店子と店子とお風呂場
この人一体誰だ
思わず俺は口の中にスプーンを入れて、コメントに困った。カレーがうまい。「はああ、あなたが新しい店子ですねぇ? 初めまして、ジェイド・カーティスといいます」「あ、俺は、ガイ・セシルで……」 す、と言おうとしたのだけれど、どうにも距離が近い気がした。いや、確実に近かった。
そのジェイドの旦那は、俺の隣にぎゅむっと割り込んで、ぐりぐりぐり、と体を押し付けてくる。な、なんなのこの人、そっちの人ですかとダラダラ汗を流すのは俺一人で、シンクは我関せずと食事を再開しているし、ディストはいつの間にかゴミ箱を頭につっこんで、「うあああああ〜」と奇妙な悲鳴を上げながら足をバタバタしているし、管理人さんはこの人の分のカレーを注ぎにと台所に消えるしで、俺はもうどうすればいいのか分からない。「ガーイ?」 猫なで声を出されながら、そのジェイドという人に擦り寄られた。勘弁して。
「な、なんですかね……」
「あなたは新入り、私は古株、プラス年功序列というものを知っていますか? この場合、先に挨拶をするのはアナタであるべきだったのでは〜?」
でわーって。
つまり自分は、礼儀知らずを問われているらしい。
初対面で、いきなりそれを言うこともどうかと思ったが、なるほど間違ってはいない。「そうですね、すみませんでした」 俺は非を認めて謝ることにした。するとジェイドの旦那は、メガネの奥をキラッと光らせて、「何ですか、つまらない」「つま……?」 うん?
「ガイさん、ジェイドさんはガイさんをからかってるだけなんで、あんまり気にしなくってもいいですよ」
くすくす笑いながらやってきた管理人さんが、机の上にジェイドの分のカレーの皿をことんと置いた。「そういう親父なんだよ」 ふん、と気に食わなさそうにシンクが呆れたようにため息をついた。「おやおや、からかうなどと。ただのスキンシップだと言ってください」 変わらない声のトーンのまま、口元をニコニコさせて、ジェイドは俺から離れ、ちゃぶ台の端についた。頂きます、と頭を下げてもぐもぐ口にカレーを含み、「やはり豆腐が欲しいところですねぇ〜」と言っている。豆腐。
(……この家のよくわからないというか、カレーに麻婆豆腐はこの人が犯人か?)
謎が解けた。
「えーっと、その、ジェイドさん? も店子なんだよな?」
「お気軽にジェイドとお呼びください。語尾にはハート付きをおすすめします」
「うん? ああ、うん……」
「まあ、あまり冗談はよしておきましょう。そうですよ、そこにいるサフィールと同じ古株ですが」
「サフィール?」
ジェイドがくいっと指をさした場所には、半泣きになりながら、必死にゴミ箱を頭から引き抜こうとしているディストしかいない。もしかしてはまってしまったのか。「おやご存じない? そこの馬鹿の本名はサフィール・ワイヨン・ネイスとかなんとか言ったかもしれませんけれども、あんまり興味がありませんから間違っているかもしれません」「じぇ、ジェイドさん、ディストさんが泣くからそこら辺にしときましょう」 管理人さんが多少顔を引きつらせながら、ビシッと片手を出した。BGMとして、ウアーン、という泣き声が聞こえたので、二人の関係が即座に理解できた。いじめっこといじめられっこだろうか。
(……でも、その割には同じ家に住んでるんだよな?)
