※ 多少やらしいし下品。



      まだ駄目だ。世界の扉には、鍵がかかってる。
      鍵が開いてノックするまで、もう少し。



ディックさんが、ぎゅっと私の腰を掴んでいた。特に何の予告もなく、髪をかきあげられて、ちょいと顎をつままれたかと思うと、ちゅっとキスされた。ちゅっちゅちゅっちゅ。息をする暇がない。こういうときは口ではなく鼻でするんだ、と知識として知っているけれど、余裕がなくてそんなことも実践できない。

何回も繰り返されて、そろそろ目の前がくらくらしてきた。ディックさんが私の腰を引き寄せて、さあ抱きしめるぞ     と言ったところで、彼は暫く考えたようにのろく瞬きを繰り返して、私の頭をひとなでするとぼんやりとした顔のまま手を放した。ぎゅっと私の片手を握りしめ、ドアを開き、ぽてぽて歩く。その内手のひらも放された。

自由になった手を見つめ、私は視線を落とした。
別に好きって言われた訳じゃない。
なんでこんなことになっちゃったんだろう、と自分自身よくわからなくなってきた。ディックさんのことは好きだと思う。ディックさんはどうかはわからない。好きって言われた訳じゃない。
何度か堂々巡りした思考だけど、彼は女の子なら誰でも好きなのだ。(でもあれ、最初、嫌われてなかったっけ) キスをすると、頭がぼーっとなるらしい。ディックさんの背中を見つめながら、自分の口元を触ってみる。思い出して、やっぱりぼーっとしてきた。

何するんですか、やめてください。私、お仕事中ですんで。ディックさんの護衛中ですんで。

ちょっと前までこう言えたのに、一回キスをしただけで何にも言えなくなって自分は幸せになっている。(まあ、護衛って言っても、ディックさんの方が私よりも動けるみたいだから、意味なんてないけど)情けない話だ。
(こう言うのは……よくない)

本当によくないと思う。ちゃんと好きですと言い合って、お付き合いしてからすべき行為なのに、流されるばっかりじゃ駄目だ。駄目なのに。(私、多分いなくなるし……) 額の紋章が、抑えきれなくなっている。遠からず、私は見知らぬ世界に飛ばされる。生まれたばかりで、戦士の村にほっぽり出されてしまったときのように。兄のことを思い出した。せめて一番最後、挨拶くらいできたらいいのだけど。
そしてディックさんを見上げた。端正な横顔にドキリとした。
(どうせ別れちゃうんだ、関係ない。キスだけじゃなくて、抱きしめるでもしてくれたらいいのに)

そこまで唇を尖らせ考えたとき、自分自身のいやらしい考えに、頬がカッと熱くなった。(は、恥ずかしいなぁ……)



その同タイミングで、自分自身の数段やらしいことを考えている男がいるなんて、知る訳もなく。



(どうせなら、最後までしちまって問題ないかな?)

ディックは軽く口笛を吹くような気分で考えた。がキスをしても拒まなくなった。それどころか、多少照れながらも自分から唇を押しつけてくる。可愛くてたまらない。できることなら今すぐ唇の中に舌でも入れてからめてやりたかったけれど、さすがにそんなことをして驚かれたり嫌がられたりしたら大変だ。この頃あまり拒否されないからか、に嫌いの一言でも言われてば、結構傷つく。

キスでギリギリ。それもついばむ程度。抱きしめたら最後までしそうで怖い。すでに下半身はパンパンだった。キス程度でなさけない、まったく自分は思春期か。と思ったのだけれど、よくよく考えれば思春期真っ盛りなので、これが正常な状態かもしれない。ついでに本音を言えば、ズボンのポケットにはうにょうにょ具を装備済みだ。もしこれが彼女の兄にばれたら殺されるかもしれない。いや、持ってるだけエライ? よくわからん。

ふと、背後からの気配が消えそうになっていた。思わず振り返り、の手を握る。「ひぎゃっ」「ニンジャモードはもういいんさ」「でも」「いーんさ」 まったく。
     フリックの陥没くらいな手伝ってやるよ

ふと、偉そうな軍主の台詞を思い出した。ぎゅっとの手を握って、(オニーサンに、挨拶に行かんといけんかね) ディックはほんの少し息を吐き出した。





どうやらの兄は忙しげにそこいらを駆けまわっているようだった。やっとこさ捕まえたそのとき、フラフラのフリックを捕まえて、ディックは彼を風呂場に連れて行った。男同士の語らいはチャーハン。もしくは裸と相場が決まっている。フリックは湯船の中でぼんやり顔のまま、「次は水上砦だろうな、砦、うん砦……」とぶくぶく息を出しながら沈んでいく。どうやらそうとう疲れがたまっていたようだ。

ディックは風呂場に飾られた(おそらく軍主の趣味である)のろいのわらにんぎょうと暫く目を合わせた後、「ねえオニーサン」「誰が兄だ」「妹さんもらっていい?」 ぶく、ぶくぶくぶく。ばしゃり。フリックは髪の毛をべったり顔に張り付けたまま浮き上がった。

