秋葉は地面に腰を下ろした。空を見上げてみる。校内だというのに、あれほど巨大な校舎が視界の中にかすめる程度だ。木々が繁茂し、秋葉はその中の一本に制服が土で汚れることを気にすることなく背をもたれ座りこんでいた。

     愚鈍な生き物……

頭の中で声が聞こえる。副会長と書かれたくじを引いたときから変わらない。
辞退することとは退学を意味する。その言葉を聞いたとき、自分の中である程度の納得はした。秋葉は高校からの編入であるが、立橋院のシステムは理解している。

     お前を見ていると、軟弱すぎて腹がよじれてしまう

嫌だ、と。前副会長への挨拶を秋葉は断った。そして、その事実について考えていた。生徒会候補としての活動を認めたというのに、それを全うしようとしない。自分の態度に腹が立った。自分を罵る言葉が耳から離れない。これはすでに、過去から叫ばれ続けた言葉であるが。
秋葉はピクリと瞳を細め、そびえる木々を睨んだ。

そもそも、なぜ、自分は立橋院へと入学したのか。特に深い意味合いと覚悟があった訳ではない。それよりも、この場所は自分にとって回避すべき場所だ。わざわざ望んで入学しようとする場所ではない。けれども秋葉は、ある日突然入学くじをひいてみようと思ったのだ。

(痛みが、薄れたか?)
それは違う。現に耳から、この声が離れないではないか。腹部に鈍い痛みがはしる。腹だけではない。顔や腕や足や、全ての痛みを受けた部分が悲痛な叫びを訴える。

おろおろと指令書を抱える会長候補の顔が頭の中に浮かんだ。嫌だと断った瞬間の彼女の顔はある意味傑作だった。別にそのこと自体に指をさして嘲笑う趣味は秋葉にはない。それよりも、ほんの少しの良心が痛む。
(考えたくない)

48時間以内だ。まだ時間はある。市井が消えた後、秋葉はそうそうにの前から姿を消した。そもそも、女の扱いとはどうするべきなのかわからない。中学時代まで、ずっとクラスメートと距離をとっていたし、身内の女は凶暴なやつらばかりだ。あんな触れたら壊れそうな女のことを分かる訳がない。

だからこそこの場所に来た。幸い、生徒の気配は     一応であるが     ない。ふー、と長いため息をつき、秋葉は髪を書きあげた。


「あれ、秋葉くん?」


気が緩んでいた所為なのかもしれない。普段の秋葉では考えられないほどに反応が遅れた。立橋院ベーカリーと書かれた紙袋を抱えたが、こちらをきょとんとした顔で見つめていた。
(つけられていた?)
秋葉は体を硬くしたが、すぐさまその可能性は否定した。はそんなことができるほど器用なたちではないことくらい、すぐにわかる。気をつけるべき人間は他だ。

なぜここに、と秋葉が視線で問うと、はびくりと肩を震わせて、強張りそうになった顔を一生懸命に戻す。そして精一杯の笑みを作った。
(怖がるくらいなら、近寄らなければいいのに)
そう考えた後、自分が副会長候補で、彼女が会長候補だということを思い出した。彼女が近寄りたくて近寄っている訳ではないのだ。

「あの、そのお昼ご飯の時間じゃないですか。だからその、パンを買って……どこで食べようかなぁ…って、ふらふらと」

秋葉は特に興味がなさげに「ふうん」と返事をするだけして会話を終了した。自分でも最低の態度だと分かっている。交友を持とうとする人間を自分から断ち切っている卑怯な方法だ。それでもそうするしかなかった。体がそういう風に反応してしまうのだ。

「秋葉くんは、ご飯は?」

それでもは会話を続けてきた。少々予想外だった。秋葉は「いいや」とこれも端的に返事をした。上っ面だけの会話だ、と秋葉は木に深くもたれながら、目をつむり考える。けれどもがこちらへと足を踏み出そうとしたとき、深く睨んだ。
は小動物のようにかわいそうなくらい震えあがり、ぎゅっと紙袋を抱きしめた。
(やりすぎた)

そう思うのに、いらつく気持ちが抑えきれない。わがままを言っているのは自分の方なのだ。他人と関係性を作らない。副会長候補であることを認めたにも関わらず、職務を放棄するような行動をとる。そのことについて、は秋葉を批判してもいい立場なのだ。
それなのに、は見て見ぬふりをしている。仮にも会長候補だというのに、これでいいのか。
(……いや、違うな)

