21 story
本当にペンギンならば後悔なんてしない


少しずつ歯車がくるっていく。

どすん、どすん、どすん。がしゃ、がしゃ、ごしゃ、ごしゃ。
酒屋に入る一人の青年が、ふと顔を見上げた。耳を済ます。けれども聞こえてくるのは酒場の喧騒だけだ。「おーい、どうした、早く来いよ」「ああ悪い」 気味の悪い音が聞こえたような気がしたけれど、気の所為だったようだ。先に店の中に入っていた友人に怒られてしまった。
彼はむっとした熱気に頬を打たれながら、扉をくくる。

そうして財布の重さが、すっかり軽くなるまで酒を飲んだ彼は、気味の悪い“音”のことなど、すっかり忘れてしまった。彼がその“音”の正体を知ることはなかったし、それからこっきり、思いだすこともなかった。






まずった。
言っちまった。
言ってしまった。


ぽかんと瞬きを繰り返すに、俺は何にも言えなくなって、背中がぞわりと不気味な何かになでられたかと思った。汗が止まらず、「じゃあ、そういうことだから」と片手をあげて、なんてことのないように背中を向けて、できるだけ意識してゆっくりと歩いた。そして、おそらくマクドール家から見えなくなるであろう位置まで来たとき、一気に走りだした。片手に持っていたランプはどこかに放り出していて、片手が軽かった。

植え込みの中に飛び込み、体を丸くさせた。暗くて何も見えない。分からない。反射的に右手の手袋をはずし、地面に投げつけ、慌てて拾った。右手と手袋を抱きこむようにしてもう一度自身をきつく抱きしめる。息が荒い。汗が止まらない。(い、言っちまったよ)

腹の底から、怖いという感情があふれ出てくる。後悔はしていない。いいや、やっぱりしている。他人に紋章を打ち明けたことは初めてじゃない。けれども怖い。腹の真ん中が震えている。
(あいつなら、大丈夫だと思った訳じゃない)

ならきっと大丈夫だと思った訳じゃないんだ。宿してしまえば、人間じゃなくなる。化け物だ。どんな善人でも、紋章を恐れて避けていく人間はいた。反対にどんなに腹の底がねじ曲がった悪人でも、俺を怖がらない人間もいた。人間性の問題とか、信用してるとか、してないとか、そういうのじゃないんだ。怖いのはしょうがないことなんだ。怖がられてもいいんだ。俺は、ただ、(あいつになら、伝えても構わないって思ったんだ)
ただそれだけだ。

受け入れて欲しい訳じゃない。いや、やっぱり嘘だ。そう思いこもうとして、俺は本当は受け入れて欲しいんだ。だから伝えたいと思ったんだ。でも期待なんてしないし、するべきではない。(なんで俺、言っちまったんだろ……) 口元を押さえた。顔を抱えた膝の間に置いたままだから、目の前がよく見えない。瞳が圧迫されてきもちわるい。
(怖がられてもいいって、思ったはずなのに)

に会うことが怖い。逃げられたらどうしよう。避けられたらどうしよう。胸が痛い。ちくちくする。絞めつけられたように息苦しい。嘘だろ、俺、今になってめちゃくちゃ後悔してる。
に怖がられるのが怖い)
逃げられたらどうしよう。

情けないことに、涙まで出てきた。俺はずずっと鼻水をすすって、顔をあげて目じりをこすった。頬がかさかさとして痛い。そして体育座のまま上を向いた。ぽつぽつと小さな星が瞬いている。爪の先っちょのような月が空には浮かんでいた。

(……どうせ、この街には、長くいられないんだ)
長くて二年。
それ以上いつけば、不審がられる。

「もう、逃げちまおうか」

わざと声を出してみた。じわじわと実感する。そうやって生きてきたじゃないか。もう逃げよう。今日中に荷物をまとめて、旅をしよう。もっと早くにそうするべきだった。に避けられるだなんて苦しい。だからそうなる前に、自分で避けてしまおう。「なさけねー……」 でもしょうがない。

俺はこうやって、生きてきたんだから。



■■■



「……えっ、え、えええっ……!」

いつの間にか消えてしまったテッドの背中に気付いて、私は随分長い間ぼんやりと意識を飛ばしていたことに気付いた。テッドが、真の紋章を持っていると私に告げたのだ。「ちょ、ちょっと待とうか……」 片手を頭に乗せて、もう片方はふらふらと宙で動かす。聞き間違いじゃない。思いっきり言った。「お、おかしくない!?」 そんなこと思っても、言われたものは言われてしまったのだ。

これはどうするべきだったんだろう。っていうか私、驚き過ぎてまともな返事もできなかった。(お、追いかけるべき……いや、もう暗いし、いや) どうしよう、と考えるばかりで、考えがまとまらない。そうだ、のことを思い出そう。は、これからどうしてくれって言ってたっけ。

テッドから紋章は受け取らないようにすること
基本的に話に沿うこと。

(こ、これって、二個目にひっかかってない? どう考えても、原作とは違ってない? )だよねえ、だよねえ? と誰に問いかけても返事が来る訳じゃない。
えええーっと、えええーと、えええええーっと、ときょろきょろ周りを見てもしょうがない。「テッドくんは帰ったんですか?」「ひえー!?」「うわぁっ!」

