雨が降りそうだ。


右手に持っていた傘を持ち上げて、うむ、とDXは瞳を細めた。別にたそがれているわけじゃない。だいたいこんな顔なのだ。学園の中とはいえ、屋根がない場所は案外多い。まあ、持っていてよかったかもしれない、と思いながら、教科書を抱えた。(ん?) 女の子がいた。

青い学園の制服を着て、不安げに灰色の空を見上げている。そのときはそう思った。なぜなら彼女は傘を持っていない。でも二目みてみると、何となく違うような気がした。ただ空を見上げている。そんな感じだ。

でもまあ、もしかするとこれはただのDXの気のせいで、勘違いかもしれない。「雨が降りそうだね」 声をかけてみた。彼女はゆっくりと振り返った。DXよりも小さい背丈を見下ろすと、パチリと目が合った瞬間、必要以上に彼女は驚いた。気配を消して近づきすぎたかもしれない。ちょっと申し訳なかった。「使う?」 別にそのお詫びというわけじゃないけれど、女性が濡れてしまうのは忍びない。
それにもともと、雨に濡れるのは嫌いじゃない。気候を読むことにもたけたうちのニンジャが、そっと傘を差し出して、持って行きなさいとばかりにゴーグルの向こう側でじっとこっちを見つめていたのだ。

「ああ、いえ、大丈夫です」
「別に返さなくてもいいよ」

ちょっと怪しかっただろうか。アカデミーにいる生徒は、貴族の淑女が多い、うちの妹と違って     と考えようとして、実家に戻れば、あいつだって姫様呼ばわりなのである。「怪しくないよ」 言ったあとで、彼女はぽかんと彼を見上げた。言葉を間違えただろうか。ぱちぱち、と女の子はまたたいて、吹き出した。「違います、そういうことじゃありませんよ、DX様」「うん? 俺のこと知ってる?」「女神杯の準優勝者の方です。女生徒は全員存じています」 ああー、とぼんやりした声がでた。なるほど。

「照れたかも」
そう言う割には、あんまり顔色に変化はない。ぷふ、と女の子は小さな手を口に当てて、楽しそうな顔をした。それから慌ててパチパチと自分の頬を叩いて、ごめんなさい、と肩をすくめて苦笑した。何に謝られたのか、よくわからなかった。「大丈夫です、DX様。雨は降りません」 今日はお天気になりますよ。

そう言って、女の子は手を振りながら消えていった。どんより空は曇っている。寮に戻ったときには、青い空に、ぽつぽつと白い雲がわたあめみたいにのっかっていた。





「雨は降らなかった」
「本当だ。いい天気になっているね」

そう言って、同室の竜胆は、ゆっくりと優しげに瞳を細めた。そんな顔をしていると、ほてほてとひなたぼっこをする猫みたいだ。「女の子に傘を貸そうとしたんだけど、いらないって言われた」「……うん?」 竜胆はきょとりと瞳を開いて、ちょっとコメントをし辛いように口を閉じた。でもそのことにDXは気づかなかった。

「それで……」
使わなかった傘を、こてんと肩に乗せて、談話室を覗いてみる。「リド、六甲。何があったんだ?」 ゴーグルを首にかけたニンジャと、ウルファネアの剣士は、ちょっと言いづらそうに瞳をあわせて、はは、と笑った。
あんまり見ない組み合わせだから、興味がないと言えば嘘になる。注目の的だった。「だから! 今度こそサインなんてしないぞ!」「なんだよ、あれはお互いの誇りをかけた対等な契約だろ?」

金髪の小さな少年と、赤毛の男が二人でビシバシ契約書を叩きつけ合っていた。


「た、たしかにそうだけどっ! でも、その、これとそれとは話が別だ!」
「お、認めるんだな? さすが騎士候補生様。俺はお前と契約したからな。チビ騎士なんて不名誉な名前では呼ばねーぜ」

