手の甲に、ふう、と息を吹きかける。


聞こうじゃないか、お前の言い分




ローブから手を出すと、未だに、うっすらと赤黒い跡が手首へとついていた。荒縄でこすれ、触れるだけでもじくじくするそれは、息を吹きかけただけでも、少々痛い。けれどもそれが、情けない自分の失態を痛めつけているように思えて、自身には丁度よかった。

「………駆けつけたときには、既に終了してたんですよ。そんな、役立たずって訳じゃ、ないですよ一応」

言い訳のように、彼女、クノンさんにごちても、相変わらずの無表情のまま、私の手首をひっつかむ。痛い、と声を上げる前に、彼女は冷たいスプレーか何かを吹きかけた。
大して柔らかくもない、ラトリスクのソファーが、腰に圧力をかけて、今度はそっちで「いたい」
ちょっと涙目になりそうだ。

聞いてますか、クノンさん、と声を掛けると、彼女は数秒遅れたように私へと顔を向けた。
チキチキチキチキ………彼女の瞳の中が、高速に動きながら、ぐるぐると視界を回す。「………クノンさん?」
ぱくぱくと、彼女の唇が動く。息を吹き込まれる事がなく、無意味に動くその唇は、何度も、同じ言葉を繰り返しているようにも見えた。「クノンさん?」

「や、やくたた、」
「ちょっと、落ち着いてくださいよ」
「や、やくた、」

おかしい。彼女の手に持つスプレーが、からりと地面の上を回り、私の足首へと到達した。小刻みに震える彼女の肩をぐっとつかみ上げると、私の予想以上に、震えは早く、彼女の中の機械音が、耳に響く。
オーバーヒートするような、そんな音を聞いて、久しぶりに彼女が人間ではないという事を理解するのだけれど、今はそんな場合じゃない。
私はぐ、と腹の下辺りへと力を入れ、大声で叫んだ。「アルディラさん! いますか、アルディラさん!」

その途端、クノンさんの震えはピタリと止まり、だらりと力なく弛緩していた指先が、唐突に、私の首もとへと手を伸ばした。まるで牛の乳搾りをするかのように、一本一本力を入れ、最後に喉の器官部分へと、彼女の、親指が、「………クノンさん?」 ピタリと、止まった。

     なんでも、ありません」

ピタリと喉に当たる指が冷たい。いつも通り、いいやいつも以上に表情の見つからない顔を私へと向け、「アルディラ様には、何も」
ごくり、と喉を通る唾の感覚が、やけにリアルだった。




「………なんだってんだ、一体」

何事もなかったかのように、クノンさんは私の首から指を離し、そのすぐ後に、アルディラさんが部屋の中へと顔をのぞかせた。「今、呼ばなかったかしら?」きょとんとした顔つきで、少しだけ垂れたメガネの縁を、人差し指であげる。私が何か返事をしようとする前に、クノンさんが、いいえ、と首を振った。そう、と特に何の疑問も持たないように、頷き、「そうそう、クノン、

そして彼女は、アティさんご一行の休日計画をお話されたのだ。

いつも忙しいアティさんに、ちょっとしたバカンスを。大人数での遠足のようなものだと彼女は笑い、私とクノンさんも参加をしないかと首を傾げたのだが、クノンさんが、いいえと首を振った時点で、私も辞退させてもらった。流石に少し混乱している。
胡乱気な表情をするアルディラさんからの視線を逃れそそくさと退場し、今、砂浜を力一杯の早歩きで歩いていた。
ざくざくざく、と足が埋まり、その度に反対の足を飛び出させる。

ちくり。今更ながらに手首が痛くなり、その上ぐにゃりと気持ち悪い感覚が、喉もとで暴れる。
(………なんだってんだ)



