| 「掃除をしようと思うんです」 プロローグ 何の予告もなく、カノンさんから告げられた言葉に、一瞬びくりとしたのだけれど、彼のことだ、きっと外面どおりの意味なのだろう。珍しく部屋の中へといるバノッサさんは、テーブルにお行儀悪く足を乗せ、「アア?」とドスの聞いた声を響かせた。その隣で黙々と食後のテーブルを拭いていた先輩がひょいっと顔をあげ、「何をすればいい?」 もちろん、手伝うことが前提だ。今現在、数日がかりの書物整理にギチギチと腰の痛みが叫ぶ私も、ぐるぐると腰を回して、ついでに肩も回して、同じく、「どうします?」 バノッサさんは興味なさげに大きく欠伸をした。 カノンさんはいえいえ、と両手を顔の横へと出し、ぱたぱたと首をふる。「埃っぽくなりそうですから、皆さんはしばらく外にいてください」 ね? 手伝うけれど、と声を上げようとしたであろう先輩の背中にカノンさんは手を伸ばし、ぐいっと押す。「え、あの」バノッサさんの腕を引っ張る。バランスを崩したバノッサさんが、ずるっと床にぶち当たった。「うおおお!」 押す。引っ張る。押す。引っ張る。「カノンてめぇ!」「ちょ、やめ」「いてぇ、ケツがいてぇ放せ!」「背中が、いたい、叩かないで!」 どっかで見た光景だ、と思いながら、男性陣の叫びを耳に寄せ、私は粛々とドアへと向かった。痛いのは嫌です。 こっそりと、「仲良くしてくださいね」と私に耳打ちしたカノンの声を思い出して、うーん、こりゃあ無理だろう、と首を傾げた。家を出た途端にざぁっと降り始めた雨に、私たちは頭からぐっしょりと水にぬれ、私とはさみ、鬼の形相をする二人はただでさえ重い空気をくるんで捨ててまた重くする。みんな仲良しが一番です、と天使のような笑みで思考をするカノンさんは、同居人の仲がギクシャク(そんなに可愛い言い方はしないかも)していることが少し気になっていたのだろう。 ざー、ざー、ざー、とバケツをひっくり返したような光景に、店の屋根へと入って見つめた。それにしてもタイミングの悪い。天使と見せかけた鬼か。いや鬼だ、カノンさん。 「クソウ」と呟いたバノッサさんは、不健康な肌を見せびらかす服の内がわへと手を入れて、「財布がねぇ」 アー、とのどの奥にたんがからまったような声を出し、ぐしゃっと頭をかいた。「お前らの所為だかんな、カノンが、くそ、余計な気ぃ遣いたがって」 そんなバノッサさんの不遜な言葉に、先輩はフンッと大きく鼻を鳴らした。不遜返し。 「彼に気を遣わせるような態度がダメなんじゃないかい」 「うるせぇな、居候のゴクツブシがよ」 「確かにそうだ、ごめん」 「アー、気色が悪いなオイ」 「事実だからね、居候のゴクツブシの金食い虫なのは」 「……いや、そこまでいってねぇだろ」 (…………あれ) 私を間にしてぽんぽんと飛ぶ言葉に、一瞬目を白黒させてしまった。続いている。会話が。意外と。「仲がいいですね」「「ハァ?」」 狙ったようなタイミングに、お前らはどこの漫画だ、とぐっと喉の奥で何かがつまった。揺れそうになる肩を押さえこんで、じっと見つめていると、「何へんな顔してるの」と先輩に怒られた。「いえいえ」「ア?」 不意に、遠くで聞こえた喧噪に、犬か何かのようにひょいっと顔を上げたバノッサさんは、「アー、うぜぇ!」と叫び、びちゃびちゃと叩きつけられる水の中、飛び出した。その銀の髪の毛にほんの少しずつ水をしみこませて、彼はぐるぐる腕を回しながらひょいっと私と先輩へと振り向く。「カノンには、お前らが適当に言っとけよ」 面倒くさそうな口元をそのままに、そのまま走り去ろうとして、「…………?」 首筋が、一瞬びくりとした。先輩も、白い手のひらをひたりと首元によせ、遠い視線をこちらへと手繰り寄せ、私を見た。バノッサさんも、フンッとつまらなさそうに鼻をならし、今度こそ本当に背を向け、喧噪の中へと身を任せに行く。こころもち、どこか嬉しそうな足取りだった。「喧嘩かな」「喧嘩でしょう」 クッ、と笑いそうになって、心の中が、重く、沈んだ。こんなこと、している場合なのか? その沈黙は、きっと先輩にも伝わった。「新堂と、橋本は」 見つかっていない。 重い雨だ。 いつまでも、こうしている訳にはいかなかった。甘えているのだ、私たちは。私は、きっと、忘れられたあの島にいるとき、こんなんじゃなかった。きっと違った。甘えてる。先輩に、バノッサさんに、カノンさんに。安全な場所に。今更ながらに、学生だった自分を、女の性別を、平穏な生活を思い出して甘えている。ダメだ。 「明日」 きっと彼も同じことを考えていたんだろう。長い長い息を吐いて、先輩は呟いた。「行こう、あそこへ」 どこへ。 「僕たちが、一番初めにいた」 うん、と私は頷いた。正直、日が立ち過ぎている。彼らも、私たちと同じように、安全な場所を見つけられていたらいいのだけれど、分からない。もしかしたら、もう、(あー……) 何度も考える。確かに私は、彼らに会った時間はとても短いけれども、にこっと、とてもとても人好きのする笑みをする人達で、ましてやナツミさんは女の子なのだ。あのとき、もっと考えていたらよかった。逃げる彼女を、全力でつっぱしって、腕をつかんで、それで、(今更じゃん) すみません、と私は先輩に頭を下げて、バノッサさんと同じように屋根を飛び出した。先輩も、うん、と呟き私と反対方向へと歩を進める。歩いた。歩いた。ゆっくりと動いていた足は次第に速くなり、目の端で、影を探す。茶色い髪の少女、男の子。「ナツミさん、ハヤトさん……!」 ザッ、と落ちる雨の中で、声はかき消される。歩きづらい、固いレンガの道を踏みしめる。 「…………」 ふいに、聞こえた声に振り返った。覆われた雲に黒く沈み、人影も消えた街の中に、気づけばぽつりと、少年が立っていた。金に近い茶の髪に、普段ならば明るく映しだすであろう表情は暗く沈痛な面持ちで、私は一瞬、彼が誰なのかわからなかった。ずっといたのに。一緒にいたのに。「……?」 うん、と彼は子どもっぽく頷いて、ゆっくりと私へと手を伸ばした。ぶんっと霞むその輪郭を見つめると、「だめだ」と彼は怒ったように開陳する。「だめだ、このままじゃだめだ、おかしい、こんな話じゃないんだ。足りない。役者が、消えてる」 どんぐりのような瞳を、大きくさせて、ぶるぶると首を振る。彼の髪は、一滴も水にぬれず、反面私の前髪は水を吸い、視界を狭めた。 ぞっと冷たい何かが、首元に当たった。 (違う) 先ほどと同じように、自分の首を、ひたりと手のひらで触っても、冷えた手の感覚だけだ。背筋が寒い。「ここはいけない」 が、私の耳へと息を吹きかけるような距離で。 「見られてるよ」 消えた。 視界はやはり狭く、降り落ちる雨がレンガを叩きつけぴちゃぴちゃと恰好の悪い音楽を噛んであげる。見られてる。何に。 私はぎゅっと唇をかみしめて、路地を逃げるように駆け抜けた。 BACK TOP NEXT 2009.07.27 |