
ディックは一人の少年とぶつかった。「お、ワリー」 どうにも足元が見えていなかったようなので、わるいわるい、と丸い筒状の帽子をかぶった少年の腕を引っ張り上げた。少年は無愛想な顔をして、「別に、大丈夫だよ」と呟く。そして彼の両手から、まるまった紙が落っこちていたことに気付いたので、なんだこりゃ? と思いながらそれを拾い上げた。
ちらりと紙の端から見えるのは図形だった。ンンー? とディックは首を傾げた。少年は特に何も言わずにディックを見ている。とりあえずなんじゃこりゃ? と拉致があかないので、少年に訊いてみることにした。何でも疑問は訊くが吉である。「なあ、これなにさ?」「地図ですね!」「ギャワー!!」
背後から聞こえた声に、ディックは心臓を押さえながら飛びあがった。毎度のことならがこの女、心臓に悪い。「こんにちはさん」と平然とした顔で少年は挨拶をしているところを見ると、この男、将来大物になりそうだ。
「あんた一体どっからやって来たんさ!」
ディックの叫びに、は困惑顔のまま、すいっと人差し指を差した。天井である。いや、それはなくね?
「テンプルトンくんお久しぶりです。地図の修正作業ははかどりましたか?」
「うーん、一応さんについていって修正してるんだけど、駄目だね、簡単に地形が変わるからさ。地図を書くこっちの身にもなって欲しいよ」
二人の会話に置いてけぼりになりながら、ディックはじっとテンプルトンと呼ばれた少年を見下ろした。小さい。どう考えたって、自分よりも年下だ。それなのに今、なんつった? 「え、地図書いてるって言った?」「言ったけど」「……ちょっと待って、もしかしてこれ、地図?」「そうだよ」
ディックが持つ丸まった紙を見て、テンプルトンは頷く。ギョギョッと思わず目をひんむいたではないか。思わず興奮しながら、「なあテンちゃん、見ていい? ちょっとこれ見ていいさ?」「いいけどテンちゃんって誰だよ」 ディックはそっと皺にならないように、けれども興奮を抑えきれずに地図を開いた。こらすげぇ。「すげぇ!!」
世の中にはいろんな人間がいるもんである。中には一芸に秀でた人間もいる訳だが、これはすごい。色んな世界を見てきたと自負するディックだが、この文化レベルで、ここまでしっかりした地図を完成させている人間なんて見たことがない。こんなにちっちゃいくせに。「いや、すげーなー、こらすげー」 手放しでほめ続けるディックに、テンプルトンはまんざらでもないらしく、ちょっぴり頬を赤くさせて、帽子をぎゅっと両手で押し込んだ。
ときどき、城の人間と話すようになった。
相変わらずはディックの見えないところに隠れていて、ときどきひゅっと顔を出す。ディックが城の人間と話すと、嬉しそうにニコニコしていた。何が嬉しいのか分からん。ディックがポケットに手をつっこんで、ポテポテ廊下を歩いているとき、黒髪赤服の少年と、その隣に立つ青い服の人間を見つけた。
なんとまあ、あれだけ会いたい抗議をしたいと思っていたときには会えないで、探さないとバッタリ出会えるらしい。ディックが声をかける前に、「やあ」と城の軍主は爽やかな笑みでこっちに声をかけてきた。ディックは肩に本を乗せたまま、「チャース」と軽く返事をする。フリックも同じく。
はディックと、おそらく隠れているであろう気配へと目を向けて、にんまり口元を笑わせた。「どう、まだ代えて欲しいのかな?」 何もかも分かったような口調なのがちょっとむかつく。「別に。もうなんでもいーし」「そりゃあよかった。ねえフリック」 はにやにやしながらフリックの背中を叩いた。フレンドリーな軍主だ。
「なぁなぁフリちゃん」
「フリちゃん言うな」
「あんたの妹って、もしかしてニンジャ?」
そんだけ訊くと、フリックではなく、なぜかがブハッと盛大に噴出した。フリックはきょとんとしていた。そしてフリックの背中をばしばし叩きながら、「どーよフリちゃん。妹が忍者だって。案外似合うよね」「フリちゃんはやめろ……」 フリックは幾分げっそりした顔をしていた。その後、「まああいつは昔っからすばしっこかったからなぁ」としみじみと声を出した。そういう問題?