が会長候補というのは、秋葉と同じく、くじを引いてしまったというだけだ。それなのに会長らしくあれと副会長らしくもない秋葉が主張することはおかしい。ただ自分は、はずれくじをひいてしまった、自分のうまくいかない現状にたいして苛立ち、他人にあたり散らしているだけだ。

だから、こんなところに逃げてきたのに。
ただ一人で思考を停止させていたというのに。さっさとどこかへ行ってしまえ。そう思って秋葉はこれ以上を相手することを放棄した。後でどうなろうとも関係ない。

     まったく、愚鈍な。男の風上にもおけぬわ

嫌な声だ。目をつむって、嫌なことをやり過ごす。そうしなければ、そうでないと、秋葉は生きていけなかった。それは比喩でもなんでもない。体中にはいずりまわるこの傷痕は一生消えることはない。


「ここって、いいところだよね」

唐突に、が口を開いた。かわいそうなくらいの作り笑いを浮かべて、苦しい空気をごまかすように言葉を続ける。
「私、ぐるっと学校一周してみようと思ったんだけどね、結構歩いたんだけど全然だよ。なんとなくわかってきたけど。校内地図はもう覚えたから、迷う心配もないんだけどね」

へへ、とごまかす笑いに、秋葉は妙な違和感に襲われた。
校内地図を、もう覚えた?
立橋院のこの巨大で複雑な土地を、覚えた?
入学する前から事前に覚えていたのだろうか。いいや、それにしても無理がある。ただのおお見栄だろう、と秋葉は判断した。目の前の女がそれほどの力が備わっているとは思えない。ただの平凡な少女だ。むろん、他人との接触を拒んでいた秋葉が、平凡という言葉を判断できるとは思えなかったが。

「秋葉くん、メロンパン嫌い?」「え、いや」

しまった、と秋葉は唇をかみしめた。相手をする気がなかったのに、訊かれ方がまずかった「嫌い?」と訊かれたら思わず否定してしまうではないか。「好き?」と訊かれれば、適当に言葉を濁して終わりだったのに。

は嬉しそうに笑った。本当に嬉しかったんだろう。ふんわりとした柔らかい笑みだった。秋葉は正直驚き、耳に響いていた不快な声が一瞬消えた。それは本当に少しのことだったけれど。

は足元にと紙袋を置いた。先ほど言ったパンを買ったという袋だろう。「お昼食べなきゃ、おなかへっちゃうよ」と笑った。今度は作り笑いだった。「秋葉くん、頑張ろうね」 は、胸の中から言葉をすりだすように吐き出す。
「頑張ろう。私たち、当たりくじを引いたんだよ。ラッキーなんだよ、きっと」 


なんでそんなことを言えるのか。すでに去ってしまったの背を見つめて、秋葉は立ち上がり、紙袋へと手を伸ばした。メロンパンが一つ入っている。まだ温かい。買ったばかりなのだろう。
「貧乏くじの間違いだろ……」
そう、思うのに。

秋葉は振り向き、先ほどまで自分がもたれかかっていた木を見つめる。緑色の葉がわさわさと風に揺れた。秋葉はつまらなさそうに鼻をならし、先ほどまで自分たちの話全てを聞いていたであろう相手に声をかける。

「監視するなら、もっとうまく監視しろって、生徒会のやつらに伝えとけ」

不要なセリフだ。気づかないふりをしていた方が、有利だろうに。
チ、と秋葉は舌打ちをしてメロンパンをかみちぎる。嫌いではない。でも別に、好きでもない。甘ったるい味だ。そしてあらかた咀嚼し終わった後、秋葉はふと気付いた。
そしてまた、自分が情けなくなった。




メロンパン、あげちゃった。
私はバタバタと心臓が暴れるのは、今まで全力疾走をしていたから、ということだけが理由ではない。頑張ったけれど、大丈夫だっただろうか。不自然じゃなかっただろうか。最後あたり、早歩きになってなかったであろうか……やっぱなってたかも。

やっぱり、バリアーをはっている人と話すことはつらい。拒絶されるのに、自分から向かうことは勇気がいることだ。そしてそれが善意ではなく、しょうがないからという理由で行っていることがチクチクと胸に針をさす。こっちにちょっとでも好感を持ってくれれば、生徒会候補としても動きやすくなるという下心を持っているからだ。そしてそれを相手に見透かされていることにも気づいている。

