「それで、君の世界の移動手段は」 「アー、………車とか、徒歩とか、飛行機、とかぁ」 「ヒコーキ、とは」 「空飛ぶ、鉄のかたまりって、いいますかぁ…」 彼がゆっくり、ティーカップをソーサーへと置くと、微かな零れる金属音がの耳へと響いた。ぐぐぐ、と琥珀色の液体を口の中に放り込むと甘い味がする。紅茶の味はよく分からないが、美味いんじゃないだろうか、これは。おそらく。たぶん。 ネスティの自室へと招かれ、延々と繰り返される問答に、彼へと気づかれないようにため息を押し殺した。いい加減、飽きたのだ。 がらんとしたマグナの部屋と違い、棚へと押し込められた茶色い背表紙の本が、溢れんばかりに詰め込まれている。はそれを一瞥した後に、ネスティへと向き直る。 「………その、こんなこと訊いて、意味とか、あるんでしょーか」 そんなの呆れ気味な言葉を聞き、ネスティはほんの少し目を見開いた。「もちろんだ」 何がもちろんなんだろう。数時間なら耐えてみせる。数日でも耐えてみせる。ただ、数週間は頂けない。ちょっと苦しい。助けて籐矢。 は所詮一介の高校生だ。飛行機の仕組みなんて訊かれても、鉄のかたまりがジェットな感じで頑張るんです。としか答えられない。もう少し込み入って訊かれてしまったら、不思議な力で頑張るんですと答えかねない。 名も無き世界には自分じゃ説明できない不思議な力が溢れているんです。は現在そう答えてしまいたくてたまらなかった。 テーブルの上に並べられた石、サモナイト石というらしい。それらへと手を伸ばすと、いくつかの石はきちんと反応するし、ぴかりと光る。「ふむ」 ネスティは興味深げに唸った。 は、召喚された当初から彼にいわれ続けていた言葉を、脳内へとリピートしていた。大切なことは、何度も思い返しすりこまないといけない。それくらいは理解している。 その事を知られれば、君は召喚士達によって貴重な実験体として扱われる事になるだろう。 いいか、実験体だ。これは冗談なんかじゃない。 肌を刻まれ臓物を引き出し死ぬ手前までいじり尽くされるだろう。残念ながらここはその召喚士達が集まる中枢ともいえる場所だ。 君をどこか安全な場所へと移動させてやりたい事はやまやまだ。しかし君の召喚主であるマグナは、この場所を離れる事ができない。 いいか、君はこの場所から逃れる事はできないんだ。 そうまくし立て、真剣な表情でへと訊かされた記憶は、今ではしっかりと染みついている。だからこそネスティは派閥に対してをシルターンの召喚獣だと説明し、名も無き世界のものだとは一言も報告する事がなく終了した。 暴発にもなりかねない召喚術を使用したということで当の本人であるマグナは一週間の謹慎を命じられたが、その本人はとても有意義に休日を満喫していた。 それでいいのか召喚主。 ただ、は思う。 ネスティも、マグナも、召喚士じゃないのだろうか。 どちらかといえば不真面目なマグナはともかく、ネスティならばの生態系を調べようとしてもおかしくはない。ただ彼は延々と地球での出来事をメモに書きとどめていた。 (………不思議だ) は改めてそう考え、首を傾げた。 彼は、ネスティほど事を深刻として捕らえていなかった。そりゃあいきなり実験体なんて物騒な言葉を聞けばちょっと色々びびっちゃったりちびっちゃったりしそうでしなかったが、自分は、ソルと籐矢と無事出会う事が出来れば、それで万々歳。全てが解決してしまうに違いない。 あの日、ソルが口走った不思議な単語を、彼は覚えている。「サイジェント」 おそらく、あれは地名だろう。一度ネスティへと「サイジェントに行けないか」と提案してみたところ、とんでもないと首を振られてしまった。恐ろしく遠い場所らしい。 「………君は、理解できないかもしれないが、こうして君の世界を理解することで、君を元の世界へと戻す手だてになるかもしれないんだ」 む、とは頷き、ティーカップをカチャリとソーサーへと置いた。 そしてもごもごと口元を動かした後に、決心したように、口を開いた。 「なぁネッさん」 至って本人は真面目だ。 年上には敬称を付けるべきだというある種本能的な行為と、マグナがネスネスネスネス連呼するものだから、本名を知る前に脳みそへとインプットされてしまった言葉を口から吐き出しているだけだ。 ただし少し問題なのが、ネスさんときっちりといえる滑舌が彼の舌へと備わっていなかった事になる。 ネスティは気にした風もなく、「なんだ」とペンをさらりと動かした。と、見せかけて文字がガタリと歪んだ。「ネッさんはさ」 もう一回いった。かなりいがんだ。 じぃとは、彼曰くネッさんを見詰め、ごろりと視線を流す。