ウチくんは、どんどん強くなっていった。


多分それは、偶然とか、たまたまとか、そんなんじゃない。きちんとした理由があった。あの人達がやって来たから。ふとしたときに、ウチくん達が話す言葉とか、ガシャガシャとフェンスの音を立てながら彼らを見つめていたからなんとなくわかる。それを一緒になって見つめて、感動して、なにかを成し遂げたようなそんな気になっているのは私一人の勝手だ。
私は何もしていない。当たり前だ。なのにまるで一体感を持っているような、勝手にそんな気分になっている。と、ふと気づいたときひどく恥ずかしくなった。私は何もしていないのに、人の手柄を自分のものにしていた、そんな気分だ。


「進路、調査……」

あのあと、ウチくんと民夫くんは二回戦を勝ち進んだ。残念ながらそれ以上に進むことはなかったけれど、ウチくんは地区大会優勝。準優勝も、幕ノ鎌の人だった。さらに団体戦も勝ち進み、県大会への出場を決めた。そうして次の目標にみんなが進んでいく傍ら、私は一人教室にて配布された用紙を見つめた。

今日の放課後まで、と言われていつまでもじりじりと引き伸ばしてしまったものだ。外はもう、オレンジの光がとっぷりと入り込んでしまっている。「忘れ物、忘れ物……、と、か」 言葉の後ろに音符をつけながら、クラスメートが勢いよく扉を開けたものだから、びっくりして飛び跳ねてしまった。「あ、悪い」「ううん、ごめん」 大げさにしちゃって、と慌てて椅子に座りなおす。尚田くんだ。

「…………久しぶり?」
いや、毎日教室で会ってはいるんだけど。別に友達というわけではないから、ちゃんと話すのは久しぶりだ。去年は違うクラスだったけれど、今年は同じクラスで、ぼちぼち付き合いは長い。ひらひら、と挨拶代わりに手のひらを振ると、彼もおそらく私と同じような表情で片手をひらつかせる。「……で、なんの忘れ物?」「ああ、弁当箱を」

と、言いながら彼は自分の机に引っ掛けられた巾着袋を指にかける。「それは、大変だ」 なんせ明日は土曜日だ。彼は部活には所属していないから、学校に来ることはない……と、いうことはなんで知っているんだっけ。「……尚田くんって、テニスクラブに所属してたんだっけ」「うん、そう、……そういやそんなこと話したよな」

お弁当箱の紐をひっかけてたまま、くるくると回しながら尚田くんは頷いた。「は運動部……じゃ、なかったよな」「……う、うん」 運動が苦手なことを、ただのクラスメートである彼まで知っていることは少々恥ずかしくなった。「……そんでまた、なんで一人で?」 いじめじゃないよな、と言葉が訝しげであったから、慌てて全身で否定した。「進路、進路に悩んでて!」「えー……」

尚田くんが、黒板の日付を見て、今頃? とでも言いたげな、なんとも言えない表情をする。彼の言いたいことはわかる。
「私学でもうけんの?」

だいたいの友達が、家が近いから、とか学力との兼ね合いで、とか。そんな理由で高校を選んでいる。少なくとも、私の周りではものすごく悩んでいる子はそこまでいないような気がした。「私学というか……」 どんどん歯切れが悪くなっていく。「家から近いのは、幕ノ鎌なんだけど」 そして、ウチくんと民夫くんの高校だ。

尚田くんは、ぴくんと大きな目を反応させて、「俺も、幕ノ鎌」 なんだか上ずったみたいな声が不思議だった。「姉ちゃんが行ってて」「私も、幼馴染が……」 卒業しちゃうけど。


幕ノ鎌に行きたい。

すごく、そう思う。でもそれって、いいんだろうか。お父さんとお母さんに言ったら、いいんじゃない、と言うに決まっている。家も近いし、難しいわけでもないし、なによりウチくんと民夫くんが行っていた学校だ。
この中学で部活に入るときも悩んだ。そういえば、そのときも尚田くんと話していたことを思い出した。そこから気にしてしまって、彼がテニスクラブに入ったことを知ったんだった。
金魚のフンみたい。

