| 少年は、カノンと名乗った。 序章 少年は柔らかく微笑み、私と先輩を一瞥した後、大きな袋を片手へと抱え直し、ちょいちょいと手を寄せた。「どうぞ、こっちへ」 どうしたもんか、と辟易していたところ、先輩が私の腕を掴み、「行こう」と強く呟いた。「僕はカノン、怪しくありませんよ」と彼は首を傾げ、私たちの前を歩く。 少年、カノンさんの後ろをとぼとぼと歩きながら、軽くちょいと片手で抱えているその荷物、ちょっと大きすぎないか、重すぎやしないか、ともの凄く、気になった。 案内された場所は、一軒の家だ。ただし、先ほど見たばかりのスラムとほぼ変わらない。方向的に、真反対だろうか。彼はやっぱり重たげな荷物を、ひょいと片手で抱え、コンコン、とドアをノックする。 「バノッサさーん、いますかー?」 誰だ。先輩と思わず顔を合わせれば、暫くの間に、カノンさんは「いないみたいですね」と肩をすくめ、「まぁいいか」と自分で納得したように扉を開けた。 ほこりっぽい匂いと、木が腐ったような匂い。うっすら目を細め、手のひらを握りしめるとえぐれた肉の周りを包帯代わりにと巻いていた先輩のシャツが、じわりと血を含む。 「むさっくるしいところですが、どうぞ」 私より先へ、かばうようにと先輩が身体を飛び出す前に、私がだっと足を踏み込んだ。「…」 不機嫌そうな先輩の声が聞こえ、振り向く事なくカノンさんを見詰めれば、彼はどこか満足そうに、「さんというんですか。こっちへ。手のひらを出して貰えるとありがたいです」 何冊もの本が積まれた蔵書の山の間から、カノンさんはするりと身を寄せ、使いかけらしき、くるりと巻いた包帯を、持ってくる。彼が抱えていた大仰な荷物は足下へと転がっており、食料品らしき赤いリンゴがころころと床を回った。 用意されていたテーブルには、椅子が二つだけだ。もう一人、バノッサという人のものだろう。その木の丸い椅子をカノンさんはひっぱり、私の前へと差し出す。私はおずおずとそこへと座り、手のひらを出した。同じく持ってきた椅子へと座ったカノンさんが、びりびりと赤黒い、包帯代わりのシャツを裂く。先輩が、私の斜め後ろへと、じい、とその光景を見詰めている事が見えずとも息づかいで分かる。 「あ、痛いですか」 「多少」 「はい、我慢されるより、正直でいいですねぇ」 まるで我慢強い誰かを知っているかのように、彼はにこにこと頬を緩ませて、台所へと移動し、蛇口をひねる。がーっと飛び出し、バンバンバン、と硬い鉄へと押されたような水の音に、水道ってリィンバウムにもあるのか、と少し感動した。丸いおけへと水を入れ、随分大きなそれを、やっぱり彼は軽々と持ち上げ、後ろで先輩が「随分、力持ちだな」と今更ながらにつっこんでいる。 「ちょっと傷口洗っちゃいますね」 じゃばっと水の中へとつっこまれた手は、特になんの感覚もない。裂ける事よりも、えぐれた方が痛みが少ないもんなんだなぁ、と私はぼけーっと考え、傷口から、ゆらゆらと赤く染まる水を見詰めた。 巻かれた包帯に、軽く手のひらを何度も握りしめると、じくじくと先ほどよりも痛みが戻っている。残念ながら、現在、召喚術なんて便利なものは存在していない。 完了しました、とパチンと手のひらを打ったカノンさんを見詰め、どうすればいいか、とほんの少し、私たちは口ごもった。カノンさん自身もそれを理解しているらしく、彼は困ったように眉をひそめて、「そのう」 彼が口を開く前に、先輩が、身体を乗り出した。 「教えてくれ。今から僕は、妙な事をいうかもしれない。けれども、ああ、その、」 彼はぐっと目を瞑り、カノンさんへと向き直り、何度も口ごもっている先輩に向かい、さっと右手を差し伸べた。どうぞ、と頷く彼に、先輩は落ち着いたように息を吸い込み、無意識なのかどうなのか、ぐっと私の右肩を、左の手で掴む。 「ここは、異世界か?」 けれども、自分の漏らした言葉に違和感を持ったのだろう。「いや違うな、僕らにとって異世界かもしれないけれど、だから、あー、君たちに、異世界という概念はあるか?」 しん、とした嫌な間だ。カノンさんはポリポリと頭をひっかき、「あー……なるほど」 小さく呟いた言葉は、案外広い部屋の中へと木霊した。