本当に嫌ならば、同じ屋根の下に暮らせはしないのではないだろうか。よくわからんなぁ、と思ったのだけれど、人それぞれの関係があるのかもしれない。「ジェイド、俺もここに来て暫く経つんだが……あんたを見たのは初めてだ。どこかに行っていたのかい?」「ええ、私はどちらかと言うと、家にいる期間よりも、外にいる方が長いのでね。色々と忙しいのですよ、そこの馬鹿と違って」
ちなみに噂のそこの馬鹿は、やっとゴミ箱から抜けだした瞬間、勢い余って背中から柱にぶつかり、再び畳の上で痛さに悶え苦しんでいた。
「ジェイドさん、今回はどれくらい居られるんですか?」
「そうですね、まあ、数日というところでしょうが、お世話になります」
「はい!」
管理人さんは、随分嬉しそうだった。久しぶりに会えて、嬉しいのだろう。(ふーん……) 俺はゴクッと唾を飲み込んだ。そのとき一緒に、奇妙に嫌な気分も飲み込んだ。(ん?) 一瞬胸辺りに手を置いたのだけれど、すぐさま知らないふりをした。
「、おかわり。にんじん抜きで」
「シンクくんはマイペースな子だねぇ」
ジェイドの部屋は、ディストの隣らしい。作為的なものを感じるような、ただでさえディストの白い顔が真っ白に透明になってしまうのではないかと不安になったが、俺が気にしてもしょうがない、と部屋の中をごそごそあさって、着替えとタオルを取り出す。風呂だ。さてさて、と脱衣所の扉を開けたとき、長髪メガネのロングがいた。「失礼しました」 バタン。思わず閉じた。
いつもはこの時間帯は自分なのだが、どうやらかぶってしまったらしい。まあ、後で入ればいいか、と背中を向けると、扉が開く音がして、「まあまあお気になさらず。あなたもどうぞ」と言いながら、ジェイドがぐいっと俺の腕をつかんだ。「え、あっちょっ」 何この流れ。
一体どういうことか、俺はジェイドと裸になって風呂場に並んでいた。たとえ複数人が同居する家と言えど、風呂場はただの家のサイズとかわらない。いや、多少でかいかどうかというところだ。その中に、平均サイズを軽く超える男二人が並ぶと、ぎゅうぎゅう詰めで暑苦しいことこの上ない。さっさと出たい。「ほらガイ、一緒に湯船の中に入ってもいいんですよ〜」「御免被る」 想像しただけで恐ろしくなった。
とにかく、素早く体を洗うのだ。流されるままに入ってしまったのだから、この場から脱出するにはそれしかない。タオルに泡をつけてごしごし体を洗っていると、背中から声がかけられた。「何か私に、聞きたいことでもあるのでは?」「うん?」 振り返ると、ジェイドは長い髪をくくって湯船につけないようにしながら、肩までお湯に使っている。「別に……」 ないかな、と言おうとした後、確かに自分は彼に聞きたいことがあったのだと気づいた。
ない、と言っても構わない。けれどもなにやら見透かされているようで、下手な気遣いも、反対に不必要なのだろうか、とも思った。「まあ、そうだね。下世話な質問になるんだが」「どうぞ?」「管理人さんと、随分仲がいいように見えた」
それが少し不思議だった。
別に、人間なんだから、好意のランクを持つことくらいは当たり前だ。けれどもなんというか、種類が違ったような気がするのだ。管理人さんが、シンクやディスト、入って日の浅い俺も含め、店子として好いていてくれていることくらい、すぐに分かる。純粋に嬉しいと考えている自分もいる。
それはなんというか、年下なのに、あちらの方が年上なような、母親的な愛情のようで、ときどきくすぐったくも感じる。けれどもジェイドには。「まあ、父親代わりのようなものですから」「父親」「ええ、長い付き合いですし」
深く聞くことはやめておいた。
そこまで興味がある話題でもなかった。いや、ないといえば嘘になるが、わざわざ他人のプライベートまで切り崩す必要はないと感じたのだ。「そうかい」と一言だけ返事をして、ごしごし体を洗っていると、「まあ、ですから安心してください」という声に、「な、なにがだい?」と思わず声をひっくり返した。
「不純異性交遊はほどほどに」
