生徒会、狙われる(後編)
「あー、またお掃除のくじでしたねぇ」
でも僕、お掃除大好きだから全然問題ないですけどねぇ〜。と先生は部活棟の壁をきゅっきゅと雑巾で拭いている。「ねー、さん」 私は無言でホウキを動かした。「…………ねー、秋葉くーん?」 秋葉くんも、無言だった。それは相変わらずのことだった。
「あの、なんですか。よくわからないけど、なんで二人ともお話ししないんです? いや秋葉くんはいつものことなんですけど。さーん、さーん、さーん? 秋葉くーん、秋葉くーん? なんですか、あれですか、先生仲間はずれですか。あっ、それはいつものことでしたね、あははははー」
あっはははー、あっははー、あっはははー……。はあ。と微妙にため息をついてバケツの中で雑巾をばちゃばちゃとさせている。悲しそうだ。申し訳ない。けれども私はきゅっと唇を尖らせたまま、ちらりと秋葉くんを見つめた。
相変わらず何を考えているのかわからないような難しい顔をしている彼は、部室棟から出た、使い道のないガラクタたちを前にずんぐりと座り込んでいる。いる、いらない、いる、いらない。黙々とゴミとそうでないものを別けている姿を見ていると、何を考えているかわからないというか、何も考えていないんじゃないだろうか? とそんな疑問まで湧き上がった。いる。いらない。いる。いらない。黙々。
(…………変な人だなあ)
最初こそつっけんどんだったけれど、仕事となると人一倍真面目に動く。いる。いらない。いる。いらない。しゃかしゃかとゴミ別けをしている。頑張っている。
(秋葉くんのばか)
この間、唐突に抱きしめられた。
学校から帰ってくる最中のことだった。どうしたんだろうか。何かあったんだろうか。もしくは何か言われるのだろうか。あんまりにもビックリしすぎて、頭の中に色んな言葉や、考え事が駆け抜けた。けれども秋葉くんは飄々とした顔ですぐさま私から離れて、「このところ、不審なことはなかったか?」 不審なのはお前じゃい。
あれ、おかしくないか。おかしいよね。それだけ? それだけなの。いやいや、ちょっと、秋葉くん。
秋葉くんの、「ばか!」
とりあえず私は怒ってずんずんと帰宅した。私の斜め後ろで、いつもよりもちょっとだけわかりやすい表情で、秋葉くんは困ったように慌てていた。多分。
(なんで困るの)
理由があるんなら、教えてくれたらいいじゃない。なのになんにも教えてくれない。
その“理由”に、変な風に期待しているような自分がいて、そのことにまたムカッとした。よくわからない気持ちを、頑張ってごまかしたら、いつの間にか怒るような気持ちになっていた。そんな感じだ。
秋葉くんはと言えば、相変わらずぼんやりとして、窓から外の木々を見つめている。おいこら。真面目になさい。と言いたいところだけれども、私だってちょっと気合が入っていない。人のことが言えない。
(やっぱり、なんにも考えてないのかな)
なんだか、それで正解な気がしないでもない。
***
からから、と秋葉は窓を開けた。瞬間、片手に持った二本の鉛筆を投擲した。寸分の狂いなく投げつけられたそれに、僅かな悲鳴と破壊音が聞こえ、彼は静かに窓を閉めた。問題ない。
(……増えてるな)
立橋院の監視ではない。それにしても、よく立橋院の敷地にまで入り込めたものだ、と嘆息したが、何も賞賛によるものではない。叫び声を上げて木々から落下するスパイなど、よくその程度の腕前で、やって来られたものだ、とその運に驚いた。
(まあ、違うな)
おそらく、立橋院生徒会により、わざと泳がされていたのだろう。
(なら、始末をつけるべきじゃなかったか?)
