序章 予想以上にナツミさんの足は速く、無限に広がるように見えた砂漠の何処にもその姿は映していなかった。次第にハヤトさんの姿も消え、自分が一体どこを走っているのかも理解が出来なくなる。どれだけ足を動かしても、まったく同じ風景なのだ。唯一の道標であるはずの太陽は頭の頂点へと悠々とそびえ、なんのヒントにもなりはしなかった。 先輩に引っ張られる形のままで、彼から借りた大きな靴がバコバコと音を鳴らし、足の間へと砂を入り込ませた。素足のまま直接履いているものだがら、その感覚が気持ちが悪い。 けれどもそれ以上に、熱せられた砂の上を、靴なしで走る先輩の方が気になる。 彼は何もいわない。いったとしてもきかない。だったら無駄な労力を使う事よりも、早く、この状況を打破するべきだった。 彼は僅かに息を吐き、でこへと浮いた汗を、片方の手でぬぐい、上着を脱ぎ、腰へと巻いた。ばさばさと風がなぎる音が響き、ただ無言で足を動かす。 何をいえばいいのか、理解ができていなかった。 そのとき、ピタリと先輩の足が止まった。どうしたのだろうか、と彼を見上げれば、彼は真っ直ぐに視線を伸ばしたまま、目を細める。「………見える?」 彼に習うように私も前方へと、視線を向け、目をこらしめた。 うっすらと霞み、ぼやけた砂の向こう側には、僅かに茶色くそびえた点が見えた。気のせいだろうか、と瞼を何度か押し込んでも、その点は変わらない。 彼はぎゅう、と私の手のひらを握り、ほんの少し頷く。 「行こう」 茶色い、とただ感じたものは、レンガだった。何個も積まれた城壁のようなものに、ぐるりと囲まれている割には、その向こう側はよく見える。 ぽこぽこと穴が空きほんの少し殴るだけでも崩れてしまいそうなそれは、まったくもって意味がない。 町だ、となんとなく理解した。 見た限り、あまり大きな町だとは思えない。立ち並ぶ建物達はどこか死んでしまっているようにも見える。廃墟なのだという事は、見るだけで分かるものだ。人間の匂いがしなかった。 リィンバウムの町、異世界の町。 私は忘れられた島の例から、案外SFちっくなものを想像していたのだけれど、それは地球と変わらないようにも見えた。何処かの外国の古びた風景のようで、使う用途が同じなのだから、自然と似てくるものかもしれないな、と納得する。 その町を囲む城壁に、一人の少年が佇んでいた。背中を土だらけにしながら、身体をぴくりとも動かさずに、壁の穴を通してじぃと町を見詰めている。 茶色い髪に、くすんだ色のブレザー。間違いはなかった。 「ハヤトさん!」 びくりと彼は肩を震わせ、口元へと手の甲をピタリとつけながら、ゆっくりとこちらを向いた。彼、一人だけだった。 ざらりと揺れる砂の音に耳を傾けながら、いいづらい言葉を、先輩は切って割り込んだ。 「………橋本は?」 ハヤトさんは、ゆっくりと目を伏せがちに首を振り、「見失った」と呟いた。「それで、君はここでぼうっとしてたって訳」 ハヤトさんは、きつく目を瞑った。先輩は彼へと歩み寄り、その肩をパンッ、と叩く。 「賢明だよ、ここじゃばらつかない方がいい」 子気味のいい音と一緒に降って湧いた先輩の台詞が意外だったのか、元々くりくりとしていた瞳をちょいと見開き、彼は静かに頷いた。 ゆっくりと足を進ませ、ぽかりと壁に空いた穴へと、先輩は手を掛ける。たったそれだけの動作で、壁から砂と思われるような、レンガの欠片がぱらりと地面へと落ちた。 彼はそれに眉を寄せると、私と、ハヤトさんを一瞥する。私たちは無言で頷き、歩を進めた。もしかしたら、ナツミさんがこの先へといる可能性があるからだ。 ハヤトさんが、あのよく理解ができないようなクレーターから取り出した錆びた剣を握りしめ、その先を柔らかい砂に覆い被せられた固い地面へと、カラカラとすらしながら歩く。 ふっと立ちこめる腐ったような、ただほこりっぽい匂いに鼻をつまみながら、ピタリと足を止める。