「ただ、私はお母さんに会いたい。それだけなんです」
小さな手のひらを合わせながら呟いた彼女の言葉は、からころと鈴のように響いた。しんとする。ほんの少し、言葉の端が震えていた。「つまり、えーっと、お姫様、いや、エニシアは……」 響界種って、ことなのね? と首を傾げたリシェルの問いに、こくりと彼女は頷いた。響界種ポムニットさんと同じ。
古き妖精と、人間の子ども。ただ、界の意思を越えたい。それだけのために、竜の子の力を貸して欲しいと。
「…………まあ、言ってることに、嘘はないんでしょうがねえ」
姫と呼ばれる少女とは、一体何者なのか。つまり彼女も、アロエリや、セイロン達と同じく、帰りたい場所に帰れない、ただの一人の女の子だったと言うわけだ。ただ彼女の場合、帰りたい、ではなく、帰ってしまった母に会いたい、という違いはあるのだけれども。一旦、気持ちを落ち着かせたい。そういう彼女の背中を宿屋の一室へと見送って、作戦会議とばかりに、重ッ苦しくテーブルに席をつく。店の入り口には、本日休業、と書かれた札が、風に乗せられたようにからからと音をたてている。
メガネをちょいちょいと動かしながら、「んああ〜ンッ!」と空気に耐えかねたのかコブシをきかせながらべべんと三味線を鳴らせるシンゲンのセリフはおそらく正しい。はたはたと扇子を揺らせるセイロンが、「まあ、そうであろうな……。で、あるが」 大体の面持ちは伝わる。「それが事実とは、また別であろう」
エニシアが望んでいることと、聞かされていること。それが必ずしも一致するわけではない。「見るからに策師、って顔だもんなあ……」「兄貴……まあ、言いたいこたわかるけどさ」 いつもはフライパンを握っている時間だろうに、手持ち無沙汰にライは片手を動かしている。端的にいうのであれば、ギアンはエニシアに、嘘の言葉を吹きこませている可能性がある。
姫サマー、ダイジョウブー?
二階からは、コンコンとグランバルドがドアを叩いて、エニシアの様子をうかがっているらしい。顔見知りか何かなのだろう。小さく扉が開く音が聞こえた。全員が顔を見合わせて、誰ともなしにため息が出そうになる。
「っていうか話し合いにきたっていっても、今更って感じだしねー」
リシェルのいつもは軽い口笛も、どこか重い。「は、どう思う?」「えっ……」 ぴくん、とは飛び跳ねた。アルバの青い瞳を見つめていると、どこか小さくなってしまいそうだ。声をひそめた問いかけだった。別に、正しい答えを求められているわけではない。そうは分かるものの、「本当、だったらいいな、とは思いますけれども……」 正直、口ごもる。
今まで散々実力行使を行ってこられたのだ。今更はいそうですか、と言われても難しい。だいたい、暗殺者の軍勢までも引き連れる男である。ギアン・クラストフ。無色の派閥の一派としても有力で、軍の帳簿の中にも要注意という赤線をしっかりと引かれている男だ。「エニシアさん個人と、このお話は別じゃないかと……」 とにかく、ギアン個人をどうにかすべきだ。
「うん、おいらもそう思う」
けれども、彼女の勇気に無視をしたいわけでもない。話し合いで解決をするのなら、とカサスとポムニット、二人だけをつれて、ひっそりと抜けだした。そういうことだ。ぱちり、と腰のポーチにつめた石が熱を持つ。は振り返った。瞬間、結界が砕け散る。はじめに瞳を見開いたのは御使いだ。内にこもっていたはずの魔力がこぼれた水のように溢れ出る。空間が揺れていた。「な、なんですかこれは、ミントさん!」「結界が……破られた、ということなのでは……」
「エニシア!」 飛び上がるように、ライが階段を駆け上がる。それと同じく、ポムニットとカサスに守られるように、彼女も部屋から飛び出た。まるで地面が振動しているようだ。遅れて、「ヒアア」と悲鳴をあげながらグランバルドが転がり落ちた。
「ギアンです! ごめんなさい、私がここに来てしまったから、きっと、彼が!」
階段から身を乗り出すようにして、叫ぶエニシアの言葉は、こちらも薄々気づいてはいる。仕方ないとばかりに、は腰の召喚石に手のひらを伸ばした。隣に立つアルバを見る。そうした後で、指先を曲げ、瞳を閉じる。(やめよう)
今はまだ、大丈夫だ。
「外に出るぞ!」
ライの言葉に、言われずともですわ! と威勢のいい声が響いた。くいっとメガネを持ち上げている。ごめんなさい、と震えるように呟くようなエニシアの声が聞こえた。それを誤魔化すのか、ただなんとなく思っただけなのか、おそらく後者であろうが、「なんてーかさあ、あたし、思うんだけど」 肩をすくめながらつん、とリシェルが口を尖らせて、「過保護は嫌われると思うのよね」 ね、、と声をかけられても、どうでしょうかね、なんて曖昧なカラ笑いしか出そうにない。
***
ギアンに、召喚術はきかない。召喚した召喚獣を、かたっぱしから送還してしまうのだから、冗談にもならない。だがあくまでも送還は、サモナイト石を介しての一時的なものに限られるのだろう。ただしに護衛獣はいない。自分自身をある程度守る心得は持っているし、護衛獣などを連れ歩けば、目立ってしまって仕方がない。必要にかられることもなくついぞ過ごして来たものだが、まさかこんな事態に陥るとは、思ってもみなかった。
そう、なんの問題もないのだ。問題がなさすぎるほどに。
