大家と店子と洗い物







ガイ・セシルは女性恐怖症である。



別にそのことは元々知っている。なんとも生きづらい人であるんだろうなあ、という感想を持ちながら、毎日ごはんを一緒するのだけれど、よっこらせ、と座ったテーブルの向こう側で、ガイさんはぼんやりとお箸を動かしていた。今日のメインは焼き魚である。洋食ごのみのシンクくんは多少苦い顔をしていたけれど、お魚は重要だ。ちなみにディストさんは喉に骨をつまらせたのか、ごろごろと畳の上を転がっていた。いっそのこと、骨まで食べてカルシウムを元気にしてほしい30代である。

「あ、お醤油」 私はひょいっと手を伸ばした。すると、向かいのテーブルにいたガイさんも、丁度手を伸ばして、お互いギクッと手のひらを跳ねあげた。それだけならいつものことかもしれないけれども、彼は思いっきり後ろにのけぞって、ゴロゴロゴロッとディストさんも顔負けに体を転がした後、後ろのふすまに激突した。
ガコッと外れる音がして、ふすまと一緒に倒れこむガイさんを、私とシンクくん、ディストさんは呆然と見つめた。「あ、あつつつ……」と痛みの声をたたえる彼は、どう考えたって変だった。

一体彼に何が起こったのか。女性恐怖症が、悪化していた。






「その、管理人さん、すまない……」
「いいんですよ。こっちこそごめんなさい。お怪我はありません?」

崩れ落ちたふすまの向こう側で、ああ、大丈夫だよ、とガイさんはしょんぼりとうなだれた。すでに我関せず、という顔でモグモグ魚を頬張るシンクくんはさておき、ディストさんはゆさゆさと体を左右に揺らして、「まったく、不思議な人ですねぇ」と呟きながらメガネをいじる。あんたに言われたくないよ、というガイさんの心の声が聞こえた気がした。

「ガイさん、女性恐怖症、ひどくなってません?」 
私が尋ねると、ガイさんは、「……ん」と、困ったように頷いた。どちらかというと興味本位からなのか、ディストさんは唇を尖らせながら、「何か、きっかけでも?」「いや、うん……」 ちらり、と彼は私を見た後、「まあ、そうだなあ」となんとも釈然としない返事をした。わからない、というよりも、言いたくない、という意味かもしれない。

「昔から……なんですか?」 ただでさえ生活に支障があるだろうと難しげな体質なのに、これ以上ひどくなればどうすればいいと言うんだろう。私の疑問が伝わったのか、ガイさんは畳の上でぺたんと腰を下ろしたまま、「あ、大丈夫。確かにその……生まれつきみたいなものだけど、ひどくなるとか、そういうことは、全然」 今現在、どう考えたって変だけれども。

もぐもぐもぐ、とシンクくんがほっぺたをふくらませる音が響く。ついでにチャンネルをプチッと変えたらしい。お笑い番組の声が聞こえる。いつものことだが、くつろぎマックスである。

「……ガイさんって、普段どうやって生活してるんですか?」
「ん?」
「だって、家でもこんなに大変なのに」
「あー」

ポリポリ、とガイさんは頭をひっかく。「大学は、……理系だからね、女の子はめったにいないし、電車も乗らないし、まあ、人ごみには近づかないというか、できないというか」 まあ、もう慣れっこだけどね。と彼は笑っている。それでもきっと、随分大変だ。

どうにか改善できないものかのか、と思ったけれども、そんなことはガイさん自身が一番除いんで、色々とたくさん考えたに決まっている。部外者の私が今更ひょいひょいと言っても、気分が悪くなるだけかもしれない。
ガイさんは妙な空気を誤魔化すように、倒れたふすまに手をかけた。ガタガタ、と直し始める彼を見て、「ガイさん、後でいいですよ」と言っても、「すぐに済むよ」 ガイさんは、器用な人なのだ。


「でも……そうだな」
 唐突に、ガイさんが呟いた。
「本当は、ここには、来るつもりはなかったんだ。女性がいないと聞いていたから、家を出て、この下宿に来たんだけどね」

     つまり、お前は邪魔であると


別に、ガイさんはそんなことを言った訳じゃないし、彼がそんなことを言うはずもない。けれども、暗にそう言われた気がした。妙にガイさんらしくない台詞だ。妙に空気がしんとした。お茶碗がなる音と、テレビのお笑いの音が一緒に響いて、なんだか変な感じだ。ずるずる、とお味噌汁をすする。心持ち、しょっぱいような気がしたのだけれど、別に味付けはいつもと変わらない。(…………ん?)



