序章 私の意識は、どこかふわふわと漂っていた。落ちた。手に持っていたはずの釣り竿は、いくら手を握りしめても空気ばかりと掴んでいた。囁くような誰かの声に、「眠い、です」 身体を包み込むように、うとうとと返事をする。「馬鹿!」 べしん。叩かれた。 「な、なにするんだよ、ナップ君」 「誰なんだ、ナップ君って」 ふと聞こえた、不機嫌そうな声に、寝ぼけ眼な表情を押さえ、じぃっと見た。黒い髪に、どちらかといえば三白眼。パチパチと瞬きを繰り返すと、なんなんだと言いたげに、彼はぺちぺちと私の頬を叩いた。どうやら私は、仰向けになるような形で寝っ転がっているらしい。 くん、と匂う湿った土の匂い。「」 ぺちり、とまた彼は私の頬を叩く。「………せんぱい?」 なんで訊くんだ、といいたげに、もう一度、ぺちり。 記憶の中の彼は、滅多に驚かない人だった。どこか飄々としていて、いつもいつもいらないちょっかいをかけてくる。実はちょっと鬱陶しいなぁ、と考えていたけれども、勝手に他の世界へ召喚されてから、会いたいなぁ、会いたいなぁ、とずっとずっと考えていた。 彼へとぶつかるように抱きつくと、「う、わっ」と驚いたように彼は小さく悲鳴を上げた。ぐりぐりと胸の中におでこを寄せてると、少しだけおどおどしたような手つきで、すいと彼は私の背中へと手を回した。懐かしい気持ちと、色んなものが合わさって、鼻の奥がツン、とする。 次に会えたら、籐矢先輩って、呼ぼう。ずっと、ずっと考えていた事だ。 私は勢いよく顔を上げ、気のせいか赤い顔の先輩を見上げる。「と、」「………ちょっと、悪いんだけど」 見覚えのない、茶色い髪をした少年が、半分眉を下げるようにして、先輩の後ろで、ぴろぴろと手を振っている。その隣には、同じ髪の色をした、一人の女の子。 「今さ、ちょっと、緊急事態ってヤツなんだよな」 そのとき私は改めて辺りを見回した。 空は円上にくりぬかれ、その上を、ゆらゆらと白い雲は伝う。丁度教室一つ分くらいの広さか、綺麗にぐるりと土をくりぬかれた穴。壁は硬い土で覆われ、斜めにそっている。無理をすれば、なんとか上に上がれない事もない。 念のため足をかけてみると、時々ぱらぱらと固い土から零れた砂が崩れるだけで、問題はない。 円の中には、数本の剣が、ぐさりと地面につきささっていた。さびだらけに、刃は崩れ落ち、使えたものではないが、しっかりとした本物だ。 その周りには、ぱらぱらと何色かのサモナイト石が散らばり、おそらく、ここはまだリィンバウムなのだと直感した。 界の意志やらなにかは知らないが、あの島から、無理矢理ひっぱられてしまったらしい。 「それで、みなさんは公園にいたら、いきなりこの場所に来ていたと?」 神妙に彼らは頷いた。十中八九、誰かに召喚されたに違いない。その割に、召喚主が誰もいない事は気になる。 とにかく落ち着こう、と彼らは腰をつけ、お互いを見合わせた。 「樋口がいない」と、茶髪の少年は眉を寄せた。何処か別の場所へと召喚されたのか、それとも彼女は喚ばれなかったのか。複数のものを召喚できる方法があるかどうかは、私には分からない。 「それで、は?」 「え」 ふいに先輩が呟き、私はぎょっとして目を見開く。彼らに説明すべきなのか、それともと思考をくるくると忙しなく動かしていた最中だったからだ。唐突に心臓が跳ね上がった。 「も、声が聞こえたのかい」 声が。聞こえたには聞こえたけれども、多分、彼らとは違うものだろう。ぷるぷると首を横に振ると、「家にいたの?」と、訊かれた。 きょとん、として、「え?」「だから、僕今日は帰れなかったろう、一緒に」 不思議そうな瞳に、ようやく合点がいった。あの日だ。私が、と一緒に、リィンバウムへと来てしまった日の事を、彼はいっているのだ。 そんなこと、まったくもって考えなかった。 界の意志とやらのサービスなのか、私があの日着ていた軽い室内着を着ている自分の身体を、じぃっと見た。ええっと、とどう説明すればいいかも分からなくて、取りあえず、こくりと頷いた。 軽い嘘が先輩に疑われるんじゃないかと、ドキドキしてしまったが、彼は特に気にした風もなく、「そう」と頷く。 女の子は、私の顔を見て、ええっと、と人差し指をくるくると回す。ああ、と「です」「そっか、あたしはナツミ!」 よくよく考えれば、自己紹介もしていない。 隣でまだ名前も知らない彼が「俺ハヤト」 人なつっこい笑みで、ちょこんと小さく挙手をした。 