“おてんばな”姫様への“お仕置き”とばかりにあいも変わらず竜の子を狙うギアンに、話し合いの余地などどこにもない。やめてください、と叫ぶエニシアの声など、聞こえぬふりだ。エニシアが母に会うことを目的としているはずなのに、やはりどこかがずれている。よくわからない、と肩をすくめながら、目下の問題。
は、召喚師であると、宿屋の人間には、説明を終えてしまっている。
の召喚術は、ギアンがいる今となっては、なんの戦力にもならない、なんてことはないはずなのだが、彼らの認識はそれだ。護衛獣であるオヤカタがいるミントや、天使の奇跡があるリビエルともかく、リシェルとは待機を命じられた。とはいっても、リシェルがそれを守るわけもない。「ギアンがダメなら、他のやつらになら問題ないっしょー!!!」 オラオラ、なんてかっこよさげなセリフを吐きながら、灰色の召喚石を光らせている。
同じくも彼女と同じように行動すればいいものの、お前までやめてくれ、というような周りの視線を見ると、そう堂々と行動もできない。だが、このまま宿屋で待機、というのも性には合わない。どうにかうまいことできないものだろうか、と考えていたとき、ふと、二階の窓から姿が見えた。確認。は即座に窓の外へ飛び降りた。
僅かに足がしびれたが、バネを使えば、問題ない。裏庭の土をざりざりと足で踏みしめ、は立ち上がった。裏庭から、宿屋に入り込む。通常なら効果的な作戦だ。ただし、竜の子も同じく表側の戦いに死力を尽くしているし、かばう者がいない今、なんの意味もない。あえて、彼らは背を気にしてはいない。今ここで彼らが宿屋に忍び込んだところで、明日の朝、片付けのために複数人が悲鳴をあげる。ただそれだけだ。
(まあでも)
今、がこの場に立つことには意味がある。彼らの一部でも、こちらに引きつけられれば。
そして隠す必要もない。
「さん……」
ぎょっとしたように、彼女は足踏みをした。そうした後に、「どいて頂けませんか?」 可愛らしい声が硬い。「わたくしは、今は姫様についておりますから」と周りにも合わせ、彼女は言葉を選んでいる。「ポムニットさん、ごめんなさい、できません」
過去に、は彼女と相対したことがある。その際、彼女は生気を吸われた。触るものの全てのマナを吸い取る。けれどもは生きている。彼女が手加減をした。間違いない。そのことを忘れてはいない。けれども、「できません」 彼女に触ってはいけないつまりは。
触らなければいい。
カッと、喉の奥から悲鳴を上げるように、ポムニットを囲む男たちが、へと飛び込んだ。あっ、とポムニットが瞳を見開く。ポーチに手を伸ばすまでもない。彼女は軽く人差し指を伸ばした。「眠って頂けましたら」 ちりり、とポーチがエメラルドに輝く。眠りはメイトルパの十八番だ。崩れ落ちた男たちの中で、はたはたとスカートを揺らしながらポムニットがこちらを見ている。
「タマヒポは、耐性がない方にはよく効きますが」
響界種の彼女には、そうはいかないらしい。息を吸い込んだ。そして素早く、ポムニットは片足を蹴りだす。同時に振り下ろされる彼女の手刀を避けた。足元にあるのはただの箒だ。は軽くそれを拾い上げ、受け止める。一閃、ニ閃。幾度かの攻防を繰り返し、弾き飛ばす。「さん、あなた……」 息は乱れない。軽く、笑った。「加減は必要ありません」
こちらも、本気を出させて頂きますので。
***
「裏庭の箒がぶっ壊れてた」
入り口の花もぐっちゃぐちゃだし、ふざけてんのか、と地団駄を踏む店主に、思わずは背を向けた。箒の一本であるのならば、の給金でもなんとかなる。そっと買って、弁償しておこう、と胸の底で言葉を落として、ギアンを退けたものの、ため息を隠せない彼らを見ていると、終わりが程遠いような気がしてならない。
「結局、あいつらは話し合いで決着をつける気などさらさらないんだ。はじめから分かっていたことだ」
まったく、馬鹿者どもめ、と苛立たしげに羽を揺らすアロエリの気持ちは分からないでもない。
「でもポムニットさんは、あの、エニシアって子を助けたいだけなんだよね。きっと。僕達と戦うのも、嫌そうだったし」
「ばっかね、ルシアン。どっちにしろ、ポムニットはもう敵なのよ」
始まってしまった戦いを、なんとか終わらせたい。そう感じてあちらに回っていたのだとしても、立場はすでに確定してしまっている。「気を抜いたら、やられちゃうわ。ギアンに逆らえてなかったのが証拠でしょ」「でも姉さん……」
考えても、詮無いことだ。とにかく今は、宿屋の復旧作業が重要だ。「今日はかきいれどきの昼に店を閉めたんだからな、明日にゃ絶対復活させるぞ!」 前以上に綺麗にしてやる! と気合充分の店長の隣で、グランバルドが頭から壁につっこんで、店長に悲鳴を上げさせている。よしよしとミルリーフに頭を撫でられながら、さめざめと泣く機械である。
「おいら、こういうのって結構好きなんだよな」
家でも、今でも下っ端だから掃除当番だし、と笑う彼の隣で、確かにも好きかもしれない、と頷く。「楽しいかもしれません」「な」
「あーあああーくっそおー!!! 掃除しようにも、箒がないのはどうしてくれんだよギアン! 壊した奴がわかったら、とっちめてやる! うちの宿屋の営業妨害だ!」
「!!!!」
「……、もしかして寒かったりする?」
「え、いえ、アルバさん、そ、そんなことは」
「小刻みに震えてるけど」
「そんなことは!」
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2014/11/24