大家と店子のお弁当
「あ、管理人さん、俺、明日の昼前には出かけるから」
明日と言えば日曜日だ。ほほう、と私は頷き、「ご友人とご予定ですか」と聞きながらカチャカチャスプーンを動かすと、いいや、と彼は首を振った。「アルバイトだよ」「へ……えっ、ガイさん、アルバイトしてたんですか!」 初耳である。
パチッと瞬きをした後、大げさに驚いてしまった自分が恥ずかしくなった。彼は大学生なのだ。寧ろ、何もしていないと言う方がビックリに決まっている。隣に座るシンクくんがしらーっとした瞳でこっちを見ていて、うぐぐ、と私はお茶を飲み込み、気まずさを誤魔化した。そんな私に興味を失ったのか、シンクくんはちゃぶ台の上のチャンネルをひったくり、テレビに向けてピピッとボタンをいじる。
わんにゃん特集からよくあるクイズ番組へと変わってしまった瞬間、ディストさんが金切り声を上げた。そんな様子を見て、シンクくんはニヤニヤご満悦な表情をしていたのだが、この中学生、将来が怖い。
「どちらかというと、夕方に多いバイトだからね。数が多い訳でもないし、管理人さんが知らないのは無理ないよ」
「あ、そうなんですか……」
お恥ずかしいことに、私はアルバイトというものは経験したことがない。高校がバイト禁止であるということもあるけれど、ここの大家が半分バイトみたいなものだからだ。だもので、そこらへんの相場やルールはよくわからない。私はスープをごくっと飲み込んだ後、「何をされてるんですか?」 聞いていいものなのだろうか。
ガイさんは一回瞬きをした後、「家庭教師だよ。数学とか中心かな」「へー……えっ、すごいですね!」「そうでもないさ。誰でもなれる」 そうなんだろうか。勉強とかできないと、雇ってもらえないんじゃないだろうか。(す、すうがく……) じゃあ、もしかして勉強でわからないところがあったら、教えてもらえたりするのだろうか!
「あの、ちなみに、教えている子の、年齢は……」
「うん? 高校生が中心かな」
ピンポイントォー!! とぶるっと震えたのだけれど、店子に向かって勉強教えてくださいと頼み込む大家がどこにいるのかと、僅かなプライドが邪魔をした。このやろう。「……管理人さん、どうかしたか?」「いいえ、ぜんぜん、ぜんぜん……」「スプーン震えてるぞ」「ただの武者震いです……!!」「何故に!?」
何故に唐突に!? とガイさんのツッコミ台詞を聞きながら、私はごきゅごきゅっと勢い良くお茶を飲み込んだ。「そういえば!」 話題をごまかすように、かこーんっ! と音を立ててコップの底をテーブルにぶつけた。ガイさんがビクッと肩を震わせたが気にしない。「いつもは夕方なのに、明日はお昼なんですか?」 私はそういった人に勉強を教えてもらったことがないから、はっきりとは言えないのだけれど、そういうものは、毎回同じ時間で勉強をするような気がする。
ああ、とガイさんは頭をひっかいた。「ちょっとな、テストが近いし、まあ……色々とあって、勉強も遅れがちなもんだから、いっそのこと昼間にまとめて頑張ろうってことで」「ははあ」 随分、やる気に溢れる生徒さんなのだなぁ。「まあ、本人はぶうぶう文句を言っていたけど」「あらま」 違ったらしい。
ふーん……と私はお茶をコップに継ぎながら、そういえば、と顔を上げた。「ガイさん、お昼はどうするんですか? そちらのお宅で?」「え? うーん、どうだろう。特に決めてないなぁ。気を使わせても申し訳ないし、適当にコンビニで買って持っていくかな」「ほほう」 ふーん、と私はもう一回頷いた。そうして視界の端で、バタバタ熾烈なチャンネル争いを繰り広げていたディストさんとシンクくんに、「こらー! 静かにしなさーい!」と一喝を入れたのだった。
ちなみに、一方的にディストさんが負けていた。
***
「それじゃあ、行ってきます」
俺はいそいそ靴を履きながら、台所に向けて声をかけた。そろそろシンクのために、管理人さんが昼を作っている最中だろう。忙しくしているだろうから、返事がないことも特に気にしないで、俺はそのままドアを開けた。ちなみにそのとき、あのリグレットとかいう恐ろしい女性がいないかどうか、チラチラ何度も確認した。何かトラウマになりつつある。
