ふはあ、と一人の男が幸せの息をついた。
天気じゃないよ、転機だよ 
尻がいたい。あいたたた。われてるかも。ちょっと確認してみよう。あ、われてた。あいたたた。ボケてる場合じゃないんだけど。「ふへへ」 でもこれは、幸せの痛みなのだ。はじめは綺麗な女の子だと思った。だから追いかけまわしていたのに、回し蹴りがトヒットしてからと言うもの、新たな扉を開いてしまった。まったく、罪づくりな女性だヨ、と俺はため息をついた。「、なんてすばらしい……」 ほんともう、こっちの道に目覚めちゃいそう。っていうか目覚めてるけど。
『お前の根性には感服した。こっちもこっちで礼儀を尽くすぜ!』と言いながら手のひらをゴキゴキ鳴らしていた彼女はとても素敵だった。
俺はごろりと路地裏で転がっていた。自分の尻を片手でつかんで転がっていた。けれどもいつまでもこの格好というのはよくない。憲兵に見つかると面倒だし、行き倒れだと勘違いでもされて、物盗りに遭うのは面倒だ。さあ今日も元気によっこらせー、と顔を上げたとき、見知らぬ男がこっちを見ていた。「ぎゃひっ!?」「、とは、誰だね?」
どういうこっちゃ、と尻もちをついてしまった。男も腰をかがめて、俺の腕をぐいっとつかむ。「、とは、誰だね?」 同じセリフを言った。
誰って……誰って? そうか、さっき俺が独り言を言ったからだ。俺は眉をしかめて、「意味わかんねぇヨ、いきなしなんだよこのオッサン。あだだ!?」腕をつかまれ、関節を逆方向に回された。
彼はまじまじと青タンがついた俺の腕を眺め、「この殴り方、蹴り方、これは、これは……」 ぶつぶつ言ってて気持ちが悪い。
さっさと逃げたいのに、体が動かなかった。先ほど彼女にぶちのめされたことが理由ではない。男の掴み方が上手いのだ。「で、どんな子だい」「しらねーよ」「名前を知っているのに?」「いわねーよ!」 ハッ、と鼻で笑うと、また腕を回される。「あ、あたたたた……!」「いけない子だな」
いいぞ。いいぞ、と男は首元のネクタイをサッと外した。「いいぞ、そういう向こう見ずな男は好きだ」 だいこうぶつだ。
ぺろっと口元をなめた男を見て、ああー。と俺は思った。ああー、こいつ、もしかしなくとも
激やばー
平和な日々が続いていた。相変わらずがメイドからもらったというクッキーを、二人一緒に喫茶店でもぐもぐしていた。「うーむ、女の子の手作りってなぁ、いいもんだなぁ」「きみのその恰好とそのセリフには激しく違和感があるけれども同意するよ」「うんめー、もしゃあ! もしゃあ!」「ははは、もっと上品に食べないとクッキーがかわいそうだな?」
べっつにお前といるときに上品ぶってもしょうがねじゃんよー、とはぷっと頬を膨らませたが、ガイはいけないなぁ、とふるふる首を横に振った。「そういうのは普段から気を付けるということが大事なんだよ」「そういうガイは……結構お上品だなぁ」「まあね」「いいとこの坊ちゃんなのか?」
なんてなぁ、とケラケラ笑うを見て、ガイはほんの少しだけ笑みを強張らせた。それをごまかすように、テーブルの上に置いてあるカップに手を伸ばす。ごくっと紅茶を飲んで、ぷはあ、と息を吐き出すときには胸のわだかまりは消えていた。「まさか。だったらファブレ家の使用人なんてしてないさ」
けれども、ほんの少しの違和感がある。「だよな」と頷きながら、首をかしげた。そして先ほどの会話をごまかすように、クッキーを持つ手元へと目を向ける。「なあ、ガイ」「ん? なんだ」「このクッキーさぁ、別に俺のために作ってくれたんじゃないぜ」
うん?
