19





「わーい!!!」

きゃぴきゃぴ楽しげな小学生の声をきいて、私はうむと腕を組みながら頷いた。「さん、いってきまーす!」「はいはい、行っといでー」 ぱたぱたと髪をはねさせたさくらちゃんが、小さな手をこっちに振って、砂浜を駆け抜けていく。彼女の周りには、同じ年頃のお友達がビーチボールを抱えている。

「夕飯は……」

カレー。頭の中で、じゃがいもとにんじんをコラボさせて、踊らせてみた。「ウム」 ぐぐう、と今すぐお腹がなりそうだ。ただのご飯ほど幸せなものはない。

さん?  日陰に入った方がいいんじゃないかしら」
「え、あ、はい、大丈夫です、観月先生」
「そう? 中学からお手伝いに来てくれたのはすごくありがたいけれども、あなたが倒れてしまってはダメよ」
「気をつけます」

ありがとうございます、と水着の上のパーカーのチャックを上に上げた。観月先生は長い髪をくるりとまとめていて、どこか清楚な雰囲気だ。小学校の臨海学校の小中の交流で、ボランティアで参加してくれる中学生を募集している。そんな張り紙を掲示板で発見したとき、すぐさま私は挙手をした。なるべく、小狼とさくらちゃんのそばから離れたくはない。その上、ご飯がただで時間に余裕もあるとなれば、断る理由の方が難しい。

らんらんるう、と打ち合わせにて友枝小学校の職員室を訪れたときの私の衝撃は、少々口では説明しづらい。(また会いましょう) ほんのちょっと前に、道端で不思議な女性に出会った。はたはたとこちらに手を振りながら、消えていった女性が、「こんにちは、臨海学校はよろしくね」と言って片手を出してきたのだから、私はしばらくの間、まばたきばかりを繰り返していた。


(小学生と勘違いされた?)
彼女はついこの間やってきた新任教師らしい。それで、新しくやってきた学校の生徒だと思ったのだろうか。自分の背丈を確認してみた。さすがに、小学生に間違われる程度ではないと思うのだけれど、確認をしてみる勇気はない。(もしくは、会う人会う人に、同じようなことを言ってわかれてるだけとか) そんな妙な人のようには思えないのだけれど、彼女、観月歌帆さんを見ていると、どこかぼうっとした気持ちになる。そこだけぽっかりと、空間が切り取られているみたいだ。

(なんだろうな)
空気が綺麗なのかもしれない。
自分で考えた言葉に、少しだけ恥ずかしくなった。一人で勝手に肩をすくめると、ぱちりと観月先生と視線が合わさった。私のごまかし笑いに、観月先生はにこりと首を傾げた。
     観月先生、あのときの言葉の意味ってなんですか?

まさか訊けるような雰囲気ではない。ははは、とカラ笑いを繰り返して、「それじゃあ私はあっちの様子を見てきますね」「ええ、よろしくね」 なんてとりあえずは朗らかな会話をもらしつつ、そそくさと後ずさりした。さっさと逃げたい。そんなふうに後ろを見ないで歩いていたものだから、どすん、と誰かにぶつかった。「あ、ごめ……」「…………」「…………」 苦しい沈黙だった。

水着姿のまま、ジッと胡乱な瞳でこちらを見上げる小狼に、はは、と私は片手を振った。さっきからこんなんばっかである。「その、小狼くん? だよね。あ、友枝の子だったんだね。まあさくらちゃんとお友達なんだから当たり前か」 自分でも白々しいような他人のふりをした。小狼の眉間の皺が濃くなった。けれどもいけない。ここは他人のフリしかない。

「みんなの前でも自己紹介したけど、一応もう一回ね。私はっていいます」
今更ながらの私の自己紹介に、小狼は、「李、小狼」とぽそりと小さな声をつぶやいて、じろりとこっちを見上げた。うはは、と私はほっぺを引っ掻いて、とにかく、自分のマヌケを嘆いていた。

     この間、うっかり小狼の写真を彼に拾われてしまったとき、とにかくこの写真はひろったもので、自分には全くもって関係ない、という説明をその場の勢いで納得してもらったのだが、さすがにムリがあったらしい。じろじろと無言の視線の矢印が、ぐさぐさといろんなところに突き刺さる。
しかしいけない。他に言い訳があるだろうか。むしろあれが一番無難な言い訳だったはずだ。あんまりにもキミが可愛すぎたから、こっそり写真をとって懐に着服していたんだよ。これならひどく信頼性のありそうな内容だが、別の意味で信頼を極限に失う。もともとないというか他人だけど、さすがにそこまで捨て身にはなりたくない。

「あ、そうだ小狼くん、さくらちゃんはさっきあっちで……お、おおう……」
超無視だった。
てくてくとこっちに背中を向けて歩いて行く小学生の背中に、がくりと膝をつきそうになった。私は一体、何をしているんだろう。



   ***


ご飯の時間は常に至福なものである。邪魔にならないように、色んな班のお手伝いをさせてもらって、余ったカレーをご飯にかけていただいた。丸太の椅子に腰をかけて、おいしいなあ、ともぐもぐほっぺが膨らむ。タダ飯はおいしい、と言えば身も蓋もない言い方だが、それよりもやっぱり、誰かと一緒にわいわい食べるご飯が楽しかった。

スプーンをくわえて、浮かれた気持ちのまま体を揺らした。ふと、ピクリと瞼が動いた。顔を上げる。じっと視線をむけた。「さん?」 私の隣に座っていた観月先生が、静かな声で首を傾げた。「カレー、辛かったかしら」「あ、いえ、違うんですが」 観月先生を振り返りながら、また視線を移動する。
しん、と音がする。しん、しん、しん、と魔力の波が降り積もる。欠片を気づけば、すぐにわかる。思わず息を吐いた。

「あの、肝試しって、向こうの祠でするんですよね」
「ええ、そうね」
「やめた方が」

つるりと口からついて出た言葉に、自分自身慌てた。「あ、いやその、さすがにその、大人がいるとはいえ、岩場の中は危ないかなと。すべって転んじゃうかもですし」「そうねぇ」 そこら辺の話は、もうすでに大人達の間でかわされた話に違いない。今更私が口を出しても、しょうがない話だ。
(でも、できることなら中止した方がいい)

何があるかはわからない。危険が少ないカードならいいが、そうでないのなら、生徒が怪我をしてしまうかもしれない。「大丈夫よ、さん。心配かもしれないけど、危ないことなんてないから」「はあ……」 対策はすでに講じられているという意味だろう。「それに、木之本さん達がいるから」 付け足された言葉に、眉を顰めた。

「みんなが楽しくしてくれたら、もしおばけが本当に来ても、きっとどこかに行っちゃうわ」
「ああ」

そういう意味か、と息をついて、またスプーンをくわえた。
机の上のカレーが、ほかほかと暖か気な湯気を揺らしている。しょうがない、と私は口の中で、自分にしか聞こえない言葉をつぶやいて、残りのカレーをほっぺにつめて、味わった。おいしい。