大家と店子と親子丼




一体全体、なんであんなことを言ってしまったんだろう。
俺は一人で頭を抱えて、ドアの前に突っ伏した。
     俺は、君を、そういう意味で、好きだけど

口から出た言葉が戻るわけもなく、勝手に首元が赤くなった。ぽりぽり、と首もとをひっかいて、頭をうなだれる。彼女の背中を見ていて、言いたくなったから言ってしまった。それって理由になるのか?
(ばかだな)と思った。ひどくバカなことを言った。なんてったってこの状況である。顔を上げた。


『店子立ち入り禁止。特にガイさん絶対禁止』

「おーい、管理人さーん……」
べたり、とドアの前にでかでかと勢いのある文字で書かれた張り紙がはられている。「その、中に……いる? んだよな?」 こんこんこん、とノックをしても返事がない。「ガイ…………さんは……?」 ぐきゅるるる、とさみしげな音を腹からにじませて、ほたほたと涙をこぼすディストは、めがねが白く滲んで顔が見えない。少々怖い。「……うーん」 唸った。ディストを押しのけるようにして登場したシンクが、カッと目を見開きながら、「ちょっと! ふざけないでくれる! こっちは育ち盛りなんだけど!?」

どーせお前がなんかしたんだろ! と叫ぶ中学生の声が激しく胸に突き刺さる。
十中八九どころか、100%を20ほど越えて、と頷きそうになる自身の首をぐっと力いっぱい押し留めた。これ以上激しく中学生の猛攻に出られるのは勘弁である。

端的に言えば、気持ちを伝えた。
そして激しく拒絶された。
     現在、管理人さんは、激しくストライキ中なのである。

「お、おおーい、管理人さーん……」 ガイさん絶対禁止、と書かれた張り紙の横を、こんこん、と叩く。お前が何かしたんなら、お前がなんとかすべきだろうがよと殴り飛ばされた尻を撫でながら、「管理人さーん」と呼びつづけた。
中に誰かがいる気配がする。けれどもやっぱり返事はない。なんだか天の岩戸を思い出した。さすがにあれをなぞって裸踊りをするわけにはいかない。みっつのボタンプッシュで、赤ランプのタクシーを呼ばれてしまう。

こんこん、ともう一度ノックをしようとして、出した拳をぐっと握りしめた。わずかに視線を落として苦笑する。やめた方がいいかもしれない。「げふっ!?」 そう思った瞬間、またどこぞからやってきたシンクが、激しく俺の脇腹を殴打し逃亡した。食い物の恨みとは恐ろしい。い、痛いぞ、と脇を押さえながら少年が去った後を見つめ、ため息をつきながら情けなさを誤魔化すように笑った。どう考えたって色んなタイミングが悪かった。(だいたい、言ってどうするんだ) 迷惑をかけるだけというか、同じ屋根の下で、怖がられるに決まっている。

どうしたもんか、とまた深い溜息をついて、ノックをしようとして、やめた。「管理人さん」 ごめんな、と言おうとして、また何かが違うような気がした。しょうがない。今日の晩飯は俺が作ろう、と蹴り飛ばされることを覚悟で背を向けたとき、ぐぎゅ、と腹がなった。あー、と声を出して、そそくさと逃げ出そうとすると、ぱかっと勢い良く扉が開いた。慌てて振り返った。管理人さんはじっと俺を見上げて、勝手に一人どぎまぎすると、どたどたと彼女は通りすぎていって、がちゃがちゃと台所に活気があふれた音が響き始める。

「おーい、管理人さーん……?」

いそいそ、とディストと一緒に管理人さんの様子を窺うと、彼女は無心で包丁を動かしていた。トーンッ!! とまな板にたたきつけられる音を聞く度、ぶるりと体を震わせて、ただただ彼女の背中を見つめた。カンッ! と聞こえた音と共にどんぶりが出されて、そそくさとディストが受け取る。親子丼。ディストが受けとったどんぶりを俺がもらい、そしてそれをシンクに渡すというバケツリレーを数度繰り返し、俺達店子はそそくさとテーブルについた。管理人さんは、じいっと立ったまま俺たちを見下ろしていた。多分主に俺。

