男は、肉の体を持ちながらも、機械の体を得ていた。
戦場に生きた。
そして死んだ。
生かされた。

腕を血に濡らし、瞳を細め、人外の声を吐き出す。
誰が聞くわけでもない。誰が気づくわけでもない。

けれども、長く叫んだ。男をこうしたものの名を、彼は知っている。
ただれた腕と、足と、体にメスを入れ、引き裂き、白いひげを血に濡らした老人の名を。



ゲック

老人はそう呼ばれていた。




   ***




「セクター先生……?」
瞳を瞬かせる、元の教え子たちを見上げ、彼が、とは赤い瞳を細めた。(聞いていた人物とは、あまりにも……)違いすぎる。それが彼女の印象だ。黒をほんの少し薄くした髪の、足の悪いただの私塾の教師であると聞いていた。けれども今の彼のそれは白髪に近い。まるで老人のように、白い瞳を赤黒く輝かせ、一歩を踏み出すごとに、重い両足が硬いレンガが崩れ落とす。(……機械兵士……?) 見かけばかりではない。セクターというその男は、優しげな男であると、そう耳にしていた。
それがどうだ。

「教え子達が教えてくれたよ。復讐すべき男が、そこにいると」

薄暗い。
そう、は感じた。生身の体を、まるで喰らい尽くすように走り回り、融合する鉄の輝きの意味に気づき、は口元を覆った。「まさか」 知っている。ただの噂であった。「?」 ぽたりと背に冷たい汗が流れた。アルバの声が、ひどく遠い。

かちん、かちん。重たげな身体を揺らしながら、似合わぬ短剣を片手に携え、唐突に、男は崖を滑り降りた。「復讐って、なんだよ……」 顎から汗を滴らせながら、ライが呟く。「なんなんだよ、先生……!」 リシェル、とは彼女の袖を掴む。彼女ならわかるはずだ。「、な、なに……」「あの身体は」 混じっています。

そう呟いた瞬間、リシェルはハッと胸に息をふくらませた。そして滑り落ちる恩師と、をいくども目を向けた。「うそでしょ」 そんなわけないじゃない。そう語る瞳を、は見つめた。「そんなわけ」 振り乱した髪をくしゃくしゃにして、瞳を歪ませ、「なんなのよ……!」



セクターは、人の身体ではない


機械の、ロレイラルの技術で、身体をいじり回されている。誰に、どうやって。考えるまでもない。どこの、何の知識もない、ただの召喚師ができる術ではない。
     それこそ、幾体もの機械兵士を操る、その術がなければ。

(ゲック、一体彼は)
何ものであるのか。そう思案したとき、ふと、奇妙に覚えのある名が頭に浮かんだ。あれは座学を受け、帝国の、軍の歴史を、叩きこまれていたそのときだ。「ゲック・ドワイト……」 名のある召喚師であり、今はこつ然と姿を消した、元、帝国軍人の一人。

ごろりと、の中で何かが崩れ落ちたような、奇妙な音が、耳に響いた。




   ***



彼女のそれは、推知は、あまりにも正しすぎた。彼は、帝国の被害者である。学究都市ベルゼンには、奇妙な研究施設がある。そこには夜な夜な試験体が運ばれ、身体をいじくられ、そうして人とも、召喚獣でもなんでもない、何かに代わり、軍の手足となり消えていく。
ただの遊び草なうわさ話だった。神聖皇帝直属の部下となるため、少しでもミスの許されない閉鎖された空間の中での、ちょっとしたストレスの発散だ。はその中でも異質であった。召喚獣を相手にばかりして、整いすぎた容姿をあざ笑うように、“別の意味”でも彼女は皇帝のお手つきとなるだろう。そう噂されていたことを彼女は知らない。

流れるように聞こえたその噂の数々を、は聞かぬふりをした。自身には関係のない話であると、ただただ、兄のような帝国軍人になることだけを夢見て。
記憶の底に沈みつつある、薄らぼけた姿を走り抜けて。


「帝国軍の、実験施設……」


結局、セクターの復讐は、形をなすことなく、あの短剣の刃は宙を空振った。突如、文字通りに宙に現れた将軍、レンドラーに、彼の目的はひっさらわれ、奇妙な余韻ばかりを残した。新たに姿を表した赤髪の青年は、黒縁のメガネをいじりながら、ひどく軽いステップで召喚術を送還した。クラストフ家の当主であると笑う青年の名はギアン。

