プロローグ 寝静まった夜更けにのそりと体を起こした。先輩にひっぱられるように、私はそろそろとドアをあけ、動く。 召喚跡へ、行く。 あの広がる荒野は、あまり少数人で行くにはよろしい場所ではないということは、ついこの間知った。だからこそ、今向かうのだ。カノンさんなんかに見つかったら、自分も付いて行くと聞かないだろうし、妙な心配もされたくない。先輩なら、僕たち二人だと不安だから、彼にも頼もうと言い出すのではないかと内心ビクビクしていたのに、意外なことにも、息をつめて、現在を共にしている。 曰く、正直これ以上迷惑をかけていられるほど、面の皮は厚くはない、と苦笑していた。いつも図太いくせに、変なところで気にする人だ。 「………オイ」 最後の扉に先輩が手をかけたその時だった。本にうずまるようにして顔をのぞかせた銀髪の男が、不機嫌そうな目つきでもそもそとこちらへと顔を向ける。「お前ら、夜のお散歩かよ」 先輩と私は二人して息を詰め、ほんの少し焦ったように口元をひきつらせる先輩が、「まあね、バノッサ、君こんな時間に起きてちゃお肌に悪いんじゃないかい」「……うるせぇな、俺はカノンと違って夜型なんだよ」 ああぽいなぁ、となんだか一瞬納得してしまった。 そんな私と先輩の様子に苛立ったのか、バノッサさんはチッと軽い舌うちをし、また本の中へとうずまった。「夜のお散歩だろ、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと帰ってこいや」「うん、行ってくる」 軽い返答に、先輩は扉を開けた。私も遅れて、ぺこりと頭を下げる。「行ってきます」 彼は面倒くさそうに視線をそらしたのだけれど、なんだかちょっとだけ、面白かった。 (ここはいけない、見られてるよ) ふと、のセリフを思い出した。首筋がぞわりとする感覚。じゃり、と舗装の悪い街の道を歩きながら、振り返った。「どうしたの、」と先輩が不思議そうに首をかしげ、「……いいえ」と歯切れが悪く返事をする。そんな言葉がいけなかったのかもしれない。 先輩は疑わしげな目つきで私を一瞥し、また前を向いた。そして呟いた。 「、君、変わった?」 「え」 何がだろう、と一瞬考えた後、すぐさま大きく心臓が鳴り響いた。当たり前だ、私は、今の私は先輩が知っている私とは違う。月日の変化だけではない、根本的に、変わった。いえ、と言葉を吐くことができず、私はごくりと唾をのみ、ぶるりと首を振る。前を向く先輩が見ている訳がないのに。 「なんだろう、なんか、違うよね。前だったら、、君僕のこと、もっと避けてたろう。別に嫌われてた訳じゃないよね、まぁ思春期特有の奴だと思ってたんだけど、君変だよ。いつからかな、そう、僕らがこっちへ来てからだ。前々から思ってたんだけど、君」 ごくり、と唾を飲み込んだ。先輩は、鋭い。鋭すぎる。耳をふさぎたい気持ちを必死で抑えた。だって、そんなことをしてしまえば、自分から肯定しているようなものじゃないか。先輩は、こくり、と少しだけ間を開けた後、口を開いた。 「君、ちょっと冷静すぎないか?」 「………!」 冷や汗が流れる。「いや、前でも、は案外合理的だし、僕と思考が近いことは知ってるよ、でも、ちょっと冷静すぎる。剣道を、僕らは習っていたよね、でも習っていることと、それを即座に実践で使えるかどうかは別だろう。そうだよ、一番初めに違和感を持ったのは、そのときだ、君、刃物に何のためらいもなく向かったろう。新堂と別れたときだよ、おかしくないか?」 君は、誰だ? こぼれたセリフに、頭の中がぐるりと回った。私は、そんなに変わってしまったんだろうか。「あ、誰って」 久しぶりに、泣いてしまいそうになった。こんなこと、滅多にない、滅多にないのに、先輩に言われるだけで、もろい。こぼれそうになる。「………誰って」「まぁ誰でもいいけど」 え あっけらかんとしたように、彼は振り返り、ニヤッと笑った。「君はなことにかわりはない」 誰って言った癖に、と反論することができず、私はうんと頷いた。