大家と店子とお勉強


「あ、シンクくん、そこ足し算間違ってるよ」
「うるさいな、敢えてだよ」
「どんな」

敢えて間違えて、一体なんの意味があるんだろうと色々気になったのだけれど、聞くのはやめておいた。ぎゅっと口を塞ぎながら、自分のテスト勉強をしつつ、ついでにシンクくんのお勉強も見る。テレビはもちろんブチッと切って、いつもはご飯を食べる机に肘をつき、かちかちシャープペンシルのお尻を押した。ガイさんはバイト中だ。

「うーん……数学……」 相性が合わない。
うぐぅ、と情けない声を出す高校生の前で、シンクくんはさらさら鉛筆を動かしている。何だか悔しい。私だって中学生のものならば。(…………ガイさんに、教えてくださいって言えたらいいんだけどなぁ……)邪魔をする大家のプライドが本当に悔しい。

「…………さん」
「あ、シンクくん、そこ二乗だよ二乗」
「うるさいな、人は間違いを越えて大きくなるんだよ」
「やだシンクくんカッコイイ」
さぁん」
「そういうアンタは7の文字がフと見分けがつかないよ」
「つつつ、つくよぉ!!」
さーん!!!」
「うおうっ」

ハッと振り返ると、障子から顔を半分覗かせたディストさんが、こっちを見つめていて、ビクリと体が震えた。「あの、なんでそんな中途半端な格好で……」 もっと全身がっつり出て来てくれませんか。「いえ、いつまで経っても気づいてくれないので」「えっ、あ、すみません」 ぺこ、と頭を下げると、ディストさんはきらりとメガネを輝かせ、すすす、と体を覗かせた。二度目にビクッと私は震えた。地味に隣のシンクくんもからーん、と鉛筆を落としていた。

「…………こんなこともあろうかと、数学強制ましーん、カイザーディストMMを作ってまいりました……!」

ディストさんの両手にかぽっとハマっている、真っ赤なヘルメットからは、ぴこぴこ電球が光り、見るからに危ない電波が出ている。オオオ……と意味もなく圧倒されながら、その奇天烈なヘルメットを見つめていると、ぴろりと黒い尻尾が落ちていることに気がついた。なんだと思えば、コンセントらしい。バチバチバチ、と光る電気に目線を逸らしたくなる。

「さあ、さん、シンク、この数学強制ましーんを頭にかぶるのです、そうすれば、あなた達の脳みそのシナプスは活性化され、あれあれ見事、今までなんでこんな問題も分からなかったのー!? ヤダー、びっくりー! な感じになるでしょう! ちなみにカイザーディストのMMはマゾのMではなく、数学のmathematicsからとらせて頂きました!」

ま、マスマティクス……!!

瞬間、シンクくんは立ち上がった。ぽてぽてと歩き、ディストさんの横を通りぬけ、ぶすっとコンセントを引きぬいた。そしてちゃぶ台に戻ってきたかと思うと、テーブルの上に置いてあったコップへ手を伸ばし、再びディストさんの元へ赴き、コップを逆さにした。びしゃあ。「あああああ私のカイザーディストMMがお茶濡れにいいいいい!!!」 鬼畜である。

「感電しないようにコンセント抜いたし別にいいだろ」とフンッと鼻から息を吹き出す彼を見て、SINKUのSはサドのエスなんじゃないかなと感じた。
さすがに可哀想である。




ぷるぷるしながら自室に戻っていったディストさんを空しく見送り、再びお勉強をと鉛筆を動かしていると、ふとシンクくんが声を出した。「」「ん?」 顔は上げていない。カリカリとノートに鉛筆を動かしている。「アンタ、いいの」「何が?」 今日の夕ごはんだろうか。シンクくんは、ちらっと私を見つめた。そしてまた、フンッと鼻から息を出した。呆れられたのだろうか。