ギアン・クラストフ







(あまりにも……)
偶然が過ぎた。

おだやかで、なんの争いもない、時折酔っぱらい同士の喧嘩に、苦笑いをする。そんな優しい宿場街であったはずなのに、突如やってきた竜の子をめぐる争いの中、一人の教師は姿を消し、一人のメイドは自身の姿を晒し、同じく姿を消した。機械兵士とも、人とも言えぬ身体を持つあの男は、引き止めるライの言葉を放り投げ、再びゲックを追った。

何の意味もなく、は杖を振った。座り込みながら、幾度も杖を振り回した。傍から見れば、棒術の練習か何かかと思われる程度の、腑抜けた、彼女にしては遅すぎる杖の振りだ。けれどもこの程度でちょうどいい。

薄暗い星空を見上げ、背後の宿屋を振り返る。ぱちり、ぱちり、と一つ一つ明かりが消え、人は眠りにつきはじめた。は今もあの男     シンゲンに疑われている。で、あるのならば、奇妙な行動は慎むべきであったが、どうにも腹の底が疼いた。どうかしたかと問いかけるアルバに対して、目を合わせることができなかった。それが何故なのか、ある程度の理解は出来ている。気まずい、そうは感じていた。なぜ、そう思うのか。自身が帝国軍であるから。帝国軍の召喚師が、あの優しいと噂されていた教師の姿を変えた。

(元は、どんな人だったのだろう)
優しげな顔をした男だったのだろうか。それとも、それは全て偽りであり、憎しみを忘れるために、一時でもと心の拠り所を作ろうとしたのか。

     セクター先生が、いなくなっちゃったんだよぉ

耐えかねた涙をぽろりとこぼす少年を思い出した。(そうじゃない) たとえ嘘でも、帰ってくるのだろかと不安げに瞳を揺らす子ども達の姿は、本物だ。(帝国軍が) そうした。(兄のような帝国軍人に……) なろうと思った。

けれども、そもそも、


「兄さんは、どんな軍人だったの……?」
「……?」

びくり、とは肩を飛び跳ねさせた。

「あんた、こんなところで何してんの?」
帽子の上にのせた兎のぬいぐるみが、ぴこりと揺れた。花を散らしたマフラーが、月明かりに浮かんでいる。からから、と彼女が持つ小さなランプが揺れていた。「リシェル」 は無意識に杖を握りしめた。泣いているのだろうか。そう思った。けれども彼女の瞳は気丈に前を向いて、宿屋を見つめていた。「もう閉店って感じかな」「ええ……」 彼女がなぜ、やってきたのか。僅かながらに、は分かるような気もした。少し、は弱くなったような気がした。知らぬと目をそむけていたものが、急に大きく広がり、胸の内がからりと波の音をたてて消えていく。

「女の子が、こんな遅くに出歩いちゃ、危ないですよ……」

何を言うべきかわからず、そうつぶやいていた。けれどもすぐにからからと笑われてしまった。「だって人のこと言えないじゃん」「う……」 私は軍人ですから、と否定の言葉をあげようとして、何を言おうとしているのだ、と慌てて口元を叩いた。だいたい、軍人だからと言って何になる。ただ自身は少しばかり人よりも召喚術が得意で、身体が動く。それだけなのに。(それだけの、人間で……) 鬱々としている。じっと自身の足元へと勝手に瞳が落ちていた。

「なんであんたが凹んでんのよ」
「きゃっ」

パシン、と背中を叩かれたものだから、慌てては胸をのけぞらせた。「な、なにするんですか」「元気一発。あーあ、もうみーんな寝ちゃってるなら、かえろっかなー」 お夜食でも食べようと思ってたのに、来て損しちゃった、とあっけらかんな言葉を落とすリシェルの隣に、は慌てて並んだ。

「わ、私も一緒に」
「何言ってんのよ。女の子が遅くは危ないんでしょ」
「危ないからです!」
「いやの方が危ないでしょ。あたしが男だったら襲っちゃっうわねー」
「私、強いんですから!」

襲われません! と自分でも何を言っているのかもわからず、は拳を握った。「よねー」 さくさく、と薄暗い土の道を歩きながら、リシェルは鼻歌を歌うように頷く。「結構意外だったけどさ。意外とできんのね、あんた」「は……」 なんだかちょっと照れてしまった。