「いやガイ、違いますよ」
ふと、ディストさんがピシリと細い指を立てた。「……え、何がだい」「さん以外にも、女性はお一人いますが」「え」「店子の一人ですが、めったに帰ってこないんで、まあいないも同じみたいなものですがねえ」

え、え、ええええー! というガイさんの叫び声を聞きながら、眼帯をつけた、かっこいいお姉さんのことを思い出した。からから、と私は笑っているのに、相変わらずお味噌汁は美味しくない。(あー)
なんでだろう、と考えて、ああそうか、と気づいた。

どうやら私は、「私がいると知っていたら、この場所には来なかった」と言うような彼の台詞に、ちょっぴり凹んでいるらしい。





(まあ、凹みも、する、かな……?)
いや別に、そんなこともないか。とガチャガチャ食器を洗いながら首を傾げた。別にガイさんは、変なことは言っていない。というか、女性が怖いと言うんなら、そりゃあ男ばかりの下宿を選んだ方がいいに決まっている。私がいないと思ったから、ここを選んだ。そんなの当たり前だ。じゃあ私がしょんぼりするのはおかしいんでないかい? と思って、いやまあ、大家と店子は家族も同然な訳で、その家族に嫌がられてしまえば、凹みも……いや別に、嫌がられた訳でもないし……?

ガチャガチャガチャ、と食器を洗いながら、ぐるぐると同じような内容ばかりが頭の中で回った。一体なんなんだー、とむーっと唇を尖らせたくなる。もやもやしている。泡の中に手のひらを入れていると、「管理人さん?」 ガイさんの声がした。「手伝うよ」

私は、んーむ、と思った。
この頃、妙に避けられることが多い。けれどもこういうときばかりは、ガイさんは毎回ひょっこり顔を出して、近づかない程度にと手伝ってくれる。中途半端だ、というか、ガイさんが優しい人であることは、もうとっくの昔に知っている。

ガイさんがお皿をふいて片付けて、私が洗ってと、遠い距離でお互い作業しながら、ときどきふと目線が合った。そしたら、ガイさんはどこか嬉しげに笑った。なので私もにこっと笑った。「あの、いつもありがとうございます」「いや、こっちこそ、ありがとう。ごちそうさま」「えっ、あ、どういたしまして」「管理人さんのご飯はおいしいから、毎回楽しみだな」「あ、ほんとですか」

それは嬉しいなあ、と私がはにかむように笑うと、ガイさんも微笑んだ。
ふと、シンクくんが台所を通りすぎようとしたらしい。ピコピコ手元で携帯ゲームをいじりながら、うふふと笑い合う私達を見て、「あんたら、新婚か何か?」 唐突に問いかけられた。
私とガイさんは、お互いびくんと反応して、「い、いやいやいや」「シンク、何言ってるんだよ、ハハ、ハハ」「あはははは」

二人一緒にお皿を抱きしめて、ケラケラ笑いあった。なんだか顔が真っかっかだ。あれ、この台詞、随分前にもシンクくんに言われたのになあ、と思い出して、けれども何故かあのときのようにさらりと否定ができない自分たちがいて、私とガイさんは、あははは、と笑い合いながら、とにかくお皿洗いに集中した。「っていうか、シンクくんもガイさんを見習ってお手伝いしなさい!」 ハッとして振り返ると、中学生の背中は、颯爽と消えていた。このやろう。






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2012/06/18
1000のお題【90 はにかむ】