(なにが、当たりくじで、ラッキーなんだか)
そんなこと、かけらも思っていないくせに。

格好をつけて、適当なことを言ってしまった。いいや、違う。こう自分が思っていたらいいな、というセリフを、やっぱりカッコつけて言ったのだ。
恥ずかしい、と顔を覆ってしまいたくなる。そしてそれ以上に、メロンパンをあげちゃって私のお昼ご飯どうしよう……と悲しくなる。これも格好をつけたのだ。

きゅるり、とおなかがしょんぼりした声をあげて抗議し始めた。
はぁ、と私はため息をついて、こんなに大きい学校なんだから、食べる場所の一つや二つあるだろう、ときょろりとラウンジらしき場所へ視線をとばした。その瞬間だった。「おい」「ひぃう!」

「あ、あ、あ、秋葉くん……」
「お前……」

先ほど別れたはずの秋葉くんが、息も乱さず私へと近づいた。手にはさっきの紙袋が握られている。怒ったのだろうか。こんなもん、置いていくなと憤慨してらっしゃるのだろうか。私はごめんなさい! と叫ぶ準備万端で体をかがめた。すると予想外にも秋葉くんは紙袋の中から、元メロンパンらしき欠片をこっちに突きつける。

「これお前の昼飯だったんだろ、俺に渡してどうする」
「え、え、え、なぜそのようなことを!」
「そのようなってなんだ。わざわざ俺の分の昼飯を買うのも変だろ」

秋葉くんは、ぐいっと眉をしかめたまま、こっちにメロンパンの欠片を向けてくる。確かにその通りだ、その通りだけど……(食べかけを渡されても困るような) せっかくカッコつけたんだから、見ないふりくらいしてほしい。なんだか情けない気分に拍車がかかった感じだ。

どうしよう、と私が欠片を見つめていたら、秋葉くんは不思議そうな顔をした。そしてそのままのポーズで数秒待ち、やっと彼自身も気づいたのか、ハッとしたような表情をして手を自分の方へと戻す。秋葉くんは、チッ、チッとごまかしたように何度か舌打ちした後、「来い」と端的に言葉を吐き出した。

私はあんまり察しがいい方ではないので、その台詞を吐いた秋葉くんをぼーっと見つめていると、彼はむっとしたようは表情をして、くるりとこっちへと背を向ける。そしてすたすた何歩か進んだ後、それでも動かない私を見て、少しだけ困ったような顔をした。そして「昼飯、食べるんだろ」とだけ呆れたように話す。

そこで私は、やっとこさ秋葉くんの行動の意味を理解した。つまり彼は、一緒にご飯を食べよう、と誘っているのだ。私は「行く、行きます!」と反射的に返事をして秋葉くんの後へとついた。ちょっとだけ嬉しくなって笑ってしまった。それをちらりと横目で見た秋葉くんが、なんだか変な表情をした。引き締めようとした顔を、失敗したような、そんな感じだ。

やっぱり、秋葉くんのことはよく分からない。そして相変わらず片手にメロンパンの欠片を持っている。これはどうしたらいいものか、と彼は自分自身分かりかねているようだった。
なので私は「それ、ちょうだい」とひょいと手を出す。秋葉くんは言われたから渡した、というように私の手に欠片を乗せた。そしてそうした後、不思議そうな顔をした。

ぱくり、と欠片をいただく。ほんのちょっとのメロンパンは、メロン味のクッキーだ。おいしい。また買おう、と考えたとき、秋葉くんは私を信じられないものを見たような眼でこっちを見た。驚愕の表情に、みるみるうちに顔が赤く染まる。

妙なことをしただろうか、と思ったけれども特には訊けなかった。そして二人で黙々と歩いているとき、そういえばこれは、間接なんたらという行為だな、と気づいた。
けれどもまさか、秋葉くんがそんなことで照れたとは思えないので、何か別の理由なんだろう、と私は勝手に推測した。




「おー、もう会計さんと挨拶しちゃったんですか、さん」
「そうです。市井先生」
「……輝お兄さんでいいですよ?」
「あ、なんかその……体操のお兄さんっぽいので遠慮します」
「そうですかー。残念だな。あ、秋葉くんもいいですよ。輝お兄さんで」
「…………」
「せめてちょっとくらい反応してほしいなとか思ったりします」


職員会議も終了したらしい市井先生も交えて、私たちは作戦会議を始めた。市井先生に鍵を開けてもらい、適当な教室に入る。どうせどこでしていても生徒会の人たちには筒抜けなのだろうけれども気分の問題だ。グラウンドで、部活動に殉じる生徒たちの隣で話すのは、ちょっと緊張感に欠ける。