先頭に立っていた先輩も、ハヤトさんも足を止めた。 (………なんで、こう) 「ピンチが、続くんでしょーかねー!」 足下から拾った大きめな石を、思いっきり振り上げた! ぐいっと思いっきり腕を伸ばした向こう側にて、「おわっ」と慌てたような男性の声。投げた石は弾きとばされ、石畳の上から軽い音を反射させる。カンッカラララ……。 積まれた箱の間から、ぬう、と姿を出したのは、随分体格のいい男性だった。四角張った顔に、広い顎。そして何よりも何故だか上半身が裸の姿にぽかんと目を見開いてしまったけれども、その手のひらには、大きな斧を握りしめていた。ハハハうわお、と引きつる頬を押さえ込み、丁度私たちを取り囲むように、どこからともなく男達が現れる。 そろいもそろって何度も着回しているといえそうなほんの少し薄汚れた服装と、顔。その手にはギラリと太陽の光で反射するようなナイフが握られていた。 「よう」 青髪のでこっぱちの少年が、にいっと口元を歪めた。中々いい勘してんじゃねぇか、と感想を述べ、なんだか嫌な予感がするなぁ、考えた時には遅く、獲物を手前へと突き出しながら、「有り金全部渡すんだ」 そうすりゃ命だけは助けてやるよ、とまたにい、と口元を伸ばす。 誰かが疫病神でも飼っているんじゃないだろうか。そんな事よりも、とハヤトさんが状況を理解できていないのか、それとも何の危機感も見いだせなかったのか、平然とした顔つきで、 「ここら辺で、女の子見なかったか?」 問いかけた。中々ずぶとい青年だ。 そんなハヤトさんの言葉に、「ハァ?」と首を傾げる彼らの様を見詰めながら、先輩は、ハー、と重いため息を吐き、面倒くさそうに制服のポケットへと入れた財布を取り出し、青髪でこっぱちへと投げつけた。 「やるよ、だから質問に答えてくれ」 彼の足下へと投げつけた皮の財布の口から、小銭がこぼれ落ちた。百円硬貨がでこっぱちの足下を遊ぶように転がり、彼は不思議そうにそれを手のひらですくう。 「じゃあ聞くぞ、こっちで、茶髪のセーラー服を着た」 「オイ」 おそるおそる財布の口を開いていたでこっぱちが、眉間へと皺を寄せ、憤慨したかのように、そのまま財布を先輩の腹へと投げつけた。それを受け取りながらも、先輩は不思議そうに首を傾げる。「金じゃねえだろうが、なめてんのかお前は!」 そんな言葉に、私たち三人は、「え?」と首を傾げた。「深崎お前子ども銀行でも使ってんのか」「そんな訳ないだろ」「あ」「どうしたの」「い、いえ。っていうかどうしましょう」 ここは、異世界なのだ。 だから使うお金が違う事は当たり前で、私はずっとあの島の中で、ぼうっと暮らしていたものだから、そんな事まったくもって思考に至らなかった。 ぼそぼそと顔を寄せ合う私たちを、彼らはいらだたしい目で見詰めていた。「アー、もう!」 短気なのかなんなのか、おそらく親玉だと思われるでこっぱちが、周りの子分達へと目配せきょろり。 「どーも俺たちの事をなめてるらしいからな、適当に遊んでやるよ!」 正直、あまりいい状況じゃあない。 その言葉をきっかけに、ぶんっと足下へと投げられたナイフは、茶髪の小柄な青年のものだ。拾い上げようとした手の先にまた投げナイフが向かい、さっと手をひく。 ハヤトさんは、ガンッ! と大きく振り下ろされた斧を、錆びた剣で受け止めたものの、今にも砕け散ってしまいそうなそれでは随分心もとない。 向かう剣を軽くいなす先輩は、そのまま軽い足取りで軌道を避ける。随分運動神経のよろしい方々だ。 私は取りあえず茶髪ナイフの少年へと向かい合い、ガッ! と全頭から接近した。懐へと潜り込み、肘打ちと掛け合わせ足首を踏みにじる。あっけなくバランスを崩し後頭部から地面へと打ち付けた彼は、白い泡を吹き出しそのままコクン、と最後に首もとを揺らし、弛緩しながら瞳を瞑る。 念のためにと呼吸を確認したそのとき、頭上にナイフが飛び交った。反射的に身体を伏せ、茶髪の少年のナイフを失敬し、また真っ直ぐに私を狙うそれを、ナイフの付け根で振るう。 