ここ数日間、バカのように派遣されるスパイたちを適当に葬り去ってきたのだが、今のところ文句の声はどこからも聞いてはいない。(それに、不愉快だ) 明らかに、彼らは自身を監視していた。まるで様子見とばかりにこちらへ望遠鏡の口を向けている。バカらしい。
自身ならば、いくらなりとも相手をしてやるが。と秋葉は眉をひそめた。けれども、はそうはいかない。彼女は普通の、よくも悪くもなんの取り柄もない女生徒であり、彼が守るべき人物だ。もし秋葉の目の届かぬところで何らかの動きがあれば、彼にはどうすることもできない。
(俺にも、式が使えりゃよかったんだけどな)
残念ながら、あの化け物のように、使い勝手のいい力はない。
ちらり、と部屋の端でホウキとちりとりを動かすを見つめる。
(狙われている。そう伝えたところで、不安にさせるだけだしな)
どうせが警戒したところで、何の意味もないのだ。だったらいたずらに怯えさせるよりも、何も告げない方がいい。秋葉はそう判断した。その分、できるだけ俺が近くにいたらいいだけだ。
「あ、私、バケツのお水換えに行ってくる」
「市井が行け」
「唐突なる名指しに先生ビックリしかありません」
まあいいですけどね? いいですけどね? 女の子に重い物持たせちゃだめですもんね? と市井はからバケツを受け取った。「えっでも」「いいんですよう。代わりにさんには、僕の雑巾をプレゼントします」 はいどうぞー。そう言いながら渡された雑巾に、はひょいと目を向けた。からから、と市井が扉を開ける。その隙間をぬって、秋葉は再び投擲した。わずかに開いた廊下の窓ガラスの間を、ボールペンが通り抜ける。カシャンッ
「…………あれ、今、変な声が聞こえませんでした?」
「全然。気のせいじゃないですか、さん」
「そうかな……」
そうなのかな、とは首を傾げている。
(それにしても、生徒会からなんの情報もない理由がわからないな……) 自主性を重んじる。そんなところだろうか、と思ったが、たかだか生徒会候補に、そんな寛大な気持ちで接してくれているとは、どうにも考えがたい。
(これもテストか)
例えばの可能性だが。だとすれば、と秋葉はうん、と頷いた。
「ますます嫌いになりそうだ」
「秋葉くん、ちゃんと仕分け、できてる?」
「問題ない……あ」
鉛筆とボールペン。いるものに分けていたのに、間違えて投げてしまった。
「……どうしたの? なにか変なことしちゃった?」
「し、していない」
「……怪しいなあ、秋葉くん、案外わかりやすいからなあ」
「なんだそれ」
「秋葉くんは、口下手でぶきっちょなだけって、なんだかこのごろわかってきた」
「…………」
別に、そんなことはないだろう、と秋葉はムッと口元を尖らせた。
*
パンパン、と秋葉は土埃のついた手のひらを軽く叩いた。校舎裏にて倒れた男を放置する。一人。
*
ざしざし、と秋葉は足で地面を引っ掻いた。靴の中に入った土を出す。ばたばたと倒れるスパイを放置した。たくさん。
*
あー、とぼんやりあくびした。購買で買ったメロンパンの袋を脇に抱えながら、侵入者が積み重なった山を通り過ぎた。ずんぐり。
「おいてめえら、いい加減にしろよ」
ガスッと男のケツを蹴る。適当に退散させていれば、さっさと消えてくれるかと思っていたのだが、残念ながらそうはいかなかったらしい。もぐもぐ、とおいしげにパンを頬張るの背後で、奇妙にきらめく光があった。丁度持っていた割り箸をぶん投げたものだから、残る一本の箸で昼を食べるはめになった。
特にこちらに手出しをするという訳ではなく、どちらかというと様子見という風貌をとっていたものだから適当に潰すだけにとどめておいたが、さすがに我慢の限界というものがある。「それじゃあまた放課後にね!」と自身の教室に戻っていくに頷きながら、秋葉は男の落下地点に足を向けた。
ばったりとコンクリートの上で倒れた黒ずくめのケツをガスガスと蹴り飛ばす。「うぐ」と聞こえた唸り声に、もう一回激しくぶっとばした。「ぎゃぐっ」「うちの会長に用があるってんなら、俺を通してくれ」 ちなみに市井はどうでもいい。
