阿羅漢になれぬ者



        イスラは死ぬよ

の声が、未だに頭の中で響いていた。目を開けると、見覚えのあるしょぼくれた、木の枝に布を垂らしているだけの住処の天井が見えた。懐かしい。けれども暫く掃除をしていないせいか、どこか汚い。布と布の間から木の葉が落ち、頬にかかる。もともと汚いかなとは考えてたけれど、人間がいなくなると、やっぱり痛むもんなんだな、とふと考えた。
その狭い中に男二人が体育座りのような格好で座り込み、私は身体を丸めている。

「……あ、起きた?」

うっすらとレックスは目を細め、私がその声をきき、頭がしっかりと活動し、急いで穴が開いていた腹へと手を伸ばしてみると、傷がふさがっている事が分かった。まさか、と息を飲むと、「召喚術で塞いだだけだから、触っちゃだめだよ」とひょいと手を伸ばされ、傷口を確認するように丹念に触っている私の手をどかした。
当たり前だ。夢の中で傷が消えたからと言って、現実で消える訳がない。召喚術の仕業に決まっていた。


レックスの隣には、小さくなった格好のままで、こんこんとイスラが眠っている。
         イスラは死ぬよ


思わず頭を振った。

何を勘違いしたのは、レックスは少々申し訳なさそうな顔を作り、
「ごめんね、ちょっと今、俺たち場所がないから、くんの家、借りちゃったんだ」
「いえ、それは、いいですけれど」

手を振りながら、彼の台詞をまた頭の中で流す。
場所がない。
一体、なんの場所がないのか。オルドレイクの場所に戻れば、こんな場所なんかじゃなくて、きちんと用意されたテントがあるっていうのに。


ふいにイスラが身じろぎをし、微かに顔を上げ、私をじろりと見詰める。私の疑問が伝わったのか、彼はフン、と鼻をならし、低い声で呟いた。
「僕が、オルドレイクを裏切ったんだ」
…………裏切った。

「なんで」
疑問をついたら、端的に言葉を述べるのは、私の悪い癖かもしれない。けれども飛び出した言葉は変わらず、じいっと彼を見詰める。お互い目線をそらす事もなく、なんの悪びれもないように、イスラは答えた。
「アイツらに頭を下げる必要がもうなくなったからさ」
「よく、わからない」
「もうちょっと、頭を使ったらいいんじゃないか。腐るよ」
「イスラ」

レックスが、イスラに手を出し、言葉の続きを止める。裏切った。オルドレイクを。(……じゃあ、今の私の立場は、どうなるんだ?)
オルドレイクの召喚獣でありながら、サモナイト石は、おそらく未だにイスラの懐の中で暖まっているだろう。もう少し説明してもらわないと、分かる事も分からない。

「だから、どうやって、オルドレイクを裏切ったんだ」
「腹を刺してやった、思いっきり」
「ハ」

また予想外の言葉にぐ、と頭を抱える。なんでそんな事すんの。なんでもっと穏便に裏切らないの。いや、裏切るに穏便も何もないかもしれないけど。
思わずぽかんと開いた口を閉じ、じゃあこのまま私は逃げても問題ないんじゃないだろうかと頭の中で計算を練り上げる。ただそれよりも、理解が出来ない事は、イスラの行動だった。

彼は初め、私たちを裏切った。そして裏切った帝国軍も裏切り、最後には無色の派閥まで裏切った。裏切って裏切って、裏切り通した。
じゃあ彼は、最終的に何につけばいいというんだろう。おとぎ話のコウモリも、相手を入ったり来たりしていただけで、全てを裏切ってなんかない。
彼は、結局、全部を裏切ったんだ。

じゃあ、お前は、この先どうするんだと見詰め、彼の返事を待った。こない。けれども待つ。こない。「イスラ」 呼びかけた。

「僕は、あいつらを、ぶっつぶす」
「………あいつら?」
誰だろうか。

「剣は僕が壊してやったけど、むかつんだ。徹底的にひねり潰してやる」
「剣が、壊れたって、誰の」

レックスが、不意に視線を落とす。
それを見て、ああ、とピン、ときた。

「…………アティさんの?」

他に誰がいるんだと彼は大声で笑い、何故、キルスレスの片割れを壊した事で、こんなにも嬉しそうに微笑むのか、まったく、理解ができなかった。
こいつは、ただみんなを殺してしまいたいだけなんだろうか。自分以外のうごめく生命が気に入らないだけなんだろうか。何が、嫌なんだろうか。一つ一つつぶし、また最後を潰し、一人だけでぽつんと丘に立ちたいのだろうか。
ただ、血を、求めているだけなんだろうか。
         イスラは死ぬよ

(……自業、自得だ)

かみつぶした苦虫をはき出すように、鋭く息を吐く。こんなヤツと、一緒にいると、正直吐き気がする。
人を殺して、また次をという彼が分からない。分かりたくもなかった。
あんなに恐ろしい事を、なんでまた、次へ次へと求めるんだろう。恐いだけだ。恐ろしいだけだ。降り注ぐ血の雨は、自分のものだけで十分じゃないか。自分だって、嫌なんだ。痛いのは嫌なんだ。

私は大声で、「ああそう!」と叫び、身体を動かした。外へと出る。今すぐ、アティさんの元へと行く。剣が壊れたなんて、きっと嘘っぱちだ。それが本当でもアティさんはきっと負けない。彼女は強い。信じたくなる。信じたいんじゃない、信じてる。
役に、(立ちたい、けれども)

」 
ふいにイスラが、懐から石を取り出した。薄ぼんやりと光る明かりに、思わず、反射的に身体を揺らす。

「一応、僕はまだ、これを預かって居るんでね」
返すつもりもないけれど。

呟かれた言葉をきっかけに、ビリ、と指先がしびれた。あの痛みだ。無色の派閥の軍営地の中で、体中を駆けめぐった、あの痛みとまったくもって同じだった。内臓が小刻みに振動するような震え。痛い。けれども、感覚的に恐ろしくて仕方が無くなる。ガチガチと歯の根が合わず、無意識に膝をつき、胸を押さえる。
ドクドクと血の巡りが早くなり、息を何度も吐いては、吸いこんだ。
大丈夫か、とレックスがのせる手の部分から、また痛みが走る。
次第に息を吸う事で肺にチクチクと針を突き刺すような痛みが始まり、口をぐ、と閉ざした。息もできない。心臓を動かしてはいけない。痛い。動かした場所全てが腐り落ちる。恐い。恐い。恐い。

使えるものは、使わないとね。

腹立たしい、彼の声が聞こえた。
(…………イスラは、死ぬ)
(彼が死ななきゃ、私は、多分……還れない)




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2008.10.18