大家の店子は電話中
ぷるるるる、と電話が鳴り響いた。
「ああ、はい。大丈夫、心配しないでください、ええ、ペールにもよろしくと」 ドアの向こう側から聞こえる声に、ふと耳を向けた。いや、人の電話を盗み聞きするとは、あまりいい趣味ではない。私はプルプルと首を振って、台所に向かう。さて、今日は、と頭の中で献立を考えたとき、ふと小さく声が聞こえた。「姉上」 あねうえ。
お姉さんだろうか。鳴りひびいだ電話の受話器を取り上げ、ガイさんを出して欲しい、と聞こえた丁寧な声は、どこか大人の女の人みたいだった。誰だろう、ご家族の人だろうか、と思いながら、一台しかない備え付けの電話を玄関に置いて、ガイさんの部屋の扉を叩いたのだけれど、やっぱりあれはお姉さんだったらしい。(……お姉さん、いるんだ)
ガイさん、弟さんなんだ。
どっちかというと、弟とか、妹とかいそうな、お兄さんに見える気がする。面倒見がいいからだ。(あれ) ガイさんは、女性恐怖症だ。だったら、ご家族にはどうなんだろう。お母さんとかにも。(うーん) まあ、他人の家庭事情に首を突っ込むこともよくないな、と頷いて、エプロンの紐を背中で結ぶと、「管理人さん」「わわっ」「わ、すまない、驚かせたか?」
ドアからひょいっと顔を覗かせていたガイさんが、困ったように眉を寄せた。「その、ありがとう。終わったよ。長々と申し訳ない」「いいえ? 別にもうちょっと話してくださっても構いませんでしたよ」 そうかい、とガイさんは口元を苦笑させた。「一応、成人はしてるんだけど、姉がね、一向に一人前に見てくれないんだ」そう言って、くすぐったそうな顔をする。
「いいお姉さんですね」
「うん、まったく」
まったく、弟想いだ。
そうしてガイさんは、少しだけ寂しそうな顔をした。
私はパチッと瞬きをして、もう一度彼の顔を見つめたとき、ガイさんはいつもどおりやんわり微笑んで、「管理人さん、今日のごはんは?」「マーボーカレーです」「ちょっ」 嘘ですよ、とカラカラ笑うと、彼も困ったように笑った。「手伝おうか?」 いいえ、お気になさらず、と言おうとして、少しだけ考えて、笑った。「それじゃあ、ガイさん、お皿を並べておいてくれますか?」「まかされた」
カチャカチャ食器を取り出す音に気づいたのか、居間でごろんと転がっていたシンクくんが、「どこの新婚だよ」とため息をついていた。ハハハ、とガイさんは軽く笑っている。「シンクくーん、馬鹿なこと言ってないで、きみはテーブルの上をふいとくの」
はいはい、と面倒くさげにごろんと体を起こして、ふあー、とシンクくんは、欠伸をひとつした。
***
(……慣れてきたなぁ)
俺はポリポリと頭をひっかいた。
とりあえず、なるべく早くこの家を出ていこう。そう思っているくせに、奇妙にこの家に慣れてしまっている自分がいる。悪い人達ではないのだ。それより寧ろ、と頭を振る。
いつまでもこの家にいる訳にはいかない。なんてったって、と言葉を濁そうとして、額に手を置いた。(とにかく、慣れないように、近づかないように) まるで言い聞かせるみたいだ。
買い物係になって、水鉄砲からかばわれて。そんなこんなの行動がひどく矛盾していて、ため息を付きそうになる。
とにかく、と俺は両手を合わせて「ごちそうさまでした」 と頭をたらした。「おそまつさまです」と笑う管理人さんに、同じく笑い返して、食器を台所に持っていく。ふと、足りない席を見つめた。シンクに俺に、管理人さんに。「あいつがいなくなるのはいつものことだから、別に気にしなくていい」「あ、そ、そうか」 いいのか。管理人さんも、「ご飯が冷めちゃいますねー」とニコニコ笑っているだけだ。いいのか?
取り敢えずまあ、自身の片付けを終えて、いつもならもうしばらく居間にいるのだから、慣れないように、近づかないようにと自身の心に念を押したばかりなのだ。「それじゃあ、俺は、これでっ」 そそくさっと失礼した。
少し早めにおやすみなさい、と手のひらをふる管理人さんと、その隣ではシンクがどうでも良さげに子ども向けのアニメを見ている。ちなみにどうでも良さげなのは俺に対してであり、テレビの画面に釘付けである。別にいいけど。
それじゃあ、失礼。と廊下に出て、ぎしぎしと板に足音を乗せている、そのときだった。「あー…………」「ん?」 聞こえた声に、ふいっと顔を上げた。「あ〜あ〜、あー、あー、あー!!!!」「わー!!!!」
ごろんっ、ごろんっ、ごろんっ、ごろんごろんごろんっ!!!
一体何があったのか、さながら雪だるまのように階段上から転げ落ちる物体に、彼と同じく悲鳴を上げながら俺はその塊を前進で受け止めた。ぼがっ! とナイスにバットな感じで頬に彼の踵がジャストミートしたのだが、そのまま勢いづいて廊下に縫いとめられながら、一体なんだろうかと大の大人の足先を顔面に乗せながら考えた。「ど、どうしたんですか!」「いちいちうるさいんだけど」
慌てて居間から飛び出した管理人さんとシンクが、なんとも言えない顔つきで俺の上に乗っかるディストを見つめた。「あんたら妙な趣味にでも目覚めたわけ」「ちがう……」 というか、俺自身、どういう事態か飲み込めてないのだけれど。
しくしく俺の上で涙を流すディストは、「足を、滑らせたのです……このところ運動をしていなかったものだから、私にはこの階段さえも、恐ろしい重労働なのです……」と虚しい台詞をつぶやいている。どんな。
「、やっぱこいつ、二階はやめておいた方がいいんじゃないの」「うーん、私もそう思うんだけどね、ディストさんが端っこの部屋がいいって言うんだよねー」「貧弱な野生動物だな」 とりあえず、俺としてはさっさとどいて欲しい。
「う、うう、ううう、死ぬかと、死ぬかと思いました。これほどまでに死を意識したのは、あのにっくきジェイドが豆腐を持って三日三晩追いかけまわしてきたとき以来です」 どんな状況だ。「ガイ! あなたは命の恩人です、ええ、恩人です! あなたが私のクッションにならなければ、私の命はなかったやもしれません。今までただの黄色い物体だと思っていましたが、このディスト、考えを改めましょう!」「……そ、そうかい」
複数ヶ所突っ込むべき場所があった気がするのだが、なんだか疲れるのでやめておいた。とりあえず、さっさと上からどいてくれないかなぁ、とため息をつくと同時に、避けなければと思った矢先に、何だか好感度が上がってしまったらしい。嬉しいような、あんまり嬉しくないような微妙な気持ちのまま、ガクッとフローリングに顔をついた。冷たい。
「っていうかお前、案外ずぶといから屋上から落ちてもしなないだろ」
「こらシンクくん、ホントのことでも言っちゃメッ、だよ!」
「お前も何気にひどいよな」
「う、ウクククゥ……急死に一生を得ましたぁああ……」
(もう、どうにでもなれ……)
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2011.11.01
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