どうやらこれは安物らしい。驚くくらいにもろく、取っ手がこそげおち、錆びた鉄の匂いが広がって、ちょっと気分が悪くなってしまった。 向かうでこっぱちの青年を睨みながら、その使い物にならなくなったナイフを投げ捨てて、左半身を前に、ハッ、と呼吸を落ち着けた。 「 「うるせぇなァ!」 投げるナイフがもったいなくなったのか、そのまま彼は接近し、私へと振り上げた切っ先が、ギラリと光りを帯びた。 これくらい避けられる、と考えたのは少々甘かったらしい。予想よりも速いスピードに、クソウ、と右手を振り上げ、そのまま切っ先を、真横へと打ち付けた。 右手の側面からぐりぐりと肉がえぐられ、そのまま粘着質な液体がむんと立ちこめる。すべりの悪い、手入れを怠っているらしいナイフは、切れづらく痛い。 血のかたまりを彼の顔面へと投げつけると、口元に何滴か入ってしまったらしい。気持ちの悪そうな顔で、ぺっと唾を石畳に吐き出した。その隙に腹を蹴り上げた。勢いが付きすぎたのか、サイズの違う大きな靴が、ぽーんと空中へと投げ飛ばされ、そのまま地に落ちた。 「ハァッ!」 思いっきりはき出した息と共に、ぽとりと地面へと血が滴った。左手で押さえ込みながら、心臓よりも高い位置へとそれを上げ、衣服にすりつけるようにして、一歩足を下げる。「!」 先輩の声が聞こえた。彼は私の左の腕を引っ張るように、開けた道へと走る。「深崎!」 ハヤトさんの声だ。 「新堂、逃げるぞ!」 「まかしとけ!」 私たちはお互い正反対の方向へと駆け出し、斧を握りしめたままの男性は、あたふたと視線を泳がせた。ハヤトさんの方へと狙いをつけたのか、重いからだを精一杯動かし、彼の腕を掴もうとする。けれども彼は機敏に避け、積み上げられた木の箱を土台にして、まるで猿のように屋根へと飛び移り、そのまま駆け抜ける。おそろしく身軽だ。 あちらはきっと大丈夫だ、と私たちは頷き、また精一杯駆けた。裏路地を縫うように影の中へと身を忍ばせる。したたり落ちる血を隠すように、先輩はYシャツの一部を裂き、手早く私の手のひらへと巻き付けた。即座に赤黒く染みたのだが、問題ない。 血と砂でどろどろになった状況は未だに変わらない。 そして探さなければならない人も増えた。具体的な合流先など決めていない。(最悪、あのクレーターまで、行けば) けれども、と足が止まる。 延々と、ここまで休みなしで駆け抜けて来たのだ。動きの鈍くなるそれに、背後を確認しながら、荒い息を先輩と二人で吐いた。足下に散らばるように落ちる、ゴミ屑を蹴飛ばして人の中へと、早く移動しなければならない。そうすれば、きっとあの人たちも追ってこない。 けれども、それはどこなんだ。 永遠に近いようなと錯覚させる時間を走り抜け、ぐ、と先輩がバランスを崩す。引っ張られていたおかげで、私も同じように地面に膝をついた。ぼとぼとっ、染みすぎた血液が、布からあふれ出て、一瞬頭がぐらりと揺れる。 先輩は荒い息のまま、またシャツを破き、ぐっちょりと濡れた布を、私の手から剥がし、新しく巻き上げる。ピンク色の肉が、少々黒く変色しつつあった。 ぐねりと上方で折れ曲がった古い電灯を背に、二人して座り込む。 お互い、何をいえばいいのか、正直よく分かっていないのだ。 丁度そのとき、カンカンカン、と誰かが地面を蹴り上げる音がした。先輩はかばうように私の前へと飛び出したとき、私はそれを止めるように、先輩の肘を左の手で掴む。振り向いた先輩に、動ける、と暗に頷く。 低い屋根の影から姿を現した人間は、随分小さく見えた。 緑を薄く薄く染め、それをくすませたような色合いの短い髪の毛と、ぱっと明るいオレンジ色の瞳。何か大きな袋を腰に添えながら、不思議そうな顔をして私と先輩を、じい、と見た。 「…………あれ、もしかして、怪我とか、しちゃってます?」 BACK TOP NEXT 2008.11.15 |