「え、メモリ? なにそれ姉さん」 第2話 ほんの少しのターニング 乱菊姉さんから、いきなり「ー!」と半泣きのお電話を頂いて、約30分。部屋の隅から隅まで探して、姉さんのいう、メモリとかいう小さな四角い箱を発見した。これだろうか、とちゃりんと音をたてて、メモリについた銀色の飾り部分を持って、ううん、と頭を傾げる。いいや、これしかないんだ、これを持って行くしかない。と、彼女の電話を思い出した。 『お願い今すぐそれうちの生徒会室に持ってきて! 会長が恐いのよー!』 日番谷さんだったか、何だったか、姉さんのケータイごしに、がみがみと大きな声で叫ぶその人の事を私は覚えている。それを、直に自分にいわれたら。想像すると、ぶるりと震える体を、ぱちんっと叩いて、すぐさま自転車にまたがった。実際の所、バイトを辞めてからというもの、暇で仕方ないのだ(自分で、辞めたんだけ、ど) かちゃんっ、と音を立てて、ペダルをこぐ。なるべく急ぐようにと、サドルからおしりを放して、力いっぱいこいだ。これも姉さんのため、と考えると、なんだか複雑な気分になる(だってこれ、私の家に忘れてったの、姉さんだよね?)自業自得なんじゃないかな、と思いそうになった自分の頭を、ぶるりと振って、違う事を考えようとしても、同じ事ばかり、このごろ考えてしまう。 ぴんっ、と頬に当たる冷たい風を弾いて、頭に響いた言葉を、もう一度、口元で響かせた。 「しろちゃん」多分、今が初めてだったと思う。心の中で、何度も呼んで、何度も考えたけれど、唇を動かして、はき出したのは、きっと初めてだと、思う。 口に出してみると、随分不思議な気分になった。ひゅるり、と胸の奥で、風が吹いて、木霊を出しているような気分になるのは、寂しいという意味なのかもしれないけれど、それは何処かおかしい。だって、私は、自分から逃げ出したんだから。 (それに、あんな恥ずかしい捨てぜりふまで言っちゃったし、今更、かな) 半分自己満足な謝りを、彼は一体、どう思ったんだろう。 カチャカチャカチャ。こぎ続けるペダルの音は、案外耳の中に響く。ほんの少しの上り坂に、また、足にぐ、と体重をかけて、ガチャンッ! と一際大きな音を立てた。がちゃん。(何だか、ちょっと似てる) がちゃん! と最後に破裂した、自分に似てるなんて考えは、ほんの少し泣けてくる。 ぐ、と唇を噛んで、バカな事を考えるな、と軽く頬を叩いて前を見ると、被さる人影に、キキッとブレーキを踏む。 ふいっ、と振り返ったその人に、ごめんなさいと頭を下げようとしたとき、「あ、またか」と明るい声が聞こえた。う、と思わず私が唸ってしまったのは、気のせいじゃない。 「なんだお前、こんなトコまで」 「いえ、あの、乱菊姉さんに用事が」 「乱菊さん? ああ、生徒会か」 「檜佐木先輩こそ何で?」 問いかけた言葉に、俺も同じだよ、と、彼はにやっと笑った。多分、目的地は同じだといいたいんだと思う。私は自転車から降りて、先輩の隣をからからと自転車の音を立てながら歩いた。私よりも大きな先輩は、随分見上げながら話さなければならないから、苦手だったりするけれど。 「そういえば」 ふと先輩が、顎の下をぽりぽりと親指でかいて私を見た。くいっと首を傾げながら見下ろして、「バイト、辞めたのか?」 何で知ってるんですか、といおうとしてやめた。どうせ先輩の事だから、私をからかおうとでも思って、ちょくちょく顔を出していたんだと思う。 (なんでこの人は、こう、触れられたくない事をピンポイントでいうんだろう) 天然なのか、鼻がきくのか、どっちにしても、付き合う方はとても理不尽だと思う。思わずハンドルをぎゅ、と握りしめてしまったけれども、返事をしないのも気がひけて、なるべく普通を装うように、「はい、辞めました」 「なんで」 「そろそろ、受験を考えないといけないですし」 「まだ1年だろ」 「早く考えるにこした事ないですし」 「嘘くせー」 「じゃあめんどくさくなりました」 「じゃあってなんだじゃあって」 からからから。タイヤを転がす音だけ聞こえて、じっと前を見据えてみた。随分長く続く坂道の上に、姉さんが通う高校が建っている。最初のうちは、坂の上の方に、ちょこんとさきっちょがのっかっていただけに見えたけれど、今では大きく、目の前に建っている。 (どうせ、ホントの事いった所で、先輩は笑い飛ばすだけだと思う) 随分リアルに、私に指をさしながら、涙が出る程大声を上げて笑う、つまりは大爆笑をしている先輩の画像が頭の中で思い浮かんだ。多分、何度もその光景を見ているからなのだと思うけれど、やっぱり理不尽だ。 「まぁまぁ、いってみ? 先輩にホントのトコ」 ぽんぽん、と肩を叩いて、口元がにやついている先輩を見て、思わず。なんだか、とても思わず、カキーン! と野球のバットで先輩の頭をぶったたいてしまいたい衝動に駆られたのだ! 「会いたいのに、会いたくないなんて、先輩には分かるんですか!」 予想以上に大きく出た声に、自分でも吃驚して、ぐ、と唾を飲み込んだ。肩を叩いたままの姿勢で、先輩は私をぎょっと見る。 道に人がいなくてよかった、と今更ながらに視線をきょろつかせてしまった。 先輩は私をじろじろと妙な目で見て、「なんだそれ、とんちか何かか?」………違います。 そろそろ話にちゃちゃを入れる事も疲れてきたので、無言でまた自転車を転がした。 隣の先輩も、のそのそとほんの少し送れて、歩いてきているのが背中ごしの音で分かる。 「ああ、うん、そうだなぁ」 先輩の唸るような声が聞こえて、思わず振り返った。「難しくて、俺にはわかんネ」 にぱっ、と笑って、両手を頭の後ろに組んでいるような体勢で、彼は笑った。ですよねぇ、と思わず私も呟いた。つまりは、それなのだと思う。わかんないんだ。 先輩が、ちょいと指をさした。「あれだ、あそこが生徒会室」多分、先輩は何度かここへ来ているんだと思う。私もその生徒会室だと呼ばれた場所を見てみたけれど、ほんの少しの隙間を残して、クリーム色のカーテンがしっかりと閉められていたから、特に何の感想も抱かなかった。 「ああ、そういや、自転車」 「はい?」 「許可証ないと、自転車置けないんだよ、この学校」 「え、そうなんですか」 そんなの、初耳だ。 ちらりと先輩を見ると、しょうがないなといった顔で、ちょいと手を出す。 「どうせ俺も乱菊さんに会うし、ついでに渡しといてやるよ」 先輩のごつごつした手を、ほんの少し見詰めて、ここはお言葉に甘える事にした。 気のせいか、もう一度ちらりと見たカーテンの隙間から、銀色の何かが見えたような気がした。 1000のお題 【783 そっぽを向く】 BACK TOP NEXT 2008.05.12 |