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「約束通り、店のお姉さんに婚約指輪ですって言って買ってきたぞ」


大切にしろよ、と呟く男性の声に、はい、と綺麗な少女の声が響く。ガタガタ、と崩れ落ちそうになった体をなんとか立て直した。それからそれ以上は聞いてはいかん、きっといかん、と両耳を塞いだ。教師と生徒のラブロマンス、噂のタネとしては面白いかもしれないが、あくまでも他人ごとでという話だ。その上、さっきまでここにいた彼女は、どう考えたって小学生だ。
(ちゅ、中学の先生に、頼まれごとをしただけなのに)

友枝の広い図書室は、中学と小学で一部合同になっている。用事ついでに、この間カードに操られていた女の子の体調やら、小狼やらと確認ができればありがたい、そう思っていたのに、丁度やってきたさくらちゃんに、慌てて本棚の裏に隠れてしまった。ちょいちょい、と顔を出せば、今度は若い男性教員だ。別に隠れる必要なんてないだろう、と気づいたときに、彼らは婚約指輪を渡し始めた、というわけだ。
申し訳無い。本当に申し訳無い。ひいひいと息を殺して、この頃私、こんなこと多くないか、と考えた。始終コソコソ他所様の様子を伺って姿を隠している。ため息がでた。
まあとりあえず、操られていた彼女は元気そうで安心した。


   ***




あの生徒と先生ではないが、世の中まっぴんくだった。

私はエプロンの紐を結んで、ハートで埋まる店内を確認し、目頭を押さえた。なんだかぐらぐらとしてくる。食べてもいないのに、お腹がいっぱいになってきた。バイト先はケーキ屋だが、やはり恋踊るこの季節、チョコで儲けない手はない。ポチポチいつもよりも多めのレジ打ちを繰り返すと、少しだけ幸せな気分になってきた。お金があるということは、とてもいいことだ。

ふと考えてみた。このまま空気を吸い込み続けて、もっと満腹になるのもいいかもしれない。李家からの仕送りをもらっているものの、相変わらずの節約は続いている。
桃矢先輩は、今日はまた別の場所のバイトらしい。必殺仕事人は大変だ。

かららん、と響いたカウベルに、「いらっしゃいませ!」と声をかえた。そしてハッとなった。
この間、遠くで見つめていた少年が、茶色の頭をピコピコさせて、険しい顔のままじろりと店内のケースを見つめている。「どれにいたしましょうか……?」 ちょっとだけ考えて息を飲んだ。小狼はじろりとこっちを見上げた。あちらがこちらを知るわけがないが、腹の底がぎゅっとする。必要以上に、自分は緊張していた。

「それをくれ」
「は」
「チョコ」
「あ、はい」

お会計をチカチカ入力して、お釣りを渡した。小狼はコクコクと満足気に頷いて、ラッピングされたチョコの箱をかかえて消えていく。「ありがとうございましたー……」 え、それ誰に渡すの?
誰に渡しちゃうの?



新たなクロウカードの出現を見つめながら、小狼は一体誰にチョコを渡す気なんだろうなあ、とうーん、と腕を抱えて考えた。この間、ずるっと木の枝から落っこちたことを思い出して、まさか月城さんではないだろう、と頭の中で、人の良さげな笑みを浮かべる青年が、ぱたぱたとこっちに向かって手を振っている。「いやうん、それは……」 どうなんだろう。

闇の中で、また濃い闇が暴れまわっていた。パチンッ、と周囲に張った結界がはじけた。「んー……」 人様の家の屋根に座り込んで、ときどきパチパチと円上に弾ける自身の周囲を見つめる。「ちょっと強そう」 でもまあ、今のさくらちゃんと小狼ならなんとか、と膝に肘をついた。
そうしたときに、ふと目線の下に、ビデオカメラを抱えた少女がいることに気づいた。(知世さん) 前に一度、話したことがある。

(あの子は普通の子……で、いいんだよね)

自身の中の認識では、彼女もさくらちゃんに協力してカードを集めているように思えた。けれどもどうにも魔力の欠片を持っているようには思えない。

「うーん、あぶないあぶない」

パチンッと私は手のひらを叩いた。




   ***



影がはじけた。「……きゃっ!」 さくらを追う影の一つが、知世の頬を薙いだ、ように感じた。耳元で、まるで小さな電気がはじけたような、そんな音がした。すぐさま頬を触った。けれども何があるわけでもない。気のせいだろうか?(今、確かに……) 何かが彼女を守った。カメラはきちんと手の中にある。さくらやケルベロスがいれば、確認の一つもできたかもしれない。けれども自身はよくわからない。

(気のせい?) もう一度、問いかけた。そうする間にも、ぐんぐんとさくらと小狼達の距離が離れていく。知世はカメラを構えた。そうして駆けた。ふと一瞬、闇の中にレンズをむけた。コツコツ、と靴のかかとがアスファルトを叩く。何もいない。幾度か呼吸を繰り返した。そうしてまた、知世はさくらの元へ駆けた。