私はくすりと笑って、「ナツミさんに、ハヤトさん、ですね」といおうとしたのに、ハヤ、あたりまで口にすると、ぱちんっと先輩が私の口をぶったたいた。 代わりに「へぷっ」と情けない声が口から飛び出して、ギロリと先輩を睨む。何処吹く風のように、彼は「さて」と腰を動かした。 「登るしか、ないかな」 ナツミさんが「うげー」と呟く声に笑ってしまいそうになったけれど、言い出した本人と、ハヤトさんも、眉を歪めていた。 登る事自体がめんどくさい訳じゃない。きっと、何故自分がこんなところにいて、こんな事をしなければならないのかという理不尽さに、少し苛ついているんだと思う。 足を踏み出したときに、待って、と先輩に止められた。彼はおもむろにスニーカーを脱ぎ「履いて」と私の足下へと投げて渡す。 そうだ、よく見れば、室内着のままの格好の私は都合良く靴なんてはいている訳がない。どうしようか、と先輩と靴を見比べていれば、そのままスタスタと、彼は穴へと足をかける。 靴を履いた。けれども随分ぶかぶかで、下手をしたら脱げてしまう。靴ひもからきつく結びなおしながら、今、私は丸腰なのだと改めて感じた。 鈴鳴がいない。他の人がいる中で、に呼びかける事もできない。懐へと常備していた食料や、ナイフも、ない(………そこら辺も、なんとかしてくれたらいいのに、界の意志ってやつも) 案外気が利かないなぁ、とため息をついた。 そして、先ほど確認した、突き刺さったままの剣へと、ピタリと手を当てようとした。 「何してるの?」 興味深そうに、ナツミさんが顔をのぞかせる。「……えっ」 武器にしようとしていた。こんな事を正直に言えば、危険思想の人間だ。「………その」 困ったように、わたわたとしていると、その隣からハヤトさんがぬっと手を伸ばし、スコンッと簡単にさびた剣を引き抜いた。 「念のため持っとくよ、俺。それにほら、警察とかに、状況証拠みたいに渡せるかもしんないし」 な? と彼は微笑する。 思わず力一杯頷き、誤魔化すかのように、先輩の後へと続き、壁を登った。 「ワ!」 と、震えるような彼の声が聞こえる。珍しい。その彼に一拍遅れ、私はクレーターの上から、辺りを見回した。気のせいだろうか、顔をのぞかせた瞬間、風に乗ってぷんと鉄臭い匂いが広がる。思わず閉じた瞳を見開くと、ぴたりと時が止まったかのような気分になった。 自分の目を、疑った。 ころころと転がる固まりは、肉だった。血みどろの肉にピタリと張り付く布は、おそらくローブだった、ものだ。 形の残っているものは、かっと目を口を見開き、だらしなくよだれを垂らし、極限まで開かれた指先は、固い。長い杖のだったようなものが砕け散りながらも存在する事から、彼らが召喚術師である事はすぐに理解ができた。 転がる複数の屍がクレーターの周りにと散らばり、これではまるで、 (まるで) 「ひぃ!」 と、背後から悲鳴が聞こえた。上り終えるギリギリの体勢で、くっついたハヤトさんと、身体を起こしながら、硬直したように死体を見詰めたナツミさん。 彼女は、げぇっと口元から吐瀉物を出し、はっとした先輩が、青ざめてた顔のまま、「落ち着いて」と彼女の背に手を回す。びくり、とナツミさんの肩が上下し、カタカタと震えながら、ハヤトさんが大きく息を吸い込んだ音が聞こえた。 けれどもむっとした血の匂いにむせたのが、ゴホゴホと大きく咳をする。 唐突に 見渡す限りの砂漠の上を、彼女は走り抜け、はっとしたときには随分と遠い。「待てよ!」その後ろから、さっとハヤトさんが飛び出す。 その後に、私たちも続いた。彼女は既に遠く、影すら見つからない。 早く、早く、追いつかないといけない。まるで後ろから召喚術師達が、追いかけてくるような気分になり、瞑ろうとした目を必死にこじ開ける。 幾分か冷静な表情を取り戻していた先輩は、ぐっと私の手のひらを引っ張った。 そのままぐんっとスピードを上げる。 「 なにが、大丈夫なもんか。 きっと今、一番恐ろしいのは、先輩と、ナツミさんと、ハヤトさんだ。何が起こっているのかも理解できず、目の辺りにした肉のかたまりは、ショッキングだったに違いない。 あんなもの、慣れるものでもない。 元々は、人間だったのだ、それが、瞬く間に唯の固まりへとなりはてる。 界の意志は、何を考えているのか。 先輩は、何故こちらの世界へと巻き込まれてしまったのか。 彼に出会えた事を、ただ何も考えず喜んだ自分が恥ずかしくて、ぎゅ、と手のひらを握りしめた。 BACK TOP NEXT 2008.10.21 |