なんとなく、彼の理知的な瞳を見詰めながらの会話はし辛い。 「なんか、召喚獣とかの事、親身になって考えるよね」 目の端で、ネスティの喉が唸るように痙攣したように見えた。ずれたメガネを彼は直しながら、またペンを走らせる。 は考えた。時々すれ違う召喚士達からの、自分たち召喚獣と呼ばれるもの達の扱い。まるで人間じゃないものと対向しているかのようにその瞳が語る。 マグナでさえも、時々ではあるが、を人外のものとして扱う。 「ってどれくらいジャンプ出来るんだ? 俺的には10メートルはいけると思うんだけど」 と無邪気に意見を述べられたときにはどうしようかと思った。どうでしょうか。自分そういうの計ったことないから分かりません勘弁してください。 結局、召喚術なんて妙な技で、何もない空間に出来上がった異世界の物体なのだ。人間以外のものと見られることは、しょうがない、とは思う。ちょっとやるせないものがあるが。 ペラペラと異国語を話す外国人が、なんだか自分と別物のように感じてしまう感覚と同じに違いない。 感覚的な問題は、他人がどうこういっても仕方ないような気がする。たぶん。 けれどもネスティは違う。どうしようかなぁ、とがうだうだとマグナの部屋で一人クロールをしていたときに「何か不便はないか」と訊いてきた。ちなみにそのときマグナはが教えた一人バタフライを実践中だった。それでオッケイだマグナこれで海に落ちても恐くないぞまるで陸にあがったエビのようだと思わず親指をグッと立てたくなるような素敵なバタフライだった。 不便はないか。そう訊かれた瞬間に、いってもいいのだろうかと逡巡した後、まぁいいかと口を開いた。 「メシがまずい」 シルターンの召喚術用のご飯は、茶色くつぶつぶとしていて、これはドックフードか何かかと見るからに食欲をそがれ、あり得ないほど表情を歪ませながら口に含んだそれはまさにドックフードだった。ちなみにこれは例えなのであって犬用ご飯は食べた事はないので勘違いしてはいけない。 ぱさぱさとしていてなおかつこりこりとしていて、うっと喉につまる。 正直一生勘弁したいまずさだった。 そんな彼の言葉を聞き、そうかとネスティは二つ返事で部屋を飛び出した。その次の日からはマグナとあまり変わらないような食事にありついている。 いったいどうやって掛け合ったのかは不明なのだが、召喚獣用と書かれた食事をマズイという召喚獣の言葉に、首を傾げる事もなく行動など起こすだろうか。 偏見とか、そういう問題じゃない。それはそういうものなのだと認識している、しごく普通の行動なのだ。自分だってにんじん嫌いなウサギを目にすれば、ん? と首を傾げるだろう。魚嫌いのにゃんこを目にすれば、オイオイ。とか思っちゃうだろう。まぁでも実際にはたくさんいそうだよネ。 けれどもネスティにはそれがない。寒くないかと訊かれて頷けば、次の週には毛布をもらい、くせぇ風呂に入りたいといえば、おらよとでっかい金だらい。ちょっと日本的。 は、時々妙な事を考える。 ネッさんって、実は、召喚獣だったりして。 そんな妙な考えに、自分でぷっぷと笑ってしまうのだけれど、けれどもやっぱり考える。 召喚獣が召喚獣を駆使し、研究なんてもんをして、そんでマグナの兄弟子。なんつー嫌みな行為なんだろうか。 初めはまったく気にならなかったはずの事が、一度気になると、ちょっとした事がひっかかる。 彼の顔と手のひら以外の全てを執拗にプロテクトする服装。どんなときでも、同じ格好。一度冗談で、彼の背中をパンッと叩いてみた事がある。 一部分が固い金属でも叩いたかのような感覚で、「あれ?」と首を傾げた。服の中に、何かを仕込んでいるのだろうか。試しに「ネッさん今日は暑いな、ちょっと脱ごうぜ俺とマグナも脱ぐから」といってみれば、呆れた表情でこちらを見詰め返した。はですよネ、と脱いだ上着をいそいそと着込んだ。 もしかして、が降り積もれば、ありもしない事実までがそう見えてしまう。 ううん、と頭をひねり、結局自分はこの世界の常識自体を、未だに理解できていないのだと気づいた。 もしかしたらそんな彼が普通なのかもしれないし、証拠なんてもんもないし、だったらどうなんだといわれれば、ちょっと仲間意識を持っちゃう程度である。 (まぁ、事実彼が俺に親切な事に変わりないわけだし) 結局自分は、サイジェントへと行くチャンスを待つことしかできないんだよなぁ、とカップに揺れる波紋と、ほんのり赤い液体に映りこむ、その自分のなんともいえない表情を見詰めて思った。 1000のお題 【158 企業秘密】 BACK TOP NEXT 主人公マグナと仲良すぎ 2008.11.03 |