自分が今、混乱している事は理解していた。
元々、この間の争いで、思いっきり名も無き兵士へと縛り上げられ、「あ、そろそろ終わりっぽいからそれじゃあなァー!」と彼が消えた頃でむなしさ倍増だったところに、クノンさんだ。
ついでにレックスさんやイスラが思いっきり島のみんなを騙していた事が判明し、そんな中、アタフタしているのが自分だけなような気がする。
いいや、多分本当に私だけなんだろう。スバルくんなんて、自分の母親、ミスミ様がこれからの戦いに参加をすると告げた事で、ぶうぶうと頬をふくらませているだけで、思わず「なにこれうっわ平和ー」とか考えてしまいそうになった。
良くも悪くも彼らはシビアで、自分と感じる空気の差に、なんとなく二の足を踏みそうになる。

アティさんについて行くと決めた。
正確にいえば、島のみんなと協力をして、手助けしたいと決めた。
だからって、ちょっと色々と起こりすぎなんじゃないだろうか。いいや、起こりすぎた。

間にごちゃごちゃと、色んな事情が挟み込み、理解ができない。
けれども実質はとてもシンプル。帝国軍に、剣を、奪われるか、護りきるか。
(…………よし、他の事情は忘れよう)

脳みそを、バシバシと自分の手のひらで叩いて、前を向き歩いた。悩んでいる暇があるんなら、今日の食料だ。そうだ。
一歩、前へと踏み出して         たすけてぇええええー………


声が、聞こえる。
ピタリ。思わず足を止め、ぐるりと辺りを見回した。浜にぶつかる波が音を立て、耳へと響く。けれどもそれだけだ。気のせいかな、と足を踏み出そうとしたときに、また。
         はやまったらあかんでぇえええ………

独特なニュアンス。発音。
私は自分自身、耳がいい方だと自負している。左目が見えない代わりに、耳の方が異常に発達してしまったらしい。ち、と軽く舌をうち、あの人たちに関しては、一応見守るという義務があると思い出した。
遠い海の中に、ぽつんと黒い豆が見えた。

その豆へと、私は走り出した。段々と大きくなる豆の、海水に晒されなおしっかりとした重みと暖かさを持つソレから、だらりと垂れ下がった梯子へと足をかけそっと登る。ぎしり、ぎしり、ぎしり。
それでも僅かな音を立てながら、持ち前のバランス感覚で、なるべく急ぎ駆け抜ける。壁へと鈴鳴が時々ぶつかり、少し嫌な汗を掻いた。
おかしい、と眉をひそめたのは一瞬だ。

彼らは馬鹿だが、外の見回りを放って、全員が船に引っ込んでいる事なんてありはしない。
         あんさん、こんなんあかんわー………

今度はしっかりと聞こえた声に、微かにため息を吐き、一体何にもめているんだと、随分不用心に、私は船長室のドアを開いた。「ちょっと、君達、なにやって」
船長室の中にひしめき合う男達。その真ん中には、哀れ手を縛られ、情けない表情をしている男一人。
そしてその隣に、黒いアイパッチ。

私に気づいていないのか、ぐーるぐーるぐーる。オウキーニさんを囲むように、無言で回り続ける男達を見て、何かの生け贄だろうか、と一瞬意識が遠くなりかけたけれど、頭をぶるりと振る。
今度は、さっきよりも大きな声で、叫んだ。

「ちょっと、君たちオウキーニさんになにやってんだ」


一斉に、男達が私へと振り向く。ムキムキとした筋肉がひくつき、大きく見開かれた双眸に、正直嫌な予感がした。ずるり、とすり足に後退すると、背中に何かとぶつかる。
見上げれば、固い鉄板がちょうど私自身の頭へとすりつけられるような形でそびえ立っていた。いつの間に、と息を飲む間、オウキーニさんの「はん、逃げぇ!」と壮絶な叫び声が聞こえる。
ガシリと、後ろの男へと手首を掴まれた。


「見られたからにゃあ………」

ゆっくりと、ジャキーニが、まるで幽霊のように身体を揺らしながら、


「お前も人質じゃああああああ!!!!!」
「何いってんのこの人おおおおおおお!!!!??」




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2008.10.10