続・男の子のふんばり ウィル兄様、と呼ばれる度に、ふと、苦しくなるときがある。 生まれた瞬間から、僕はマルティーニ家の家督を継ぐ人間だった。いや、そうなっていった。ナップは中にいるよりも、外にいる方がよく笑う子だ。アリーゼは優しすぎた。女でなくて、僕より先に生まれていたのならば、ベルフラウがそうなっていたかもしれない。けれども事実は僕が一番早く生まれて、一番性格が合っていた。 そのことに、不満を感じたことはない。“そういうものなのだ”と理解していた。兄弟の中で、僕は常に先に立っているべきで、真っ直ぐと進む、指標になるべきだった。あの船に乗るまでは、確かに僕はその存在だった。あの船で、赤髪の教師と出会うまで。 唸り狂う嵐の中、アリーゼがつるつると甲板をすべっていく。僕はすぐさま彼女を助けるべきだった。けれども僕はためらった。そのすぐさま横で飛び出した影を、よくよく覚えている。ナップはアリーゼに手を伸ばした。アリーゼも、彼の手を握りしめた。轟音と共に、赤髪の教師が駆け抜ける。ただ僕は夢中で柱に抱きついた。何もできなかったくせに、僕はただあっけなく、海の中に落っこちた。 足をくじいて、足をひっぱった。島の子供たちに憤慨して、帝国軍の捕虜となった。ひとつ、ひとつと数えてみれば、心の中の何かがパキパキと音を立てて、消えてしまいそうだ。 ただ一つ、言葉を上げるのならば。 僕は兄だ。彼らを守るべきだ。それだというのに、今現在、剣を持ち、戦いに赴いているのはナップだ。僕じゃない。そのことに、ひどく憤然とした気持ちになる。裏切られたようにも感じたのかもしれない。なんで、お前は戦うんだ。僕は、彼にそう問いかけていた。口にした訳じゃない。口になんて、できるはずもない。けれどもナップは僕を見て、「俺、兄ちゃんを怪我させちゃったんだ」 だからもう、後悔はしたくないんだ。 その“兄ちゃん”は、僕ではない。あの不思議な、悪い言葉を使うのであれば不審な男だ。奇妙に低い声のくせに、体つきは幼いようにも感じる。けれども、実際の所はよくわかっていない。 「兄ちゃんに守られそうになったとき、なんていうか、すごくショックだったんだよな」 そう言って笑う彼の言葉が、僕の胸をぐさりと突き刺したように感じた。 ただの八つ当たりだった。彼と同じ場所にいたくなかった。彼を見たくもなかった。けれども一番嫌であったことは、子どもらしく、怒りの矛先を彼に変えることで、一瞬の満足を得ようとした自分だ。 おそらく、彼はそのことに気づいていた。だからこそ、苦しくなった。「ウィルくんって、子どもなんだね」と告げられた瞬間、はらわたが煮えくり返った。けれども彼に枝を投げつけた瞬間、すぐさま頭は冷水をぶちつけられたように、冷静になった。 事実だ。 事実に、怒ってどうするんだ。 いや、事実だからこそ、腹が立つんだ。 苦しくて、苦しくて、苦しくてたまらない。恥ずかしい。弟が外に出ているというのに、僕は一体何をしているんだろう。恥ずかしい。恥ずかしい。けれどもその気持ちの向こう側に、もう一つの気持ちがある。それには気付きたくなかった。見ないふりをしようと思った。でもダメだった。とんとん、と彼が僕の背中を叩いたとき、体の中からころん、と涙と同じくこぼれ落ちてしまった。僕は、剣を取ることが怖いのだ。 怖いから、恥ずかしくても、逃げているのだ。 どうなんだろうか。何故僕は、剣を取ることが怖いと感じるのだろう。傷つけられることが怖い。それ以上に、傷つけられることが怖い。が僕の手を握っている。驚くことに、その手のひらは小さかった。僕と同じくらいの、いいやそれよりももっと。 男のくせに、と言葉を吐こうとした。でもやめておいた。同じくらいに小さな手のひらの自分に気づいて、傷つきたくなかったからだ。(怖いって、どれくらいだろう) 僕は、どれくらい怖いと感じているんだろう。もし、ナップが傷ついてしまったら。彼がどうにかなってしまったら。その想像は、ひどく恐ろしいことだった。耐え難いことでもあった。(それと、どっちが怖いんだろうか) 考えるまでもないことだった。 僕は、ぱっとの手のひらを離して、心配気に僕の靴をちょいちょいといじるテコの頭を軽くなで、散らばった枝を集めた。枝を一本、一本と集める度に、何か心の中で定まっていくような気がした。相変わらず、のことはあまり好きではなかった。そもそも、人と会うときに、顔を隠す人間を僕は好いていない。けれども。「すみません」 僕の呟いた言葉に、彼は嬉しげに声を出した。それ以上、僕は何も言わなかった。何か照れくさいような気がしたのだ。 一つ、言葉を言おうと思った。彼にではない。彼女に。赤髪の教師に。 覚悟を決めると、ベルフラウとアリーゼは、嬉しげに笑って僕らを迎えた。何を言った訳でもないのに。「頑張ってくださいませ、兄様」と彼女はと同じように、僕の背を、ぽん、と叩いた。 今度は、涙は出なかった。 BACK TOP NEXT 2007.03.14執筆 82話 2012.01.23修正 47話 |