岐路へと着いた おそらくまた、帝国軍との泥沼な争いが続く。嫌だなあ、と考えても何が終わる訳ではない。それまで私は自分のすべきことをしなきゃならない。草を入れたビニールの中の水分を集め、拾ったボトルの中へと入れた。シャッフルする事で僅かな水がぴちゃぴちゃと音を立てる。 カズさんのことを思いだして、なんだかまた気分が落ち込んだ。ため息ばかりをついていても仕方がない。そろそろ塩がなくなるな、と腰をあげ、海へと歩く。海水をコップですくい上げ、薄く掘った穴の上へと載せたシートにじゃっとかけた。それを何度も繰り返し、は、と腰を下ろす。 そのうちこれは小さな塩田となるだろう。 体育座りのような格好で頭を抱え、じりじりと照らされる光線に、汗が零れた。 瞼が熱い。指先で冷やし、ついこないだの赤い光を思い出した。思い出すと、情けない気持ちと恥ずかしい気持ちが溢れて、密かに傷つくのだが、私は何度でも思い出した。多分傷つかないとやってられない。痛い思いをすれば、なんとなく、誤魔化したような気持ちになるからじゃないだろうか。 耳の奥で聞こえた誰かの足音。顔を上げれば、また何処かで見た顔が、にっと口元をつり上げた。「偶然だなぁ、兄ちゃん」 ひひっ、と独特な笑い方に、またあんたか、とこっちも 呟く。 「偶然って嘘だろ」 「うん。こないだにーちゃんの後つけてた」 嘯く言葉に一瞬呆気にとられてしまったけれど、だから? とじろりと睨む。最後の忠告はもう聞いた。残念ながら、アティさんには伝えていないけれど。そんな事、彼女はもう分かっているからだ。 「全軍をもって、アンタ達に総力戦を挑むんだってさ」 飄々と告げられた言葉に、思わず「は」と妙な声を出した。その言葉の意味を考えたとき、何拍も遅れ息を飲んだ。「うちの頭は正々堂々が好きらしくてね」 よくいうよ、と吐き捨てるように喉を震わせる。イスラなんて隠し球を持ってたくせに。 嘘かホントか決めかねて、お互いぴくりとも身を動かさずに睨み続けていると、天に大きく羽ばたく音が聞こえ、それは地面くるりと丸い軌道を描きゆるゆると私の肩へと飛びのった。 爪が肩へと食い込み少々痛い。見覚えのある焦げ茶の鷹がぐいっと導きの泉へと視線を流し、また大きく翼を広げ、半身を屈め上下へと翼の運動を加え、そのまま飛び去る。「………本当みたいだね」「うん。じゃあ、ちゃんと伝えたから」 逃げた方がいいんじゃないの? とからかう口調に、「誰が逃げるか、バカヤロウ!」と罵倒を投げた。 「冗談でもなんでもないよ。死ぬんだ、どっちかが」 それ分かってる? 小さくなる男の背中を見詰め、手のひらを、きつく握る。 そして導きの泉へと私は駆けた。 恐らく、これが彼らとの最後の戦いになるはずだった。服の中に伝う汗がぐっしょりとして気持ちが悪い。息を吐き出した。(最後だ)終わらせなきゃいけない。はやく、全部が終わってくれたらいい。お願いだから、終わって欲しい。少しだけ足がすくんだ。歯の奥を噛み締めた。腹の中心を掴んだ。力強く足を踏みしめ、声を這い出す。「誰が逃げるか、ばかやろう」 同じセリフを繰り返して、自身を鼓舞した。 *** 今なら、クノンさんが、自分が壊れ、アルディラさんの役に立つ事ができないと嘆いた気持ちが分かった。正直、個とは、自分自身の為にあるんだと、なんでそんな、役に立つとか立たないだとかで気持ちをぐちゃぐちゃにされなきゃならないんだと思っていたけれども、アティさん達の仲間になり、よかれと思っていたとしてもそうじゃなくても、彼女たちの邪魔となってしまった私は、もう彼女の邪魔にならないようにと思う。 クノンさんにとってのアルディラさんは、私にとってアティさんであり、あの海賊の人たちであり、島の住民だ。 