ハジマリまでのお話をどうぞ



目が覚めると、声が出なくなっていた。
喉の奥がひゅうひゅうとするばかりで、いくら声を出そうとしても、苦しくなるばかりだ。一体どういうことだろう、と喉へと手を当ててみた。分からない。どういうことだろう。

私は白いシーツの中に埋まっていた。数日ぶりのベッドだ。並べられた仕切りや、その間からひっそりと覗く等間隔のベッドは、まるで病室のようだった。私はほんの少し前までの自分を思い出し、慌てて刺されたであろうわき腹へと手を伸ばした。痛みが何もないことにほっとした後、今度は自分がしたことを思い出して情けなくなった。
(一番最初に、自分のことを心配するなんて)
自分勝手すぎる。

人間を突き刺したというのに、さしてショックも受けていないことに、ショックを受けた。なんだか妙だ。悲しくなった。気持ちが悪くて、いっそのこと泣いてしまおうと思ったのに、相変わらず声がでない。何故なのか。「オルドレイクが盗んだんだよ」 シャッ、とカーテンをあけて、アスナクは赤い髪をのぞかせた。「よっ。げんき?」
能天気な男である。


彼はベッドの上によっこらしょと腰をかけた。「傷の方は問題ないだろ。俺、専門はメイトルパなのに、頑張ったんだぜ」とへらへらしている。先ほどまでの、オルドレイクの前との無表情さはどこへ行ったのか。文句を言おうとしても声が出ない。いつも出来ることができないとは、こんなに気持ち悪いのか、とびっくりした。アスナクは、「ひひひ」と口元を横にぱっくり開けて笑った。私へとずびしと人差し指をつきつける。

「オルドレイクは召喚獣からも、人間からも。何かを盗んで手綱につなぐのさ。あんたの場合は声だったみたいだ。せっかくヤードの奴が忠告してくれたって言うのにね、かわいそうに」

かわいそうに、という言葉の割には、まったくもって同情の気持ちはこもっていないように思えた。アスナクは続ける。「さて、これであんたは一生オルドレイクにこき使われる運命な訳だ。ただでさえ、サモナイト石と繋がれているしね」 かわいそうに。ともう一回、言葉を適当に付け足す。アスナクは両手の指を膝の間に合わせ、「しかしそれは面白くない」と呟いた。

「いいことを教えてあげよう。今日、ヤード・グレナーゼは、ここ、無色の派閥を脱走する。その騒ぎに乗じて、お前もここを逃げたらいい。これを逃せば次はないぜ」

にんまりと口元を弓なりにしながらこちらへと目線を向ける彼に、少々理解が追いつかない。何故、彼が私に逃げろと言うのか。今まで捉えていた人間じゃないか。おかしいんじゃないか。アスナクは、そんな私の疑問を感じ取ったらしく、声も出ないようだし、まあいいか。と頷いた。

「俺はクラストフ家から送られてきた人間さ。オルドレイク・セルボルトの敵って訳だ。あいつの弟子に騒ぎを起こして、内部でもめて、ついでに潰れちまえば助かる。そして名も無き世界の召喚獣なんて貴重な獣をあいつの元に置いておくのもしゃくだしな。俺がクラストフ家に持って帰れたらいいんだけど、さすがにこんなにでかい荷物はいらないよ」

まあそんな訳さ。と軽く肩をすくめ、アスナクは懐から石を取り出した。無色のサモナイト石だ。私はぎょっと目を見開いた。「お前の石だよ」 そして、なんてこともなしに、ベッドの上にその石を置く。「これをお前に返すよ。この石を壊しちまえば、あんたは自由の身だ。さすがに、この石の誓約を解くにはオルドレイクしか出来ないだろうしね」

願ってもない話だった。しゃっと伸ばそうとした私の手を、アスナクはぐっと力強く掴んで静止させた。「待て。俺は優しいから教えてやるよ。この石を壊したら、お前はもう元の世界には戻れない。この石は、お前と故郷をつないでるんだ。もう一回言うぞ。この石を壊したら、お前は一生この世界、リィンバウムでさまようことになる」

眉をひそめた私を見て、彼は「嘘じゃない」と短く言葉を落とした。そして急いだようにローブを脱ぎ去り、私の手元へと投げ捨てる。そして服の間に仕込んでいたらしいナイフと食料を同じく手渡した。「覚悟が出来たら、さっさと石を壊して、そいつで顔でも隠してここから逃げろ。できないってんなら、一生オルドレイクのおもちゃになっとけ。あんまりいても怪しまれるからな。俺はさっさと退散するよ」

アスナクは知らん顔をして立ち上がる。そして元のようにカーテンを直そうと手を伸ばした。そして振り返った。「そういやあんた、名前……」 ぱくっと声が出ない口を動かした私を見て、彼は鼻で笑った。「まあいいや。あんたの好きなように生きな」




勝手な男である。
私は自分の足元へと転がったサモナイト石を見つめた。この石が存在しているかぎり、私はオルドレイクから、何度もさっきみたいなことをされてしまうらしい。命がいくつあってもたりない。できることなら、さっさと壊してしまいたいが、元の世界には戻ることはできないと釘を刺された。
どこからか、ぬっと長い男の手が現れた。その手はひょいと石を持ちあげ、自分の顔の前へと持って行く。

