ぐずって、赤くなった鼻は恥ずかしい。そんなことは考えなくてもわかることだ。
大丈夫、生きている。
なんの根拠もない言葉だ。きっとまた会えます。ポムニットに会いたい。いくども言葉を繰り返す彼女に、はそう伝えた。伝えずにはいられなかった。の目の前で、気まずげに頬をかく軍人も、きっと同じ気持ちなのだろう。

「あの、お恥ずかしいところを見せてしまい」 すん、と鼻をすすった。「いや、俺もなんていうかな、ときどき気がきかないって言われるんだ」 情けない話だが、と笑う男性が、どこか可愛らしく見えた。くすくす笑うと、「うん、そうだな」 は首をかしげた。「そんなふうに笑ってた方がいい」 ぶふ、と吹き出した。


「な、なんだ。俺はただ、はじめよりは明るい顔が増えたなと」
「ごめんなさい、馬鹿にしたわけじゃないんです」

明るい顔が増えた。そう思ってくれるのなら嬉しい。くしゃくしゃ、と子どもみたいに頭を撫でられた。随分昔、兄に撫でられたときよりも、ずっと荒っぽく、アルバの手つきのように優しくはない。驚いて瞳を開けていた間に、ぱしん、と頭を叩かれた。「ひゃ」「子どもが、大人ぶった顔をするんじゃない」 ちょっとは甘えなさい。そう大人ぶって笑った彼の言葉に、ぽかんと口を開けてしまった。

「私、こどもじゃないです」
「子どもはみんなそう言うんだ」
「ほんとです。こう見えても、実は帝国軍人なんですよ」

ぎょっとグラッドはを見下ろす。「実は、このトレイユを調査するように派遣された、軍人です」 きちんと、席もあるんですからね、と子どもっぽく頬をふくらませてみた。ずべん、とグラッドは椅子からずり落ちた。それから、「……そんな嘘に、騙されるわけないだろう?」 予想通りの反応だ。


の年から軍の席に入っているだなんて、親衛隊じゃあるまいし」
おもしろくもなんともないぞ、と眉を寄せる彼に、「はい、冗談です」 子ども扱いが、ちょっぴり悔しかったので、とうそぶいてみた。どんな悔しがり方だ、とグラッドは呆れて椅子に座り直した。
(堂々としていればいいんだ)

兄の消息を探るために、トレイユに来た。そんな嘘は、もうつかなくてもいい。ただ彼らがどうするのか、どうなるのか。それだけを見届けるために、はこの場にいる。
ただ、それだけのためにいる。



   ***



悲鳴があがったのは、それからすぐのことだ。とグラッドは、二人で瞳を見合わせた。即座に駐屯所を飛び出し、状況を把握した。
     また、彼らがこちらに刃を向けた。

彼らは街の住人たちが巻き込まれることを、望んではいない。そう心の底では考えていた。幾度か町中での争いはあったものの、奇妙なほどに住民への被害は少なかった。今回も、と思いたいところだが、残念ながら、あちらもこちらも手詰まりであることは事実だ。「グラッド先輩! まずは住民の避難を!」「ああ!      ……先輩?」「あ、いえあの、人生の先輩という意味で!」

グラッドさんは、軍人としての先輩だ。そう考えて、こっそりと心の中で呼んでいた癖が、口から飛び出してしまった。慌てて手のひらを振った。「とにかく、グラッドさん、鐘を鳴らしましょう!」 通常、街の警備の伝達には、一つの大きな鐘が設置されている。それを思いっきりに叩くことで、住民たちに危機を知らせる。過去、旧王国との小競り合いのために設置されたその警鐘は、現在では外から溢れるはぐれに警報を鳴らす、ただそれだけのためにしか使用されていない。「よし!」

片手に持つ獲物を、グラッドはに投げ渡した。即座に彼ははしごを登る。代わりとばかりに持つ鎚を振り上げる。鈍い音が響いた。





遠く、鐘の音が長くこだまする。グラッドだろう、とライは瞳を細めた。逃げろ。侵入者だ。屋内に逃げろ。そう鐘の音が伝えている。ありがたいことにもその音をきき、一目散に逃げていく住民達を目の端に捉える。獣が吠えた。体中の毛を逆立てた男が、喉奥から叫びを垂らし、黄金の瞳を輝かせる。「カサスさん!」 呼びかけに答えはしない。

優しげに青年は笑っていた。人間を恨んでいたときもあった。でも、今は全部の人間が悪いと思っているわけじゃない。そう言って、カゴいっぱいの果物を抱えて笑っていた。
振り下ろされる爪が地面をえぐる。砕けたレンガが、ライの頬をうちぬいた。「クソッ……!」 転がるように避け、悪い、と瞳を閉じた。「ヤアッ!」 勢い良く足の健を裂く。動くな。これ以上動かないでくれ。そう祈った。ぐるりと分厚い毛を撫でるように通り抜けた刃に、息を吐いた。なんの意味もない行為だ。(     たたかいたくない) ときおり、彼の瞳はそう叫んでいた。わからない。それはただの、そうであって欲しいと彼の願望か何かなのかもしれない。

けれども。
(たたかいたくない)

「お前ら、なんでミルリーフを狙うんだ!」

単純な話だ。彼らはミルリーフを、竜の子を狙っている。なんの意味があるのかもわからない。とにかく竜の子を渡せと主張する。それが、ただややこしくなっているだけなのだ。お互いに武器を持って、力ずくとばかりに叫ぶから、誰も彼もが奇妙な目的を持ち、絡み合うから。(単純に、考えりゃいいのに) それができないから争う。