こんな事にならないように、関わらないようにと思ってたのに、もう全部全部、パーだ。お終いだ。 ぐちゃぐちゃとしていても仕方がない。決めたんだ、彼らの役に立つ。精一杯。 見通しのよい草原の向こう側には、大きな石版がぽつりと立つ。触れれば崩れ落ちるであろう旧時代のもの達に囲まれるように、灰色の大きな岩が、点々と並ぶ。規則性があるのかないのかは分からなかったけれど、その岩が少しずつ削れ、今、自分たちが歩いている場所は、石畳のようなものが散らばっていた。そして歯車を一部壊し、横へと長くした妙なオブジェ。 ひびが入った石畳の間からは緑の草が生え、それを踏みしめる。 「ぐう!」 薙いだ刃を合わせるようにナイフを取り出し、ぎちぎちと嫌な金属音を響かせた。刃を合わせたまま滑るようにナイフを進め、私の右手へと真っ直ぐ刃を向く。 腹から息を吸い込み、両手でバットを持つ要領で、思いっきり振り抜くと、ナイフと一緒に吹き飛ばされた右手を捨て、余った手のひらで、「がぁ!」 パンチ。 その腕を間一髪で避けながら、左の手で彼の短い黒髪を何本か髪を引きちぎりながら掴み、引き抜く。前のめりになった身体の首の動脈へと、刀の柄を、えぐるようにたたき込んだ。 おまけにと落ちる身体へ向かい右の膝を顎へと殴りつけた。 口から噴き出る泡とくるりと回った白い目を確認し、上下に動く肩を押しとどめる。こいつら本気だ。人を傷つける事のとまどっちゃいない。 くそう、くそう、と何度も口の中で繰り返し、駆けた。帝国軍と、アティさんの交渉は決裂。アティさんはアティさんなりの方法で収めてみせるといっていたが、私は力づくでしか思いつかなかった。 唯でさえ、生徒や子ども達の次に経験が浅いのは私だ。下手をしたら即エンド。 横から突き出された切っ先に驚き、ローブの一部が破かれた。 二度突き刺されたローブは、テント状になった布をそのまま横へと引っ張り、動く身体を反対の方向へと引っ張る。 一瞬舞うローブの動きに見えなかったが、剣を突き出した彼女は、女性にしてはあまり長めでない、真っ直ぐに尖った髪を風の中でバタバタと揺らし、「はぁ!」と聞いているだけじゃ惚れ惚れとするかけ声で、また剣を突き出す。 「あ、アズリア 「残念ながら、私はお前の名をしらんがな!」 殺される。 冗談ではない、彼女は無理だ逃げろといいたいのに、ぶるぶると震える両足が情けない。 また私の影から割り込んだのは、赤毛と白のマント。 召喚術者の癖に、振り回された短剣は、アズリアの脇腹を狙う。はじき飛ばされるのは初めから計算ずくだったらしい。「大丈夫ですか」と私へと語りかけられ、私は震える足を叱咤した。「さんは、逃げて」 悔しいけれども。 逃げた。足を踏む直前に、「おおっと!」とお調子者の声が聞こえ、「逃げろっていったのに」 俺ちょっと残念だよ、と大きな剣を向けられる。 「逃げないって、いったでしょ」 「そうだっけ。覚えてないな」 懐からナイフを投げる。あんまりにも簡単に、剣ではじき返され、投げたまんまの姿勢のまま、彼の剣が私の懐へと向かった。 気のせいか、その瞳にはほんの少しの躊躇の色が映ったような気がしたけれど、彼は体の大きさに見合わない、長い剣を、思いっきり突き立てる。それを私は何を思ったのか、ぐっと左腕を出して受け止めた。 ぶちぶちぶちと、身体の中で繊維が切れる音がする。大きな剣へと血が流れ、彼の柄へと注ぐ。彼は手のひらの骨でひっかかった勢いを、もう一度大きく息を吸い、思いっきりえぐり込んだ。 今度こそぶちっ、と音が聞こえ、貫通した刃。面白い事に流れる血の勢いが少なくなったのだが、それでもむん、と立ちこめる鉄の匂いは隠せない。 「ぐううう!」と唇を極限まで開き叫び、私は揺らめきながら足を引いた。