暗闇に満ちる





バチが当たったのだ。
彼らに追いつく実力もないくせに、役に立ちたいとおごった考えを持っていた事に。
何も考えず、剣の封印を解いてしまった事に。
目を開けているのか、閉じているのかも分からない暗闇の中で、私は考えた。
………やっぱり、バチが当たったんだ。

ぎゅううと握りしめた手のひらからは、なんの感覚もない。何故だと瞬きを繰り返しても、私の瞳に、何も映る事はなかった。

(………だめだなぁ、わたし………)

何をしても、中途半端だ。中途半端に真面目で、中途半端にめんどくさがりで。見えるはずもない眼前へと目を懲らしめる。

      間違ってない

誰かの声が聞こえた気がした。聞き慣れた、誰かの落ち着いた男性のテノールボイス。

      は、間違ってない



……………………?

それって、なにが?






「ぐっ、ふ、ハァ!……っ」

喉に粘ついた液体が張はりついているように、上手く呼吸が出来ない。垂らされた布から差し込む光は薄く、一瞬、ここは、あのいつもと変わらない、貧相な私の家なのだろうか、と考えた。けれどもよくよく見ればテントのような構造をしているソレは、しっかりと大きく、私一人が、今寝転がった体勢のままごろごろと転がっても、なんの問題もないだろう。

起きあがろうとした身体が、上手く動かない。それでもただ左手だけを握りしめていて、筋肉が痙攣していた。感覚はない。ゆっくりと動かした視線の先の、自分の手のひらはどす黒く、赤い。剥がれた肉は戻らず、むき出しのまま放置されていた。
痛くもない。感覚がぶつりと途切れている。


「動かない方がいいよ。オルドレイク様が、誓約をかけたようだからね」

聞き覚えのある声が耳に響いた。独特の低温に、喉にごろつくノイズのような声。私は目を瞬かせ、ぼんやりと霧状になっている視界をはっきりと確認するように、眉間へと力を入れた。
「……イスラ」
何故。
見下ろした体勢の彼は、一部の長い髪を揺らし、しゃがみ込む。ただでさえはっきりと映らない表情が、影を覆う形で、またよく分からなくなる。

「……なんで、いるの」
「考えてみれば分かる事だろう」
「あんた、アティさんだけじゃなく、帝国軍も、裏切ったのか」
「きみがそう思うんなら、そうかもね」

イスラは手のひらから小さくまいた、白い布を取り出し、私の手のひらへと当てた。触るなとはじき飛ばしてやりたかったが、「ぐう」と喉から妙な声を出すだけだった。「召喚獣っていうのも、大変なんだね。契約者の思いのままなんだから」

まるで同情を込めているような台詞だったが、淡々と呟かれる彼の言葉の本意が理解できなかった。


「驚いたよ。君も、こっち側の人間だったなんて」
こちら側、とはなんなのか。無色の派閥といいたいのか。今度こそ、左の腕をぶんと大きくふり、テントの布と寄り添う形でごろりと力強く移動する。「……ぐ、」 ガハッ、と喉から、まるで血を吐いているような痛みが襲った。びりびりと電撃を浴びせられ続けているような、脳みそをぐりぐりと、誰かにいじり尽くされているような。
歯を食いしばろうにも、ガチガチと震え、上手くかみ合わない。身体を暴れさせても、また痛みが襲う。胎児のように、身体を丸め込め、痛みが逃げ去る事を待つしかできない。

「だからいったのに」、とイスラは今度こそ同情めいて呟いた。中腰の体勢のまま私に近づき、ぐしゃぐしゃになってしまった包帯を直すようにまた作業を続ける。
映りの悪い視界で、彼の輪郭を見つけるたびに、その首もとから、ぶう、と血が飛び出るのではないかと思った。真っ赤に飛び出す噴水の中に肉片が混じり、びくびくと身体もそれに合わせダンスする。地面に落ちた赤い水たまりの中に、飛び出した肉片がまるで釣り上げられた魚のようにびちびちと身体をひねらせた。(俺、ガキが死んじゃうの、ヤなんだよぅ………)
彼の最期の言葉が、耳に囁き続ける(死んじゃうの、ヤなんだよぅ………)
あんなにも急速に、人間の身体は冷たく、表情が抜けるものなのか(ヤなんだよぅ………)


