おいしかったよ、と笑うアルバに、は僅かに手のひらをもぞつかせた。「本当ですか?」「うん」 彼の返事を訊いて、ぱちん、とは両手を合わせた。それから、勝手に頬が緩んでいることに気づいた。それから、やっぱり胸がむずむずして、「違うんです」 何が? とアルバが首を傾げる。
「本当は、私、お料理なんてしたことなかったんです。でも、ライさんに教えてもらって、練習しました」
なんとなく、白状してしまいたい気分になったのだ。情けなくぺたりと絆創膏がはられた指が目に入る。「アルバさんに、食べてもらいたいなって、思ったんです」 正直な気持ちだった。それがどんな意味をなしているのか、は深くまで考えはしなかったし、同じくアルバも、言葉通りに受け止めた。「ありがとう」
膝の上にお弁当箱をのせた二人組は、ほわりと笑ってベンチに座っていた。嬉しい、と感じる。アルバといると嬉しい。帰ろうか、と呟くアルバに、「はい」と頷いた。こつこつ、と宿屋までの道を帰っていく。からっぽになったお弁当箱に、何かをのせて。
「明日も、大丈夫だったらさ、付き合ってくれるかな」
「はい、もちろんです!」
ほとほとと、優しい夕焼けだった。静かな夕暮れの中で、彼らはゆっくり歩を進めた。
続けばいい。場違いにも、そう感じた。この道がずっと、続いていけばいい。
***
そして宿に帰ると、なぜだか宴会が始まっていた。
***
「昨日はなんだか、面白げなことがあったってきいたが?」
ほんの少し拗ねたように口元を突き出すグラッドを相手にして、は、はは、と苦笑した。アルバと宿屋に戻ると、なぜだか宿屋は盛大などんちゃん騒ぎが始まっていた。ちんこんかんこんと皿を叩く音がすると、までは言わないものの、べべん、と響くシンゲンの三味線に合わせて、のど自慢とばかりに歌い出す彼を周りから複数人が抑えこんで、その後ろではハッハと楽しげに笑うセイロンがはたはたと扇子をあおいでいる。
「もっと食べてもいいんだぜ」とにっかり笑う店主に、こくこくと頷く可愛らしい耳をした亜人の子どもたちは、返事とばかりにがつがつと口の中に料理を詰め込んでいた。その真ん中には、これまた必死なライオンのように、もさりとした髪型の青年が、皿を積み上げている。
リビエルはリビエルで、出された甘いお菓子にほっぺたを緩ませて、リシェルも同じくスプーンを震わせていた。「姉さん、あんまり食べたらだめだよ」なんて大人な意見を呟くルシアンはうるさいわね、あんたも食べなさいと強制的に口の中にスプーンをねじ込まされていたし、満足気な顔で亜人の子ども達を見下ろすアロエリは、なんだかお姉さんみたいで可愛らしかった。
これは一体どういうことだ、と扉を開けたまま、ぼんやりとアルバと瞬きを繰り返したとき、『あんた達、遅かったわねー!』 オレンジ忍者の説明で、だいたいの事情は把握した。
腹減りの子どもとその保護者、カサスという名の青年を保護した。言葉にまとめればそれ一つだ。がつがつがつ、と4人同時にスプーンを動かして、とーんっ、とテーブルの上に皿を置く。「「「「おかわり!」」」」 響きあった声を思い出して、は思わず吹き出しそうに口元を押さえた。「……なんだ? そんなに楽しかったのか?」「あ、はい、ええ」
ミントさんもいたっていうし、俺も呼んでくれりゃあいいのに、とぶつくさ呟きながらこつり、こつりとペンのしりで紙を叩くグラッドを相手にして、「あ、あはは……」 さすがに、そう言うわけにはいかなかった。
彼らは、“はぐれ”であるから。
召喚主の元から逃亡した、異世界からの召喚獣だ。帝国の法律では、すぐさま逃げた召喚獣は捕獲せねばならない。駐在軍人であるグラッドの任の一つである。(私も、そうなんだけれど) 彼と同じく、自身は軍人だ。帝国の法に殉ずる定めである。だというのに。
嬉しげに、フライパンをかき混ぜる音を聞いていた。箸がリズムを奏でて、三味線の拍子に合わせ、代わりとばかりに歌い出す。椅子に座っていた。彼らが楽しげに笑う声をきいて、は僅かに瞳を伏せた。『お姉さん』 茶髪の少年だ。『お姉さんも、召喚師?』 頷くことをためらった。水色のマフラーをまいた、ほんの少し瞳がたれた少年は、くすりと笑った。『なんだかお姉さんも、変わったにおいがするね』
いいにおい。
このところ、ひどく思考がにぶった。人と話したくない。関わりたくもない。そう感じて頬を紅潮させるばかりだったその頃とは、何かが違った。何か、覚悟をしなければならない。そううっすらと気づいているというのに、捨てきれないものもある。「それで、、きみのお兄さんなんだがな」 本筋からずれた話から、は慌てて瞳を上げた。