「ちょ……っ」
滑りこけそうになった。
言われなれない言葉に動揺し、何を言ってるんだ! と叫びそうになって、ふと気づいた。彼は知らないのだ。「ジェイド、俺は女性恐怖症だ」「そうなのですか? その割には随分普通に話しているように見えましたが」「女性が嫌いな訳じゃない。近寄れないんだ」 ふむ、と彼は湯の中に体を埋めた。
「それは幼い頃からですか」
「まあね」
「何かきっかけでも?」
「わからない」
覚えていない、と言った方が正しいかもしれない。気づいたらこうなっていた。(きっかけ)自分でも、何度か考えてみたことがある。でもダメだった。(まるで)「生まれる前から、決まっていた、みたいな」 ジェイドが不思議気な声を出した。
当たり前だ、自分の中でさえ、薄らぼんやりとしている気持ちを、他人に正しく伝えることができる訳がない。けれどもジェイドは、何やら意味深に、うなるような声を出した。「……ふむ、つまり、生まれ持った業だと? 前世か何かの」「さすがにそこまでは言っていないさ」 茶化すように答えたが、何やら胸につっかかるものがあった。
「あなたにご家族は?」
「いるよ」
わしゃわしゃ髪を洗って、短く答えた。「それじゃあ、そのご家族に女性は」「いる」 次に続く言葉は想像できた。「それでは、ご家族にも近づけないのですか」
俺は無言で髪に水をぶっかけ、ため息をついた。「随分、踏み込んだ質問をするね」「ええ、私はあなたに嫌われたところで、どうってこともありませんから」「それじゃあ、俺もこう返すよ。答える義務はない」 半分これが答えになっているようなものだ。ジェイドは面白げに笑った。「それじゃあ旦那、俺はそろそろ上がるんで」「おや、湯船に浸からないと? 風邪をひいてしまいますよ〜?」「丈夫なたちなんでね」
問題ない、と立ち上がったとき、「ガイ」 奇妙に静かな声をかけられた。「私は一度、あなたを見たことがあります」「そうかい」「あなたは不動産屋の看板を、じっと見つめていましたがね」
ぴくりと片眉を動かして、扉に手を掛けた。「ここに来る前のことか? 随分前だな」「いいえ、つい最近」 最近。「別に好きにすればいいとは思いますが、多少の好意があるのなら、あまり悲しませないようにしてやってくださいよ」
返事代わりに扉を開けた。
(悲しませるだなんて)
あいつは、管理人さんのことを言っていた。(ただの、仮宿だろ) 本当の家ではない。いつか全員がさようならと出ていく場所なのだ。出ていく住人にいちいちかまっていては、心が持たない。新学期に卒業していく生徒と同じだ。ああ、出て行っちゃうんだね、寂しいなぁ、でも、また新しい子が入ってくる。そんな(…………あれ)
ふと、嫌な気持ちになった。
管理人さんに、そんな風に思われているのかと想像すると、むっとする。(馬鹿か)馬鹿だ。子どもだ。ごしごしと頭をタオルで拭き、風呂場で口笛を吹いている旦那が、奇妙に恨めしく感じた。(余計なこと、考えた)
それから数日経って、「それではまた」とハタハタ片手を振って、ジェイドは去っていった。まるで根無し草だな、と思いながら腕を組んで見送ると、ふと背中を向けていたジェイドがてこてこと戻ってきて、ぽんっと俺の肩に手を置いた。そして耳元で小さく、(あんまり若さに突っ走ってはいけませんよぉ〜? 中学生の悪影響にならない程度のお付き合いをしてくださいね?)
「だ……かっ、ら!! 女性恐怖症だって言ってるだろ……!!!」
「ハッハッハ」
軽やかに笑いながら、今度こそと背中を向けて去っていく。「ガイさん?」と首を傾げる管理人さんに、いやいやいや、なんでもなんでも、と片手を振ると、その隣のシンクが、ハッと鼻で笑った。「やっぱりけだものだね、最低」「ちょ、今のは俺、悪くないだろう……!?」
なんだか、さんざん振り回された感じだった。
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2011.11.08
1000【71 余計なことを・・・】