「ふうん、ね。ふうん」

は石を手の中でくるくると動かしながら観察する。ちょっと、あんまり変なことしないでよ。と言いたいのに、声が出ない。は気の毒そうに私の顔を見つめて、私の喉をさすった。そしてゆるゆると手のひらを自分の元へと戻し、じっと見つめる。私は喉から息を出した。「……あ」 かすれた、聞き覚えのある声が喉から飛び出る。「え、あれ、うそ、あれ?」「俺の声を貸してあげたんだよ」

ほんの少し悲しげには笑った。
まるで声変わりの済んだ男性の声が、自分の喉から出てくる。まるで、というか、本当に男の人の声なんだけれど。随分喉が楽になった。けれども体中が脱力する。まさか自分の声が変わってしまう時が来るとは思わなかったのだ。「さて、。どうするの?」「どうするったって……」 念のため、周りを意識して声をひそめる。

今すぐに結論を出すことはできない。けれども、決めなくちゃいけない。
アスナクから渡された黒いローブをぎゅっと握りしめた。「死にたくない」「うん、そうだね」
じゃあ、いっちょ頑張ろう。そう言って、はいつの間にやら握りしめていたらしい鈴鳴を私へと渡した。私はそれを片手で受け取り、もう片方の手で、が手のひらで遊んでいたサモナイト石を受け取った。








(…………逃げなければいけない)
今日のために、何度も入念に確認した鍵を牢屋の錠へと叩きこむ。カチンッと重い音が響き渡り、彼は重い鉄の扉を開けた。中でうずくまる召喚獣がきょとりとした目でこちらを見つめてくる。ヤードは召喚獣へと背を向けないように、両手に抱え込んでいた剣二本を目の前へと突き出し、ずるずると後ずさる。次の牢だ。

アスナクから渡された牢の鍵は、本物だった。彼が何を考えて、自分へとこれを渡したのかは分からない。けれどもこの機会を逃すことは出来なかった。派閥の鍵は担当が変わる度に定期的に取り換えられる。刻々と制限時間が迫っていた。
(陽動だ)

自分一人の力で、この組織から逃げ出すことなどできる訳がない。だからこそ、彼ら召喚獣が暴れてくれれば助かる。彼らには申し訳ないが、自分には他に方法がない。
ふと、ヤードは一人の女性を思い出した。ヤードへと牢屋の中から声をかえてきた人物だ。「ここを開けてくれたら、いつでもお手伝いができますよ」 彼女はそう言った。ヤードは、心配せずとも、数日中に扉を開けるつもりです、なんて台詞が言える訳もなく、ぐっと言葉を飲みこんだ。

彼女の牢の中身は空っぽだった。死んでしまったのだろうか。自分がもう少し早ければと胸が痛んだ。(……彼女に、運がなかったと)そう思わなければ、苦しい。

ヤードは抱えた剣をこぼさないようにと抱え直す。そして小走りで走り抜ける。早くも息が乱れている。自分は体力にはあまり自信がない。あの幼馴染が言うように、もう少し鍛えておけばよかったと後悔しても遅い。既に、召喚獣たちが派閥の内部で暴れてくれているらしい。ヤードを気にすることなく、複数の派閥の人間たちが隣を通り過ぎていく。その度に胃が痛くなる。この騒ぎの首謀者が自分だと、いつ気付かれてしまうだろうか。布で覆っているとは言え、こんなに目立つ剣を抱えているのだ。ばれるのも時間の問題だろう。

(考えが、甘かったのでしょうか)
そうだ、甘かった。自分一人では、ここを抜け切ることはできない。自分にあるものは、勢いと、決意だけだった。ヤードは自分の足にひっかかり、階段を転げ落ちた。手に持つ、二本の剣が    シャルトスとキルスレスが     こぼれ落ちる。あっと短い悲鳴を上げた。


ふと、転がり落ちた二本の剣へと、手を伸ばす人影が見えた。見覚えがある、体のサイズに合っていないローブを、その人間は身に着けていた。「……、あ、これ、落としました?」 そう言って、緊張感にそぐわない声を彼は出した。ローブで顔が隠れて見えないが、声から察するに男性らしい。随分体の小さな男だ。もしかしたら、声変わりが終わったばかりの子どもかもしれない。

ヤードはごくりと唾を飲み込んだ。彼が今すぐここで、自分へと襲いかかっても不思議ではない。ひっそりと懐のサモナイト石へと手を伸ばす。

彼は、ヤードが警戒心を持っていることに気付いたらしい。あわあわと両手を移動させて、「いや、すみません。わた、いや僕は、そのう、敵と言う訳ではなく、そう、確か召喚獣という奴でして。単刀直入に言うのなら、僕にも脱出のお手伝いをさせて頂けませんか」


よろしくお願いします。
そう言ってヤードへと手を伸ばした青年は、ぐるりとローブの腰元を覆ったベルトに真っ赤な刀をさしていた。シルターンの召喚獣が持つ武器である。




少年は、と名乗った。


BACK  TOP NEXT

2005.??.?? 7話
2011.05.28 書き直し