踏み出した瞬間、「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」と管理人さんがひょこっと玄関へ顔を出したのだ。どうしたんだろう、と思った時、紺の布で包まれた小さな箱を俺に向けて、「はい、どうぞ」と笑っていた。なんのことだろう、としばらく考えた後、「あ、もしかしてお弁当、とか」 間違っていたら恥ずかしいので、語尾に疑問をつけながら、彼女を見上げた。管理人さんはニコニコ笑って、はいそうです、と肯定しているみたいだった。
「あ、別にいらないって言うんなら、ディストさんのお昼ごはんにしますけど」
「いやいやいや、いる、いるよ、ありがとう!」
そうですか、よかった。と管理人さんは笑って、玄関の縁にお弁当箱を置いて、数歩下がった。俺は彼女が下がった分、手を伸ばして布を掴む。(おお) 弁当箱は、ほかほかとしていて、何だか懐かしい気分になった。「これは、何かお礼しないとな」「そんな大げさな。平日はいつもシンクくんの分も作ってますし、気にしなくても」「そうなのか」
俺がパチリと瞬きをすると、管理人さんは面白げにこちらを見ながら、「何だったらガイさんの分も作りましょうか」「えっ」 いいのか。そんな言葉が続きそうな、嬉しげな声を出してしまったかもしれない。すぐさま首を振って、「いや、いやいや、さすがに、そこまでは。気にしなくていいよ」「遠慮しなくっても、一人作るも二人作るも一緒です」「いやでも」「あっ、ガイさん、遅刻しちゃいますよ」
ほれほれ、と両手を突き出されて、「ヒィッ!」と俺は悲鳴を上げた後、玄関から飛び出した。腕時計を確認して、あっ、と小さく声を上げ、「すまない、管理人さん、それじゃあ」「はい、行ってらっしゃい」「お弁当、ありがとう!」
お弁当箱を崩さないようにと鞄の中に詰め込んで、ぱたぱた小さく手のひらを振る管理人さんに、手のひらを振り返した。
「あれ、ガイ、昼どーすんの」
「うん? 弁当があるからな」
「えー、ガイの分も持ってこさせるぜ?」
一応自分の教え子であるルークは、長い赤毛をくりくりいじりながら、ノートの上につっぷした。「いいよ。こっちも気を遣うしな。それよりルーク、ほら、また間違ってる」「うー……」「お前が毎回毎回逃げるもんだから、時間が足りないんだぞ」 うぐぅ、と喉の奥からすり出したような声をだして、彼は両足をばたつかせて、まるで子どもみたいだ。
「お前な、そんなんじゃまたアッシュに負けるぞ?」
「いいよ、あいつと俺は頭の出来が違うんだよ」
「一応同じ遺伝子の同じ日に生まれた兄弟だと記憶してるんだが」
「うるせぇなー」
「“こんな問題もできねぇのか!!”」
「…………あいつのマネすんなよぉー」
ちくしょぉー、とがしがし頭をひっかいて、長い髪の毛が鳥の巣状態になってしまっている。まったく、と俺はため息をついた。別にルークは、本人がいうように馬鹿な訳でもなんでもなく、やる気の方が色々と欠如しているだけなのだ。こうなってしまっては、手がつけられないと長い付き合いの中で理解している。しょうがない、と俺はため息をついて、「ほら、昼にしよう、昼に。ちょっと早い休憩だ」
パッと彼は顔を輝かせた。単純な奴だなぁ、と思いながら、そこが可愛くも見えてくる。ダメな生徒ほど、という奴だろか。
ルークは俊敏な動きでノートを閉じて、バタバタと台所に向かっていく。そして手のひらに盆を乗せて、教科書の束を腕で寄せ、テーブルの上に勢い良く置いた。「おい、溢れる」「めーしっ、めーしっ」「聞いてないな……」
まあ、いいか、と鞄の中から、さっそく管理人さんからもらった弁当を取り出し、同じく向かいのテーブルに置いた。しゅるっと布を解く。弁当だなんて、いつぶりだろうか。開く瞬間、なんだかわくわくしてニヤついた。ぱかっと蓋を開ける。「おお」 管理人さんの料理が上手いことくらい、すでに立証済みだ。「か、可愛いな……」 花柄に切られたニンジンには、何だか顔が緩む。女の子らしい。