「あのーう、さあーん……?」 どうかされましたか? と細い指で箸の先をカツカツと合わせている。管理人さんは、ちら、とディストを見つめた。「なんでもないです」 それだけ言って、居間を通り過ぎ、廊下に消え、バタン、と聞こえる扉の音を、俺達三人は耳をすまして聞いた。「……おい、黄色いの。お前何したんだよ」「いや、何って」 さすがに中学生に言える内容ではない。いや、隣でもぐもぐとご飯を頬張る三十代にも別の意味で言いづらいのだが。

はは、と誤魔化して箸を動かすと、シンクの中で何かが合致するものがあったらしい。ああ、と納得する風に頷いて、「バカだなお前。ああいうのは外堀から落としてかなきゃ自滅するに決まってんじゃん」「う……い、いやいや、ちがうから」 はいはい、と適当に言葉を交わされて終わりである。ディストはわかっているのかわかっていないのか、ひたすらもぐもぐと咀嚼する行為に集中している。これはこれで何かが落ち着く。

「だからなシンク、俺と管理人さんは何も」
言い訳をすればするほど虚しくなる。「別になんでもいいけど」とシンクはほそりと呟いて、ちらりとこちらを向いた後、どんぶりに口をつける。「めんどいことになりそうだったら、あんたが出て行ってよね」 クール。

お、おう……とうなだれながら、なぜ自分はこんなに弱い立場なのだろうか、と色々と不思議に思ったが仕方ない。食べ終わった食器をかちゃかちゃと洗って、適当にフライパンに火を通して、たまごを落とす。余った材料を混ぜあわせておわんに入れて、もう一度、とこんこん、と俺は彼女の部屋のドアを叩いた。「管理人さん?」 相変わらず、『ガイさん絶対禁止』と書かれた張り紙が存在を主張している。

「あのさ、別に俺と話さなくってもいいんだけどさ、飯、作っといたから、ここに置いとくよ」
それだけだから。と一言呟いて、ドアの横にトレイを置いて背中を向けた。一二歩足を進ませると、バタン、と部屋のドアが開いた。「えー、管理人さん?」 管理人さんは困ったような顔をして、ドアの取手に手のひらを置いたまま俺を見上げていた。俺もちょっと困っていた。けれども彼女の顔を見れたことが嬉しくて、にかっと笑った。管理人さんはびくりと小さくなった。失敗だ。

どうしようかな、と逡巡している間に、管理人さんはそそくさと床に置かれたトレイを持ち上げた。親子丼が入った丼を見て、こっちを見て、また手元を見て、俺を見る。とてとて、と動いた。ちょっと距離を置いて隣に並んで、しばらくすると今度はすっと通りすぎて、気づくと管理人さんは居間のテーブルにちょこんと座っている。

俺はなんとなく、彼女の前に座り込んだ。ぱちん、と管理人さんが手のひらを叩いた。「いただきます」 久しぶりに彼女の声を聞いたような気がして、嬉しくなった。
小さな手のひらで箸を動かして、もぐもぐ、とほっぺを膨らませる。きょとん、と彼女は目を見開いた。「ガイさんが作ったんですか?」 念のため、ともう一度確認するようなそぶりだ。「うん」と俺は頷いた。「お料理、上手なんですね」 少しだけ照れた。

「人並みだよ」
立てた膝に手のひらを置いて、彼女に笑うと、管理人さんもパッと嬉しげに笑って、「お料理を食べさせてもらうのは、久しぶりです。嬉しいです」 えへえへ、と箸を持った両手をぱちんと合わせた。うん、と頷きながら、わずかに口の端を上げて彼女を見つめた。けれどもそれは一瞬で、目が合うと、彼女はハッとしたようにまた静かに親子丼に口をつけた。今更ながらにこの間のことを思い出した、という感じだ。(……まあ、しょうがないよな)