「あとは……副会長と、書記ですね」

なんともなしに指を折りながら教室の椅子に座る市井先生の声を遮るように私は叫んだ。「書記の人って、誰なんでしょうね!?」 副会長に挨拶をするのは嫌だと、あれほどしっかりと宣言されたばかりなのだ。さすがに堂々と訊く勇気はない。まだ一日以上時間があるのだから、そっちの方はあと回しにさせてもらおう。
秋葉くんは特に気にした風もなく、一歩離れた机に腰をかけている。……その妙に離れた距離感は気になるからこっちに来ませんか? とか言いたくなるけれども勇気がなくて言えない。

「それなんですけどね」と市井先生は特に気にした風もなく眼鏡をいじりつつ座りなおす。

「職員室で訊いてみたんですけれど、みんな反応が鈍いですねぇ……」
「にぶい、ですか?」
「そう。まぁ立橋院の教師の権力なんて無きに等しいけれども、それにしても、うん」
「あのう?」

市井先生は細い眼を片目だけ開き、言葉を濁すように続けた。「よくわからないって言ってるんです。……うん、自分の学校の生徒の役員のことなのに、わからない、と」
それはどういうことだろう?

「誤魔化しているということではないのか」

秋葉くんがちゃっかりと口を出す。市井先生は首をふりながら、「そういう風にも見えないんですけどね」と困ったように顎をかいた。「生徒会だから、もちろん集会とかにも出席しますよ? でも……その、生徒会長、副会長、会計と檀上に上がっているんですが、書記は……」「書記は?」 続きを促す。

「他に人間は、のぼっていなかった、と」
「人間、は?」
「みんなそうやって濁しているんです」

私はううん、と考えこんだ。そして腕を組み、しばらく地面を見つめた後、決断する。「生徒に聞き込み調査をしましょう」 教師も知らないのだから、生徒もよく分かっていない可能性が高い。それでも、一応ということがある。
それに、だ。

「知ってそうな人、すぐそこにいるじゃないですか」

私は自信満々に人差し指を、ピンと立てた。それを市井先生と秋葉くんは不思議そうに見つめていた。




「秘密や」
「えっ!?」

予想外の返答に、私は栗色ツインテールの先輩、前会計のリサさんに掴みかからんばかりの勢いで顔を近づけた。前生徒会役員なのだから、もちろん書記のことも知っているはずだ、と軽い気持ちで尋ねたのに、リサさんは意地悪そうな顔をしてパンをつかむためのトングをカチカチと遊ばせる。

「えっ!? って……それが今回の試しなんやろ? それやったら、うちがあんたに教えるのはちょっとズルなんやないかなぁ」
「そんなことないですよ、これも立派な情報収集です!」
「あらそ。でもうちがあかんかな、って思ってるからあかんねん。まぁ頑張りぃ〜」

はい、メロンパンもう一個。と紙袋の中に詰め込んでもらい、その後ろで憮然として腕を組んでいた秋葉くんが覚めた目つきでこっちを見ていた。自信満々だったからに、これは恥ずかしい。
「……こういうこともあるだろう」
珍しいのか、秋葉くんの慰めの言葉が妙に胸に染みた。悲しくなったので、お行儀悪く歩きながらメロンパンをいただいた。やっぱり美味しかった。


それから私たちは手分けして、目に付いた生徒全てに「前生徒会書記の生徒を知っているか」と訊いて回った。けれども生徒たちは決まって不思議そうな顔をして、「そんな生徒は知らない」と目配せをしながら去っていくのだった。

指令を受けて、すでに8時間が経過した。
一日目の捜索はそうして終了したのだった。






次の日、学校に来てみた。相変わらず生徒たちは首を振り、時間だけが刻々と過ぎて言った。生徒会候補だということからか、授業は免除されている。市井先生はクラスを持っていないそうで、ある程度自由な時間もあるそうだ。それでも私たちよりも忙しいに違いない。焦るばかりで何もならない。
なにしろ、任務の失敗は退学と同じ意味になるのだ。

じりじりとした気持ちなのに、頭の中は昨日に会った生徒の顔を名前を正確に思いだしていく。計265人。結構頑張った。けれどもこの立橋院全ての生徒数から考えれば微々たるものだ。ため息なんてつきあきた。

考えてみれば、現在の高校三年生のうちの誰か、ということになるのだけれど、今期生徒会役員の朝霧さんという例もある。彼女はどう見ても生徒会だ。私はその中で、なぜ48時間以内に、という意味なのかを考えた。少なくとも、二日の時間の猶予をもらっている。