その勢いで、彼はまるでコルク栓でも引き抜くかのように、簡単に、きゅぽんっ、と剣を手元へと寄せる。 今度こそ、手のひらから鮮血が吹き出した。縦長に開いた穴からは、向こうの風景が映り込み、その間は白い固まりが見えた。これが骨だ。 そしてピンクのうじゅるうじゅるとした肉芽からぷつぷつと赤い水泡が破れ、また新たな血が流れる。神経を切断されたのか、左の手の指全体に、感覚がなくなった。 熱くて、頭の中が真っ白になる感覚で、手を握りしめ、ううう、とうなり、へたへたとその場へと座り込んだ私に、「だからいったのに」と彼は呟いた。「後で回復してもらいな、そんなんで死にゃしないよ」 ぴっ、と剣へとついた血を投げ飛ばし、そのまま背を向ける。 痛い。熱い、けれどもそんな事はどうでもよかった。 くそうくそうと涙が溢れてきた。馬鹿にしてんのか。最初から最後まで、アイツは馬鹿にしてんのか。溢れた涙を右の手で拭き取り、鈴鳴でローブの下の部分をかっきる。上手く出来なかったから、口を寄せてやぶいた。黒い布を、左の手のひらに巻くように、口を手を使い、なんとか結んだ。結び目をひっぱるとき、予想以上に痛んで、また目尻に涙が浮かんだけれども、唇を噛んで我慢する。 黒い布からは、いくら血がにじんでも分からなかったが、そこから垂れ下がった赤い線が少し鬱陶しい。 「待てよ!」 叫んだ声は、彼に向かってだった。いつもいつも、人を馬鹿にしたように手を抜いて、飄々とした表情で、何度も何度もやめなよと忠告してくる。こっちだって、好きでやってるんじゃないのに、勝手だった。あっちが勝手をするんだから、私が勝手をしたっていい。問題ない「待てよ!」 今度こそ、その背中へ向かい、ナイフを投げる。 誰かに、確実に人へと当たると確証を持って投げた事は、二度目だ。無色の派閥で、男と対峙したときも、何も考えず投げた。あのときのことはよく覚えていない。けれども、あの感覚だけは覚えている。嫌だった。気持ちが悪かった。 でも投げた。 ナイフは彼の肩口へと刺さり、バランスを崩す。そして連続してもう一本を投げると、振り返り際に弾かれた。 地面へといつの間にか落としていた鈴鳴を拾い上げ、駆ける。 彼の中心へと落とすように刀を振り、それはすぐに受け止められる。一本の手じゃ足りないと左の手も使うと、ぎちぎちと肉が傷みつぶれた。骨が崩れ落ちそうだった。それでも力一杯彼へと応戦を繰り返し、弾かれた刃と反対の勢いで、足を振り回す。確実に、腹へとヒットした。しかし何かの装飾品をつけているのか、堅い鉄の音が鳴り響き、彼が数歩後ろへと下がる以外、なんの意味もない行為だった。 「せっかく、人が、情けを」 「うるさいな、いらないよ、そんなのいらない、僕は、私は、役に立つって」 構えた彼の脇腹へと、 「決めたんだ!」 嫌な感覚だった。彼がぐらついたままの体勢で、脇腹へと突き刺さった剣は、手をひっこめようにもそのまま勢いがつき、彼の衣服にテントを作り、そのまま地面へと縫い止めた。へたりこんだ身体を、放した両手。左の手のひらが赤い事は元々だったが、右まで赤く、ぐう、と彼のうめき声にはっと意識を取り戻した。 ばくり、と大きく心臓が飛び跳ねる。 突き立てたままの鈴鳴はいつの間にかオレンジに染まった光の中で赤く反射し、ばくばくと大きな音を立てる心臓の鼓動が、指先まで伝わる。やばい、殺した。これは殺した。殺した。 今まで積み上げてきた良心やら、道徳やらが胸のうちから吹き出し、ぼろぼろと涙が溢れて、視界が握る。へたへた座り込み、突き立てた剣が、恐ろしくて近寄れない。 「こ、ころした」 実感を帯びた声は、恐ろしい。 あちらも、殺す気だったのだ。だから、して問題ない。ここは日本じゃない。知らないふりをすれば問題ない。嘘だ、そんな訳ない。