県大会の結果は、ウチくんはベスト8という結果になった。
すっきりとした表情をしていたウチくんに、一人で小さく拍手をした。ウチくんは高校3年生だ。彼のシングルスの結果は、ここで終了してしまったのだけれども、団体戦が残っている。ダブルス、団体戦ともに幕ノ鎌は優勝を収め、IHへの切符を手に入れた。
ところで。
IHって。
「めちゃくちゃ、すごいのでは……?」

よくわかっていない私でさえもなんとなく知っているIH。幕ノ鎌は勝って、勝って、勝ちまくっていた。その結果とはわかってはいるものの、なんとなく頭の中がぐるぐるする。たまに、ウチくんの練習姿を見に行っていた幕ノ鎌高校には、立派な垂れ幕で校舎は彩られていて、はあ、ほんとうにすごいのだなあ……とため息が出ていまう。
テニスをよくわかっていないうちの両親でさえも、「民夫くんと光明くんのところの部活動が、IHに行くらしいなあ! 知ってるか、なあ知ってるか!」と夕飯時に盛り上がる始末。とっくの昔に存じております!?

食卓に出された唐揚げを口にふくみながら、言い出したい言葉を飲み込んだ。お父さん、お母さん。は、は。


一人旅がしたいです。



「あ、っはあ、はあああ〜〜〜〜…………」

口から出るため息が重たい。
「い、言えない……」 現在中学3年生。。とても受験生。幕ノ鎌高校を目指しております。成績、内申ともに問題はありません。でも中学生です。受験生です。言えない。     千葉から岐阜に行きたいので新幹線に一人で乗らせてくださいなんて、とても言えない! 下手をすると泊まり込みだ。「なんで、IHって遠いところでするの!?」 その前の関東大会だって行けなかった。そのときは茨城で、泣く泣く涙を飲み込んだのに、更に遠い。
でも今回は文字通りウチくん達の最後の大会。ウチくんのシングルスとしての試合はないものの、団体戦の出場がある。彼がどういった枠で出場するかわからないけれど、最後の最後くらい、この目でしっかと焼き付けたい。民夫くんの出場があるかどうかはわからないけど!

     あおんっ、あおんあおんっ

ふと、聞き慣れた声が響いた。「こらー、2号ー!!」 興奮しないの! と女の人が必死にわんこのリードを引っ張っている。「……ウチくんのお母さん?」 みつあき2号の散歩は、ウチくんのはずだ。それなのになんで、と思ったとき、お母さんなりのウチくんの気遣いなのだと気づいた。「あ、ちゃん、ごめんねこの子が興奮してて!」 やっぱりみつあきは、光明じゃないと駄目なのかしら? と聞く人によっては激しく混乱する独り言を呟いていらっしゃる。

「……ああもうっ、今からセールだっていうのに!」
卵88円、100名様までー! と叫ぶ主婦の切実を受け、私は思わず両手を出した。「あの、私が代わりに散歩しましょうか!?」「……え、ほんと!? いやいや、ちゃんも受験生でしょ」「気分転換ですし、受かりますので!」「ものすごい言い切りね!?」

それじゃあお願いしようかしら!? とウチくんのお母さんがすでに気持ちが走ってしまって、何度も地面を足で蹴飛ばしている。どうぞどうぞ、とリードを受け取った。受験生、と自分で言ったものの、ほんとのとこはかっこかり、というやつだ。推薦でほぼほぼ決まっているし、それが駄目だとしても、落ちることはほぼないだろう。

「あ、そうだ。IHおめでとうございます」
ふと言葉をかけた。彼女はぴこん、と耳を飛び跳ねさせるような、そんな顔つきでこちらを見た。「ありがとうねえ」 ま、テニスなんてよくわかってないんだけど、と言いながらも、自分の息子のことに、嬉しそうだった。駆け足だった足元も、すっかりお留守になってしまっている。「私も、応援に行きたいんですけど……」 さすがに、と肩をすくめた。私がウチくんのことを好きなことは、おそらく、とっくの昔にバレてしまっているみたいだから、わざわざ隠す気にもならない。「あらー?」

あらあら? とお母さんが首をかしげる。「さすがに、会場が遠いので……」「そうよねえ……試合を見てからだと、帰るのも遅くなっちゃうし、泊まった方がいいくらいだしねえ」
ちゃん、しっかり見えて中学生だしね。っていうか小さいから見かけどおりね。うちの光明も同じくちっちゃいけどね? と悲しい現実を淡々と告げられる。ツライ。「あ、タイムセール!」

思い出したように、ウチくんのお母さんが両手を打った。そしてこちらに背中を向けて、一歩、二歩。それから三歩。くるりと振り返って、「あ、じゃあそれなら」 思いついた、とでも言うふうに、お母さんが素敵な笑顔でこちらを見ている。「あのね、ちゃん」




「あれ?」

びゅーん、と窓の外の景色が過ぎ去っていく。「きゃあ、お父さん新幹線なんて久しぶりねえ!」「ほんとだねえ、お母さん。あ、校長先生もお茶をどうぞ」「あ、すみませんありがとうございます」「いやあ、うちの子がIHだなんて」 夢にも思わないわよねえ、と見知ったお母様方と、まったく知らない方々がニコニコと会話をしている。(…………あれ?)

幕ノ鎌テニス部員ファミリーズ+幕ノ鎌の校長先生。+α(私)

     最後の試合なんだから、私達も応援に行くつもりなの。もしよかったら、一緒にどうかしら

そうウチくんのお母さんから言われた言葉を、私は呆然として聞いた。それから両親を説得して、新幹線代はお年玉から捻出し、受験生に対しての数日のロスは、高校入学祝の前借りの旅行ということになった。もともと受験に対してはそれほど不安に思われていないというところも大きい。

それじゃあ大河内さん青木さん、うちの子のわがままで申し訳ないんですけど、よろしくお願いしますねえ、ともともと家族ぐるみのお付き合いであるため、軽いノリでウチくんと民夫くんのご両親へと預けられ、さらに他のご家族様応援団と校長先生というメンツの中で謎の中学生がちょんまりと埋もれている現状となってしまったのである。
「…………これで、いいのかな…………?」 いや嬉しいんだけど。
勧められたお菓子を口に含んで流れていく景色を見つめる。新幹線なんて、初めてだ。

ウチくん達の引退試合を見ることができる。そう思うと、胸の奥底がふわりと暖かくなった。嬉しい。すごく、嬉しい。(お母さん、お父さん、ありがとう……) 許可をしてくれて、本当に。(あれでも) このメンツ、堂々と応援に行くはずである。なんたって、公式の応援団なのだから。ちなみに私は非公式の応援団だと自負している。(…………ウチくんの応援を、堂々と、行うと、いうことに…………?)
さーっ、と背中が冷たくなっていった。

「あ、いや、う、あう」
いつもこっそりと、応援してきたのに、最後になって、「ど、どうしよう…………!?」「あ、ちゃんかりんとう食べる?」「あ、いただきますありがとうございます……じゃなく!?」
これからウチくんに会う。会わなきゃいけない。これは一体、どうすれば!? という私の悲鳴は、すばやく線路を駆け抜けていく新幹線の音にかき消された。



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2018/09/04