男の子のふんばり 一つ、彼女は約束をした。 新しく、島の先生になってしまったとしても、きちんと自分たちの先生でいること。ちゃんと、見ていてくれること。忘れないこと。 うん、と彼女は頷いた。当たり前だ。彼女たちは、自分の生徒なのだから。忘れる訳ない。ちゃんといる。一緒にいる。 ゆびきり、げんまん。 「スバルが悪いんだ!」 「パナシェだろー!」 「うわーん、わんわんさーん、やんちゃさーん」 「こ、こら、みんな喧嘩しないのー!」 *** 青年は海を見つめた。肩に乗った鷹が、クゥと一声鳴く。その声を鎮めるように青年はさっと手のひらを伸ばし軽く振った。鷹は伸ばしていた羽をたたみ、ちらりと黒い瞳を輝かせる。「…………あれは……」 首を伸ばしたそのとき、ふと彼は背後に目を向けた。木々の間から顔を覗かせた紫色の髪の持ち主は、白い肌の首元にギザギザの傷をつけていた。それがひょいとこちらを見つめている。「あんた」 ギザギザ傷の男は奇妙に艶のついた声を出した。 「カズだったかしら?」 「そういうアンタはオカマさん?」 「ハァ!? ちょっと失礼にもほどが 「静かに」 シッとカズが人差し指を唇にそえる前に、スカーレルは瞬いた。瞳を剣呑にさせながら、サッとカズの頭上から崖下を見下ろす。木々の合間に、ちらちらとオレンジ色の服が見える。「あの、馬鹿みたいに派手な色の制服は……」 スカーレルの言葉に、カズも静かに頷いた。「まだ、確かかどうかは分からない。でも、警戒しておく必要はあるっぽいね」 ええ、とスカーレルは頷く。 カズはカリカリと茶色い髪をひっかいた。つまらなさげに唇を尖らせ、右腕を軽く上に上げる。瞬間、鷹は羽ばたいた。「こっちはこっちで島の住人に伝えとく。そっちはそっちでよろしく頼むよ」 言われなくても、と肩をすくませようとしたスカーレルを気にもとげず、青年は走り去る。その後ろ姿を見つめながらさて自分も、と足を踏み出そうとしたとき、ふと嫌な予感が脳裏をざわついた。 (先生、今日が初めての授業なんだっていってなかったかしら……?) 足が速まる。 大丈夫、心配はない。 彼女が、アティがいれば、そうそうの不安はない。あの不思議な力を持つ剣にしろ、子ども達だって馬鹿ではない。それより寧ろ、と自身を落ち着かせるように頷いた。けれども走るスピードはどんどん速まるばかりだ。(やだ、髪の毛が崩れちゃう) そんな風に、わざとおちゃらけたことを考えて、彼はため息をついた。 まったく、なんでこう、ころころと問題がやってくるのだろうか。 *** まあそんなこんなな展開をしる訳もなく、今日も私はのんびりまったり釣りをする毎日であった。 「ああー、久しぶりの我が家はいいなー」 我が家じゃないけど。激、ほったて小屋というか、小屋にすらなってないというか、テントというか、それ以下ですけど。 ここ暫く風雷の郷の畳のお家でまったりおいしくご飯を頂いて、やんちゃなお子様たちとウワーイウホーイと遊ぶ毎日だった訳だけど、さすがにちょっと不安になってくる。一応、お手伝いという名でスバルくん達のお相手をしていた訳だが、どう考えたって、あれはただのタダ飯ぐらいだ。 おそらく同じ世界から召還されたであろう、ゲンジさんやカズさんもいたし、ミスミ様は快く受け入れてくれるはずだった。自分もあの郷の一員となって、畑をもらって、クワを担いでご飯をいただく。ひどく健康的な想像だった。(……駄目だな) おそらくそれは、逃げだった。いや、今この場で釣りをしている、このことこそが逃げかもしれなかった。 その生活は、多分とても幸せに違いない。 けれどももう、元の世界に還れないと、自分自身認めてしまう気がした。 できる限り、一人で生きていこう。 そう思う。 けれどもそれは無理な話だ。今でさえ、メイメイさんや、風雷の郷の人々に、食料をわけて貰っている。代わりにメイメイさんに魚をおすそ分けするし、スバルくんの面倒を見るときもある。ある程度のご近所付き合いは必要だ。そうじゃないと、生きていけない。ありがたいと思う。