大家と店子の私生活
「いってらっしゃーい」
ぱたぱた。エプロンをつけながら片手をふいて、もう片手をぱたぱた。
「いってきます」 ガイさんは、挨拶がしっかりした人だ。距離が遠いけど。こう、実質的な距離が日常生活遠いけど。ちょっと不便だけど。でもいい人なのだ。そういう人って、私生活の態度でにじみ出てくる。
鞄を背負って、私服のまま出ていくガイさんを見送って、私は未だにちびちびご飯を食べているシンクくんの前に座り、よっこらしょと同じく私も朝ご飯をいただいた。今日は和食だ。ちなみにシンクくんは低血圧だ。中学校遅刻するからそろそろ起きましょう。
「シンクくーん、おきましょー」
「……金髪がきえた」
「ガイさんね。もう行っちゃったよ」
へぇ、へぇ、へぇー……と、無意味に頷き、片手の箸がふらふらしている。瞼が下がって、下りてを繰り返すシンクくんを見ながら、そういえば、とお魚をほじほじしながら、うん? と首を傾げる。
「ガイさんって、何してる人なんだろ」
今更?
通常のシンクくんなら飛び出しそうな辛辣な言葉を待ってみる。しかし彼はうつらうつらとお茶を飲んでいた。いつも以上に寝ぼけが激しい。昨日遅くまで起きてたんじゃないだろうか。
ご飯を片手に、ほぐほぐ。んー、とお箸をくわえ込み、お行儀が悪かったとご飯をほぐほぐ。
(大学生かなぁ)
っていうか、店子の職業もしらない大家はどうかと思うのだ。しかしながらと首を傾げる。確か前に、ガイさん21歳とか言ってたような気が。21って、大学三年生だろうか。もしかしたら四年生かもしれない。
「それって変だなぁ」
ふいに呟いたセリフに、やっとこさ脳みそが起きてきたらしいシンクくんが、こっちをちろりと見た。「何が?」 暫く考えて、「いやあ、大学三回生で、住所変えるって、めずらしいなぁー……なんて。あ、浪人とかあるか」 まぁ、大学生って決まった訳でもないけど。
けれども、祝日を除いて、彼はせかせかと出かけるし、社会人だという割には格好がラフだし、出勤時間もまばらだ。「気になるなら、本人に聞けば」というシンクくんに、いやぁ、と考える。
「いやいや、立ち入った事情聞くのもね。詮索っぽいよ」
「店子の事情を知らない大家はどうかと思うよ」
「うん、まぁそうだねぇ」
備え付けのおつけものを、ポリポリと頂きながら、私はぼんやりと天井を見つめた。「まぁ、そのうち話してくれるんじゃないかなぁ」 あー、そー。ハンッ、と馬鹿にしたように鼻で笑うシンクくんに、ナマイキだぞコノー、さっさとランドセル背負って登校なさい。なんて思う。今度戦隊物のパンツを買ってきてあげよう。
「大家と店子はー、子も同然なのです」 ぽりぽり。漬物、上手にできたなぁ、と満足しつつ食べてみる。シンクくんは、どこか不満そうにこっちを見た。「僕はアンタの子になった覚えはないよ」 ケッ、と可愛くない喋り方で、ちびちび食べていたご飯をかき込むように口の中でもごつかせるシンクくんを見て、「いやぁ、可愛いなぁ」 と素直に思ったことをいうと、また睨まれてしまった。
「管理人さんって、何してるんだろう」
いやまぁ管理人だけど。俺は大学帰りの道で、睡眠時間が足りないなぁ、なんてくあっ、とあくびを一つする。この後バイトにも行かなければならない。レポートは提出が完了した。けれどもまた新しい課題が出た。睡眠時間が足りないなぁ。
そんな中で、ふと思ったのだ。さん。まぁ、管理人をしているのだけれど。(どう考えても……)まだ十代だよなぁ。
祖父が放浪癖があるから、代理をしている。そんなことを言っていたけれども、それにしても、(……若いよなぁ)
込み入った事情を聞くのもどうかと思うし、そもそも機会があれば出て行こうと考えている自分が興味本位で他人の話に首を突っ込むのは、行儀のいい話ではない。
でもまぁ、気になるもんは仕方ないよなぁ。
「あ、ガイさん」
心臓が跳ねるかと思った。「うわぃ!」 なんて妙な声を出して振り返ると、管理人さんはきょとんとした顔のままこちらを見ていた。なんとなく、お互い距離をとって、じりじりと後退し、「こ、これくらいで!」「問題ない!」 女性恐怖症は大変だ。その距離約3メートル。