話が見えない。だからさぁ、とはもぐっと口元へクッキーを運んで、「くれたメイドがさ、よかったらガイさんも一緒にって言ってたんだよ」「ふうん。後でお礼を言わないとな」「あーもー、にっぶーい!」
男ってこれだからヤーネー! と声を一オクターブ高くして、は口元へ拳を持っていき、ぶるぶると頭を振った。そんな彼の素振りを見て、ガイはほんのしばらく意味を考えていたのだが、「ああなるほど」 多分わかった。
本当にわかってんのか? とが訝しげな目で見つめてくる。
まあ恐らく、「ああ、本当に分かってるよ。いい返事を返すことはできないけど ありがたいよ」
自分は女性が好きなのに、女性恐怖症だというなんとも奇天烈な男だ。相手の女性を不幸にするだけなので、イエスと言葉を返すことはできない。けれども好意を持たれているという事実は嬉しい。(けど……なんとなく、複雑だなぁ) 事実はともかく、自分と付き合っていることになっているをわざわざ経由してだなんて。
嫌な気持ちを伴ってということではないだろう。そうだったならば、は自分にそれを伝えないだろうし、渡すこともないだろう。女性は複雑だ。そして少しだけ申し訳ない。
もで、思うところがあるのだろう。コップの中に突き刺したストローを、ぶくぶく泡立てて難しげな顔をしている。というかそれは行儀が悪いからやめなさいほんとに。「どうしたんだい?」 訊いてほしそうな顔をしていたので、訊いてみた。
そしたらは綺麗な顔を思いっきりしかめて「お前は、もてるなぁ」 ぶくぶくぶく。
「ん? ああ、ありがとう?」
「ほめてねーよ。それも仁徳が成せる技なのかなぁ。お前いいやつだもんなぁ」
「ほめてるじゃないか。ありがとう」
「ほめてねー!」
調子に乗ってんじゃねー! とは叫んでいるが、どう考えたってほめている気がするのだが。なんだなんだ? とガイが首を傾げると、はで唐突に凹みながら、「なのに、俺ってばさぁ」と彼は口元をへたつかせ、小さくつぶやいた。いやあ、それは。きみねぇ、ちょっと。ガイは彼の恰好を、上からテーブルから見える腰元まで、じーっとみてみる。「そりゃあ、その恰好じゃあ……」 メイド服だし……。
「ちっげぇよぉー」 いったい何が違うというのか。「俺はだねー、どんなカッコしてても、顔でもてんだよ。決め手は顔。全てはフェイス。俺の価値は顔なんだぞ!」
俺は顔で生きてる男なんだー、とばしっと駄々っ子みたいにテーブルを両手で叩く彼を見て、ガイはパチパチと瞬きをした。一体何を言っているんだ。
ぐりぐり自身の眉間に人差し指を突き付けて、瞼を瞑った。そのとき、ああなるほど、とガイはわかった。そうか。前々から、ちょっと不思議だったのだ。
「もしかして、。君は、君のいいところは顔だけだと思っているのかい?」
図星をつかれたように、彼はぐっと口をつぐんだ。ぶくぶくと泡ぶく音が響く。ばかだなぁ、とガイは苦笑した。「きみはとってもいいやつじゃないか」 そんなの、関わってみればすぐわかることだ。
何を言っているんだ、お前は、と抗議するように、ぶくぶく響く音が大きくなる。彼の顔がじわじわ赤くなっている。うん、そうだ。
彼は自分がいいやつだってことを知らないのだ。だから必要以上に照れるのだ。「そりゃあもちろん、外見は大切さ。けど、人間中身が伴わなきゃ、好きにはならないよ」だから大丈夫。
「きみは、少し照れ屋なだけで、いいやつさ」
勘弁してくれ、とでもいうように、は真っ赤な顔をテーブルに伏せた。そして勢いよく顔を上げて、ストローで紅茶を一気に吸い込む。ズコー! ズコー! ぷはぁ!
