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「こ、これは……一体……」
通帳を両手で持ちながら、ふるりと体が震えた。いち、じゅう、ひゃく、とゼロの文字を数えて、指でなぞる。振り込み人はいつもと変わらない。だというのに、ひっそりと金額だけ変わってる。増えていたのだ。
小狼を陰ながら補佐すること。それが私に与えられた李家からの任で、振り込まれる金額は、それに応じた金額なはずだ。それが特になんの理由も連絡もなく、ぽろりと振り込まれた金額に困惑した。一瞬、嬉しく感じる自分もいた。そのことに腹がたった。そりゃあ、お金に罪はないし、あればあるほどありがたい。それでもじりじりと腹の底からくすぶるような怒りがあった。
いっそのこと、手紙でも書いてくすぶる気持ちをぶつけてやろうとも思ったが、宛名を書いたあたりで、唐突に面倒になってしまった。そんなところにカロリーを消費するのもバカバカしい。間違いであるのか、意図があるのかはわからないけれどそのまま振り込みを続けていただくことにした。余分の額と考えて、使わなければいい話だ。
かと言って、そのまま放置していれば、いつしかこの怒りが消えてしまうのかよくわからない。手紙の宛名の住所は海外だ。今更ながらに、私は自分の父に手紙などてんで書いたことがないことに気づいた。当たり前だ。顔すらも曖昧なのだから。いつもあちらから送られてくるばかりで、ポストを覗くことにはもう飽きた。
***
「さん、うちの小学校で、学芸会をするんですよー!!」
私のクラスは劇で、知世ちゃんが衣装を作ってくれるんですけど、とにこにこ両手を合わせるさくらちゃんを見つめて、そりゃまあ立派な演劇になりそうだな……と無言で頷く。カードを集める際の彼女の服装、あまり深くまで突っ込んではいなかったけれど、あの黒髪少女の趣味であることはうすうす気づいていた。常に準備万端なビデオカメラに映らぬようにと一応毎回ちょっとは気をつけているのである。
「よかったらさんも見に来てくださいね!」
という微笑ましい彼女をみると、思わず頭をなでてしまいたくなった。基本的には背後からこんにちはというスタンスな私であるけれど、せっかくの公式からのお誘いである。ありがたくお受けさせていただいた。元は私も友枝小学校の卒業生だし、中学でも大々的に宣伝されていたのだ。掲示板を見つめながら、そんな季節になったんだな、と掃除のホウキを片手でいじった。
「、友枝小で学芸会があるんだが」
なので、バイトの休憩時間に桃矢先輩が話しかけてきたとき、兄妹だなあ、と思ったのだ。「ああ、はい、そうらしいですね」 エプロンを外しながらロッカーをいじる。今日のお昼はなんだったか。パンの耳! なんてほほえみながらいそいそ袋を開けている自分をふと遠い場所から見つめてみて、いやそこまで切り詰める必要はもうないのだからでもなにかあったときわからないし、パンの耳おいしいし、と机の端に腰掛けてもそもそする。
「もそもそ……」
「……もう少しいいもん食えよ。じゃなくてだな」
「もそ……」
そうじゃなくてだな? と桃矢先輩もお弁当の蓋を開けた。今日も素敵にカラフルで目と心に痛い。んむきゅっと目をつむって急いでパンの耳を頬張った。比べると情けなくなる気持ちくらい持っている。急いで水もなしに飲み込んだものだから若干喉につまったと胸を叩きながら瞳をあけると、お弁当の蓋に黄色く可愛らしい卵焼きとプチトマトが添えてある。「……? 先輩、これは……」「さっさと食え」
なにかこの流れは前にもあったような、と考えながら、でもあの頃の私より卑屈さは減った気がする。「……いただきます!」 念の為と持ってきていた割り箸を勢いよく割って卵焼きを咀嚼する。おいしい。「先輩、まさか……これは……さくらちゃんが……」 先輩のお家は、すでにお母さんは亡くなっていらっしゃるときいたことがある。これが女子力の差、と震え上がった。「俺が作った」 どちらにしろ女子力が足りなかった。
なぜだか熱くなる目頭を押さえながらもプチトマトを拝借する。
心持ちお肌がツヤツヤした気持ちで天井を見つめた。やはり食生活、改善していこう。いやこれでもマシになったんだけど。一に食、二に食、三に光熱費。「で、かわりといっちゃなんだが」 桃矢先輩がカチャカチャお箸でご飯をかきこみながら、勢いづいたように話題を出した。
「ゆきも誘ってるんだが。お前も卒業生だしな。友枝小の学芸会、いかねえか?」
「ああ、もともと行く予定ですよ」
