
ディックさんにキスされた。
布団の中で、それだけ考えていた。刺されたお腹の傷が開いて、護衛対象に守られてしまうなんて、とっても情けないことで、恥ずかしくって反省すべきことなのに、そんなことを吹き飛ばすみたいにディックさんを思い出した。頭の中がディックさんでいっぱいになって、「うあああ、もおおお」と妙な悲鳴を上げて布団の中にもぐりこんだ。
ディックさんは、女の子みんなにあんなことをしている人なんだ。だから期待なんてできない……と考えたあたりで、期待って何さ、と自分のほっぺたをぶにぶに掴む。
(私は、フリック兄さんの力になりたくって、この戦いに参加してて)
赤の他人の自分を育ててくれた彼らに感謝をしていて、とても好きだから。なのに。
先ほどの自分を思い出した。痛い、と叫んだ刺客に、ハッと私は身を強張らせた。(……向いてないの、分かってるんだよ……) だったらそんなのを吹き飛ばすくらいに努力しなきゃだめなはずなのに。頭の中はディックさんでいっぱいだ。
額の紋章が熱くなった。お前はここにいるべきじゃない。さあ、どこかに飛んで行こう。そう彼は、もしくは彼女は語りかける。
自分自身、うすうす気づいている。そろそろ私は旅立たなければいけない。一つどころにいるべきじゃないのだ。額の紋章は、風の紋章なんて名前じゃない。「もうちょっと、我慢しようね、“翼の紋章”……」
***
「が倒れたって聞いたけど?」
ハーイ、ディック? とこっちに手を振ってにまにま笑う軍主を見て、殺意が湧いた。こいつはホントに、会いたくないときには会っちゃう人間らしい。ディックは苦虫をかみつぶしたような顔をして、「ハーイ、」と低音で答える。
「今俺、ちょう不機嫌なんスけど」
「オ、ディック。そのチャーハンおいしそう。アーンして?」
「皿ごとくっといたらいいんじゃない」
「許せてスプーンだね」
ウフフ、とはディックの手からレンゲを取り上げもごもご口の中にチャーハンを頬張る。遠慮がない。ざわつく周りの人間を、ディックはちらりと見つめた後、声をひそめた。「なあ、なんであんた、を俺の護衛にしたんさ?」
実質は護衛ではなく、監視役だろう。どちらにせよ、あまり似合い役ではないように感じた。はもごもごと口の中を動かしながら、じっとディックを見つめた。ちらり、と周りに視線を向け、大勢の客を確認した後、ディックの前に置かれた皿にすっと手のひらを伸ばす。もごもご。「ウマー」「人の話を聞きなさいっ」 っていうか聞いてチョーダイ!?
いくらでもウマウマしてくれていいので、ちょっとは真面目に相手して欲しいもんである。
まったく、このという少年のことは、いくら考えても分からない。なんでこんな、ディックよりもいくつか上程度の少年が軍を率いているんだろう。確かにいくらかのカリスマ性は窺えるが、それでもこんな子どもというのはどうにも常識やぶりだ。
は暫くもごもごした後、レンゲの頭を、ひょいとディックに向けた。「似合いだと思ったんだよ。には自分の居場所がない。あの子の場所はどこにもない。君もそうだ。違う?」
確かに、ディックはどこかに定住することはない。けれどももそうとはどういうことだ。あの子には、血がつながらないとは言え、兄がいる。「血がつながらないって、結構重要だと思うけど。は剣を持つ技術はあっても覚悟がたりない。戦死の村じゃ生きづらいかもね。どうせならウィンドゥくらい開き直ればいいのに」
そのウィンドゥとは誰だか知らないが、確かに彼女はあまり争い向きの性格ではなさそうだ。ディックは首筋をかいた。「言っとくけどな、。俺、そのうちどっかに行っちまうんさ。ぶっちゃけまだまだ子どもだし、女の一人も面倒見る甲斐性はないさ?」「それは残念」
さして残念でもなさそうな口調で、はウマウマチャーハンを頬張る。そして瞳をちらりとディックに向けた。「ディック、俺は真の紋章を持ってるんだ」 唐突な告白だった。