いや照れている場合ではない、と慌てて顔を上げると、「ま、あたしの方がもーっとすごいけど」「あはは……」 からころ、と虫の鳴き声が聞こえる。

優しい街だった。ぴゃっと静かな風が頬を撫でた。この街に来てよかった。なぜだろうか。はふと、そう感じた。ほんの少し、は自身が変化していくことに気づいていた。可愛いね、そうアルバに言われた言葉を思い出して、ぽふんと顔が赤くなるときがある。幸せで、幸せで、胸の中がいっぱいになって、嬉しくって頬が緩む。「襲わせるのは、アルバ専門ってわけ?」 唐突に問われた、冗談のような言葉に、はこくりと首をかしげた。「だーかーらー、襲わせるのはアルバ専門。アルバならいーんじゃないのー?」

ま、あの騎士さまがそんなことするわけないか、と鼻歌を歌うようなひとりごとを聞いて、はまた首をかしげた。言葉の意味は分かる。けれどもアルバが、どうつながるのかがわからない。てくり、てくり、と二人で歩きながら、はリシェルの言葉の意味を考えた。そもそも、襲うとはどういうことなのだろう。一応彼女にもある程度の知識はあるし、それに近い座学を受けたこともある。「…………? おーい、?」

いくら会話を問いかけても返答がないことに気づいたリシェルが、ほとりとを見下ろした。手に持つランプをで覗きこむように、小さな彼女を見て、「……ちょっと、あんた、なんでそんな真っ赤なの……」 問いかけられたところで、にだってわからない。

ふるふると首を振ると、からかい過ぎたとばかりにリシェルはひとつ、ため息をついた。「でも羨ましいって感じ。やっぱいいわよね、こういう話題。ポムニットがいたら、すごく、よろこびそう、で……」 少しだけ、声が小さくなった。熱い頬を夜風に冷やして、はリシェルを見上げた。「会いたいなあ」 ぽつりとこぼれた言葉に、どきりとした。

「先生も、いなくなっちゃう、し……」
リシェルさん、と背を撫でていいものかわからなかった。けれども、何かがしたかった。「リシェルさん」 怖い、とつぶやかれた言葉は、きっと彼女の本音だろう。「あの子ね、ミルリーフを見つけたのは、私達なの」 ライと、ルシアンと、リシェルの三人だった、そうも聞いている。はい、と頷いた。

「あいつの宿屋で面倒みようって、そう言ったのは私で、でもあのときは、こんな大変なことになるなんてわからなくって」 背中を撫でた。小さな小さな、女の子みたいな背中を、は必死で撫でた。「こわい……」 なんでこんなことになったんだろう。そう喉を震わせる彼女を抱きしめた。

竜の子を中心とし、彼女を守ることを目的とすることで、人は格段に強くなる、そう感じたの感覚は、決して間違ってはいなかった。けれども、違ってもいた。彼女はただの女の子だ。召喚術が使えても、本当は弱い、普通の女の子なのだ。会いたい、と彼女は呟いた。ポムニットに会いたい。もとの生活に戻りたい。戦いたくなんかない。こわい。こわいよ


小さく、小さく、胸がきしんでいく。
怖がっている誰かがいる。ぽろぽろと、気づいたら二人で一緒に泣いていた。兄のような軍人になりたい。そう思っていた。今でもきっと、そう思っている。
兄はどんな軍人だったのだろう。

彼はすぐさま戦士を遂げた。そうしてから、私の家は、少しおかしくなってしまった。帝国に帰ったところで、誰がいるわけでもない。ひとりぼっちで座り込んで、授業を聞いて、手の豆を潰し続けた。
兄のようになりたい。

気づけば、自身の中で、勝手な、兄の像ができていた、そんな気がした。なんでもできて、綺麗で、かっこよくて。記憶の底にいる兄は、そんな人だった。だから軍人である兄もそうであるはずだった。誰かを守ることができる、強くて、優しい誰か。

     誰かのために、何かをしたい。そんな騎士になりたい。

ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。
小さな、名も知らないのような、震えながら揺れる、そんな花が咲いたような気がした。
彼女を抱きしめながら、頬を濡らして、涼しげな風に耳を寄せた。年の近い、同じ性別の、初めての同性の友人を抱きしめて、きっとまた会えますと、何の根拠もない慰めの言葉を口にしながら、コロコロと虫の声を聞き、二人で一緒に鼻をすすった。


→番外18.5話


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2013/06/16