もちろん、と頷くと、桃矢先輩はこけっとバランスを崩した。なぜだ。「さくらちゃんから誘われてますし」「ああ……」 なるほど、と首の後ろをひっかく。
せっかく桃矢先輩も行くとのことだから現地集合の待ち合わせをして時間を合わせることになった。さくらちゃん達も劇の練習に忙しいだろうし、クロウカードも空気をよんでひそんでいただけるとありがたい。
とかなんとか考えていると、本当に空気をよんでしまったらしい。特になんの障害もなく、劇本番を迎えてしまった。そもそも、この友枝町にばらまかれたカードの気配も薄くなっているような気がする。そろそろすべてのクロウカードを集め終えてしまうのだろうか。
それはそれで、町が平和になっていいことだ。
「おおーい、ちゃん!」
はたはたと嬉しげに手を振る男の人は月城さんだ。お祭りのとき以来だろう。その後ろでは桃矢先輩がハンディカメラをがっちり握りしめている。にやり、と笑ってしまうと、桃矢先輩はやっぱりいつもの澄まし顔で「父さんが仕事で来れないからな。かわりに怪獣が舞台を踏みしめる様子を撮ってやろうと思ってな」 のっしのっし、と効果音をつけて話す先輩に、はいはい、と片手で返事をしながら椅子に移動した。
パイプ椅子にそっと座って、舞台を見上げる。アナウンスと共に照明が落とされた。緞帳がするすると持ち上がって可愛らしい声が聞こえる。(知世さんの声だ) ナレーションは彼女らしい。そういえば、小狼もさくらちゃんと同じクラスだった。もしかすると、彼も役として出るのかもしれない。
少しの期待をこめて舞台を見つめた。題目は『眠れる森の美女』。小狼の役は早々に判明した。美女役だった。「男女平等な劇なんだなあ……」 と保護者席から誰ともしれない声がほんのり漏れた。桃矢先輩を見てみると、複雑な表情でビデオカメラを構えている。そうしてさくらちゃんが飛び出た。王子様だった。可愛らしい王子様だな、と思いながらもう一度先輩を見た。両手でがっちり構えて撮影していた。正直な人だ。
劇はどんどん進んでいく。立派な衣装に、舞台に、照明。音響もそうだ。短い期間の間に、みんなさぞかし頑張ったに違いない。もうすでに拍手をしたいくらいな気分だ。なのに嫌な予感がする。私は魔力の探知が人一倍苦手だ。なのにこんなに心臓が飛び跳ねるくらいに嫌な予感がとまらない。「さくらちゃん……っ!」 たまらず、立ち上がりそうになった。そのときだ。目の前が真っ暗になった。
暗い。とにかく暗い。いくらまぶたを細めても、何も見えない。闇の仕業だ。ダーク、と呼ばれているものであることくらい、すぐにわかった。「なんだこりゃ。照明がおちたのか?」「でも桃矢、椅子もなくなっちゃってるけど……」 それよりなぜだ。
「誰の声もきこえないな」
「……僕たち以外いないのかな?」
なぜ、桃矢先輩と月城さん二人までこの空間にいるんだ。明らかにこれはダークがさくらちゃんを狙って作った空間のはずだ。さくらちゃんのみを閉じ込めることができないかわりに、ある程度力がある人間をまとめて空間に収納したんだろう。それでなんで、桃矢先輩と月城さんなのか。まったく、自分の察しの悪さに頭を抱えた。そういえば観月先生が、私の力がとーやと反対だとか、意味ありげなことを言っていた気がする。
はいはいそういうことー、とため息をついて、「大丈夫だと思いますよ」 この暗闇の中では、さくらちゃんのところにたどり着くには難しい。周囲の気配を探ってみたところ、面倒なことにも私達三人はさくらちゃんとはまったく別の空間に閉じ込められているようだ。大雑把な魔力を使うくせに、やることは繊細だ。今回は、さくらちゃんを信じるしかないようだ。まあ、彼女なら大丈夫だろうけど。もともと私の助けなんて微々たるものだ。
少しずつ、辺りが暗くなっていく。もともと真っ暗なくせに、さらに貪欲に黒ずんでいく。私達、自分自身の明かりが、小さくなっているのだ。明かりを灯さなければいけない。「大丈夫っつったって」 なにか知っているのか、というような探る目つきの桃矢先輩を見上げて、彼は誤魔化せないんだろうな、と今更ながらに思う。まあ、月城さんは大丈夫だろうけど。
このまま自分自身が見えなくなるよりも、よっぽどいいだろう。「雷帝招来」 ぽそりと呟く。
ぱちぱちと、私の手のひらの中で明かりが弾け飛んだ。小さくこぼれては消え、大きく飛び上がって、また消える。ぱち、ぱちぱち。手のひらの中の雷だ。月城さんは、目をまるくした。
「……これ、ちょっとした手品だって言えば、信じてくれます?」