(………ちょっと前まで、うごいて、たのに)

名前を聞く事が出来なかった。多分もう一生知る事もない。顔も見る事もない。頭に残る声も、きっといつか消える。たくさんいなくなった。
(イスラが)
多分、殺した。

何で私は、こんな風にのうのうと生きているんだと思った。けれども、あの中から生き残れた事に、安堵した。自分が無事な事に安堵した。アティさん達の事を、確認もせずに、ただ、安心した。
(………その程度の………)

無性に、何かを殴って、殴って、ぶちのめしたい気分になったけれど、動く事はできない。叫び彼を罵る事も気がひけた。多分、一番辛いのは私じゃない。誰が一番だと決める事はおかしいけれど、やっぱり、もっと傷ついた人は多い。
死んだ人間は、もう戻ってこない。
そうありきたりなフレーズが頭の中に浮かんで、消えた。

「………ふっ」
肩が震える。ビリ、と軽く電流が走った。
(当たり前だ) けれどもまだ夢ではないかと考えている。言葉を交わした回数なんて数える程の彼だったけれど、やぁ、元気? と手を振って、ひひひ、と独特の笑い方で、「よし決着をつけよーよーにーちゃん」なんていいに来るんじゃないか、と未だに頭の中でそう考えていた。

「ふ、ふ、クク」
揺れる。肩が揺れる。

「………何、笑ってるの?」 不審そうに、イスラが声を潜め、また肩が揺れ、力の限り腹を押さえ、笑ってしまうかと思った。泥と血まみれだったはずのローブははぎ取られ、ひたりと素顔を地面へとくっつけ、土の匂いが微香をくすぐる。けれども、やはりその中に、微かに鉄の匂いが混じり、またククク、と笑った。

瞳の端に、水が溢れる。
おかしくて、おかしくて、ただ泣きわめいてしまいそうだった。
イスラは意味が分からないという風に、私を見つめていた。かまわなかった。彼に、わかってほしくなんてなかったから。



  ***




一週間が経った。たったそれだけしか経っていないのに、少し動かすだけで悲鳴を上げていた身体が、慣れてきたのか多少の動きならば問題がなくなってきた。もしかしたらオルドレイクが鎖をゆるめたのかもしれない。それでもありがたい事にはありがたかった。

世話役なのかどうかは知らないが、相変わらず人の良さそうな笑みをしたレックスが、盆の中に一個のパンと薄い塩味のスープを地面へと置いた。もう彼に、レックスさんだなんて、敬称をつける気はない。がちゃん、とあまり上品ではない音を立て、湯気も立たない食事を私の手前へと寄せる。
私は無言でそれを受け取った。

「どうだい、手の傷の方は」
「別に、問題は。神経はくっつきました」
「そう、少し傷ついてただけなのかもね」

私は軽く左手を握り、開くを繰り返す。問題はない。数日は、まるで分厚い布越しに何かを触っているような感覚だったけれど、右の手で手のひらをこすりながら目を瞑っても、しっかりと指先が触った事が分かる。
ただ少し、指先が爪でひっかいたようにびりびりした。あまり問題はないけれど、上手く修復できなかったのかもしれない。穴が開き、みすぼらしく白い骨が覗き、閉じた傷口から余ったピンクの肉が飛び出していた手のひらは、真ん中にすっぱりと切れた跡を残し、すっかりと元の白い色へと戻っていた。召喚術って凄いんだな、と思う反面、自分も同じ召喚獣なのだと考えると、少々気がめげる。

グ、と息を飲み込み、盆へと手を伸ばす。念のため左の手を使わないように右だけをにゅっと手を伸ばした。動物園のサルのようだと自分で考えたけれど、これは少し仕方ない。
固くマズイパンを、なるべく水分が染みこませるように唾を口に含み、暫く食べた跡、スープに浸した。マズイパンとマズイスープが合わさり、クソマズイ味に変わったけれども文句をいってられない。食料がうまいこと確保できず、数日飲まず食わずの状態で島を徘徊していたときよりも随分とマシだ。今じゃ随分慣れたけれど。

