ウチくんと家が近いということは、民夫くんともそうだと言うことで、ウチくんが帰ってきたことがわかるなら、民夫くんだってわかるのだ。もともと、ふとしたときに外を見ることが癖だった。夜なんだから、カーテンくらいしておけよ、というウチくんのセリフにうんうん、と頷くだけ頷いて、きいてるのか、といつも怒られる。今日もなんとなく視線を外におろして、「あ」 民夫くんだ。 「ふおう! ではないか!?」 「いや、ないかと言われても?」 ウチくんのときとは違い、のったりのったり階段を降りた。だというのに、民夫くんを発見してしまった。いなくなってればまあいいか、という気分だったのに、民夫くんはふむう、と背中に抱えたラケットを取り出し、じっと見つめていた。それからブンッと振り回した。ちがうちがう、と首を振って、もっかいぶるんっ。さっきよりもよくなっている気がする。気の所為だろうか。「民夫くーん」 とりあえず、声をかけてみた。 月明かりと街灯の下で、黒いジャケットがてかっている。「ふおう!?」 そして先程のセリフである。 なにやら慌てたように民夫くんはラケットを背中に隠した。いや今更だし、丸見えだし。「民夫くんって、私服ほんとにテカテカしてるよねえ」「唐突に!?」「いや前々から思っていて」 すっかりブレずにフレディだねえ、と頷く。フレディが何かということは民夫くんから知った知識なので、実はよくわかっていないのだけれども。 「、その、今のことはウチくんには……」 「ああ、ウチくんが民夫くんが変なことしてるって言ってたよ」 「エッ! ウチきゅんが、俺のことを気にかけ」 「すごくどうでもよさそうだったけど」 「ダヨネェー! それでこそウチきゅんっ! 好きィ!」 「尊い!!!!」 アアアアア、と二人で夜中に興奮している場合ではない。多分今頃ウチくんは自室にてくしゃみをしているだろう。じじじ、と街灯の音が聞こえる。まんまるなお月さまめがけて、みつあき2号がわおん、と一つ遠吠えをした。何やら誤魔化すように、民夫くんは、コホンと咳を一つ。「まあこないだも、おんなじ感じにウチきゅんとも会ったんだけどな」 というか学校やら部活やらで、毎日会ってはいるんだけどな、とつぶやいた彼のセリフを捻り潰してやりたい。 「俺も、いつまでも俺でいるわけにはいかんのだ」 「え? フレディー卒業するの?」 「それはもう魂に刻まれておるッ!!!」 「……だよね?」 *** 私が民夫くんの言葉の意味を知ったのは、それから少し経ってのことだった。 「た、民夫くんが……民夫くんが……」 刻まれた魂を捨てていた。 いや、噂にてはきいていた。というか、民夫くんのお母さんが、うちの息子が洗面台で、ものすごく唸っててね、何事かと思ったらほんとにもう、とその日の当日、ぷすぷすと口元に手のひらを当てて含み笑いを繰り返していたのだ。なにが、いったい、どういうこと、と背負ったリュックの重さを感じながら、駆け足でおばさんの言葉に頷いた。 ウチくん達はどんどん勝ち進んでいく。少し前までは年に何度か試合を見に行くだけだったのに、今は試合の日程を把握するのも一苦労だ。主に情報源はウチくん達のお母さんである。お小遣いが電車賃に消えてくから、お買い物だって我慢しなきゃいけない。でもすごく嬉しい。 今日も今日とて、電車を乗り継ぎ、地区県内の高校のフェンス越しから、こっそりとウチくん達を発見した。はずだった。そして民夫くんのおヒゲが消えた。「なぜ……?」 「そ、そういうこと……?」 いや、どういうこと……? いけない。初めに民夫くんが、オールバックにおヒゲをはやし始めたときは、なぜそんな道に? と思ったはずなのに、今はその反対である。なぜひげがなくなった? と思ってしまう程度には、私は民夫くんに毒されていた。 ふらふらと深夜に出歩いていた民夫くん。なぜだかラケットを振り回していた民夫くん。そしておヒゲが消えた民夫くん。「まさか……?」 カチカチ、と頭の中で整理していく。「そういうこと……!?」 民夫くんは、テニスがどへたくそである。控えめに言って、激しく下手である。それでもずっとウチくんとダブルスを組んでいた。テニスのことがわからない私にもわかる程度には、民夫くんとウチくんは力の差があって、まったく、何をやっているのだと思ったことは一度や二度ではない。でも、ウチくんと一緒にいたい気持ちは、痛いほどわかっていた。 ウチくんも、それをわかっていた。 ぱこぽん、と民夫くんが黄色い球を必死に打った。 いつもと打ち方が違う。一人だけ違う打ち方をしていたのに、みんなと同じ打ち方だ。カシャン、とフェンスの音がなる。自分でもびっくりするくらいにほっぺたをくっつけていた。慌てて距離をおいて、でも今度は額をくっつけていた。(民夫くん) ウチくんと、いつも一緒にいてずるい。私がやっと中学校に入ったら、ウチくんは学校を卒業して、高校生になった。民夫くんもそうだ。ずるい。たった2歳、年が違うだけなのに、いろんなことが違ってくる。ばかばか、民夫くんなんて、ばかなか、とぽかすかする度に、羨ましかろう、と民夫くんは笑っていた。(がんばったんだねえ) ぱこぽん、ぱこぽん。 球を叩く音なんて聞こえないはずなのに、聞こえてくる。民夫くんとウチくんが、広くて狭いコートの中でたくさん走って、追いかけている。「大河内、うまいよなあ」 ぽそりと誰かがつぶやく声が聞こえる。当たり前だ。「でも一緒のやつ、あんなのだっけ」 もっと下手だったよな、と一緒に聞こえた声に、ぶひひ、と笑った。変な笑い方になったのは、ちょっと息がつまっていたからだ。 二年間と、少し。ずっと見ていた。私は見ていただけだけど。 がんばったんだねえ、と呟いた声は、ちゃんとした言葉にならかった。しゃくりあげた声が聞こえる。ぽとぽとと、足元に水玉が落ちていた。照りつける熱が、耳の裏を熱くした。 ← TOP → 2018/09/01 |