「うわ、あ……」
フェンスに指の先をひっかけて、ちょこちょこと小さな身体でがんばって背伸びする。見えない。たくさん人がいる。見えない。ジャンプ。あ、見えた!
ウチくん! と心の中で叫んだ。すごい。

黄色い球が、ぱかぱかと目の前を飛んでいく。正直、テニスのことはよくわらない。ルールブックを片手にベッドの上をゴロゴロして、たまにラケットを振り回すフリを部屋でして、運動音痴な自分に顔を赤くしていた。でも、ウチくんのことならわかる。ずっとずっと見ていたからわかる。今までと全然違う。

(顧問の先生が、変かな)
少し前に、ウチくんがそう言っていた。それから、新しい人が増えたと。名前も知ってる。インターハイに行った滝田さんとか、すごく元気な伊出さん。民夫くんとウチくんが話していた。顔の特徴を聞いたことはないのに、ああ、あの人なのかな、となんとなくわかってしまう。あ、今ウチくんが伊出さんになにか怒ってる。

どんどんみんなは勝ち進んだ。個人と、団体戦を総ナメなんて、少し前に、一体誰が想像しただろう。(頑張ったもんなあ) 私はいつも見てるだけだった。頑張っているウチくん達の背中を見つめてがんばれ、がんばれ、と言っているだけ。私は中学生で、高校生の大会に顔を出すことは気恥ずかしかったし、なにかいけないことのような気が勝手にしていた。(あ、今) ウチくんが笑った。
胸の奥がキュッとなる。

少し前から、私は変だ。前からウチくんが好きなのに、最近きゅっと胸が痛くなる。きゅん、とする。
かしゃり、と手のひらを握る熱がひどくこもった。


     幕ノ鎌、最強時代の幕開けだった。






「ウチくんウチくん」
ねえねえ、ねえねえ、とウチくんの前をくるくる回る。ウチくんはひたすらどうでもいい顔をして、みつあき2号の頭をなでている。「ねえウチくん!」 あのね、と言おうとした。お庭の葉っぱを踏み分けて、あのね、私中学3年生になったよ!
そう喉の奥から言葉を出して、可愛くなったかな? と頭を突きつける。撫でられないとわかっていながらもアピールする。するはずだった。「なんだよ」 おざなりに、まあ例年のことだとわかっている口調でため息をつくウチくんを見つけると、なんだかほっぺが熱くなった。「え、う、うん……」

「うん」
「あの」
「ああ」
「なんでもないです……」
「んんん?」

なんで去年までの私は、なんのためらいもなくアピールできたんだろう。なんでウチくんの背中にすり寄ったりとか! くっついたりとか! いろんなことができたんだろう!?
自分自身がわからない、と悔し紛れにみつあき2号の頭を高速でなで上げた。初めはしっぽをふりふりしていたワンコも、さすがにやめれ、と肉球を私のほっぺに突きつける。肉球のくせに、案外硬い。「……お前、何してんの?」「わかんない……」「っていうか、さっさと家に帰れよ」

もう暗いぞ、という意味で、ウチくんはすぐ近くの私の家へ、ふんと鼻を向けた。部屋の窓から外を見下ろして、ウチくんが帰ってきた! と階段を滑り落ちるように駆け下りたのだ。家族の誰にも言ったわけでもないけど、私のドタドタとした音で、ああまた千鶴のやつ、とお父さんもお母さんもわかっていると思う。けれども私は殊勝に頷いた。ちょっと前の私なら、ウチきゅーん、とでも言ってウチくんにくっついてからじゃあねと背中を向けたのに、うむうむ、と頷くだけで納得する。
ウチくんが怪訝な顔をしている。おそらくこれが一般的な行動かと思われるのに、それで不可思議に思われるとはなんとも辛い話である。

、お前……」
ウチくんがみつあき2号をお庭につないで、立ち上がった。何かを言おうとして、私の頭にぽんと手のひらを乗せる。顔が真っ赤になった。思わずそれを隠そうとして、片手の甲を額にくっつけて、頭を下げた。「まあ、いいや。ほら、帰っとけ」「うん……」

ずるずる、とそのまま後退する。変な動き方をしている。それから、なんとなく民夫くんのお家を見つけた。こんな雰囲気のときは、だいたい民夫くんの邪魔が入るはずなのである。なのに辺りはしんとしていて、何やら不思議な気分だ。いや民夫くんだって、いつでもどこでも暇人なわけではないのだけれど、お部屋の電気でさえもついてない。

私が不思議に思ったところに、ウチくんも気づいたんだろう。「ああ、民夫ならいないぞ」「いない……?」「なんかフラフラ出歩いてた」「ふ、ふらふら?」
ウチくんを放っておいて?

「……どこへ?」
「さあ?」
ほんとうにどうでも良さそうなところが、クールなウチくんである。

(……民夫くんが、フラフラ?)

うーん?



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2018/08/31
時系列がびっくりするほどおかしいことに気づきました(仏の顔)