少女と怪青年



「夏目なんてだいっきらいだ!」

確かに、そう言われたはずなのだけれど。




くるりと振り返ってみた。すると慌てたように白い何かが、さささと木の影へとひっこみ、茶色い幹へと、その細い腕をぴったりと貼り付け動くまいと頑なな姿を見せている。

何故だろうか。暫く前と重なる光景に、夏目は僅かに瞬きをし、ニャンコ先生は「妙な生き物だ」とため息をつくように呟く。夏目はその言葉に、自分のことをいっているのかと突っ込みたくてたまらなかったのだが、ごくりとそのセリフを飲み込んだ。


どうしたものか、と小さく頭をひっかき、何も見ていないフリをするように、夏目は足を進める。ニャンコ先生がくっつく。またその後ろでは、パタパタと歩く音が聞こえた。夏目は僅かに苦笑しながら、ゆっくりと少女のペースに合わせ、足を動かす。


とことこ。ぽてぽて。パタパタ。


繰り返す足音が、リズミカルに響き、蝉の声とよく合わさった。とことこ。ちゃかちゃか。パタパタ。


夏目は、ふいにその足を止め振り返る。は、驚いた猫のように体をびくりと硬直させ、丸いアーモドンドのような瞳で、夏目を見つめた。「おいで」と伸ばした手に、彼女はくるくると瞳を回し、その手のひらを、きゅうと握る。


「買って、夏目」
「ん?」
「アイスキャンデー、買って、夏目」

むっつりとしたの声に、夏目は静かに、わかった、と頷いた。隣の猫が嬉しそうに短い尻尾をぱたぱたと振る。「先生にあげるなんていってないぞ」といえば、彼は怒ったように、シャアシャアとまたまた短い爪を取り出し、夏目の足をめがけて振り上げた。「うわ! 冗談だよ!」

それなら問題ない、といわんばかりに軽やかな足取りで、ニャンコ先生は先頭をつっきった。なんて現金な、と夏目は思いつつ、掴んだの手のひらを、ぎゅうと握り締めて、その後へと続く。



      夏目は、のこと、うそつきだと思ってるの


そんな声が、ふと聞こえた。見下ろした彼女は、むっつりとした顔のまま、それでもきょとりと夏目を見る。ゆっくりと、夏目は笑った。が、戸惑ったようにうつむいた。


あのとき、自分はどうすればよかったのか。夏目はよくわからない。口ごもったセリフに、少女は傷ついたように駆け出した。今でこそ、その手を握りしめているが、確かに夏目はこの小さな子どもを傷つけた。あのとき、自分はいいやと首を振ればよかったのだろうか。けれどもそれは違う気がした。

夏目にはよくわからない。何故、が寂しげな顔をしたのかが、よく理解ができなかった。お前は何故あの子どもに関わるのだと首を傾げたようなニャンコ先生の問を、未だに答えることはできない。



ふいに、車が見えた。アイスキャンデー、わらびもち。お決まりな文字をニャンコ先生とは目を輝かし、我先にと夏目をほっぽって駆け出した。早い、と夏目が苦笑することもできずに、ぽかりとしている真ん前を、が「夏目、はやく!」と嬉しそうに小さな手のひらを振る。

「少し待って」 
自然と夏目の頬もほころび、足を進めたその瞬間だ。





「懐かしいね、アイスキャンデー」


ふいに聞こえた声に振り向けば、怪しげに深い帽子をかぶる男が一人。小さなメガネをかけている。ちなみに伊達だ。そのとなりには、顔全体をすっぽりと覆う、鬼の面をかぶった、時代錯誤な着物姿の女性が一人。

「名取さん、柊」

にっと胡散臭いような笑みを浮かべた彼、名取の頬へと、ヤモリのような形をしたアザが、カサカサとゆっくり這いまわる。初めはぞっとしたものだが、慣れれば可愛らしいなと夏目はぼんやりと考える。
軽く会釈した柊に、夏目は慌てたように頭を下げた。


名取は変わらぬ表情を浮かべたままに、ニャンコ先生へと、目を向け「なにやらハイテンションだね猫ちゃんは」と肩をすくめるように、夏目へと声を掛ける。それと同じような表情で夏目は「食い意地だけは張ってるんで」とあきれたように口を開いた。