そのあと、珍しくもはにかんだような表情をした彼が、 「こんなときに言うのは、ちょっと、うん、卑怯だと思うんだけど、僕、君のことが」 音が、聞こえた。 「?」 先輩が首を傾げているところを、思いっきり肩を掴んだ。「ちょ、君」「すみません……っ!」 押し倒すように、汚い道端へと二人一緒に転がるように移動すると、丁度先輩の頭があったであろう空間に、スコンッと暗く短い光が走った。街道へと差し込まれたそれは鋭い刃だ、私はそれをすかさず拾うと、唾を飲み込んだ先輩が大きく息を吐き出す。「、囲まれてる」 嘘だ、と思った瞬間、ぐるりと周りを囲む男たちが、押し殺した息でゆっくりと肩を上下させている。いつの間に、こんなにいたんだろう。全然気付かなかった。こいつら、「誰だ?」 私の内心を代弁するように、先輩は言葉を投げ捨てた。 男たちは動きやすく、闇に紛れた服に身を包み、揃いのように、左右の手には短い刃を握る。「シャア……ッ!」「答えてはくれないのかッ!」 投げられた刃を避ける先輩の頬に、薄い血の跡がにじんだ。先輩が懐から、バノッサさんの家に腐るほどあった武器の、その中でも子ぶりの短剣を取り出した。私も同じく、懐へと眠らせていたナイフを取り出し、しっかと握った。 けれども、先輩は私の腕をとると、逃げた。「こんな人数で、勝てる訳ないだろう……!」 来た道を反転するように夜の闇を駆ける。逃げろ……! 胸の奥がどくどくと高まるような感覚だった。(見られてる) こいつらのことなのか? 「くそう!」 曲がり角にて男の一人が、屋根を駆け下りるように目の前の地面へと着地する。音もないその行動にぞわりと背筋を寒くさせ、ぶっつけのように私はナイフを投擲しようとし、他のストックがないことに気づき、歯ぎしりをした。その間に先輩が僅かにためらいながら、男へと短剣を向けた。びりっと布を引き裂く音が聞こえ、男の衣服が破れる。「うあ」 その行為に驚いた間に、先輩は男の膝の裏側へと足を叩きこんだ。かくりとバランスを崩し、その上からまた足を叩く。 脳天へとくらった男はふらふらと壁に寄り添い、その間を私たちは駆け抜ける。「バノッサの、家までもどれば……」 歯ぎしりをする先輩の声を聞きながら、考えた。こいつら、一体、誰だ? 知っている気がする。 私はこいつらを知っている気がする。 人外のような言葉を吐きながら、複数人で行動し、ニヤニヤと厭味ったらしい笑みを常に浮かべそして、(………まさか) あと、少しだった。いくら相手の動きがよかろうと、短い間とはいえ住居としたスラム街を私たちほど上手く動くことなんでできるはずがない。ハヤトさんと、ナツミさんを見つけるために歩いたのだ、歩きまわったのだ。もう少し……! 踏みしめた足が、とまった。 目的地に着いた訳ではない、違う。動かない。びりびりとした震えに、上手く体を動かすことができず、唇も微かに震えた。先輩も、私の腕を握り締めたまま固まり、ただ瞳だけが驚愕したように見開いている。(何が)どうなった? 「召喚は……」 ふと、一人の少年が現れた。 男ではない、ローブの向こう側に茶色い髪を隠し、声変わりをしかけたかすれた声を覗かせ、長い杖をコツンと地面へとつく。その足元には、黄色く丸い、どこかで見たことのある何かの物体が置かれている。それはひゅるりと虚空に消え去り、少年は、私たちへと杖を向ける。「失敗した」 お前が主か! そう叫ぶ声もしびれ、上手く動くことができない。「不要な召喚獣は、始末する」向けられた杖を、すいと横へと振った。それを合図にするかのように、現れた男たちが、私目がけて、ナイフを振る。 あれ、 長い長い時だ。 向かい来る銀のきらめきをこの目にとどめ、少しずつ、少しずつ近づいてくるというのに、体が動くことがない、しびれている。けれども、少しだけ、ぴくりと震えるくらいに、僅か、体が動いた。私は見た。動いた首元から、まっすぐに彼へと視線を向け、ローブの向こうの、茶色い瞳を苦痛のように歪ませ、ぱくりと唇が動く。わかる訳がない。声を出すこともしなかったその声が、分かる訳がない、けれども、聞こえたのだ。