「何故、オルドレイクは、僕を生かすんでしょうかね」

分かり切った事を、彼へと質問した。私がよく知っている女性と同じ色の青い瞳が揺れ、それでも口元は柔和な笑みを浮かべる。「………さぁ、どうだろうね」 アンバランスな表情は、声もアンバランスだった。尻すぼみになる彼の声に、クククと笑う。
本当は分かっていた。一番初め、彼は私に言ってのけたからだ。そして私はそれが嫌で、逃げた。
「………腹を、」
ぽそりと呟く。
スープから取り出した、ぐしょぐしょになってしまったパンから透明な、けれども少し濁った汁が皿の上へとしたたり落ちた。トトト……。
「腹を、かっさばかれるんでしょうか」
まるで魚みたいに。
ぱかりと。


自分が、オルドレイクにとって、珍しい生き物であるということは、既に知っていることだ。すぐには殺されないだろうな、と思う。けれど、生かされはしないのではないかとも思う。ふと、モルモットという言葉を思い出した。思い出さなきゃよかった。自分はもう逃げられない。そして、おそらく、私はこのことに対して、想像力はあまりないと思う。メスの一本でも取り出して、体をさばかれる。それくらいしか思いつかないし、それが一番怖い。けれど、死なずに生きる方法は、おそらく私が考えている以上に多いだろう。オルドレイクは、それを躊躇無く実行するに違いない。

「………さぁ、どうだろう」
先ほどよりも、力強く、彼は呟いた。
私に遠慮でもしているんだろうか。気でも使っているんだろうか。ただ彼が、言葉を濁す事で正直な人間なんだろう、という事はもともと理解している事だ。
ゆらゆらと力なく揺れる、赤い燃えるような髪に、青い瞳。唯一身にまとう色が白ではないという事でしっかりとイメージずく事はないが、やっぱり、似ていると思った。
前々からそう考えていたけれど、確証はないものだから、黙っていた。

じぃ、と見上げるように彼を仰ぐと、彼は慌てて自分の瞳を隠した。

遅い。深く、同じ色に輝くそれは、同じだ。隠し用もない。彼もそれに気づいたのか、手を放しまた口元へと笑みを浮かべた。

「アティさんは」
「姉だよ」

驚きはしなかった。イスラも、姉を裏切った。もう一人くらいても、おかしくはない。ただ、

「アティさんは、軍を辞めたってきいたんだけど」

きいたんですけど、と流れそうになる舌を止め、砕けた言葉を彼へと投げた。彼もイスラと同じ穴の狢だ。敬称を付ける気も、そろそろなくなってきた。
彼はそれに気づいたのか、眉を下げ、苦笑のような表情を作る。

「うん。姉さんは軍に嫌気がさして、辞めたよ」
「でも、レックス、帝国軍だよね。裏切ったけど」
「うん」
「なんで」

口に疑問を出した後で、別に姉弟といってもセットではないのだから、不思議ではないかと自分で答えを見つけた。けれども別にいい、と私が口を開く前に彼はゆっくりと汚れた地面へと腰をつき、懐かしげに目を細める。

「軍人になるには、軍学校を卒業しなくちゃいけない。俺と姉さんは、村のみんなから、そのお金を預かって、軍学校に入学したんだ。だから、軍を辞めるって事は、村のみんなの善意を裏切る事で、姉さんは、きっとその事を気に病むだろうからせめて俺だけ      

口をつぐむ。
違うな、と彼は首をひねった。そんな綺麗な理由じゃないなぁ、と笑う。

「イスラを、多分放っておけなかったんだよ」


それだけかな、と黒いマフラーで、彼は口を覆った。
彼の何の決意かも分からなかったけれど、私は別に、込み入った彼らの事情に興味もなにも湧かなかったので、ただパンを口へとつっこんだ。
「………どんな、理由があったとしても」
やっぱりマズイ味だ。
「あんた達は、一生許されないと思う」


それくらい、知ってるよ、と彼は小さく、はっきりと呟いた。




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2008.10.18