「で、お前の仲間はあと何人だ」
どっこいせ、とスパイの背中に座り込んで、顎に手のひらを置きながら、ごきごきとエビぞりさせる。ぎゃひっ、ぎゃひっ、ぎゃひっ、と聞こえる声がうるさいので袖から取り出した針をぐさりと首元にさした。男は力の限り体を痙攣させたが、悲鳴ひとつ聞こえない。「で、何人だ」 ぱくぱく、と男は涙ながらに口元を動かす。「……ああ、悪い」 ぷすり、と針をひきぬいた。
やっとこさヒィヒィと喉から声を吐き出す男に口元を寄せて、「ほら、言わねえともう一度刺すぞ」 返事代わりとばかりに、きゅっと男の喉が閉まる音が聞こえる。「し、しらない……」「ア?」「何人もクソも、俺だけだ! 俺しか……」「理解した」 コキリ、と男の首をねじ曲げる。白目を向いてぱたりと倒れた男の背から立ち上がり、あくびをした。
つまり、彼らは徒党を組んではいない。
下っ端に聞いたところで、なんの意味もない。だいたい、(予想は、できてるしな……)
パリンッ
唐突に、ガラスが割れる音が響いた。秋葉はパッと顔を見上げ、駆け抜ける。
階段をすっ飛ばすように駆け上がり、慣れた道のりを駆け上がる。ガラリと勢い良く扉を開けた。教師や生徒が、遅れてこちらを振り返る。そうした後に眉をひそめ、すぐさま割れたガラスの元へ視線を戻す。
「!」
彼らを押しのけるように、秋葉はの元へ駆けつけた。
***
「このごろ、スパイさんが多いねぇ」
のったりとした口調でぺたりと頬に手のひらをつけた時乃に向かい、腹立たしいとばかりに蓮子は鼻から息を吹き出した。「蓮子さまぁ、お鼻がぷっくり。子豚さんみたいですう」「だまりなさい!!」「ひーん、痛いですぅ」 ばしばし、と山田のオケツを蹴り飛ばしながら、「信じらんないわ!」と蓮子は両手を天井につきつけた。
「私達のときはこんなことはいーっさいなかったってのに!」
「前の生徒会役員さん達が、怖かったから、入ってこれなかった……」
とかかも? とこくんと首を傾げる小雪に、ギギッと蓮子は瞳を見開いた。けれどもピクンと肩を小さくさせる彼女を見て、ふんっと息を吐き出す。「違うわよ。こっちはわざと警戒を緩めてるだけ。前の生徒会の実力は認めるけど……去年は本当に何もなかった。そのことが事実よ」「つまり」と口を開こうとした時乃に、ばしんっと蓮子は手のひらを当てた。「おだまんなさーいっ!」 元気な生徒会である。
「とにかく! 私たちはあの化物どもとは作戦が違うわ。広く門戸を開けたふりをして、反対に情報を掴みとる。バカのふりをしてあっちの尻尾を踏みにじる、力と力で対抗しよーだなんて、ただのマヌケよ大マヌケよ。力じゃないわ。智で勝つの。一番効率がいい、素敵な方法よ」
そうすれば、あんたも無駄な力は使わずに済むしね。とちらりと蓮子は小雪を見つめた。ぱっと小雪が瞳を開くと、ふんっと蓮子は顔をそむけた。誤魔化すように、ちゃきちゃきと眼鏡を動かす。
「……の、はずなんだけどね」
うーん、と重っ苦しいヘルメットを頭にしながら、こくん、と千尋は首を傾げる。
「ちょっと、あっちの人たちはやりすぎちゃったかな」
困ったように、テーブルに肘をついた。ヴンッと蓮子のパソコンの向こう側で、に駆け寄る秋葉の姿が見える。「……ちゃん、怪我、しちゃったね」「うん。これは僕達の落ち度だ」
ただの様子見で終わってくれる。そう思ってたんだけど、言い訳だね。と千尋はゆっくりと瞳を閉じた。
「ちょっと、お仕置きが必要だね」
そう呟きながら、なんとも自分に似合わない台詞だなあ、とポリポリと千尋は首をかく。そうしたら、あんまりにもヘルメットが合わないものだから、がっくりと頭が崩れてしまいそうになった。
「異存はないわ。なんたってむかつくもの。始めっからむかついてむかついてしょうがないもの」「蓮子ちゃん、このごろずーっとキーキーお猿さんみたいだったもんねぇ」「なんですってぇ!?」「可愛かったよー」「褒めてないわ!」