「名取さん、またお仕事ですか」
「まぁね、終わったばかりだけれど」
「そうですか。アイスキャンデーなんてどうです、奢りますよ」
「残念ながら、年下に払わせる趣味はないな」

わざとらしいようなポーズで、ふるふると首を振る名取が、何故だか面白いように見えて、夏目はふと噴き出した。それを見た名取は、心外したようにむっと眉を寄せ、「なぜ笑うんだい?」「いえ、おもしろいなと」「正直だな」 正直はいいことだ。


彼の独特なテンポは、時々時間を忘れさせる。ある種それは一つの才能なのだろうと夏目は頷いた。

「夏目!」

ニャンコ先生を抱きしめながら、どすどすと音を立て足を踏みだし、頬をふぐのようにふくらませてたが、大きな声を張り上げた。
夏目がそれにはっとしたように、ごめんと謝る暇もなく、は名取と夏目の間へと、無理やりに割り込むように動き、その小さな背で、名取をじろりと睨む。


「おや、小さなお嬢さんだ」
「………テレビで、見たことある」
「ん? そりゃ光栄だね」
ちゃん」

の肩を引き寄せるように動かした夏目の手に、素直に従いながらも、は名取を見つめる。かさり。頬を動くアザが大きく尻尾を震わせた。「夏目」「ん?」「この人、おばけがついてるよ」


名取は瞳を大きく開けたまま、ぺたり、と静かに己の頬をなでた。「へぇ」と僅かにつぶやいた声は、どこか平淡に、を見つめる。夏目は、首を振った。

「違うんです、名取さん」
「おもしろいね、きみ。ちゃんかい」


くつくつと笑う名取へと、柊が重い口をぱかりと開け、「名取」と短く呼びかける。名取は、手のひらをちょいと肩越しまで上げ、分かっているとでも言いたげに、にやりと笑った。つくづく笑みの似合う男だった。


「この素敵なお兄さんに、何がついているって?」
「おばけ」
「どんな?」
「こわいおばけ。だから、夏目に近づいちゃだめ」


ぎゅう、と夏目の手を握りしめたは、ぎゅうと口を一文字に結びながら、彼を睨んだ。
その様子を、まるで面白いようなものを見るように、口元をくいとつりあげながら、にやりと呟く。



「嘘だろう、それ」



ぽとりとこぼされた言葉に、夏目は大きく目を見開いた。「名取さん、待ってください」 その夏目の声を打ち消すように、「うそじゃない!」 は叫んだ。抱きしめられていたニャンコ先生が、強く握りしめられたの腕に、「ぐえ」と苦しそうな声をあげる。

「いいや嘘だね」
「名取さん」
「うそじゃないもん!」
「いいや嘘だ」
ちゃんおちついて、名取さんも」
「うそじゃない!」


      嘘をつく子は、嫌いだよ」


吐き出された声に、弾かれたように、は夏目を見つめた。ちゃん、と手を伸ばそうとした彼に、びくりと体を震わせ、名取を見つめる。そしてまた、夏目を見た。この間と同じように、真っ赤にさせていた顔は、次第に青く染まり、ニャンコ先生を、抱き締めたまま、ゆらりと一歩、後ずさる。

ちゃん」

伸ばした手が、間に合うこともなく。



かけた。逃げるように、いいやは逃げた。飄々とした名取と、柊と三人、実質二人で取り残されるような形に、夏目はでこを指でかき、肩を震わせるように、僅かに息を吐きだした。「………大人気、ないですね」「そうかい?」

事実を言ったまでだよ、とやはり彼の笑みは崩れることはない。けれども一瞬、くしゃりとしたような、子どものような顔つきで、夏目を見つめた。ただ一瞬。夏目が首を傾げている間に、それは終わってしまった。「ほら、行くんだろう」と、彼はぽんと夏目の背を叩き、僅かに足を進ませた夏目は、眉をひそめるような、困ったような表情で、ほんの少し、唇をかんだ。「ほら」


後ろ髪をひかれるように駆け出した夏目を、名取はぽつりと見送った。静かに佇む柊を尻目に、彼は小さなため息をつき、「後味が悪い」と一言つぶやく。


「そんな嘘をいったとしても、寂しくなるだけだろうに」






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2009/01/23
1000のお題 【235 狼少年】