「そういう事ですかー……」 パチパチ、と何度も瞬きを繰り返し、ぱっくりとその小さな口を開く。 「あります」 「誰だお前ら?」 それは恐ろしく同じタイミングだった。 玄関から、カノンさんのようにノックをする事もなく、ぬっと縦に長い、白い肌に、白い髪の男が姿を現した。 鋭く赤い目つきで私と先輩を一瞥し、眠たげにあくびを繰り返す。少々酒の匂いが漂う。 「はい、バノッサさん。はぐれさんたちだそうですよ」 至極平然とカノンさんは私たちをそう表し、先輩は少々不思議そうに瞬く。けれども特に何をいう事もない。 バノッサは、首をゴキゴキと動かし、「そーかよ」と興味なさ気に呟くと「じゃあさっさと出てけ」としっしっと猫の子でも追い払うように手のひらを動かす。 「ちょっと待ってくれ、僕らをここに置いてくれないか」 「いやいや先輩ちょっといきなりそれは」 と驚いたように振り向けば、先輩の大きな手のひらが、ガッ! と私の口をひっつかむ。ふごっとお約束な声が聞こえ、バノッサが嫌そうに唇を動かし、「ふざけんな出てけっつってんだろうが」と酒の匂いをまき散らしながらも、アアン、と先輩へと向き直る。カノンさんがニコニコと「まぁまぁバノッサさん」と両手を上下に動かしていた。 「俺は眠いんだよさっさと寝てぇんだお前らはぐれヤロウの事なんて知るかよ」 「しかし僕らはこの世界の事をまったくもって分からない今現在君が投げかけたはぐれという言葉の意味でさえも理解していないんんだ、ここを放り出されれば、当てもなくさまようことになる」 「だから」 「もちろん自立が可能ならそうした方がいいだろう。けれども僕らはおそらくこの世界の文字すらも理解できていないんだ、そこに積まれている表紙を見た限りでもまったくもって理解できないけれども」 「オイ」 「言語自体が問題がある訳ではない、きちんと会話が成立している事自体僕は不思議でたまらないよまずこちらの世界へと来たとき、僕らは夕方だったはずなんだ。けれども空は未だに明るいこれは世界が違うという事で認識したが、その周りには死体の山だ分かるか死屍累々だどういうことなんだまったくもって理解ができないそのことを置いておいたとしても僕らは人間だ食物を摂取し一定の睡眠を取らなければ生きてはいけない人間なんだ僕らはどうすればいい金はない金がないのに金を出せと先ほどいわれた寧ろこちらが出せと襟もとをひっつかんでやりたいところだったこの世界へと同時に来た知り合い二人もどこかへと消えている訳でここを出されれば同じように金を出せとまた繰り返される可能性が高い行き当たりばったりどころか行き当たりさえ見つからないつまりは」 取りあえず思った。先輩すげぇ。 バノッサは眠いといっていた発言通りに、こくり、こくり、と船をこいでおり、顔を思い切りに歪めると、「ああああ」と頭を抱え込んでいる。ぺらぺらと続く先輩の口上に途中で突っ込む暇もない。「あー、頭がイテェガンガンする」「バノッサさん飲み過ぎですよ」とにこにこと笑顔で忠告されている。 「あー!」 バノッサが叫んだ。「どーでもいいどうでもいい! 好きにしろカノンまかせた!」 バノッサはそう大声を上げると、どしどしと重い足取りでドアの向こうへと消え、思いっきりに、バタン! と大きな音を立てながらドアを閉める。 カノンさんが「まかされちゃいました」と朗らかに笑い、「運がいいですねぇ」とうんうんと頷いている。 「丁度徹夜明けで帰ってきたばっかりだったんですよ。いつもなら門前払いです。ホントに運がいいです」 「運がいいんだって、よかったね」 にっこりと彼に笑いかけられながら口元を覆われていた手のひらをやっとこさ放され「……そうですねぇ、運がいいですねぇ……」と、うそぶく彼をじろっと見詰めた。 人間が変わるだけで、こんなに要領よく事が運んでしまうのだろうか。いやあ凄い。これは凄い。 最強すぎる連れ合いに、ハヤトさん、ナツミさん大丈夫カナー? と私はのんびりと首を傾げた。 BACK TOP NEXT 何考えてんの? ばかなの管理人。と思った人お手上げ。 あ、続き分かっちゃった! な人は、お口にチャック。しー。 2008.12.24 |