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「けが人って、先輩のことだったんですね」

ほっぺたに絆創膏をつけて、ベッドの上に寝っ転がる先輩を見下ろしながら、「そもそも、なんであんなところにいたんですか?」 ポリポリと桃矢先輩は頬をひっかいて、「まあ、いろいろな」「そんな言葉で包括されちゃ、まったくもってわからないです」

ま、いいですけど、と腕をくんで、ため息をついた。


あのあと、なんとか小狼を説き伏せた私は、けが人がさくらちゃんではなく、桃矢先輩であることを知った。崖から落ちてしまって、足を怪我してしまったらしい彼を持ち運ぶには、さすがの自分でもムリだし、小学生であるさくらちゃんと小狼は論外だ。すぐさま近くの大人に助けを呼んで、なんとか先輩は救出されたというもの、なんとも人騒がせな男の人である。怪我がそうひどくはなかったということが、不幸中の幸いだ。

こんこん、と響いたノックに返事をする声が先輩とかぶさった。いつまで経っても反応がないものだから、首を傾げいていると、「開けてやってくれ」「え? あ、はい」 ドアの向こうで、両手に盆を持って、ノブをひねることができず、しょぼくれているさくらちゃんがいたのには思わず吹き出してしまった。


さん、どうぞ!」
「ありがとう」
「その、お兄ちゃんが怪我したときも助けてくれて、本当にありがとうございます」
「うん? いや、私は何もしてないから」

実際のところ、運んだのは別の人だし、いただけ、というのが正しい言い方だ。私に盆を渡しながら、ぶるぶる、とさくらちゃんは首を振った。「私、あのとき李くんとさんがいなかったら、なんにもできなかったと思いますから」 少しだけ、瞳を開いた。

「……どういたしまして」

お礼の言葉を受け取るのは少しだけ照れくさかった。はにかみながら、パタパタと消えていく彼女の足音をきいた。「いい子ですねえ、先輩」「怪獣だけどな」「はいはい」



   ***



足をひねってしまった先輩は、しばらくバイトの方はお休みになるらしい。先輩が抜けた穴を補充する形で、少しだけ増えたシフトを確認して、私はぱたぱたとケーキ屋への道を急いだ。途中、長い茶髪の女性を見かけた。ぼんやりと道の端を見つめている。何かあるのだろうか、と目を向けてみても、何もおかしなところはない。

一体彼女は何を見ているのだろう。少しだけ不思議に思って、その人を見つめた。ふと、彼女がこちらに目をむけた。視線を向けすぎていたのだろうか。申し訳のない気持ちを抱えて、私はぺこりと頭を下げて、彼女から通りすぎようとした。「見えない?」「は」

なんのことだ。ピタリと足を止めて彼女を見つめて、また彼女が見ていた先を確認した。やっぱり何もない。首をかしげながら、不審な気持ちを押さえこんで、その女性を見上げた。綺麗な人だ。ふんわりとした雰囲気が暖かい。何を言っているのだろう、と思う前に、そもそも先ほどの言葉は私にむけたものだったのだろうか。少しだけ不安だ。

「そう、あなたには、こちら側の力はないのね」
「あの」
「別の力はあるみたいだけど」
「はあ……」

とーやと反対みたい、とつぶやいた彼女の声は気のせいだろうか。眉をひそめた。「ごめんなさい、変なことを言っちゃったわね、気にしないで」 また会いましょ、そう言って、はたはたと手を振りながら消えていく女性に、どう返答していのかわからず口元をへの字にさせてしまった。そんな私を見て、彼女はくすくすと笑った。

変な人だった。
悪い言葉を使ってしまえば怪しい人だったが、どうにもそうまで警戒ができない。(見えない……) もう一度、瞳をこらした。ただの道端で、ぽつんと立つ電柱には、長い影が落ちている。ほとりと、声が聞こえた。
すでにいない人間の声だ。悪いものではない。だからすぐにはわからなかった。
このことを、彼女は言っていたのだろうか。
(まさか)

それは思い過ごしというものだろう。「あ、バイトが」 遅刻する、と慌ててアスファルトを蹴った。その前に、さっきの彼女みたいにばいばい、と柱の影に手を振った。
また会いましょ、と言った彼女の声を思い出して、またどこかで会うような気がする。そんな奇妙な予感を抱えながら、私はバイト先に向かった。