないということはおいといて、ディックはニコニコと好意的な笑みを張り付けながら、ルックを見つめた。ただり少年はこちらへと背を向けていて、会話をする気はゼロなので、多少悲しいが気にしない。
「なあ、ルックは紋章使いなんよな? 今なんの紋章使ったんさ?」

ルックはディックを無視した。1秒たった。5秒たった。10秒たった。
これは無理か……と多少しょんぼりとしつつ、すごすご退散しようとしたとき、ルックがページをめくると同時に、ぽそりと呟いた。「風の紋章」「ん?」
通りで、冷たい風が頬辺りをすり抜けた。

ディックは少しだけ嬉しくなった。なるほど、あれが紋章か。知らないことを知ることができる。これ以上ないまでの喜びだ。
「なあなあ、風の紋章っつーことはさ、テレポートとか回復とか、ついでに攻撃も色々できんだろ? なあ、テレポート出来るってどんな感じなん? あーあと、紋章の技の種類なんだけ……ど……、うん……」 ディックの言葉を無視するように、ルックは本のページをめくる。

ディックはポリポリと頭をひっかき、はははー、と苦笑した。諦めるか、と去ろうとした瞬間、ルックが呟いた。「眼帯。入口の副リーダー補佐が目ざわりだから、あんなところに放置しないでくれる」「ハ」 それっきり、ルックは黙り込んだ。何のことだろう、とディックは不思議に思いながら、風の紋章と言えば、と最後の質問を彼へと向けた。

「なあ、の額の紋章、あれ、本当に風の紋章なん?」

ルックが、ちらりとディックを見つめる。おっ、とディックは瞬きをした。ルックは静かに言った。「人の事情に土足で踏み込む人間は、もてないと思うけど」 
手厳しい。


ディックはルックへと、本の大半を取り上げられてしまったので、どうすることも出来ずに図書室を後にした。との待ち合わせの時間まではまだ間があるが、そこらへんを適当にぶらついていても問題ないだろう。    入口の副リーダー補佐が目ざわりだから。
ルックの言葉の意味がよくわからないが、まあいいだろう。とディックは考えたのだ。


けれども彼は、扉を出た瞬間、ルックの言葉の意味を理解した。

「……あれ、ディックさん、お早いですねー!」
「……まあ、お早いけど、あんた」
「はい?」
「なんでいんの?」
「はい?」

言葉が通じていない。ルックの会話とはまた別に歯がゆい気持ちになる。ディックは色々な思考と言葉を飲みこんだ。たとえは、約束の時間にはまだまだあるのに、何故こんな場所で座りこんでいたのか、ということとか、自分と別れてから、ずっとそこにいたのかとか、それって結構長い時間だった気がするんだけど、馬鹿じゃないのかとか。そこまで本気で俺のことを監視したいんかい、随分など根性ですね、とか。
「……あんたらのリーダー、馬鹿じゃねーの」

取りあえず、色んな飲みこんだ言葉の代わりに、そんな言葉が飛び出てしまった。けれども、全部を合わせると、そうなってしまうのだ。
自分の監視やら、護衛なんて、どう考えても意味のない行為をさせる、ここのリーダーは、(もしくは軍師は)馬鹿である。

は、きょとんとしていた。そして首を傾げた。言っている意味が分かっていないのかもしれない。ディックは、今朝、もっと上手くやれとブックマンに忠告されたことが、僅かに頭の中でよぎったが、気にせず同じ台詞を繰り返そうとして、ギリギリのところで踏みとどまった。馬鹿は自分である。いくらなんでも、言っていい台詞と、悪い台詞というものがある。繰り返すが、良心の問題ではなく、ここの軍主を馬鹿にすることとは、自分の立場さえ危うくされる一言なのだ。もしが、へとこのことを報告してしまえば、ブックマンの立場はがくりと悪くなる。

しまった、とディックは唇をかんだ。なぜかは分からないが、彼女と向かい合うと、勝手に本音が飛び出てしまうように錯覚した。


一方は、相変わらずきょとんとした後に、にこにことしていた。さすがに自分の軍主が馬鹿にされたということくらい分かるはずなのに、何故彼女はこんなにもなんてことのないような顔をしているのか。理解ができない。「なんで怒んねーの?」また勝手に本音が出た。

は、あはは、と軽く笑った後、「さんは……まあ、多少おちゃめな所はありますが、馬鹿じゃありません。賢い人間です。そんなこと決まり切ってるんだから、怒る理由が分かりません」

ディックは呆気にとられた。
盲目的だ、と、批判的な感情を持つ半面、ディックは本当に、多少ではあるけれど、彼女を見なおした。けれどもなんとなく、それを認めたくはなかったので。「あっそー」とどうでもなさげな顔をして、そのままささっと歩いていくことにした。
、腹へらねー? 俺は減ったんだけど」
「はい、私も減りました。ご飯の時間ですねー!」




2011.05.30
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