第1話   正しいはじまり、はじまり




目を開いた。
広がる青い空を、何度も瞬きして確認し、慌てて自分の腹をなでた。痛くない。(…………あれ) 確かにさされたはずだ。起き上がり、辺りを確認する。見慣れたスラム街の瓦礫の上へと倒れ込んでいたらしい。どうりで背中が痛い。
ここは、リィンバウムだ。

私の腹には、相変わらずべっとりと血で汚れている。当たり前だ。彼に、先輩にかばわれて、なおかつその間の肉を通り抜け、私の腹へと刃が突き刺さった。たかだか数十分前の話を思い出して、額に皺が入っていることに気がついた。
けれどもおかしい。傷がきれいさっぱり消えている。

「時間が戻ったからね」

ふいに、聞きなれた声が聞こえた。瞬きを一度した間に、現れた姿に、驚くを通り越して眉をひそめた。「」 金と茶の、間のような髪の毛を、ぽりぽりとひっかいて、「おめでとう。失敗した。もう一度やり直しだ」 でも多分次はないよ、とじっとこちらを見つめる。

ときどき、彼が何を考えているのか、分からなくなる。一から十まで、全部を説明してくれたらいいのに、僅かな言葉の欠片だけこちらへと与えるのは悪い癖だ。断片だけを伝えるのは、結局何も言っていないのと同じなのだ。そう考えていると、そのことが伝わってしまったのか、彼は少し悲しそうな顔をして、「全部を伝えても、はきっとしんどいだけだ。今必要なことだけ聞いて。俺はの味方だから」


なんとなく、反論したいような気持ちになった。結局それは子供扱いをされているだけのような気がする。「わかった」 分からないけれど。
はそれも含んだように、目じりを和らげ、ぐいと私の肩を寄せ、耳打ちした。

「いいか、。まず前提が間違っていたんだ。召喚されるのは、4人だけれども、、君は含まれない。3人しかそろわなかったから、駄目だったんだ。そしてアヤは召喚された。そして何がいいたいかって言うとね」

そこまで一気に話し終えたは、一端言葉をとめる。私はふと思い返した。召喚されたのは、私、先輩、ハヤトさん、ナツミさん。私を除けば三人。(そうか、三人しかそろわなかったから、無理やり私が組み込まれたんだ)「聞いて」 短く聞こえたの声に、また声に集中する。

「今日は、が、トウヤ達が召喚された日だ」

時間が巻き戻ったからね。先ほど言ったのセリフが、やっとこさ脳みそに浸透してきた。にわかには信じがたいことだけれど、腹の傷が消えていることで、なるほどと納得する。その割には、破れた服はそのままなのだから、いい加減だ。

「じゃあ、私がもう一人いるの」
「いいや、は君一人だ。召喚されたのは、トウヤとハヤトとナツミとアヤだね」

だからフカザキトウヤは生きている。無事だよ。と吐き出したの声は、どこかとげとげしい。そう言えば、こいつは先輩のことがあんまり好きではなかった。随分前に、なんで先輩を嫌うの、と訊いてみたら、『だってあいつ、狙ってるもん』 とつん、と唇を尖らせて、怒ったような表情をしたのを思い出した。

実感がわかない。確かに、彼は死んだ。私の目の前で死んだ。喜べばいいはずなのに、そんな都合のいいこと、と考える自分もいる。は私の肩から手を放すと、「時間はあんまりない。まぁとりあえず、その服からなんとかしとこうよ」 と、血でべとべとになった私の腹を指差して、苦笑する。

一歩踏み出そうとしたとき、ふと、腰に、違和感があった。正確に言えば、違和感がなかった。慣れた重みが心地よく、私は驚いて腰元を見つめた。「鈴鳴」 真っ赤な刀が、確かに服の裾へと、無理やりにつっこまれている。驚いてを見れば、「今回は正しいからね。ついて来たんだろうね」と当たり前のように頷いた。




お金に関しては、カノンさんからいくらか貰っていたもので事足りた。彼には本当に感謝の言葉しかない。けれどもやり直しだと言う今、私はカノンさんとは赤の他人だ。バノッサさんともそうで、なんだか妙な気持ちになる。そしてこのお金は本当はカノンさんが持っているはずのもので、けれども私が持っていて。これってどうなんだろうか、なんだか混乱する。

とりあえず、体を包み込むことができる、大き目のローブ。簡単な着衣に、これからどうするべきか、と眉に力を入れていると、ふと、初めに狂った歯車が思いついた。
ナツミさんだ。彼女を見失ったこと。あれから、少しずつ、進むべき道がずれていったような気がする。彼らと会うべきだろう。けれどもどうやって。

私自身のことを、正直に話せば、先輩はきっと信じてくれる。けれども、他の人はどうだろう。アヤ先輩のことは知っている。けれども、ハヤトさんとナツミさんのことは、まったく知らない。そもそも、話すって何をどうするべきなんだろう。私自身何をすればいいのか分からないのに。それに、私は駆け引きなんてうまくない。
いっそのこと、一言も話さない方がいいんじゃないだろうか。「全部と伝えても、はきっとしんどいだけだ」の言葉を思い出した。彼と同じような態度をとるべきなのではないだろうか。

ただ、黙りこくって店前へと立っている私を、は不思議そうに見つめた。時間は、あんまりないよ。そういう彼に、うんと頷く。

、これを買おう」

取り出したものに、彼はきょとんと瞬きを繰り返した。そのあと、ぷっ、と一度噴き出し、肩をすくめる。「なんとなく、が考えてること、俺分かった」
の声は借りることはできない。彼の声を、先輩は知っている。アヤ先輩も、確か一度。記憶力のいい彼らのことだ。警戒しておいて、損はない。

     根性、見せるよ」
「おう」





一体どれくらい走っただろうか。私は汗なのか、涙なのか分からないくらい、顔がべとべとになっていることが分かって、とても気持ち悪かった。バスケの練習だって、こんなに体を力いっぱい動かしたことはない。力いっぱい動かすなんてもんじゃないんだ。自分の頭の、よくわからないところから、よくわからないものが飛び出てくる。

     ここ、どこ?