真の紋章。何度か書物に出てきた言葉だ。紋章の中でも希有な存在。宿せば不死ではないが不老となり、争いを引き寄せる
ディックはハッとして周りを見回した。こんなところで話していい内容なのか。まあ、周りは食事に夢中で、自分たちの会話に耳を寄せていることもないだろうから、下手に静かな空間で話すよりも安全かもしれなかった。
そしてそこまで考えた後、またディックは気付いた。この少年が若々しい理由だ。不老と言うのならば、ディックと変わらない見ためでこの軍を率いている理由もつく。と思ったのだけれど、そこはに即座に否定された。「言っとくけど、俺もこれを宿してから1年たったくらいだから、そんな外見的な変化はないよ」「なんだ」 結局若いのか。
彼は唐突に何を言いたいのか、と思いながら、これはチャンスだった。ブックマンとして裏の歴史を記録する。脳内に出来たレコード盤にギリギリと文字を打ちつける。そんなディックの仕草もお見通しのように、は笑う。
「俺は普通に生きることはできない。たとえ好きな子ができてもね。だからせめて、自分の代わりに他人には幸せになってもらいたいんだよ」
「……そりゃちょっち、押しつけがましくない?」
「そう思うんなら俺にくれよ」
唐突に低く唸るの声に、ディックは一つ瞬いた。「ジョーダンジョーダン。うっまうまー」ともぐもぐ変わらずチャーハンを口に含み続けるを見て、少しだけ冷や汗をかいた。
ほんとにジョーダンなん? っていうか何がジョーダンなん? 何をやれって? 「嫌だけど」「何が? 俺チャーハン食べ過ぎた?」「やらないさ」「チャーハン返そうか」「誤魔化すなよ」「返すよ、俺お腹いっぱい」「はやらんよ」「やっぱもう一口」「だめ」
「じゃあブックマンやめる?」
そしたら一緒にいられるんじゃない。
はニコニコ顔のまま、相変わらずどこまで本気か分からない顔でぶらぶらとレンゲを動かす。ディックはほんの少し逡巡した。けれどもハッと鼻で笑った。「ブックマンやめたら俺じゃないっしょ」「あっそ」 難儀ですなぁ、とは一言だけぼやいた。
「一応、紋章継承者としてアドバイスするけどさ、はちょっと変わった紋章を持ってる。というか、気配が変わってるよ。まるで君たちみたいだ」
「君たち?」
「ディックとブックマン」
そこまで聞いたとき、ふとディックはブックマンが言っていた言葉を思い出した。『素養はある。しかし才能はない』 口元を押さえて、そうか、と呻く。考えてみれば簡単だった。寧ろ、何故今まで気づかなかったか。
気付かず口元に笑みが浮かんでいた。「あらいいことあった?」とがニマニマとディックに尋ねる。まあね、と軽口を返してやった。「前にも言ったけどさ、フリックの陥没くらいは手伝ってやるよ?」「気持ちだけもらっとく」
そうか。だから自分は彼女を好きになったのかもしれない、とほんの少し気づいて、そんな訳ねぇか、と自分自身否定した。取りあえず今日も医務室に行って、キスでもしてこよう。パンダジジイめ、さっさと言っとけコノヤロウ。正義のパンチの一つでも食らわしてやりたい気分だ。
「そう言えば、君たちを襲ったあいつらね。一応牢に投獄してるけど、口は中々わらないな」
「俺がわらせてやろっか」
「いいよ。そういう無理やりなの嫌いだし。っていうか、だいたい見当はついてるんだよね」
「泳がしてんの?」
もちろん、本命のスパイのことだ。はうーん、と考えるそぶりをした後、「っていうか、信じてるんだよね。本人も揺れてるっぽいから、俺とマッシュが信じなきゃね」 あんたも難儀だなぁ、とディックは呟いた。
ため息をついた。
(……そうか) 疲れてため息をついた訳じゃない。
も、扉を蹴れるのか
(……そうかー……)
2011.06.24