「……それだけ、見つけることが難しい人だからかな……」

静かに呟いた私の声に、秋葉くんは不思議そうな人をした。私は誤魔化したように首を振った。


私たちは市井先生の提案にそって図書館へと詰め込んだ。
先生が他の教員から聞いた情報によれば、毎年全生徒を撮影したアルバムを作る、ということらしい。そしてそのアルバムの中には立橋院生徒会役員が別ページとしてうつされている。それならば、と今年度のアルバムをひっくり返し、生徒会役員のページをのぞいてみても、三人で落胆するばかりだ。

「ええっと、リサさんで……それで、この金髪の方でしょうか。前生徒会長は」
「そうだろうね。ハーフって聞くし。うーん、だったらこの黒髪の女の人が……如月さんですか? 秋葉くん」

じっと見つめる市井先生の視線に、秋葉くんは無言で答えた。とりあえず表情が嫌そうな感じなので間違いがないだろう。
ふうん、と私は三人の女性徒を指でなぞる。広い図書館の隅の机を占拠しているので、周りに遠慮はいらない。

「……やっぱり、生徒会長と会計さんと、副会長だけ……」

なぜだかヘルメットらしきものをかぶった生徒会長。先生によると、このヘルメットは代々生徒会長に伝わっているものらしい。それにしてもごつい。けれどもそのヘルメットをかぶってさえ損なわない容貌に、美人な人だなぁ……とため息をつきそうになる。
リサさんは知っての通りであるし、副会長も見事なる和風美人だ。おっとりした微笑み方が素敵である。

三人とも、しばらく言葉をつぐんだ。どういうことだろう? 前書記さんは忍者か何かなんだろうか。なんでこうまでして周りに姿を見せていないんだろう。
なぜ、という言葉ばかりが頭の中で回る。

「あの、先生、このアルバムも中に全校生徒はのっているんですよね」
「そうなります。あ、でも生徒会役員の写真はそのページだけで、あとのクラスごとの写真にはのっていないそうで。生徒会役員は生徒会役員っていうクラスの役割なんですね」
「そっか……そっか……」

私はアルバムを抱え込んだまま、考え込んでしまった。だったら、すくなくとも生徒である以上この中にのっているはずなのだ。「その前の年の分は」 そして唐突に秋葉くんが口を開いた。え? と私は首をかしげる。そしてその意味に気付いたのか、市井先生は「あっ」と声をあげた。そしてそのまま、「ちょっと職員室に確認してきます」と図書室から消えてしまった。そして慌てすぎたのか、途中、入口ですっころんだ先生を、秋葉くんは冷たい目で見ていた。

一人話がついていけない。どうすれば、どうすれば、私、一応会長候補なのに、と秋葉くんを困ったような眼で見ていたら、助け舟の解説を出してくれるんじゃないか、と思っていたのに、秋葉くんは私を一向に無視したままだ。そもそも私の視線に気づいてすらいない。
私はええい、と意気込み、「秋葉くん、秋葉くん」とやっぱり一人だけ妙に距離を置いた席に座っている彼に近づいた。

「あの、その前の年の分って?」

秋葉くんは意味がわからない、という顔をした。言葉が伝わらないもどかしさに、ううんとのど元でうなった後、言葉を付け足す。「市井先生は、何しに行ったの?」
そうまで言ったとき、秋葉くんは、ああわかった、というように目を瞬かせた。この人、意外と察しが悪い人なのかもしれない。

「だから、このアルバムは、一年ごとに全生徒をうつすんだろう。今年の分はそれだ。じゃあ、去年の分の役員たちはどこに写っているんだ」
「え、えっと……?」
「……だから。そのアルバムに、今期の役員たち、秋山時乃や上石神井、元生徒会候補たちが乗っているページがあるか?」

私は相変わらず意味が分からず、ぴらぴらとページを探ってみた。「……ない、かな」 やっぱりな。と秋葉くんは物知り顔で頷く。

「だったら、上石神井達はどこにのっているんだ?」

やっとこさ、私は秋葉くんの言っている意味を理解した。そうだ、とページをめくり、やっとこさ秋山さん達がのっているページを探したあてたときと、市井先生が帰ってきたときは、ほぼ同時だった。
「他の教員に確認してきました」と市井先生は眼鏡をきらりと光らせた。「確かにそのアルバム、生徒会候補たちは各クラスのページに載っているはずです」