このバカ時乃ー! と腕を振るおうとする蓮子の間に、すかさず山田が割り込んだ。バコッと殴られた顎を幸せそうにさすって、「蓮子さまぁ、もっとぉ」「意味なく割り込んでくるんじゃないわよ!」「意味ならありますう。私も蓮子様と遊びたかったんですう」「遊んでなんかないわよー!」
なるほど、確かにお猿さんみたいだ。とは思ったけれどもさすがに言わない。千尋はぼんやりため息をついて、確かに僕達のときには、全然こういうことはなかったなあ、とヘルメットを直した。
ふと、小雪と目が合った。大丈夫、とばかりに微笑む。
「大丈夫、彼らの目的は」
実際、大したことではない。いいや、大したことはあるかもしれない。けれども、そんなバカなことを考える程度の連中よ。たかがしれてるわ。と言いながらも鼻息を荒くさせていたのは蓮子だった。
「 立橋院、生徒会候補の成り代わりだから」
***
「つまり、俺達の排除が目的ってことか」
『まあそんな感じ、と言いたいところですが、ちょっと違いますかねぇ』
電話越しのへらへら声に、秋葉は眉間に皺をよせた。
「……会長、お前、俺の三人は生徒会候補に選ばれた。一年間、運良く生き残れば晴れて立橋院生徒会。様々な特権を手に入れることができる」
『そうですね』
「けれども、それをよく思わないやつがいる。もっと言えば、成り代わりたい」
『ええそうです』
「文字通りに成り代わったところで意味がない。そうなったところで、俺たちの顔と名前、戸籍なのであって、自分本人のものじゃないからな」
『確かに』
「なら、俺達が失敗すればいい。生徒会からの指令を成し遂げることができず、生徒会候補としての任を剥奪され、退学に追い込むことができれば」
『どうなります?』
わかっているくせに、からりと面白げに彼は秋葉に問いかけた。
「 次の生徒会役員候補が選ばれる」
もし、再びクジが行われれば。もし、運良くその中にもぐりこむことができれば。馬鹿らしい、陳腐な考えだ。
『なんだ! わかってるんじゃないですか。秋葉くんって、いちいち回りくどいのが好きだよねえ』
「うるさい。何故生徒会役員たちはあいつらを放置してる。例年通りのお約束ってことで、これもテストのうちなのか?」
『いいえ。それはただの彼らの方針です。二年前……は、分からないけど、去年はなかったらしいね。なんてったって、彼らは最弱の生徒会役員候補と噂されてましたし。手を出さなくても、勝手に落っこちてくれる。そう思ってたんじゃないですか? 現生徒会役員は、それで色々ご立腹してる人がいるみたいです』
よかったですね、僕らはもしかしたら生徒会役員になっちゃうかも、なんて期待されてみるみたいですよ?
なんて付け足されても、まったくもって嬉しくない。
「市井、情報を出せ」
『 何故? 言っときますけど、あいつら“小物”ですよ。僕らをおっことしたところで、あんな陳腐なやつらをクジが選ぶ訳がない。ほっといたって、勝手に自滅していきます』
「御託はいらない。俺が潰す」
『っていうか、僕、不思議なんですけどね。まだまだ彼らは様子見の段階で、僕らを観察していた。秋葉くんは知ってたんですよね? なのになんで、わざわざ手を出したのかな?』
観察者相手にこっちの力をわざわざ見せるだなんて、ただのバカのような行為にしか思えないんですがねぇ。
嫌味ったらしいその言葉に、秋葉はチッと舌を打った。こっちが電話を切ることができない。そうわかっているものだから、言いたい放題って訳だ。
『あ、そうか』
相変わらず、わざとらしい口調だ。
『さんがあいつらに見られることが、嫌だったんですねぇ』
「そうだ。会長を守ることが俺の義務だ」
『……つまんない反応だなぁ』
ちらり、と秋葉は扉を見つめた。まだだと確認して携帯に耳をつける。「とにかく情報を出せ。こっちに様子見に来ているバカども全員の居場所だ」『……はいはい。まあ一応、僕も他人ごとじゃないですし?』 生徒会、やめさせられちゃったら困りますしぃ。と伸ばした語尾の向こう側で、ピラピラと紙がめくれる音がする。