私は、この男を、「ころした……」「こらぁ、勝手に殺すなぁ……」 間延びした声と、ぴくりと刀が揺れる。急いで駆け寄ると、げほげほと男が苦しそうに咳をし、眉をひそめているだけで、しっかりと顔に生気が宿っている。 慌てて剣を引き抜くと、男はまるで操り人形のようにびくりと身体を動かし、また低く唸る。「い、いきなりそれはない……」 そして苦しそうな声を上げた。 「あーもー見事にまけた………」 荒い息で、何度も言葉を切りながら、彼は呟いた。負けた。勝ったのだろうかと半分嗚咽を漏らしながら、彼へと顔を寄せる。生きてる。 体中の息を出し尽くすくらい、私はゆっくりと息を吐いた。 「び、びっくり、させるな」 「させるなって………。ああくそう、くそう」 さっきまで私が何度も繰り返していた台詞を、彼も繰り返す。「くそう、くそー」 半分泣き笑いで私も繰り返し、くくく、と声を震わせる。やがて重なっていた声も静かになり、はー、と長く彼がため息をついた声が聞こえるだけだった。 「うん、じゃあ、殺して」 唐突に、ぽとん、と落とされた声に、「なんで」と反射的に声を落とした。語尾に疑問の形を付ける事もなく、ぽとん。「だって、これ、総力戦、だし、負けるって、死ぬってさぁ…」 とぎれとぎれの言葉に、私は頷き、鈴鳴へと手を伸ばす。彼はすーっ、と目を細めた。 「うん」 振り上げた刃を、カキン、と鞘の中へと戻す。そして彼の腕を掴む。重いなぁ、と思って、ずるずると彼の足をひっぱる形のまま、進んだ。なにすんだ、とかすれるような声で彼は呟き、「やだ、殺したくない」端的に私は答える。 嫌だ。 「ちょっとぉ、俺、隊長に、怒られちゃう、な」 「怒られるだけ、マシ。死んだら誰も、怒らない」 「いいじゃん、それぇ」 まったくもって良くない。 私の中の価値観は死んだら終わりだ。嫌だ。そしてそれ以上に、誰かの人生を潰す事なんて、恐くて、恐くて、嫌だ。そんな事をすれば、私はもう先輩に顔を向ける事ができない。あの世界なんて一生還れない。いつだか誰かに、お前は殺人者なんだろう、と後ろ指を指され生きるかもしれないだなんて、恐くて、恐くて、嫌だった。 私は彼をひっぱる。 そして、このままずっと罪悪感を引きずる事の方が恐ろしいのだと気づいた。 私はアティさんや、護人に白状しようと思う。 封印を解いてしまったのは、自分の仕業で、申し訳ないと、そして、これからも手伝わせてくれと。 ハイネルは、おそらく二人いると。 引きずった彼の後は、草むらに血の線を残していたが、足を踏ん張る。重い彼の剣は、どこかへと投げ捨て、息を荒くさせながら、進む。 「お兄さん。多分これ、僕たちが勝ちますよ」 「へぇ……なんで、ぇ」 「だって、アティさんの方が、強いし」 「そっか、強いかぁ、そりゃあ盲点……」 ずるり。引きずる。はぁ、と短く、彼が吐いた息が聞こえた。 「兄ちゃんさぁ、名前なんてーの、ぉ」 改めて考えれば、私は彼の名前なんて知らなかった。知る必要もなかった。アッハ、と私は笑うと、彼も笑う。「先に、俺な、俺は、」 言葉が、途切れた。 大勢の足音が、背後から響く。照らされた夕日からは、長い影を作り出し、振り向いた、振り向こうとした。その瞬間、抱えていたはずの彼の首もとから、ぶうう、と血が噴き出した。その勢いに私の顔にも、身体にも血が滴り、びくびくと彼は身体を動かす「え」 長い影の向こう側には、鋭いナイフを持ち、猫のような姿勢のまま、またナイフ。ぎらりと銀と朱の混じった線が走り、ぽかんと口を開いている間に、何かに抱きかかえられた。 首から血を吹き出しながら、ドスドスと彼は刃を浴び、ぐ、と力強く私を抱きしめる。「え、ちょ、ちょっと」 「にいちゃん、にいちゃん、だいじょうぶ?」 「うん、いや、あんた」 「俺、ガキが死んじゃうの、ヤなんだよぅ………」 多分それが彼の最期の言葉だった。