今年のアルバムには、秋山さん、上石神井さん達は、確かに各クラスの生徒としてページには記載されていた。つまり、生徒会役員候補たちは、このクラスというしがらみから逃れていない。
そして立橋院のクラス分けは入学初期にくじ引きによって決められ、そのまま持ち上がる。実質クラス分けがない。中学から高校、小学から中学と変わるときもクラスは変わらない。つまり、クラスの全員は持ち上がり組が、それとも編入組かで分けられるのだ。

これを前提とすると、今年のアルバム、去年のアルバム全てを見比べたらいい。そしてその変化を調べるのだ。クラスから消えている人間。つまりそれは、新しく生徒会役員というクラスに移住した人間に他ならない。


そうしてそこまで気づいた後、「いいや」と秋葉くんは首を振った。「無理だ、数が多すぎる」
確かにそうだ。全生徒達の、小等部、中等部、高等部の生徒をうつしたアルバムは膨大な数だ。今年と去年、とたかだか二年分だとしても膨大な数になる。「それに、ただ消えたという人間なら、退学という可能性もありますしね」市井先生も続けた。

「別の方法にしよう」と、秋葉くんがアルバムを戻そうとしている。けれども、と私は喉から声が張り出しそうだった。
     できる

ごくり、と唾を飲み込む。
この、恐ろしい数全てのアルバムを、見比べること。

     私なら、できる

もちろん、すぐにという訳にはいかない。けれどもおそらく3、4時間もあれば、問題なさすぎるほどだ。退学者との識別もおそらく問題ない。退学というのならば、学校側で退学者の名簿があるはず。

「……でも、一番確実、じゃないかな」

できるのにしない。名乗らない。その苦痛を誤魔化すために、私は静かに呟いた。「いや、時間は限られている」と秋葉くんは否定する。私は、きゅっとスカートを握りしめる。
バサバサバサッ、と市井先生が端っこから全ての本をおっことした。おっちょこちょいな人だな、と笑うこともできない。あはは、と笑おうとして、口元が失敗している。嫌だ。

     私なら、できるよ

(……そう、言えばいいのに)

けれどもその台詞をいうことは、逃げてきた過去を、もう一度振り返るという行為に他ならなかった。




◇◇◇

は天才だった。

◇◇◇


見たもの、聞いたもの、考えたもの。生まれた瞬間から今に至るまで、その全てを覚えている。いいや、忘れることができない。だから全ての記憶を覚えている。他人から向けられた悪意も、そのときのままに痛みを思い出すことができる。




初めは、自分が普通だと思っていた。周りの人たちはなんでこんなに覚えが悪いんだろう、忘れっぽいんだろう。と考えていた。そして自分が普通ではないことに気付いたのは、小学校に入ったころの年齢だ。自分が5、6分で参考書の一冊をぴらぴらとめくり、全て暗記してしまうところを、クラスメートたちは一年がかりでやっと覚える。何度もノートに書いて、何度も問題を解いて覚える。

そしてそのころの自分が他人に持っていた気持ちは、思い出したくもない。なのに、はっきりと、正確に頭の中で思いだせる。
周りとの差をはっきりと自覚した私は、私は、は、周りの人間を馬鹿にしていた。なんでこんなに、この人達は馬鹿なんだろう、と思っていた。
周りを見下して生きていたのだ。

(死んでしまいたい)
なんで、自分が他人よりも物覚えがいいというだけで、他人を馬鹿にしていいこととつながるのだろう。そんな訳ないのに。
もちろん、それを口に出したことはない。それを口にすることはいけないことだとはしっていた。けれども私は心の中で他人を鼻で嘲笑っていたのだ。


テストなんて簡単だ。頭の中にある全ての項目を検索して、ヒットした場所を適当にコピー&ペースト。数学の計算式も、全ての答えを暗記している。問題の解き方も、適当な掛け算も、全部。国語は少し難しくなるが、過去の問題に目を通せば、似たような問題はあるというものだ。社会や理科なんてもっと簡単で話にならない。

けれどもそれに創造性はない。

私はただ他人の答えを書き写していただけだ。そこになんの戸惑いもなかった。
ただ黙々と問題を解くだけだ。そもそも、忘れるという行為が理解できない。


あるとき、塾が同じだった少女が私に対して怒鳴りつけた。『何かっこつけてんのよ!』 私は意味がわからなくて、「え? え?」と馬鹿みたいに言葉を繰り返していただけだった。
『こっちは一生懸命やってんだから、何にも努力してない顔してこっちなんてみないで! あんた、私のこと馬鹿にしてんでしょ      !』
激しく叩きつけられた机の振動が、私自身まで叩きつけられてしまったのかと思った。そして、体中の血が、さっーとひいていったのだ。


