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振り返った。
ふと、妙な視線を感じた。かぶった帽子を少年は脱いで、訝しげに瞳を細める。視線を感じた。悪意はなかった。そう思う。けれどもこのところ、妙にこちらを窺うような、そんな奇妙な気配を感じていた。(あいつか……?) ほえほえと叫ぶ、“ライバル”のことを思い出した。
こちらにクロウカードを取得させないがために、仲間か何かでも使って、こちらの様子を探っているのだろうか。(いや違う)
あいつは、そんなことはしない。そう考えた後、特に長い付き合いでもないというのに、すぐさま否定した自身に驚いた。それからすこしだけ不愉快な顔をして、眉を寄せた。軽い言葉を唱え、ポケットの中に入れた型紙を飛ばす。すぐさま燃え広がる炎に指をむけた。
ぱらぱらと、小さな炎がアスファルトに散る。
小狼は軽く息を吐いた。そうして、くるりと踵をかえし、奇妙な視線に背をむけた。
***
慌てて人差し指を付き出した。くるりと回した指先から、ぴちゃりと水が跳ね返る。「うわあっと」 ぽとん、ぽとん、ぽとん。ひどく億劫な動きで、ゆるやかに溢れる小さな粒達が、小狼が放った炎を捕まえる。木の枝から飛び降りて、地面に両手をついた。「鋭いな」 のったりと起き上がり、腰に手を置いた。まったく、さすがだなあ、となぜだか少し誇らしいような気持ちになって、反面、自身の不手際に頭をかいた。
彼が放った探索の札の残りカスを、ぎゅっと両手で握りしめ、こすりあわせた。パラパラと地面にこぼれた灰をかかとで削る。次はもう少し気をつけねば、と心の中でつぶやいて、「いよいよストーカーくさくなってきたぞ」 正直、彼に同情する、なんて自分が考えていいものだろうか。
彼の住所を突き止めたいというのならば、別に学校から後をつける必要はない。クロウカードの気配を察知して、さくらちゃんと合流する。そうして捕獲、帰宅する彼のあとをつければいいという話だ。今更ながらにその作戦を実地した私は、比較的簡単に彼のマンションを発見した。それからというもの、時間を見つけては彼の行動パターンを検討し、こそこそと後ろからつきまとっているのだけれど、ときどき自分自身の行動を思い返して辛くなる。けれども敢えてあまり考えない方向でいきたい。クロウカードよはやく集まれ。
そうして小狼をこそこそする私の前方にて、彼も同じく、こそこそとどなたかを見つめていた。友枝高校の校庭をぼんやり見つめていたり、さくらちゃんの家の近くできょろきょろと視線を動かしていたり。(何をしてるんだ?) 高校とさくらちゃんとくれば、一瞬桃矢先輩かと思ったのだけれどもさすがに違う。一度彼らが顔を見合わせたとき、犬と猿のごとく、お互いの毛を逆立てていた。先輩も何をしとるんですか。
ちらちら、と相変わらず高校の校門前で視線を彷徨わせる彼を見て、一体何をしとるんだ? とこめかみに指を置いて、唸ってみた。「、お前なにしてんの?」 通りすがりのクラスメートに不審がられた。
それはさておき、クロウカードの気配は、相変わらずこの街の中にあふれている。さくらちゃんがカードを封印するたびに、残りの気配はひどくざわついた。まるでカード達が、会話か何かをしているみたいだ、と言い表すのは少しおかしいだろうか。
カードの声に、耳をむけた。ちらちら、と風に流れて小さな単語がこぼれてくる。どこかさみしげな、親を見失った子どもみたいなその声をきいていると、本当に彼らが災厄を招くのだろうか、と少し疑い深い気持ちになったが、彼らの悪ふざけには、ときどきさくらちゃん達も頭をひねらせていた。傍からその様子を見物している私は、きっとひどくいいご身分で、あまり褒められたものではないだろう。
(彼女を放ってはおけないっておもったけど)
結局、私は蚊帳の外みたいなものだ。李家もそれを望んでいる。(まあでも) いざとなれば。
手助けくらい、いつでもするつもりだ。
***
「あー……」