抱きかかえられたまま冷たくなり、力の入っていた手のひらはゆるゆると開かれ、私の身体に沿うように、彼はぺたりと地面に座り込んだ。黒い瞳は黒いままで、光を灯す事もない。「え、いや、ちょっと」 首から流れ続けていた血も止まり、ベタベタとするだけだ。「なにこれ?」 猫背の、男、いいや男達は、「ギシャアアアア!!!」と、人語とは到底思えないような言語を発し、次々と帝国軍へと刃を向けた。その中心に、黒いマフラーをした女が、髪をはためかせる。 死んだ。彼の表情がかき消えた。それだけで、まるでさっきまでの彼と別物のように思え、ぶるりと身体が震える。冷たい手のひら。 呆然としていた私は、その手の冷たさで、はっと意識を取り戻し、もう一度、彼の手を握りしめ立ち上がる。「なにが、」 何が起こっているんだろう。 帝国軍ではない、なにかが、帝国軍を襲っている。赤く、日が沈む直前の光の中で、カッ! と力強い光が溢れた。 白い、修道女のような服を身にまとった女性が、小さな石を掲げ、地面を揺るがす。 小さな石からにゅるりと飛び出た、拘束具を身につけ、むき出しになった骨をその上からでもガシャガシャと虫のように動いている何かが、その現況である事は分かった。まるで仮面のような、ぽこりと三つの穴を開けたその顔。 そこは血の海だった。 ただ赤い夕日に照らされそう見えただけなのかもしれない。けれども、あんなにも青々しく光り輝いていた草木は、鮮血に染められ、その中心へと、ゆっくりと、何かの影が動く。 「………!」 体中が、びり、としびれた。指先までもがちくちくと動き、身体中の息は、全て口から出尽くした。女二人を囲わせ、黒の小さなメガネに、首もとへと巻かれた、唐草のような布を首もとへと覆い、嫌みったらしげな、表情と濁った瞳は、一生忘れられない。ばさりと大きく翻した白いマントが、嫌みなくらいに赤く染まる。会いたくなかった。しかし、いつかは会わなければならない相手だった。 「なんで……」 我ながら、泣き出してしまいそうな、震えたような声。 「なんで、こんな所に、オルドレイク……!」 口から飛び出した悲痛の叫びを、クククと笑いが押さえきれないとでもいうように、あざ笑った。 「久しいな、獣」 逃げないといけない。 こいつは駄目だ。 死ぬ、生きるの問題じゃない。 そんな事もできない。 逃げなければ 同じく派閥から抜けだした、彼の名を呼ぶ。ずるりと滑りそうになる足をいらだたしく思いながら、力一杯、足を動かした。前のめりになる身体を起こし、ハァ…っ! と口から漏れる息を飲み込んで、「さん!」 灰と青に近い髪の彼は、召喚術師ならではの、通りの良い声で、喉を鳴らせた。 けれども、駄目だ。名前は、名前は呼ばないでくれ 「そうか、お前の名は、というのか」 あくせくと動かしていた両手が、ぴたりと止まる。しかしそれに反比例するように、ドクドクドクドクと恐ろしい速さで、心臓が鳴り響いた。ドクドクドクドクドクドクドクドクドク! ゆっくりと、オルドレイクが、懐から、透明な、無色の石を取り出す。 全部壊したはずだった。一番初め、何も知らなかったときに、思わず手に触れ、さらりと砂のように溶け、お前は還る事は出来ぬと彼が、いったはずだった。 (全部、壊れてなかった……) 還れるかもしれないと、安堵の気持ちと、何か恐ろしいものに全身を掴まれているような、そんな感覚。ひい、と叫び、逃げ出してしまいたいのに、身体が動かない。 「声は、奪ったはずなのだがな。しかし魔力の形は同じだ。奇妙なしかし………」 にんまりと、嫌らしい笑みを形作る。 「さぁ我が愚かな召喚獣。お前はもう、逃げる事はできんよ」 BACK TOP NEXT 2008.10.14 |