あんなのただのヒガミよ。嫉妬よ。

周りはみんなそう言った。そうかもしれない。そうだったのかもしれない。けれども、彼女は敏感にかぎつけたのではないだろうか。私がこっそりと嫌な気持ちを持っていたことに、反応して、気づいてしまったのではないだろうか。
もしかしたら彼女だけではないかもしれない。私自身にそう言わなかっただけで、気づいていた人はたくさんいたのかもしれない。
(ひどい人間だ。すごく、ひどい人間だった)



ぴらり、とアルバムをめくるページが震える。
あれから私は自分の個性を消そうと努力した。けれども、根本的に頭のシステムが他人とは異なっているのだ。分かる答えをわざと書かない。そんなことも考えたけれど、何か違うと思うし、いきなり豹変したテストの点数で周りを騒がせることも怖かった。臆病者なのだ。

けれども、そんなときこの立橋院という学園をしった。全てをくじびきで決める学園。くじびきこそが全て。入学テストもない。ただあるのはくじびきだけ。
確率という、全ての人間に平等なる学校。ここならば、私の頭の作りなんて関係ないんじゃないか。ここなら、なんとかなるんじゃないか      そう、思ったのに。


アルバムをめくったページには、見覚えのある顔がかかれていた。大きな眼鏡に優しそうな瞳。マスクはないけれど、昨日ベンチに座っていた男の先輩だ。
榎本千尋
なんだか可愛い名前だな、と思った。
『入学おめでとう』
そう言ってもらったのに。

私はひどく自分が矮小な人間のように思えた。事実そうなのだろう。こうしている間にも時間は刻々と過ぎている。自分だけではなく、秋葉くんの退学と、市井先生のクビまでかかっているというのに、躊躇している。

もし、私がこの才能という力を使えば。
すくなくとも、なぜ分かったと彼らは疑問に思うだろう。そしておそらく、今も私を監視している立橋院の生徒会役員の人たちに、全てを知られることになるだろう。

私はぴらぴらと、至って普通の人間と同じような、ひどく億劫なペースでページをめくり続けた。
あいつらは化け物だ、と秋葉くんは立橋院の生徒会役員の人たちを揶揄した。
本当の化け物は私だ。
忘れることをしらないなんて、それらしすぎて、笑えてしまうじゃないか。





秋葉はことり、と廊下を歩いた。隣には市井という教師がいる。は「もう少し残って調べてみるね」と小さな体に見合わないサイズのアルバムを抱えてなぜか泣きそうな顔をしていた。
すでに日は暮れている。長く広い廊下には月明かりが差し込み、植えられた植物が外のガラス越しに見える。

さん、一人でするって言ってましたけどねぇ。心配ですよね、秋葉くん」
「…………」
「女の子一人だけですよ。ううん、やっぱり秋葉くん、戻った方がいいのでは?」
「…………」
「秋葉くん? 秋葉くんくーん?」

秋葉は市井の言葉を聞き流し、一人思考を重ねる。
そう、はもう少し作業を続けると、去年今年のアルバムの、一ページずつの比較を行っている。時間の無駄だ、という秋葉の言葉に苦笑いをして、のったりとしたスピードで作業を続けていた。

あれならば秋葉一人でした方がよっぽど速い。あんな遅さで、いくら残っても意味などあるものか。けれどもはかたくなだった。まるで何かに対しての贖罪をするようにも見えた。

(当たり前か)
ただの一介の女性徒に、この立橋院学院の生徒会長をやらせるなど酷な話だ。はどこまで見ても平凡な、どこにでもいそうな女子だった。このまま、退学となる方が、彼女のためではないか? あんな女子に生徒会長など勤まるはずもないし、そもそも一年の候補期間さえ無事に過ごせるとは思わない。このまま、初めのうちにやめてしまえば。

(言い訳だな)
如月香澄に会うことを拒む言い訳だ。平凡な女性徒なら、本当ならば自分が守るべきだ。そもそも副会長とは会長の盾になり、力となり……「へぶうっ!?」

意識が途切れた。
顔面からスライディングした教師を秋葉はただ冷たい目で見つめる。「あ、あ、あ〜、眼鏡は……無事でした……!」とへらへら笑うこの男の所為で、何を考えていたか忘れてしまったではないか。秋葉は苛立ちを隠すことなく舌打ちする。「秋葉くーん、手を貸してくれませんか? 腰がいたいいたいでして……」