部屋の中でごろつきながら、一枚の写真を見つめた。これが小狼であると事前に李家から渡されたそれの中には、茶髪の少年が、むっとした顔つきでこっちを見つめている。「うん……」 指先をさすった。それから首を傾げた。「似てる」 まあ知ってはいるけれども。
改めてつきつけられると、少々複雑な気持ちになる。
顔を上げた。クロウの気配がする。どちらだと瞳を伏せて、急いで靴を履いた。さくらちゃんの家に行くべきか、小狼へ向かうべきか。(クロウカード優先で!) 彼らがこれに気づいているかどうかはわからない。いや、おそらく気づいてはいるだろう。ふたりともこちらに向かうはず。
どちらだと瞳をきょろつかせた。一度電柱に手を置いて、場所を確認する。(林の方) あそこはよくないものが多い。できることなら、自身から近づきたい場所ではない。けれどもしょうがない。「あれ、さん?」 振り向いた。「月城さん」
「偶然だね。お買い物?」
「違いますけども、月城さんはそうなんですか?」
相変わらず大量の食料を腕の中にかかえている。二三度足踏みを繰り返して、にこにこ笑いながら頷く彼を見上げた。「丁度パンが安売りしてて、たくさん買ったところなんだ。よかったらさんもいらない?」「い、いただきます……」 過去に色々と食に窮していた影響により、迷うことなくいただいた。
ほくほくと腕の中にパンを詰め込んで、「ありがとうございます」と頭を下げる。
「そこのパン、おいしいからね」
「はい、家に帰って頂きます」
「うん、それじゃ」
バイバイ、とこっちに手を振る彼に、同じく私も手を振った、いや振ろうとしたのだけれど、抱えていたパンが邪魔でうまくできない。代わりにコクコクと頷いた。そうして、ハッと意識を取り戻した。「クロウカード!」 パンにつられている場合ではない。
大分時間をロスした。持っていたパンを抱えながら、これは一体どうしよう、とぐるぐると道を回って、仕方ない、そのまま行こうと駆けた。パンを持って脱兎する女だった。周りの視線が辛い。
気づけば、クロウの気配は消えてしまっている。私はひどい自己嫌悪を抱きながら、パンを抱えて林に向かう階段の上で沈み込んだ。ざわざわと葉っぱが風を運んでいる。
「誰かいないか!」
小狼の声だった。ひどく焦ったように声を出す彼に顔を上げた。ぼろぼろと零れそうになるパンを持ち直して、何があったと瞬いた。顔をあわせるのはこれで二度目だ。けれども彼の方はそれを知るよしはないと思う。たぶん。
階段を駆け下りる小狼に、「あの、なにかあったんですか」 他人のような顔をして、飄々と問いかけてみた。口を開こうとして、場違いな荷物を抱えた私にぎょっとしたらしい。けれどもまあいい、とばかりに彼は首元の汗をぬぐって、「知り合いが怪我をして動けないんだ。だからその、手助けを 」 知り合い。さくらちゃんの姿が思い浮かんだ。
「行きます、どこですか」
「いや、もっと背が高いやつじゃないと」
運べない、そう彼がもらしたとき、ひどく私は焦っていたらしい。持ちづらいパンをなおしたとき、ぴらりと手から写真がこぼれ落ちた。(あ) 部屋で眺めていたとき、そのまま持ってきてしまったらしい。うっかり忘れていた。「あ、あ、あ」 まった、と手を延そうとした。けれどもうまくいかない。
ひらひら、とちょうちょのように泳ぐ写真を、ひょいと小狼が手を伸ばした。「これは……」「いや、あの、その」
自分自身が映る写真を、たまたま出会った(はずの)見知らぬ女が持っていた感想はといえば、どんなものなのだろうか。
彼は無言でこちらを見上げた。長い間があった。
「あ、いやね、違うんです、それ、たまたまそこで拾って、ほんとで」
「…………」
「あの、けが人がいるんですよね? ほら行かないと、いかないと」
「…………」
「ちょ、ちょっと、その、待った、ちょっと」
「…………」
じわじわとこちらから距離を開こうとする彼に、私も同じく近づいた。小狼は逃げた。ダッシュした。私は追った。「助けさせてくださいお願いだから助けさせてください、待った、ちょっと、しゃお、いや、そこの少年まったーッ!!!!!」
とりあえず、どんびいて逃げられた。