唐突に開けられたドアに、思わず妙な声を出してしまった。グレミオがぎょっとした表情で私を見ている。「坊ちゃん、あんまり外にいると風邪をひきますよ? ほらほら、中に入りましょう」「うん……」

私は一度、ちらりとテッドが去った方向へと目を向けた。そして今度はグレミオを見て、さっと両手を出した。「グレミオお願い、ランプを貸してくれないかな」 グレミオはパチリと一つ瞬きをする。そしてきゅっと眉を引き締めた。あ、怒られる。そう思ったので、私は即座に畳みかけた。
「お願い、今すぐどーしてものとこに行かなきゃならない用事が出来たんだよ!」



私はガチャガチャと片手に持ったランプを持ちながら、闇の中を走った。でもですねえ、とグレミオは不満顔だったので、すぐさま帰らないといけない。テッドに会うべきだ、とも思ったけれど、その前ににテッドから紋章のことを告げられたと報告すべきだ。
頼りっきりでは駄目だと思う。けれども彼は、私よりも何倍もテッドのことを知っている。伝えないで後悔するよりも、伝えて恥ずかしい思いをする方がずっとマシだ。

念のためにとグレミオから渡された棍を刺した背中が、かいた汗でひんやりとしてきた。立ち止り、ふらふらと辺りを見回す。はどこにいるんだろう。いつも通りマリーさんの宿屋いると思いきや、つい先ほどふらりとどこかに出かけてしまったそうだ。どうしよう、と気持ちが焦る。の行動パターンなんて難しすぎてまったくわからない。
「あーもー……」
とにかく走るしかない。
きっと街の中にいるだろうから、走り続けていればいつかは見つかる。ランプの明かりが、道端をぼんやりと照らしている。



どすん、どすん、どすん。がしゃ、がしゃ、ごしゃ、ごしゃ


「…………?」
ふと私は、立ち止った。かちゃんっとランプの金具がこすれ、明かりがふわりと飛びあがった。妙な音が聞こえた気がした。気の所為かもしれない、ともう一回耳をすませてみた。


どすん、どすん、どすん。がしゃ、がしゃ、ごしゃ、ごしゃ

(気の所為じゃない……)
夜の闇の中で、微かに、少しずつこちらに近づいてくる。気持ちの悪い音だ。黒板を思いっきり指でひっかいたような音で、顔をしかめた後に、思わず耳をふさいだ。ぞっとする。多分、無視した方がいいんだろう。首都とは言え、グレッグミンスターの夜の治安はそこまでいい訳じゃない。暗闇の中で、にゅっと伸びた腕に金品をまきあげられたという話はよく聞く。

けれども私はすっかり足がすくんでしまって、音が聞こえる方向へと目線を向けた。ずっと向こうにぼんやりと映る、街を包み込む城壁だ。強固に佇む壁を見て、私は少しだけ安心した。けれどもそれは一瞬だった。

ぼとんっと壁の上から何かがこぼれ落ちた。
遠目でよくわからないが、バスケットボールくらいの大きさがある。丸まっているそれは黒くてよくわからないが、頭の上に赤いワンポイントが置かれていた。それは暫く死んだように動かなかった。けれどもピクリと足を動かし、一つ一つ自分の関節を確かめるようにぴくぴくと、わしゃわしゃと足を動かす。

その上から、またぽろぽろと同じものがこぼれ落ちた。あっという間に地面がそれで埋め尽くされる。一瞬だった。私はぽかんとその光景を見ることしかできなかった。
ガシャンッと大きな音が足元でする。ランプが私の手から滑り落ちてしまった音らしい。「あはは……」意味も分からず、口元から笑みがあふれた。正直、状況がよくわからず、笑うしかないという心境だったのだ。

塀の上にも、それが乗っかっていた。そいつらがどんどん地面にダイビングしていき、外から新しく補給される。補給されたその上に、ゆっくりと、白く長い昆虫の足が覆いかぶさった。華奢な関節部分をあざ笑うように、その足は私の胴体程度の太さがあった。もう一本、にゅっと下から足が覗き込む。黄色く薄い重なった羽と同時に、とうとう上半身も姿を現してしまった。赤い髪を振りまわした女だった。人間の色とは思えない紫の肌をした腕を、がっちりと塀の上にかけて、よっこいしょと軽い動作で上に上がる。彼女の黄色い羽がぶるぶると震えていた。

「こ、こども……たち……ここは……にんげんが……たくさん……おなか……いっぱいに、なる」

たどたどしい言葉を、彼女はゆっくりと唇に乗せる。そして、ふっと辺りを見回した。私は後ずさった。
その瞬間、落とした足元のランプを蹴ってしまった。
がちゃん、と想像以上に大きな音が空間に響く。はっとして自分の足元に目をやった後、彼女へと視線をもどした。彼女と、視線がかちあった。足元の虫たちががしゃがしゃと不快な音を立てながら一斉にこちらを振り向く。にんまりと、彼女は恐ろしく楽しげな表情をしていた。
嘘だろう、と私は泣きたくなることと同時に、念のためですよとグレミオから渡された棍を背中から取り出し、へっぴり腰に抱えた後、後ずさった。


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お次は多少の戦闘描写が入るやも。
暫く誰得な展開です。ここんとこずっと誰得な展開です。

2011.04.30