そんなこと、自分でも知っている。「幕ノ鎌に、行きたいな……」 口に出すと、ふわりと気持ちが溢れた。ウチくんは今年卒業する。幕ノ鎌に行ったところで、誰もいない。知っている。でも、「テニス部に」 例えば、選手としては難しくても、一緒に応援する人に。

不純だ、と。
またひどく恥ずかしくなった。このところ、一人で勝手に恥ずかしくなって、小さくなる。その繰り返しだ。「行けばいいじゃん。俺も行くし」 ふいに、尚田くんを見上げた。なんだかほっぺが赤くなっているような、そう思ったのは気の所為だろうか。「いや、別に俺がどうとかじゃないけどっ! でも、別に、私立ってことでもねえし! 行けるならさ、行けばいーじゃん。変に悩まずにさ、ほら、ちゃっちゃと書けってー! 先生も困るだろっ!」「う、うん」

半ば無理やりのような気持ちだったけれど、『幕ノ鎌』
そう書いた進路希望の用紙は、なんだかキラキラしているような、そんな気分になった。



***



「あ、ウチくんだー……」
なんて、呟いた声が、どこか上ずっている。ここのところ、ほんの少しの間だけど、実はこっそりとウチくんを避けていた。どんどん彼が出場する大会が大きくなっていって、弱腰になってしまった。ウチくんではなく、私が。
だって、練習が大変になっていくはずである。現に、帰る時間だっていつもよりも少し遅い。それだというのに、私の相手までさせては疲れてしまう、と気を使っているのかいないのか奇妙な気持ちになって、会うことが怖くなってしまった。

ウチくんは高校生で、運動部だ。私は中学生で、たまにある部活は文化部で、通学路だってお互い違う。私はウチくんに会うように、わざわざ用事を作らないと彼に会うことはそうそうない。「いや、俺もいるんだけど?」 ウチくんの後ろから民夫くんが大きな身体をのしのし主張している。いや、気づいてはいたけど。

私はわざわざお母さんから頼まれた買い物袋を目立たせるように、目の前で揺らした。別に、待ってたんじゃないですよと。用事があっただけなんです、と言い訳がわりだ。ウチくんは肩にかけたラケットのケースを持ち直して首を傾げた。「なにやってんだ、」「何って、お買い物の帰りだもん……」「ふーん……」

さん、ー? と聞こえる民夫くんの声は無視した。「……練習、大変?」 はやく終わらせなきゃ。疲れてるんだから。邪魔しちゃだめだ。そう思っているのに、口元をもにょつかせてしまう。たまに通り過ぎる帰宅途中の学生たちが、面白げにこちらに視線を向けているような気がする。「……まあ、県大会に近いし……」「ー、俺はー?」「民夫くんは球拾いとかでしょ!?」「まあそうですけど!?」

いやいや、喧嘩を売っている場合ではない。けふん、とひとつ咳をした。いつまでも、こうしているわけにはいかない。
「あの、えっと……」 買い物袋がこすれて、かしゃかしゃと音をたてる。ひっかけた指先が、少し痛い。「あの、頑張って……」 ね、と呟いた声はすごく小さい。

このやろう、こんちくしょう、と暴れていた民夫くんも、しんとした。
ウチくんは、もともと大きな目を少しすぼめて、どうでも良さげにこちらを見ている。ような気がした。「……なんか、その」 聞こえる声が、なんだか怖い。「久しぶりだな、の応援」「……そうかな」「うん」

そうだったかな、と頬をひっかく。さんきゅう、と二人分の声が聞こえた。そいじゃあな、と民夫くんが手を振って、自分のお家に帰っていく。私もそれに続いた。「」 ふと、振り返った。「アイス、多分それべっとべとだぞ」「……えっ、あっ」 おやつついでに、買っておいてくれと言われたのだ。
落っことしたポリ袋とその中身が、地面の上で転がっていく。

「あ、あ、あ、あーっ……」
「……力尽きるなよ」

ばか、とこつりと額をこづかれた。
落とした中身は、二人で一緒に手を伸ばした。



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2018/09/03