阿羅漢になれぬ者




彼女は相変わらずにっこりと微笑み、私はぽとんと彼女の前へと座る。「痛そうね」 花のように微笑んだ彼女は、すいと私の腹へと手を伸ばした。何を、と考えた瞬間、みるみるうちに傷は消えた。
ぎょっ目を見開き、ペタリと触ると、痛みも何もない。血を大量に流していたはずなのに、嫌みなくらい頭がすっきりとしていた。
なんで、と考えて、「あ、これ夢か」とすぐ気づく。

「ごめんね」
「なにが?」
「忠告守れなかった」
「だから、なにが?」

ただ少女は不思議そうに首を傾げ、微笑む。
忘れているのだろうか。私が、剣の封印を、彼女の助言があったにも関わらず、解いてしまった事だ。間違わないでと何度も夢に彼女は現れた。

「間違って、ごめん」

頭を下げる。真っ白い空間の中、彼女は何が面白いのかクスクスと笑い、顔を上へとそらし、腹を押さえる。やがておちついたのか、目尻の涙をぬぐいながら、「間違えてないって、教えてあげたのに」
馬鹿だね、は。


よく、理解ができなかった。「え」と口を何度かぱくつかせ、自分がやってはいけない事をしたと、また何度も思う。けれども間違っていないと彼女はいう。

「間違えてない?」
「うん。初めから、シャルトスはまだ封印されてはいけなかった」
「なんで」
「そういう、物語だから」
「物語」
「そう、けれどもどこか少し違う。何が違うのかは分からない。けれども違う」


「だから違うものが直さなきゃいけない」

彼女は笑い、ゆっくりと私の首筋の裏へと、手を伸ばした。彼女の小さな手の指先から髪がながれ、ぐるぐると考える間に、耳元でそっと呟く。「………世界を越えるのは、何回目?」

一度目。
(………違う)

ずっと昔、ずっとずっと昔、彼女と同じくらいのとき。私は多分
「二度目」
「正解」

彼女は嬉しそうに笑った。「、あなたは人一倍、世界との繋がりが薄いのよ。なんてったって、二度も世界を越えてしまった。それも全然違う世界をね。あなたは、この世界と繋がりを深く持たなくちゃいけないの」

ふと、随分前に、メイメイさんに、同じようなことを言われたことを思い出した。何度も魔力がおかしいといわれた。希有な存在だといわれた。
(別の世界の人間)

わかっていたことだ。けれども、考えないようにしていた。ただでさえ、考えることが多いのに、これ以上何も考えたくなかった。それなのに、じわじわと心が溶けて、何か喪失感のようなものが溢れてきた、右の手で顔を覆う。けれどもそれが何だというんだろう。私が還るべき世界は、あの場所で、先輩がいて、こんな、痛いことも何もない世界で、
……………物語?


「正しい物語を紡がなくちゃいけない。そうじゃないと、不協和音のあなたはまた消える。今度こそ世界に還れない。一つ世界を飛ぶごとに、遠く。また遠く」
「あんたは一体何なんだ」

ひねり出すようにして呟いた台詞は、多分自分が一番分かっていた。
掴んだ髪を、ぎゅ、と彼女は握りしめ、「誰だと思う?」 一文字一文字を大切に区切り、
私は、ぎゅ、と目を瞑った。
「………」「正解」

小さかった彼女の身体が、視界を覆うほどに大きく、髪を掴んでいた手のひらも、ごつごつとして、呟いた言葉は、声変わりを終えた青年のものだ。茶に近い金の髪を揺らし、「やっと気づいたかなぁ」とぽん、と私の背中を叩く。
「俺はだよ。の魔力なんだ。でもとは違う。を一番大切に思うように作られて、本当に一番大切なんだよ。だからどんな手助けでもしてあげる」

ぎゅうう、と身体を抱きしめられ、ぼうっとした頭で、彼の服をちょいと掴む。


「もうちょっとで終わる。物語も完結する。はよくやったよ。けれどもあと一つ」

ほんの少しいいづらそうに、彼は口を濁した。
けれども、「なに?」と首を傾げると、は息を吸い込み、トントンと背中を叩く。「あのね」



「イスラは死ぬよ」



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2008.10.18