「金髪の、と容姿が似ているってだけじゃあちょっとな。一応こっちでも探してみたんだが、うちの街は新しい人間はすぐにわかるからなあ……」
残念ながら、という言葉のニュアンスに、は苦笑した。当たり前だ。彼がいるわけがない。「いや、一応、それに似た人を見たという声はきいたんだが」 息を飲んだ。「ま、これは俺の知り合い……みたいなもんでな。アルバの上司なんだが」 は首を振った。いるわけがないのだ。そうわかっているはずなのに、自身のあまりの反応に、とくり、とくりと響く心臓を握りしめた。
「ちがうと、思います」
違うに決まっている。
「そうか? まあ、そんな偶然もないか。とりあえずだ、探すにしても、もう少しばかり特徴があると嬉しいと思ってな」
時間があるのなら、駐在所へ来てくれないか。そうグラッドに声をかけられ、は申し訳ないとばかりにそっと肩を小さくさせた。見つかるはずもない、の嘘に対して、彼は誠実に捉えてくれている。瞳を伏せた。それから、少しだけ正直になろうと考えた。「ごめんなさい、グラッドさん」「ん?」「嘘です。私には兄はいません」「…………んん?」
ぱちくり、と瞬く瞳を見つめながら、撤回します、と彼女は静かに首を振る。「既に死にました。ただ、もしかするとと、心の底で考えてしまっていただけなんです」 そうだ、もしかすると兄は生きているかもしれない。は兄の死に顔を見ることはなかった。ただ、死んだ。その事実だけが伝えられた。どこかで、新たな生を送って、前へ突き進んでいるのかも。
ただの馬鹿馬鹿しい想像だった。「……すみません」 かすれるようなの声に、グラッドは慌てて立ち上がった。「いや、悪い。こっちこそ、勝手に、その、いや、くそっ」 叫んだ。「生きてる!」 掴まれた肩に驚いては顔を上げた。「大丈夫だ、生きてるに決まってる!」
なんで、そんなことを言うんだろう。
くしゃりと、顔が崩れた。それから、すん、と鼻の頭が赤くなった。グラッドの声がきこえる。申し訳ない、と彼はしきりに謝っていた。はいくども首を振った。いいのだ。兄が生きていようとも、死んでいようとも。いや、もちろん彼が生きていてくれさえすれば、それは奇跡のように感じる。は兄を追った。生きている。そうグラッドが言った。兄はいた。生きていた。ふと、そう認識した。兄は、イオスという名の男は、たしかに、この世界にいた。
***
いい人だったね、と子どもは笑った。
「ニンゲンって、悪いやつばっかだと思ってた」
やんちゃな瞳をした少年が、ぴくぴくと頭の上の耳を動かしながら瞳を細めた。舌の余韻を思い出すように、ほっぺを緩めて、ぽんっとお腹を一つ叩く。うまかった。パパに任せたら、全部大丈夫なんだから。そう言ったピンクの髪の女の子の言う通りだった。「でも、怖い人もやっぱりいる……」 おどおどした声で、うさぎのような耳をぴくぴく動かす少女に、「そうダネ」 ライオン髪の青年は頷く。怖い人に捕まりそうになったところを、彼らに助けてもらった。そうぽそり、ぽそりと説明をする少女の頭を、青年は大きな手のひらで撫でた。
ボクらは、どこでも、小さくなって生きていかなければならない。
それを忘れちゃいけない。
「兄ちゃん、いっつも親切な人ほど気をつけろって言うじゃん。あいつら親切だったけど、大丈夫だったぞ」
「うン、気をつけなきゃいけなイ」
彼らはまだ知らないのだ。「全部のニンゲンが、怖いわけちがウヨ。でも、全部のニンゲンが、優しいことも、チガウ」 そんなニンゲンに、彼は召喚された。そもそも、優しい、と優しくないと、二つにわけてしまってもいいのか。そのことすらも分からない。だから、自身は全てに気をつけなければいけない。気を許してはいけない。「あの人達は、ちょっと特別だったんだよね」 優しげな茶髪の少年の言葉に、そうかもしれない、と頷いた。でも、やっぱり首をかしげた。そんなのはまだわからない。それに、彼らは。
「それハ、まだわからないけド」
出会いは大切にしなくてはいけない。「今度、お礼をもって行こウ」 カタコトの言葉で、青年は笑った。うん、と子どもたちは頷いた。さっさと寝なさい。そう言って背中を叩くと、はーい、と元気な声で薄い毛布をひっぱりながら子どもたちは青年の膝で眠りにつく。
夜の帳が落ちていた。一つ、鳥の羽ばたきが聞こえる。「カサス」 名を呼ばれた。はねた鼓動を押さえつける。
「竜の子と、出会ったな」
肯定の声を伏せた。けれども、男は問いかけた。
「獣王、カサスよ」
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2013/07/14