けれどもそれに寄り添いすぎないように、頼り過ぎないようにしなければいけない。 ため息を付きそうになった。 「もっと、勉強、しとくんだった……」 何を? サバイバルの知識を? そんなの知る機会なんて滅多にないし、知ろうとも思わなかった。まさかこんなことになるだなんて、思わなかったから。(ここに来たのが、先輩だったら) もっとうまく、できただろうか。そもそも。(なんで私、こんなところに来ちゃったんだろう) ふと、根本的な疑問のように感じた。 そしてそのことに、まったく目を向けていなかった自分に気づいた。 「そうだよ……それだよ」 オルドレイクに召還されたから。その前だ。なんで私が召還されてしまったのか。召還されるという行為に、意味があるのか。考える必要がある。奇妙に、こちらの世界を受け入れている自分がいた。世界が変わってしまうなど、ありえるはずがないのに、なるほどここは異世界なのだと“理解”していた。(何かが) おかしい。 口元をへの字にした。 そんなことして、何の意味が? 別れがたくなるだけじゃないか。 何かを知っているふうなお酒のみは、やっぱりただの酒好きの戯言なのかもしれない。いくら頭を下げたところで、「んふふぅ? メイメイさんわっかんなぁーい」とニコニコ笑ってふらふらそこら辺に激突するばっかりだし、会話にもならない。 あー……と、重っ苦しくため息をついたとき、ぐいっと竿が引っ張られた。「あっ、あっ、あっ、ああ!」 うおらーっと引っ張った瞬間、目の前に何かがベタッと張り付き、ぐさりと爪が顔に突き刺さった。「ギャアーッ!!!」 いったぁ、いったぁ、これめちゃくちゃいったぁ、ローブををすり抜けて、ちょうどいい感じにヒットさせてくれちゃって、もう超痛い、と額を涙目でこすっていると、目の前の見慣れた鷹はコクン、と可愛らしく首をかしげた。「なんなのノルシュ……カズさんからの伝言?」 もうちょっとタイミング選んでよー……と、ただの鷹に無茶を言ってやるなよと自分自身思いながら、こくこくと左右に首を傾げ続ける鷹を睨んだ。そのとき、ノルシュがにやっと笑った。私は思わず両目をこすった。 そんな訳ない。鷹が笑うなんて、そんな訳。 もう一回彼を見つめると、その場に小さな鷹はいない。ぬっと大きな影が頭の上に覆いかぶさり、私はおそるおそるとそれを見上げた。大きな、という訳ではない。たかだか中学生くらいの男の子のサイズだ。ノルシュが消えて、彼がこっちを見下ろしている。彼の背中には、大きな翼がばさばさと羽ばたいている。「え、あ、え、えっ、と……」「実は遊んでる暇なんて、ないんだよね」 男の子はパクっと口を動かした。声変わりも終わってないみたいな、可愛らしい声だった。 「全員集合っ。お呼びがかかってるぜ、さん!」 ではでは失礼っ、と少年は私の後ろに回りこみ、脇の下へとにゅっと手を入れる。ひぎゃあ、と叫んで暴れようと足を動かしても、足は空しく宙を蹴るだけだ。「えっ」 冗談抜きで、おしりの下がぞうっとした「うそ」 なにこれ 「と、飛んでる そりゃあ、俺は鷹だもの! 少年はケラケラと笑いながら、ばさばさと大きな翼を動かしている。耳元でバサバサとあおる風の音がうるさくて、彼の声がよくよく耳にきこえない。そんな場合じゃない。ジェットコースターなんかよりも、命の危険を感じる。頼りになるのは頼りない少年の両腕だけで、私はそこらの木々を飛び越えて、ぐんぐん高度を上げている。寒い。バタバタとローブがはためいた。うっ、うっ、うっ、と喉の奥で何か泣きそうな声が響く。「トウヤせんぱーい!!」 た、たたた、助けてくださーい! 結構本気で叫んだ。こっちに来て、私は一番に叫んだ。死ぬかと思った。冗談抜きでやばいと思った。それだというのに、少年はケラケラ笑ったまま、「え? 誰それ?」とばさばさ勢い良く翼を動かした後、「それじゃあ行くぞお、しゅっぱーつ!」 ぎゃー! 本気で今すぐ帰りたい。 心底思った瞬間である。 BACK TOP NEXT 2006.12.26~27執筆 71~72話 2011.12.29修正 37話 |