「はい?」
「連れてっちゃうよーん」
「いやよーんじゃなくて」

ディックは湯船からばしゃりと飛び出し、フリックもふらふらの体のまま、ねえ待って? ちょっと待って? と慌てて体を起こした。膝の上にかけタオルを置きながら、ディックはごしごし頭を洗う。フリックはそれどころではなく、「おいディック、連れてくって、まさか」と舌を震わせた。

ディックはごしごし頭を洗い、平静を装いながら、内心結構動揺していた。あーあ、殴られるカモ。さすがにこいつの拳は痛そうだなぁ、いやだなぁ。そう思って、さぁ来いほらこい、今すぐこーい、ときゅっと目を瞑ったというのに、いつまでやってもやってこない。ディックは頭の泡を落とし、隣でディックと同じく、至極普通に頭を洗う男を信じられない目で見つめた。

特に会話はなかった。ディックはごしごしと体を洗って、フリックも頭の次は体とごしごし。男二人並んでごしごし。

「殴らんの?」
「殴る? なんでだ」
「あんたの可愛い妹、とってっちゃうよ」

ははは、とフリックは笑った。

「いつかはそんなこともあるさ。それにあの子の額には普通とは違うものがくっついてる。いつかが今に変わっただけだ。まあ、ほんの少し残念なのは、あの子から直接教えてほしかったってことかな」
「あ、それ無理だわ」
「うん?」
「俺まだに話してねーもん」
「おいおい」
「事後承諾で問題ないっしょ」
「大アリだろ」

妙な弟ができたもんだな。とフリックは口元をひんまげると、ディックは「おにーちゃぁん」と彼にすりよる。やめてくれ、とさすがに眉をひそめてフリックはディックの頭を遠ざけた。
それにしても、意外だった。恋愛ごとにはウブに見えるくせに、意外と話が通じる。ディックの不思議気な目線に気付いたのか、フリックは軽く視線を逸らしながら、「まあ、俺にもそういう相手はいる、いや、いたからな」 おにいさん、フラれちゃった? と茶化すほどディックは馬鹿じゃない。多分亡くなったんだろう。戦争ならよくあることだ。

なるべく幸せにしてやんよ。と呟くと、まかせたよ。と彼は首をコキリと鳴らした。
あと服を着替えるときに、ディックのポケットからうにゃうにゃ具が飛び出したことには、さすがに首を絞められて死ぬかと思った。「それはまだ早い!」



***



「そろそろ鍵が開くだろう」

ブックマンは、ディックを見下ろす。世界の鍵穴に、カチリと何かが差し込む音がする。きっかけは分からない。けれどももう少し。ディックもそれには気付いていた。おそらくそのとき、自分たちはこの世界を離れることになる。ブックマンはフン、と不機嫌に鼻を鳴らす。「嬢だが。おそらく彼女も、鍵が開けば扉へと向かうだろう」

「彼女は我らと同じく、世界の繋がりが薄く生まれている。我らが扉を蹴れば、彼女もそれにくっついてくる。不可抗力なら仕方がない」

もう一回、彼はフンッと鼻を鳴らしながらそう言った。ディックはババッとブックマンに飛び込み、「ジジイー、愛してるさぁー!!!」「貴様の愛など欠片もいらんわ!!!」 げしげし愛弟子の顔面を踏み握りながら、「まあ、弟子候補が増えたとでも考えておく」「が候補なん? 次は俺っしょ?」「んなもん期待はしておらん。お前の次だジュクジュクめ」「あん?」

俺の次って、ずっと先のことっしょ?
ディックは首を傾げた後、ああそういうこと、と気づいてしまった。けれども別に、ブックマンは血筋で決まるものではない。ただのジジイなりのジョークか、と気づいて噴出しそうになったとき、珍しくパンダジジイは照れたのか、もう一発ディックの顔面に蹴りを入れた。


さてディック。一番大切なことを忘れていないか?




数日後、主要なメンバー達は、新たに闘いに向かった。は腹の傷を大事と取り、参加は命じられなかった。彼女は唇を噛んで薔薇園の椅子に座り、見えるはずもない湖の向こう側を見つめていた。いつもならばきらびやかに騒ぐ他のメンバーたちも城からは消えている。幾人かの人間が、残った城を守るためと留守番だ。名目上はもその中に入る。

「まあだから気にすんな」

ディックはぽんとの肩をたたいた。今度のあんたの仕事は、俺じゃなくて、城の護衛なんだよ。そう言うと、はのろのろと頷き、僅かに瞳を細めて苦笑した。

「おっきくって守りきれるか不安です」
「まあ俺も手伝ってやるし」
「あはは、ありがとうございます」
「まあ俺、のこと好きだし、これくらい」
「え?」

は瞬いた。ディックはそれを気にすることなく、の隣の椅子に座りながら、「俺、あんたのこと好きだから、あんた、俺と一緒に来いよ」



2011.06.25
 back