いつもと同じ道だった気がするのに。ただ、違った。オレンジ色の夕日に染まる公園に、同じバスケ部の、まぁ男バスなんだけど、ハヤトと話してて、アヤが来て、あと深崎じゃんめずらしー、なんて思って、ちょっとした愚痴はいて、それなのに、それなのにそれなのに。
ここどこ。


広がる死体に、私は走った。だって何これ。怖い、とかじゃない。きもちわるいと思うこともできない。脳みそが、思考を拒否していた。意味が分からないとしか思えなかった。その割には、死体の表情とか、腕から飛び出した骨とか、妙な場所だけくっきりと見えて、ねばつくような臭いが鼻にこびりつく。砂ばかりで走りづらい。もう、自分が何をしているかもわからない。入る視界は所々ボロがあって、頭の中で認識できない。

茶色いレンガがあった気がする。街のような気がする。そして人に助けて欲しくて、街を取り囲むレンガの壁の、ぼろぼろと空いた穴に体をすべりこませた。そのときだった。「んだぁ、こいつ」

がらがら声の、聞き取りづらい声が聞こえた。男の声だった。肌を露出された妙な服に、不精ひげで、なんだか、臭う。端的にいうとくさい。それも一人じゃない。三人だ。瓦礫の上に座るようにして談笑していたのか、一人が立つと、残りの二人も立ち上がる。私は自分の目を疑った。男達三人とも、その手には武器を持っていた。「…………え?」 それが何よりの衝撃だった。

例えば、その武器が斧だったとか、棍棒だったとか、ナイフだったとか、そんなことはどうでもいい。現実味がないけれども、それは怖いものだ、ということが、当たり前だけど、しっかり認識できる。なんだこれ。「う、」 訳わかんない。「う、う、い、やああああ……」 ぽろぽろと涙がこぼれた。男たちは、それを不快そうに見る。おかしいな、私ってこんなんだったっけ。

もっと元気いっぱいで、これくらいのこと、なんともなくって。

「おい、うるせぇな」
「う、ひっ」
「黙らせとけよ」
「あー、俺が?」

いけいけ、と棍棒の男へと、ナイフの男が頷いた。しょうがねぇなぁ、と彼はえっちらとこちらへ歩いて来て、どんどんと近くなって、「え?」 と私が瞬きをしたとき、ぶんっ と 腕を
あ。

と、思った。けれども、その後方で、妙な音がした。
瓦礫の中へと何か大きなものが沈みこんだ音。棍棒の男は、それを不思議そうに、振り上げた腕を戻しながら振り向く。ぐちゃり。そのとき、もう一度音がした。

今度ははっきりと見た。何か黒い影が、赤い何かを振り回し、ナイフの男の腹へと突っ込んだのだ。ナイフの男は、何度かえずいた後、顔から瓦礫の中へと突っ込んだ。その中には、斧の男もピクリと言わず倒れている。

一瞬何が起こったのかと思った。黒い影は、よく見れば人間で、あまり大柄ではない。ローブを着ているから、こまかいことは分からないけれども、どちらかというと華奢な体型のようだった。赤い何か、と思ったものは、鞘をつけたままの刀だった。
私がきょとんと瞬きを繰り返している間に、棍棒の男は、私の何倍もの速さで思考を巡らせたらしい。「てめぇ」と低くうめいた後、大声を上げながら、棍棒を振りかざす。

大きな棒は、私の位置から聞こえるほどに、おおきく風の音がいなないた。
けれども黒いローブの人は、それを片足だけ移動させて避けると、刀の柄部分を使い、男の耳へと叩きつける。叫ぶ男は一、二歩ふらつき、その瞬間を見逃すことなく、ローブの人は刀を持っていない方の手で、男の顔部分、鼻の下あたりを、思いっきり打ちすえる。くるり、と男の顔が空を向いた。そしてそのまま倒れ込み、その腹を、容赦なく踏みにじる。

あっけなかった。
喧嘩なんて、クラスの男子達がおふざけにするのを見るくらいだ。信じられない、という思いが強い。格闘技なんてもんじゃない。彼らを子どもみたいに扱った。
(助けてくれたんだ)

もしかしたら、違うかもしれない。けれども自分は結果的に助けられた。お礼を言わなくちゃいけない。いままで、どこかの小動物みたいにビクビクしていた自分がひっこんで、「あ」と声を出す。
すると、ローブの人は、初めて私をしっかりと見つめた。そしてその瞬間、私は目を見開いた、と思う。

深くかぶったローブの奥に見えるキツネの面。
冗談か何かのようで、顔が引きつった。

「怪我はありませんか」

面の向こうのくぐもった声は、確かに女の人の声だった。


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2010.07.20