箸を持って、頂きます、と頭を下げ、あーん、と口に卵焼きを入れようとしたとき、ふとルークがこちらを見つめていることに気づいた。「……ん?」 どうした、ともごもご卵焼きを咀嚼しながら首を傾げると、「それ、誰が作ったんだ? まさか……」 自分じゃないよな……と、弁当の端に入っているタコさんウィンナーをぶるぶると指さしながら震えていた。「いや、いやいや」
二十歳をすぎて、こんなに可愛らしい弁当を作る趣味はない。いや、人によりけりだと思うが、少なくとも俺にはない。「管理人さんだよ、今住んでいる、大家の」「なんだ、ババアか」「おいルーク、その言い方は失礼だぞ」「じゃあばーちゃん」 いや、そうでなく。
「管理人さんは、まだ十代だと思う」
ぶばっとルークがお茶を吹き出した。汚い。
「おい……」 なんとか弁当を死守しつつ、恨めしい目でルークを睨むと、ルークは何度も口元をパクパクさせて、「はあ!? ガイに女!? 女だよな、ハァ!?」「な……っ、なんだその反応は! 俺はもう21だぞ! 彼女の一人や二人くらいいてもおかしくないだろう!」 いないけど。言ってて虚しいけど。
「いやそうじゃなくてさー」とルークはパタパタ片手を振りながら、「女が嫌いなんだろ?」「嫌いじゃなく!! 大好きで!!! 恐怖症なだけで!!!」「否定が力強くてマジひくわ」 どんびきだわー、と真顔で首を振られると寂しいものがある。
まあとにかく、と俺はもぐもぐ肉包のほうれん草を口の中に入れて、「別に、彼女とかそういう訳じゃなくって、好意で作ってくれただけだしな」「ふーん、好意ねぇ……」「どうしたんだ」「べっつにー」 何なんだ。
ふーん、と言いながら、ルークはぐるぐるとシチューの皿をスプーンでかき混ぜる。行儀が悪い、とは思ったが、いちいち言うことはやめておいた。またへそを曲げられてはたまらない。「なあ、そいつの名前、なに?」「うん?」「だーかーらー、大家の名前」
なんでそんなことに興味があるのだろうか、と思わず眉を寄せたのだが、ルークは俺の気持ちに気づいたのか、「知ってるやつかもって思っただけ」「さんだよ」「?」「」
呼び捨てにするのは、何だか恥ずかしいなと思いながら俺が彼女のフルネームを口にすると、あー、と、まるで力の抜けた欠伸をするようにルークは呟き、口元に手のひらを当てた。そして、ぽつんと、「そいつ、多分クラスメート」
・ ・ ・・ ・ ・
えっ
「…………管理人さんって、高校生、だったんだな……」
「いきなりどうしたんですか」
お弁当、ここに置いておきますねー、とちゃぶ台の上に弁当を置く彼女は、しっかりとセーラー服だ。「ありがとう……」と返事をしながら、セーラー服だ……と二度見してしまう。
気づいてしまえば、何で今まで気づかなかったのだろうと不思議に思う。家を出るタイミングがお互い微妙に早いか遅いかで、彼女の制服姿を拝む機会がなかったのだ。そうか、「高校生、かー……」 何だかグサッと来るものがある。二十歳を過ぎると、それより下の年の子がきらびやかに見えてくるものだ。若いなぁ……、と言う言葉を飲み込んで、俺はじっと彼女を見つめた。まさか本当に、高校生だとは思わなかった。見かけがどうと言う訳ではなく、しっかりしすぎていて気づかなかった。
ぼんやりちゃぶ台に座っていると、彼女がすっ立ち上がった。「おおっ」 一瞬見えたスカートの向こう側に、思わず興奮の声を出し、腰を浮かせた。そのとき、ハッと冷たい視線が背中に突き刺さるのを感じ取り振り返ると、緑色の髪をした中学生が、ひどく冷たい目つきでこちらを眺めていた。
「…………けだものだね」
「ちょ、ち、ちがう、お前ももう少し大きくなれば、きっとこの価値が分かる!」
「変態」
「ちがう!!」
違うったら!! と必死に言い訳していると、「もー、一体何騒いでるんですかー」と、管理人さんに怒られた。
いや、健全な男子なら、仕方ないだろう、うん。きっと。
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2011.11.07
1000のお題【5 このスケベ】