『…………っていうか不思議なんですけど、秋葉くん』
「なんだ」
『僕、携帯の番号、教えた覚えがないんですがー』
「職員室の机に置きっぱなしになっていたので、念のためと確認しておいた。無用心だな」
『ツッコミどころが満載すぎて何を言えばいいのかちょっとよく』
「どうせ、“本業”に使ってるものとは別だろ」
ぴたり、音が止まる。くくっと口元を皮肉げに笑わす声が聞こえた。相変わらず、安っぽい、小物っぽい男だ。
からり、と扉が開く。「とにかく、知らせろ」 それだけ呟き、秋葉は電話を閉じた。「会長」 足を踏み出す。は困ったように笑っていた。扉向こうでは、保険医が苦笑している。「怪我は。痛くないか」 ぎゅっと片手を掴んだ。はパッと顔を赤くして、ぶんぶんと首を振る。
「本当か」
「本当」
「本当の本当か」
「本当だってば!」
本当だな、と秋葉はもう一度、の片手を強く掴んだ。「もう!」とは肩をいからせた。そして、「こんなちっちゃい傷が、痛い訳ないでしょー!?」
ちまり。
左手の人差し指と中指に、絆創膏がくるくる、と巻かれていた。
***
唐突に、教室の窓が割れた。丁度窓側の席にいた子が休みでよかった、と息をついたけれど、やぱり思い出すとお腹が痛くなってきた。大きく割れたガラスはぐさぐさと床につきささって、私の席まで飛んできた。「ひゃっ」 慌てて指をひいたから、あんまり大きな傷にはならなくてよかったけれど、と自分の左手をじっと見つめる。その隣では、秋葉くんが一人険しい顔をして私の手のひらをじいっと見つめていた。
「会長、本当に痛くないか」
「痛くないよー。もーまんたいですよー」
「鞄は俺が持つ」
「右手で持つから関係ないよー」
妙に心配性な秋葉くんは、こうして私の隣に立って、てくてくと一緒に帰宅した。今日の生徒会のテストはお休みでーす、とぱちぱち手のひらを叩く秋山さんに、私はパチパチと瞬いた。こんなこと初めてだ。
「っていうか、怪我ならいっつも秋葉くんの方がいっぱいしてるじゃない。それに秋葉くん、今日授業、サボってたでしょ?」
痛いところをつかれた、と言うように、秋葉くんはうぐっと唸った。「ガラスの音にびっくりして、思わず来たって言ってたもんね。でも秋葉くんの教室と私の教室、ものすっごく離れてると思うんだけど」「いや、それは」「大方、外でお昼寝してた。そんなとこなんでしょ」
授業はちゃんと出なきゃダメなんだからね、と人差し指をピンと伸ばすと、秋葉くんは困ったように頭をかいた。「返事!」「……ん」「よし」 うん、と笑うと秋葉くんはやっぱり困った顔をした。
(……それにしても)
『 !』
名前を呼ばれた。
いつものぶきっちょ面をくずして、思いっきりに顔を焦らせて、彼は叫んだ。自分は寸分の狂いなく、思い返すことができる。なんだかちょっとだけ赤くなった。「……会長?」「なんでもないです」 実は、最初の方は、会長と呼ばれることがくすぐったかった。でもいつの間にか慣れてしまった。その呼び方も好きだけど、やっぱりなあ、とふらふら考えていると、ガラスが割れた瞬間のことをまた思い返してしまった。
授業はちゃんと出なきゃだめだよ。そう自分は秋葉くんに言ったくせに、実はあの瞬間、私はぼんやり窓の外を見ていた。きらり、と一瞬何かが光ったことは確かだ。それが何かだったかということまではわからない。
(っていうか、なんで窓、割れたんだろ……)
偶然、と思ったけれど、偶然で窓が割れるだろうか? それならば。
(…………鳥がぶつかったとか?)
割れた瞬間、そんなのは見えなかったけれど、それ以外思いつかない。
うーん、うーん、と唸っていると、「会長」とふいに秋葉くんが私の服の袖をひっぱった。「ひゃっ」「うわっ」
聞き覚えのある声だ。私はパッと顔を上げた。「榎本さん……! と、」 誰?