「お前、この家に何人男がいると思ってるんだよ」
「今は三人だね」
「女は」
「一人だね」

うん、と頷いたとき、ああなるほど、と気づいた。「私、大家だし。家族のおかーさんですから」「男はオオカミだろ。特にあの金髪」 何故にガイさんをプッシュする。
あのねぇ、と私はため息をついた。これでも付き合いは長いのだ。ほんのちょっぴり、心配してくれているのかもしれないと思えば嬉しくなったけれど。「シンクくんは、そういうのないでしょ」「ハッ」「まさかの嘲り」 自分で言っててなんだけど、ちょっと泣ける。

「ディストさんの場合だとー、…………私の方が筋力あるし」
さすがのこれには、シンクくんも特に何も言わなかった。階段上がるので重労働な人だし。「ガイさんは……」 ぼんやりと、頭の中で一番新しい店子を思い描く。金髪で、レモンが苦手で、何だか押しに弱くって、それで、(すごく、良い人ってことはわかる) と、言おうとしたのだけれど、それではまたシンクくんに笑われてしまいそうになったので、「そもそも、女性恐怖症だし」 

すこしの沈黙の後、「まあそうだね」とシンクくんは呟いた。「うん」と私も頷いた。「あれ、シンクくん、不安だった? だいじょうぶ、私シンクくんのお母さんだからね、彼氏なんてまだしばらくつくりませんて」「寝言は寝て言え」「胸にくる」 ちくしょう。

シンクくんは、コップに手を伸ばした。けれどもディストさんのカイザーなんとかにぶちまけてしまったせいで、空っぽになったガラスのコップを見つめて、立ち上がった。ふと、障子に手をかけたとき、彼はふいっと振り返った。「まだいるだろ」「ん? ああ、そろそろ帰ってくるかもね」

ハッハッハ、と軽やかな笑い声のおじさんを思い浮かべ、「うーん、シンクくん、今日は普通のカレーにしたかったんだけど、マーボカレーにする必要はないよね?」「好きにしたら」
ツンデレおじさんはいない訳だし。



***



「おー、今日はカレーかー」

俺はパシンッと手のひらを合わせて、目の前の皿を見つめた。管理人さんはどこか恥ずかしそうにして、「ちょっと時間がなくて、手間がかからないもので申し訳ないです」とポリポリ頭をひっかいている。「いやそんな、全然、全然!」 食べさせてもらっている立場で、文句を言う訳がない。それ以上に、管理人さんの料理は好きだ。

それじゃあ頂きます、と店子全員で手を合わせたとき、ふと背中に黒い影がかかった。ディストとシンク、管理人さんが、「「「あっ」」」と声を揃えた。瞬間、ディストは彼に似つかわしくないような俊敏な動きで、「ひいいいいいいい!!!!!!」と叫びながらごろごろ体を転がし、テレビの棚に体当たりし、大きな音をたてた後、頭を抱えてばたばた悶え苦しんでいた。

一体何なんだ、と口元を曲げて、管理人さんとシンクを見ると、彼らは俺の背後の何かへ目線を向けていた。思わず振り返ろうとした瞬間、にゅっと長い腕が、顔の横を通り過ぎた。びくりと体を震わせそうになったが、これは男の腕だ。「、豆腐が入っていませんねぇ」 俺のスプーンを握り、カレーの皿を軽く混ぜたそいつは、呟いた。どちらかというと、若々しい声だ。

「だって、まさか今日帰っていらっしゃるとは思いませんでしたから。普通のカレーですよ」
「そうですか、残念です」

俺はたまらず顔を上げた。
そこには真っ赤な瞳にメガネをつけた長髪の男性が、こっちを見下ろしていた。口元はやんわり微笑んでいるが、あまり温厚な印象は受けない。俺が座っていることを差し引いても、彼は随分背が高かった。
ケッとシンクがつまらなさそうに出した声が聞こえた。反対に管理人さんは明るい声で笑った。


「おかえりなさい、ジェイドさん」





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2011.11.08
1000のお題【775 後ろを見るな】