「今帰りですかー」
「ああ、そうだー」
会話というには少々大き目の声を出す。往来の目がきょっと気になるが仕方がない。俺は管理人さんと目配せして、3メートルを保ったまま、家へと戻る。俺、前方に。管理人さん、後方に。到底一緒に帰っているとは言えない状況に、申し訳ない申し訳ない、と心の中と口で思いっきり謝った。なんだか気まずい。あっちだって、きっと気まずい。
「学校帰りですかー」
管理人さんの声が聞こえた。なので、後ろを振り向きながら、「ああそうだ」と頷くと、「三年ですか」何故だか妙に食いつく管理人さんに違和感を覚えつつ、頷く。そのあと、管理人さんは、なるほど、と頷いた後、ほんの少し気まずそうな顔をして、ぺろりと小さく舌を出していた。よくわからないな、と思った後、もしかして、と気付いてしまった。「俺、身分説明、してなかった……か、もしかして」
言ってなかった気がする。
あちゃー、と頭を抱え、世話になる立場でそれはないだろう、と礼儀知らずに恥ずかしくて申し訳ない。「すまない」 後ろを振り返りながらそう言ったものだから、管理人さんは、「えへへ」と頭をひっかいて、そのあと「前見なきゃ危ないですよ」と慌てたように俺へと声をかけた。
もしかしたら、そのことについて彼女は気になっていたのかもしれない。それはそうだ、怪しい人間を店子にするなんて、女の子なのに怖いだろう。頭の中で俺のトランクスを持ちながら、「ガイさん洗濯物忘れてましたよー」 とにこにこ笑う彼女を思い出して、なんとなくセリフに疑問符が付きそうになった。女の子なのに……えっと、怖い、よな?(正直管理人さんはどこかずれているような気がしてならないのは俺だけなのだろうか!)
すまない、ともう一度声をかけたとき、目の前の信号に、よいしょと足をとめた。そのまま俺は右へ右へと移動し、左の方へとどうぞと手を差し伸べた。右、俺。間3メートルのち、左管理人さん。
何度考えても申し訳ない状況だ。
「大学で、機械工について学んでいるんだ」
「そうなんですか、そう言えば、前にスパナ、持ってましたねぇ」
何に使うんだろうなぁって思ってましたよー、と管理人さんはカラカラ笑った。確かに、俺の部屋は、気がつけば小さなネジがころころ転がっているし、なんとなく手の重さにしっくりきて、部屋の中でもスパナやらなんやらを持っていることもあるので、傍から見たら、あの人なんなんだろう? と首を傾げそうになるかもしれない。きちんとしないと、自分でもときどき常識がぶっ飛んでいく。
じゃあ機械が好きなんですね! という彼女のセリフに、まぁそんな感じかなぁ、と言ってみた。カラカラ笑う彼女の声に、なんとなく自分まで嬉しくなって、青に変わった信号を、二人で一緒に歩いた。相変わらず、間に距離は空いたままだったが。
「ガイさんガイさん」 なんて聞こえてくる声に耳を傾けた。「やっぱりガイさんのこと知って、ちょっとすっきりしました」「そりゃよかった。というか、気が回らなくて申し訳ないな」
いいえ、とやっぱり彼女は笑っている。よく笑う女の子だ。もちろんいい意味で。
「大家と店子は子も同然といいますので。気兼ねなく、自分の家だと思ってくださいね。えと、なんていいますか私のことは、お母さんとでも思っていただければっ!」
やっぱりちょっと慣れ慣れしいかな、なんて小さな声は、俺の耳に届くか届かないかで、家を出て行こうか考えている罪悪感を一瞬忘れて、「小さな母さんもいたもんだなぁ」と、なんだか面白くて、少し笑ってしまった。管理人さんは、一瞬きょとんとした後、「小さくないですよう」と俺を見る。
もう少しで家に着く。畳に障子戸に、ちゃぶ台ざぶとん。食卓で、みんなで一緒に手を合わせて、頂きます。なんだか不思議だなぁ、と考えていたことが、少しだけ分かった気がした。
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大家と店子は子も同然!
ジェネレイターガウルより。
2010.07.16
1000のお題【533 学問のすすめ】