榎本さんの隣には、肩口までの短髪の女の子がいた。さらさらの緑髪が、パタリと揺れる。睨まれた。そう思ったのだけれど、元々眼つきが鋭い人なのかもしれない。申し訳ない。「やあ、さん。久しぶり」「あ、はい。お久しぶりです」 ちらり、と隣の女の人を見る。「幼馴染さん……」 ですか? と首を傾げてみた。幼馴染を待ってるんだけど、まだ来ないんだ。何度か榎本さんはそんなことを言っていたような気がする。
「えっ。違うよ。彼女はその……クラスメートで」
「そうでしたか。ごめんなさい」
ぺこ、と女の人に頭を下げた。つまり彼女も先輩だ。その人はコクリと頷いた。そして秋葉くんと目を合わせた。相変わらず秋葉くんは不機嫌そうな顔をして女の人を睨んでいる。いや、いつのも1、2倍くらい不機嫌だ。「秋葉くん、あいさつ!」「…………」「秋葉くーん?」「コンニチハ。サヨーナラ」 ガクッと肩をおとしたけれど、これが秋葉くんの精一杯の愛想に違いない。
相変わらずの秋葉くんの態度に、榎本さんはあはは、と朗らかに笑った。そうして、「それじゃあ、俺達用事があるから。ごめんね」 はたはた、と手のひらを振って、私の隣を通りすぎようとする。「あ、そうだ」 榎本さんは、ピタリ、と止まって振り返った。
「なんだか今日は、酔っぱらいが多いみたいだから、気をつけてね」
それだけ言うと、「行こう、橘さん」とクラスメートという女の先輩に声をかけて、てくてくと道を歩いて行く。その橘さんは、特に声を発しないまま、そのままスタスタ歩いて行く。
なんとなく、私と秋葉くんは、榎本さんと橘さんの背中を見つめた。隣の秋葉くんを見つめてみると、妙に険しい顔をしている。「……秋葉くん?」「あいつら」 ぽつり、と呟いた。「なんで、学校に戻っていくんだ?」 ハッとした。
あっちは学校に戻る道だ。放課後で、夕方で、先輩と制服ですれ違う。なんだか変な状況だ。「一体、どこに行ってたんだ?」と相変わらず訝しげな声を出す秋葉くんに、「忘れ物したんじゃないかなあ」
秋葉くんはパチパチ、と何度か瞬きをした後、「なるほど。確かに、あいつ、マヌケそうだもんな」 うんうん。と納得している。
「こらっ。先輩に対してそれはないでしょ、その言葉は!」
「別に本人に言った訳じゃないだろ」
「言ってたまるか!」
なんで秋葉くんは、こう榎本さんに失礼極まりないのか、と思ったのだけれど、市井先生のことは苦手だし、前生徒会役員の副会長さんも得意ではないらしいし、そもそも、年上が苦手なのかなあ、となんとなく納得して、私と秋葉くんはてくてくと帰路についた。
道途中、ぱたぱたと倒れている男の人達がたくさんいた
ついでにビールの缶が散乱していたので、なるほど、彼らが榎本さんが言っていた酔っぱらいなのだなあ、となんとも虚しい気分になった。こんなとこで寝ていたら、風邪をひいてしまいそうだ。
もう少しで家に着く。
いつもよりも早い帰宅時間が、なんだか変な感じだ。さて、空いた時間は何をしようかなあ、と伸びをしたとき、じっと秋葉くんが私を見つめていたことに気づいた。どうしたんだろう、とぼんやりしたのは一瞬で、すぐにパッと赤くなった。抱きしめられる。そう思った。慌ててきゅっと瞳を閉じたのだけれど、いつまで経っても何の反応もない。
ゆっくり瞳を開けると、秋葉くんは眉間に皺を寄せたまま、私の左手を見つめていた。ほんのちょっと、指がからむ。「……ごめん、な」 小さな声だ。「えっ、何が?」 聞き返しても、何の反応もない。
きゅっと秋葉くんが、私の手のひらを握った。けれどもそれは一瞬で、「家、見えたぞ」 指をさす。うん、と私は頷いた。「また明日」
そう言って去っていく彼の背中を、私はぎゅっと鞄を抱きしめたまま、なんとなく、ぼんやりと見送った。
***
「秋葉くんって、基本的にバカですよね」