そしてそのとき秋葉は、今まで変わることなく付きまとっていた生徒会役員からの監視がいなくなっていることに気付いた。

秋葉は市井に手を伸ばした。「ありがとうございます〜」と市井は眼鏡を直す。そして表情を固まらせた。秋葉の手は市井の手を通り過ぎ、首元へと向かう。手には小さなペーパーナイフが握られている。市井は乾いた笑みをはりつけながら声を上ずらせた。

「……ええ、僕、何か秋葉くん、怒らせちゃいました? 冗談きついですよ」
「冗談な訳あるか。わざとどんくさい振りしやがって。本気でこけてんのか、演技でこけてんのか、んなもん体の筋肉の移動でも見りゃ一発なんだよ。 お前、何を考えてる? 何者なんだ」

ふふ、と市井は微笑む。秋葉は眉をひそめ、もう片方の袖口から新たなナイフを取り出そうとした。しかし市井はその間をすり抜け、後に飛ぶ。一定の距離を二人は保ち、睨みあう。「何って、教師です」 いつの間にか市井の手には秋葉から取り上げたペーパーナイフが握られている。

秋葉は鼻で笑った。そして軽く掌を振ると、その片手には指と指の間に一本ずつ、計四本の長い針とナイフが握られていた。
「嘘くせえ、そもそも、教師がくじをひくというところから不自然なんだ。そんな馬鹿な教師がいるもんか。不正行為でもぐりこんだのか」
「いいえ」

秋葉は否定の言葉も聞かず、次々に獲物へ投擲する。
そして市井は軽い動作で、その全てはたき落とす。秋葉から取り上げたペーパーナイフを右手に持ったまま、左手はズボンのポケットにつっこんで。舐めてやがる、と秋葉は唇をかんだ。
「立橋院でのくじに対する不正行為は処罰の対象となる。もしそんなことをしていれば、僕は今この場にはいませんよ。そうですね、何者かという質問に立橋院の生徒会の言葉を借りれば      小物、ですかね。立橋院も人の子ですから。今のように監視からはずれることもありますしね」

市井はパチリと軽くウィンクをした。
まったくもって意味がわからない。秋葉は眉をひそめる。そしてその言葉、まるで自分が立橋院の生徒会内部の言動を熟知しているとでも言いたげであった。市井はこちらへと跳躍する。秋葉はまた袖口から何本かの刃物を取り出し、迎え撃った。

ギリギリと刃物同士がこすれる音がする。嫌な音だ。ただのペーパーナイフ。そのくせ重い。折れもしない。秋葉と市井の刃物同士がぶつかり合い、何度も火花を散らした。

ごぎり。嫌な感触がした。秋葉のナイフの一本が根元から折れた。あっと思った瞬間、市井の拳が秋葉のみぞおちへと吸い込まれる。ただの一瞬だ。ぼすり、という音がして、秋葉は地面に膝をついた。
喉から溢れる胃液を飲み込むさまを市井は見つめる。秋葉はその表情を見ていない。けれども市井はまるでかわいそうなものを見るように、下がった眼鏡を指であげ、ペーパーナイフをからんと地面に投げ捨てた。「何者か、という言葉はあなたのためにあるんじゃないですか?      如月秋葉、前生徒会副会長の弟くん」

くるくると、秋葉の目の前でペーパーナイフが廊下を滑り踊っている。

「ばれたくなければ、黙っていてくれると嬉しいです。如月くん」


ただ秋葉は、如月秋葉は、実の姉、如月香澄のことについて思い出していた。
前生徒会役員副会長。如月香澄。その弟が今や副会長候補だ。馬鹿みたいな皮肉だ、と誰もいない廊下でふらりと立ち上がる。秋葉は転がるペーパーナイフを睨み、踏みつぶした。
あの男、何者なんだ    と瞳をつむり、考える。そのとき、妙に市井がのことを気にしていたことを思い出した。

    さん、一人でするって言ってましたけどねぇ。心配ですよね、秋葉くん

    女の子一人だけですよ。ううん、やっぱり秋葉くん、戻った方がいいのでは?

秋葉は跳ね上がるように、夢中で図書室への道を走った。殴られた腹が鈍い痛みを訴える。けれどもそれに知らぬふりをして、体をふらつかせながら、秋葉は疾走した。