彼は己の血に酔うときく。呪いが体を蝕んでいる。優しげな風貌は、変わり果て、一匹の獣と化す。「我らが願いのため」 貴様らにはわからぬ、と射抜かれた矢を、弾き落とす。「クラウレ……!」 は、とライは顔を上げた。同じ翼をはためく少女が、屋根を蹴り飛ばすように飛び跳ね、射抜く。「パパ!」「こっちに来るな!」 狙われているのはその少女だ。私も戦う。そう彼女はいった。けれどもいけない。すぐさまライはミルリーフをかき抱いた。「御子様が、異変を教えてくださいましたのよ!」 くるくる髪を揺らす天使が、すとりと地面に足をつける。

「どうりで、ナイスなタイミングなわけだ」
「ないす? たいみんぐ……?」
「すっげえいいってことだ!」



べべんっ、と響く三味線が、妙にキザったらしく始まりの合図を告げている。




   ***



想像以上に街に入り込んだ敵の数が多い。グラッドと二人背をあわせ、はエメラルドの光を両手からほころばせる。(やっかいかもしれない) 喉を震わせ、槍を振るうグラッドは、相棒としては頼り甲斐がある。けれども彼は、を守るように、こちらばかりに気を負っている。こちらは問題ありません。そう返答することができればいいものの、そう言ったところで、イエスと頷く男性ではない。(仕方ないな……) 申し訳ない、とはグラッドに心の中で手のひらを合わせた。

(離脱、させてもらいます!)

溢れる召喚獣を相手に、「きゃあ!」とはわざとらしい悲鳴をあげる。何があった、とグラッドが振り返る瞬間、バランスを崩し階段を転げ落ちた     ふりをした。彼の死角まで飛び降り、「!」 グラッドがこちらを探す声がきこえる。「問題ありません! グラッドさんは、先にライさん達のところへ!」「しかし」

返答はしない。息を吐き出すと同時に、は右の拳を突き出す。「……ごめんなさい!」 勢い良く、召喚獣の首元をひっ捕まえ、叩き落とした。白目を回す彼らを飛び越え、人気のない街路にて構えを解く。グラッドは、先にライのところへ向かってくれるだろう。こちらとあちらの優先を測るものが軍人というものだ。とて、最低限の身の守りは覚えているはず、そうグラッドは認識しているに違いない。「その最低限で」 反撃させて頂きます。

息を吐き出す。
メイトルパの召喚獣に、同じ獣は通じない。ならば方法はひとつだ。細い腰のつけた剣は、無力な召喚師と欺くために宿へ置いてけぼりだ。ポーチに入れた相棒が、こちらを出せ、と二重の声で叫んでいる。「だめです」 こんなところで彼らを出すわけにはいかない。

さて、とタイミングを見図らんばかりにを円状に囲む獣へ、手套を繰り出した。(知っている) は召喚師である。で、あるからしてこちらの技術は拙い。しかし、見える。彼女は獣を操るものである。召喚師であるからこそ、彼らの全てを熟知している。「撤退を願います」 こちらの言語が通じるか、そして元の召喚師が誰であるかも分からない。は静かに、魔力の“糸”を見つめた。すでに、断ち切れているものが多い。薄々は気づいてはいた。彼らは全て、はぐれである。

     なぜ、こうも必死なのか

竜の子を奪うことで、彼らに一体、なんの利益がもたらされるのか。おそらく、それが根源であると気づいてはいた。(私は)知ってはいけないことのような気がした。は、知ることが任だ。それを、報告する義務がある。(理由は聞かない) 聞かないのならば、知らないふりをし続けることができた。

「あなた方がこちらに交戦する理由は問いません。しかし、できることなら撤退してください」

言葉を繰り返す。レンガの小道に両足を立たせ、は静かに息を吐いた。僅かに汗が滲む程度で息を荒げることもない。決定打を与えてはいない。しかし、彼らを押さえつける程度の力はある。じり、と獣たちは後ずさった。安堵の息を吐き出したと同時に、力強く、屋根から飛び降りる影の手套をかわした。

かすれた頬から、僅かに一滴血が滲む。女性だった。白いスカートをふくらませ、薄青い肌がちらり、ちらりと覗いている。(悪魔) サプレスのものだ。彼女は鋭い軌道で、軽やかに地面を蹴り飛ばし、疾走した。伸びた爪が、こちらをえぐるように旋回する。(強い) 鋭いステップを躱し、途端に荒くなる息を抑え込んだ。ふわり、ふわり、とやわらかく舞う紫陽花色の女性だった。ふと、違和感があった。「…………ポムニットさん?」

は、彼女を知っている。
白目のない、赤黒い瞳を彼女はちらりとこちらに向けた。「ポムニットさん!」 確かに彼女だ。リシェルが、会いたがっています。そう叫びたかった。喉からあふれた言葉を叩きつけようと彼女に向かった。静かに、彼女はの腕を掴んだ。不覚だった。「あ……」 叩き落とすことは容易い。

けれども、彼女は悪魔だ。

近づくものすべてのマナを吸い取る、悪魔である。視界が反転した。
うっすらと、彼女が笑っていたような気がした。どうか、私のことは忘れてくださいまし。そうつぶやいていた。一体何を忘れなければいけないのか。彼女と出会ったことそのもとか。それとも、彼女の存在か。

崩れ落ちる体を、意地のようには伸ばした。彼女に触ってはいけない。そうわかっている。けれども。「……リシェルは」 待っています。強く、強く、彼女の腕を掴んだ。


もしかすると、これは彼らに心配をかけてしまうかもしれない。
街路を頬にあてながら、はふと、そう考えた。
このまま、瞳を閉ざしてしまえば。






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2013/07/15