ははん、とまるで当て馬の敵役のように笑いながら、眼鏡のつるをカチャカチャいじる市井のケツを、思いっきりぶちのめしてやりたくなったが、残念ながら片方の足はぐるぐると包帯巻きで、けんけんと杖をついている状態ではどうにも無理な相談だ。「お前の眼鏡、後でバキバキに粉砕してやる」「ふふん。程度の低い脅しですね」
できるものなら、と両手を肩の横に置いてふるふると教師もどきは首を振った。その瞬間、がちゃん、と屋上の扉が開く音がしたので、秋葉はすかさず松葉杖を市井の鳩尾に叩き込んだ。「あ、さん、こんにちぶごっ!?」「ごめんね、待ったー? って秋葉くん先生に何してるの!?」「手が滑った」「っていうかまた包帯ぐるぐるだし!?」
こんどはどこですべったの、それとも落ちたの!? と詰め寄るに、秋葉はしばし逡巡したのち、
「歩道橋で……」
「だから! 階段はゆっくり降りなきゃだめって言ったのに!」
なんでそんなにおっちょこちょいなの! と怒られた。
これ以上の言い訳が出てこなくて、むごむごと口元を動かしていると、「まったく、本当におマヌケさんですねぇあきばぶっ!?」 ニヤニヤとこっちを見ている市井がむかついたので、もう一度松葉杖でぶん殴っておいた。の前以外では一般人を演じる気はないらしいので、殴れるときに殴っておく。「だから秋葉くん、何してるの!? こら!」 そのかわり、に怒られる。
(……邪魔臭いな)
石膏でつつまれた足は、どうにも邪魔だ。あと数日ばかりの辛抱だな、と持ってきたパンをかじりながら、相変わらず何やらプンプンと怒っているらしいを見つめた。やんわりと笑った。「嬉しそうな顔してますねえ」 ひそり、と恨めしげに市井が呟く。
「……何がだ」
「別に。いいんですけどね。守った本人は、知るよしもなし……ってのに、健気なもんだなあと呆れただけです」
「それが副会長の義務だ」
「はいはい。弱っちい副会長さんの、ですけどね」
ぐさり、と割り箸でさした。「あうっ、微妙に痛い!?」「それで秋葉くんは、もうちょっと落ち着きを持って……って聞いてる? 聞いてないね?」「聞いている」「あっ、ちょっと秋葉くん。なんで予備のお箸を出すんですか。ちょっと。微妙に傷つくんですけど。ちょっと」
市井をさした割り箸を、ぺいっとスーパーの袋にいれながら、ゆっくりと秋葉は思案した
弱っちい副会長さん
否定ができない。だからこその反応だ。
(市井から渡されたメモの半分以上が、俺が行ったときには、すでに“掃除”されていた……)
一体誰が、などと考えるまでもない。
化け物め、と吐き捨てる。実質、自分の作業など、彼らの三分の1にも満たない。おそらく、秋葉が動かずとも、彼らがすべてうまく事態を収めていたに違いない。
(自己満足だ)
初めからわかっていた。
(けど、そうしたかった)
馬鹿馬鹿しい。自身でもそう思う。
「…………秋葉くん、随分盛大に落ちたんだねぇ。毎回ホントびっくりするよ。あ、頭の包帯取れてるよ。直してあげる」
「……いや」
「あ、手のひらもいっぱい傷だらけだ。絆創膏、別けてあげるね」
「……うん」
「はい、手のひらパーッてしてー」
「……ん」
「できました」
他にも痛いところがあったら言ってね、というの言葉に、借りてきた猫のように、秋葉はこっくりと頷いた。「会長も」 やんわりと、の左手をつかむ。「すぐに言え」「え、あ、うん……」 ぽふ、と少しだけの顔は赤くなった。
「さんさん。僕も今、秋葉くんに殴られたところがとっても痛いんですが」
「……あ、そうなんですか? お大事に」
「心持ち、さんも僕に対して適当になってますよね?」
「はい?」
いやまあいいんですけどねー? とあはあは悲しく笑う一人の教師の隣で、もう一度、きゅっと秋葉はの手のひらを握りしめた。もう少しだけ、赤くなった。そんなを見て、くすりと秋葉は笑った。パッと目を合わせたは、ぽとんと視線をおっことして、二人で一緒に手のひらを握り合った。
とある スパイの ひとりごと
「そろそろ消えたい」