(…………ごめんな) すとん、とやってきた衝撃は軽かった。 あれ、と考えた後、視界が黒い何かに覆われていることが分かった。ごわついた布地をまとった彼は、呂律の回らない舌で、大丈夫か、と訊いた。頷いた。にっと、彼は珍しく子どもっぽい笑い方をして、その上から、また私を抱きしめた。その途端に衝撃が来た。 男の一人が、長い刃を、付きつけている。一回、押す。すこんっととても簡単に骨と骨の間を通り抜け彼を縫いつけ、また一度力強く押した。貫通した刃は私の腹へとささる。あ、いてぇ。 刃を抜いた。勢いよく血はあふれ、力が抜けたかのように、彼は私を押し倒し、亀のような大勢になった。刺される。刺される、彼が刺される。一刀、二刀、三刀。しびれが少しずつ切れてくるのか、「ちょ、先輩!?」と言葉を口に出し、彼から抜けだそうとしても、同じくしびれがぬれた先輩が力強く、私を押さえる。 おい勘弁してくれよ、何してんだこの人は、意味がわからない、何してんだ、なぁ、あんた、 肌が、白い。べたりとくっついた服の僅かに見えた顔色が、白かった。白すぎた。もともと白い癖に、「……トウヤ先輩……!」 すりきるように出した声に、先輩は、偉いね、とでもいうように、私の頭をくしゃりと撫でた。それだけだった。ころん、と腕は地面へと落ちた。 なんだこれ。 「死んだ?」 少年の無機質な声が聞こえる。先ほど瞳をゆがませていた人物とは、まるで別のようだ。「うん、死んだ、かな」 息を吐き出す声が聞こえる。「じゃあ、次、君かな」 おい。 こいつ、人のこと、なんだと思ってんだ 掴んだ先輩の体が、しゅるりと消えた。しゅぱっと弾けるように強く、(死んだら、消えるのか)どこに行くんだろう、と何度も考えた問いだ。が、しょんぼりしたような顔で、「失敗したなぁ」と項垂れている光景が見えた。「、飛ばされる」 これ、失敗だよ 飛ばされる。 私は、間違えたらしい。リィンバウムの管理人として、間違えたらしい。伸ばした指先は光をからませ、あまりにも、あまりにもバカらしくて、ぼろりと涙があふれた。死んだ、先輩死んだ。イスラみたいに死んだ。先輩が死ぬのは間違っていたのか? イスラが死ぬのは正しかったくせに、何で何だ? 何でそんなことが許されるんだ? 死ぬに間違いもくそもあるのか? ないだろ、ないだろこれ、でも先輩、先輩、「しなないで……!」 どれだけご都合だと言われてもいい、死なないでほしかった。生きていてほしかった。間違っているというのなら、正す、正すから、お願いだ、もう一度、もう一度、 も 掴んだ光は、しゅるりとロープのように私をひっぱった。どこかへ飛ばされる。放り投げられる。乱暴に投げられた体はぼろぼろで地面に叩きつけられた。刺された腹から血が溢れ、すりむいた口元からぼろぼろと留めなく血が流れた。それをぺ、と力なく吐きだし、立ち上がる。 空はオレンジ色に染まり、懐かしい遊具が溢れていた。 その中で四人の子どもたちがいた。 ぴかりと体を光らせ、ほんの少しずつ体を消す。最後、残った黒髪の少女は、おびえるように瞳を開けた。けれども感じた。(彼女は必要だ) このストーリーに、不可欠だ。 3人ではダメだ、4人でないといけない。バランスが狂った。だから、 (すみません) 心の中で謝った。思いっきり、頭を下げた。巻き込んですみません。あなた、これから大変だと思います。それでも、救ってください、みんなを、お願いです救ってください。先輩、先輩、「逃げちゃだめだ」 「一緒に、いきましょう。綾先輩」 「………だ、」 誰? 瞳を丸めた先輩が、私を見た。ローブにうずまる瞳の向こう側で、にっと笑い、「守ります」 絶対に守ります。 だから、 「一緒に、生きましょう」 死なないように、幸せになれるように。 しゅるりと消えた公園には、誰も残ることはなかった。 ただひとつ、猫のキーホルダーが、オレンジ色の光の中、その存在を主張するかのように、陰影を表していた。 BACK TOP NEXT 2009/08/15 |