いきなりそんなことを言われたら、困るに決まっている。
こっちはただの店子で、年上で、どうすりゃいいか、俺だって分からない。この間のことは、ちょっとした冗談なんだ。そう言えばいいような気がしたし、そんなことを言っても多分ごまかせない。それに、なんとなく自分でも言いたくない。「あのさ、管理人さん、ごめん」 ぴく、と管理人さんがこっちを見上げた。ほっぺの横にご飯粒がついている。

「この間の、気にしないでやってくれるかな。いや、そりゃ気になるだろうけど」
いつもどおりでいいからさ、と言おうとして、それはひどく身勝手な台詞のように聞こえた。「気になります」 小さく呟かれた管理人さんの声に、だよなあ、と首元をひっかいた。「ごめんな」「なんで謝るんですか」 気づくと管理人さんは正座をしたまま、ぎゅっと膝の上で両拳を握っていた。そんな彼女を見て、俺もなんとなく座り直した。

「気になる?」
ん、と彼女は頷いた。首元が赤い。「まあ、そりゃ、嫌だよな……」 こんな言い方をしたら、否定してくれと言っているようなものだ、と気づいて、「あ、いや」と俺は片手を上げた。けれどもその前に、きゅっと口元を引き伸ばした管理人さんが、くあっと目を開けて、ぶんぶんと必死に首を振った。

「ん、ん?」
「や、ヤじゃないです、私も好きです」
「……ん?」
「たぶん?」
「んんん??」

お互い、ん? ん? んー?? と首を傾げ合って、事実を理解したとき、パッと赤面した。何か騙されているような気がする。それじゃあ、と俺はテーブルに体を乗り出した。嬉しい、そう思うけれど、これって現実だろうか? 「あ、で、でも、困ります!」 ざざっと口元にお米をつけたままで、管理人さんが後ずさる。「私、大家ですし!」 言葉の意味を熟考した。

「…………大家だから、困るのか?」

尋ねてみると、管理人さんは必死にうんうん頷いた。「……なんで?」「その、家を預かる責任者として、いけないと!」「……そうなのか?」「それに、シンクくんもいるし!」 なぜ唐突に? 「中学生なんですよ! きょ、教育に悪影響です!」「…………う、ん……?」

釈然としないままに頷くと、「だから困るんです」と管理人さんがぶるぶると頭を振った。どうしたもんか、と俺達はお互い見つめ合ってため息をついた。「管理人さん」 俺はもう一度、テーブルに身を乗り出した。管理人さんが、ぴーっ! と叫ぶように小さくなってぶるぶるする。(ああ、怖いのか) なんとなくわかった。色んなダメという言葉を出したけれども、きっと一番の問題は、管理人さんが俺を怖いのだ。そっか、と笑った。

「管理人さん、口元。ついてるぞ」

ちょんちょん、とついている位置を指さすと、ぱっと彼女は顔を赤くして、慌ててほっぺを手のひらではたいた。「あのさ、管理人さん」 小さな声を出した。「俺は、君が口元にご飯をつけていても、自分の指でぬぐってやることはできないんだ。今みたいに、教えることがせいぜいでさ。女の子に触れないんだぞ? だったら好きも何もない。気にしなくっていいんだよ」

結局、今までと何も変わらないんだから、本当に気にしないでくれよ。
そうゆっくりと言葉を落とすと、管理人さんはパチクリと瞬いた。自分は彼女に近づけないんだから、大丈夫。そう言いたかったのだ。少しずつ、管理人さんの手のこわばりがとけて、「そっか」とぽつりと呟いた。「そうですよね」「ああ」「だったら、別にいつもどおりでいいですよね!」「ん、うん?」

ぱーっ、と顔を明るくさせる彼女を見て、何かおかしいな、と気づいたとき、もぐもぐと管理人さんはご飯を平らげて、「ごちそうさまです、おいしかったです!」といつもと変わらない笑顔で笑った。「お、おそまつさまです……」 お片づけお片づけ、と立ち上がって、スキップしながら消えていく背中を見て、「あの、管理人さん?」 いや、確かにいつもどおりでもいいと言いましたけれども。
もしかするとこの展開は。


俺の告白、まるっとスルーでしょうか?



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2012/09/26
1000のお題【919 大注目! 犬も食わない大ケンカ】