「じゃあディック。俺達は行くところがあるから。いくよフリちゃん。ビクちゃんが待ってるぜ」
「フリちゃんやめろ」と呟きながら去っていく彼らを見て、今もどこぞに潜んでいるらしい彼女へと、「おーい、」となんとなく声をかけてみることにした。「はい、ディックさん?」 しゅぱり、と上から落ちてきたとしか思えない動作で、がしゃんとディックの正面に立っている。
「何か御用ですか?」
「いや、別に」
「はい?」
「なんとなく」
気付くとの気配を探るようになった。どこら辺にいるかはだいたいわかる。分からないときは、「おーい」と呼ぶことにした。「はいなんでしょう」とはすっぱり現れる。さすがニンジャ。
まあ、横でちょろちょろされるより、こっちの方が楽だし。ディックはもぐもぐ焼肉セットを頂きながら、「、お前も食う?」なんて言って隣の席を見た。でも誰もいなかった。いや、当たり前なんだけど。この頃はニンジャモードだし。
意味もなく笑っていた自分の顔が恥ずかしくなった。ぎゅっと片手でさすって、さっきの声がに聞こえてないかとびくびくした。何度も意味もなく咳払いをした。好物のはずの焼肉を勢いよく口の中につめこんで、「ごっそさん!」
さて、図書室へ行こう。そんで本を読もう。無性に叫びたい気分を喉の中に押し込んで、ディックは気持ち速めにさかさか足を動かす。その後、いや、なんでもないなんでもない、と通常モードで歩く。やっぱり叫びたくなってきた。
ディックはぴたりと立ち止った。そして「おーい、」と呼んでみた。
はい
いつもは聞こえる声が聞こえなかった。なんでだろう、と眉をひそめた。おかしいぞ。「おーい?」 もういっかい。「……おーい」 独り言しゃべってるぜ、なんて思われるのは恥ずかしいので、さっきよりも小さな声で。
がいない。
(……いや、それは……おかしくね?)
適当に職務をほっぽり出す女じゃないはずだ。いやでももしかしたらお腹が減っていたのかもしれない。だからレストランで食事とか。なるほどそれだ。ディックは急いでさっきの道を戻って行った。けれどもいなかった。城を上から下まで、彼女の部屋まで、船着き場まで。いない。どこにもいない。
とうとうディックはむき出しの岩の上に設置された竜の石像の下で、岩にもたれかかるように座りこんだ。冷静に考えてみれば、彼女を探す理由なんてゼロなのだ。それどころか、監視がなくなってラッキーじゃないか。そこまで無理やり考えた後で、やっぱりなんだかそわそわしている自分に気付いた。「おーい、……」 色んな気持ちを誤魔化すように、取りあえず呟いてみた。その瞬間、目の前にぼふんと大きな音が飛び出した。どすん。
音と一緒にやってきた風で、ディックの赤い前髪がさわさわゆれる。「あ、あたたた……」と涙目になりながら、が自分のお尻を触っていた。「ううう……あれ、ディックさん」「あれ、じゃねーよ」「ここはどこでしょうか、トラン城ですか?」「それ以外どこだっつの」
は「そうですよね」と気恥ずかしげに頭を触って、「すみません、またなんだか紋章が暴走しちゃったみたいで……」と言いながら、あの風の紋章もどきの紋章を、額でさわさわ触った。その後で、やっぱりまだお尻の方が痛いらしく、「あたた」と言いながらお尻を触った。
ディックはほっと溜息をついた。自分自身、ちょっとよくわからない。ディックはに近づいた。「、そんなに尻が痛いんなら、俺がなでてやんよ?」「ご遠慮します」
2011.06.03