ちゃんと一人の対等な騎士として、客として扱ってやる、とコップの水を持ったまま、ソファーにまったり腰かけてビシリと指を向けるライナスを相手にして、シメオンはうぐ、と口ごもった。彼らの間に何があったかは知らないが、なんとなく想像はつく。また適当にライナスが彼を言いくるめて、契約書にサインをさせた。そんなところだろう。

「……く、いや、だめだ。これ以上君と会話はしない。君と話していたら! 気づいたら僕はのせられている気がする!」

拳を握りながら、半分泣きべその少年に対して、「こいつ、微妙に学習してやがる」とライナスが小さく呟きながら舌打ちをしたことに気づいたのは、多分この場ではDXと六甲くらいである。「まあシメオンよ」 ライナスはテーブルの上にコップをおいて、お得意のポーズとばかりに両手を揺らした。

「俺はお前の心意気を騎士と認めている。だからこそこの新たな契約だ。何も俺からのアドバイスとは言わない。こっちには百戦錬磨のこの男がいる」 ピシリとふわふわ髪の自分の従兄弟を指さして、真面目くさった顔を作る。「え、ぼく!?」 唐突に!? とルーディーは自分の顎を指さした。ビックリ半分のまま、ルーディーは長い睫毛をいじるみたいに瞼をかいて、「まあ、そりゃあそういうのは得意だけど。でもそういうのは個人的にアドバイスをしたいよ。ライナスの契約とは関係なし」

あ、てめえルーディー、とライナスが三白眼を釣り上げた。「僕だって君たちがうまくいってくれたら嬉しいよ。ネックレスを作ったのは僕だしさ。彼女とキスする方法くらい、いくらでもアドバイスするよ」
まかせて欲しいな、とにっこり本音の言葉を述べるルーディーを見て、シメオンは拳を握った。
耳を赤くした。ついでに顔を真っ赤にして、唇をへの字にした。「そんなアドバイスをされなくても!!!!」 叫んだ。「キスくらい、してみせる!!!!!」 そうして逃げた。


がんばれよう、気合をいれろー、とヤジ半分の応援と拍手が響いている。なんのこっちゃ。「……ただのカマかけだったんだがな。してみせるってことはまだしてねーのかよ……」 どれだけ経ったと思ってるんだ、と変わらない表情のまま、シメオンが半泣きになりながらドカンとドアを開けて逃亡した道を、じっと見つめる自身の従兄弟に、「ライナス、君ねぇ」 ルーディーは呆れ気味に言葉を落とした。

どうせまた、自分の商品を買わせるだとか、情報を提供しろだとか、そんな等価交換を狙っていたのだろう。自分も彼に腕を狙われている立場である。腕というか、そこにある傷というか、竜の加護というか。「お、なんだDX帰ったのか」「うん……」 ぼんやり瞼の公子はいつものことなので、そっちの方はあんまり気にならなかったらしい。けれどもさすがに一つ眉を寄せて、ライナスはDXを見上げた。

「お前、なんで寮に傘まで持ってきてるんだ?」

寮の入り口に傘置きが設置されているはずだ。わざわざ談話室の中にまで持ってくるとは、少々妙なことである。言われてから気づいたというように、「ああ」とDXはほんのちょっと、瞳を開いた。「雨が降らなかった」「見りゃわかる」「傘を女の子に貸そうとして駄目だった」「お前また振られたのか?」 さすがにちょっと悲しくなった。

いやそういうんじゃないんだけど、と否定をするのは面倒なので、ぼんやり口をつぐんでおくことにした。「雨には降られなかったくせに、他に振られるなんて器用なやつだな」 ライナスはライナスで、頭の中で勝手にストーリーを組み立てているらしい。「ああ、DX。ゼクスレン教官から呼び出しだったんだって?」「うん」

ルーディーの隣に座り込んで、傘を抱えた。「……なんで傘を持ってるの?」 三回目の疑問に、やっぱり三回目の答えになっていない答えを返すことになりそうで、ははは、とDXはへらつくみたいに笑った。
暖かい日差しは、ガラス窓の向こうからぽかぽかと談話室を包んでいて、やっぱり晴れも雨も、両方好きなような気がした。