鼻息を荒くさせて、いつもの美女顔もどこへやら。テーブルを乗り越し、ガッとガイの顔を勢いよくつかんで、「お前もな!」
バシッとガイの顔面を片手ではじいた。「あぐっ」
椅子にもたれかかり、ぽかんと空を見上げたガイは、くくく、と静かに肩を揺らした。まったく。本当に。(いい友人ができたもんだよ)
そのときだ。
ガシャン! と大仰な音とともに、ガイとが使っていたテーブルが真横に倒れた。一人の男がテーブルの上で、紅茶まみれになりながらもたれかかっている。気のせいだろうか。ガイは、その男をどこかで見たことがあった。顔は腫れていて、唇も真っ青だが、どこかで。が男の名を叫んだ。やっぱり聞き覚えはない。
男が、ふらふらと顔を上げた。唇はガラスのコップの破片で切れてしまったらしい。慌てて手当をしようとするガイの手をつかみ、を見つめた。「、俺、わるい、ほんとに……!」「え?」
「知らない、30くらいの男が、お前のこと知らないかって……。俺の傷見て、誰かの殴り方と似てるって。それで、俺、お前のこと、しゃべっちゃったんだヨ……! ファブレ家に勤めてるってことも、ごめん……!」
何やら穏やかではない内容だ。ガイはを窺った。は彼の言葉を聞き、みるみるうちに顔の血の気をなくしていった。ふと、ぽつりと呟いたのだ。「まさか……ここまで……」
次の日、はファブレ家から姿を消した。
彼と入れ替わるようにして、一人、奇妙な男がファブレ家を訪ねた。
「という男を、知っているかい?」
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2011.08.08
尻がいたい。あいたたた。われてるかも。ちょっと確認してみよう。あ、われてた。あいたたた。ボケてる場合じゃないんだけど。「ふへへ」 でもこれは、幸せの痛みなのだ。はじめは綺麗な女の子だと思った。だから追いかけまわしていたのに、回し蹴りがトヒットしてからと言うもの、新たな扉を開いてしまった。まったく、罪づくりな女性だヨ、と俺はため息をついた。「、なんてすばらしい……」 ほんともう、こっちの道に目覚めちゃいそう。っていうか目覚めてるけど。
『お前の根性には感服した。こっちもこっちで礼儀を尽くすぜ!』と言いながら手のひらをゴキゴキ鳴らしていた彼女はとても素敵だった。
俺はごろりと路地裏で転がっていた。自分の尻を片手でつかんで転がっていた。けれどもいつまでもこの格好というのはよくない。憲兵に見つかると面倒だし、行き倒れだと勘違いでもされて、物盗りに遭うのは面倒だ。さあ今日も元気によっこらせー、と顔を上げたとき、見知らぬ男がこっちを見ていた。「ぎゃひっ!?」「、とは、誰だね?」
どういうこっちゃ、と尻もちをついてしまった。男も腰をかがめて、俺の腕をぐいっとつかむ。「、とは、誰だね?」 同じセリフを言った。
誰って……誰って? そうか、さっき俺が独り言を言ったからだ。俺は眉をしかめて、「意味わかんねぇヨ、いきなしなんだよこのオッサン。あだだ!?」腕をつかまれ、関節を逆方向に回された。
彼はまじまじと青タンがついた俺の腕を眺め、「この殴り方、蹴り方、これは、これは……」 ぶつぶつ言ってて気持ちが悪い。
さっさと逃げたいのに、体が動かなかった。先ほど彼女にぶちのめされたことが理由ではない。男の掴み方が上手いのだ。「で、どんな子だい」「しらねーよ」「名前を知っているのに?」「いわねーよ!」 ハッ、と鼻で笑うと、また腕を回される。「あ、あたたたた……!」「いけない子だな」
いいぞ。いいぞ、と男は首元のネクタイをサッと外した。「いいぞ、そういう向こう見ずな男は好きだ」 だいこうぶつだ。
ぺろっと口元をなめた男を見て、ああー。と俺は思った。ああー、こいつ、もしかしなくとも
激やばー
平和な日々が続いていた。相変わらずがメイドからもらったというクッキーを、二人一緒に喫茶店でもぐもぐしていた。「うーむ、女の子の手作りってなぁ、いいもんだなぁ」「きみのその恰好とそのセリフには激しく違和感があるけれども同意するよ」「うんめー、もしゃあ! もしゃあ!」「ははは、もっと上品に食べないとクッキーがかわいそうだな?」
べっつにお前といるときに上品ぶってもしょうがねじゃんよー、とはぷっと頬を膨らませたが、ガイはいけないなぁ、とふるふる首を横に振った。「そういうのは普段から気を付けるということが大事なんだよ」「そういうガイは……結構お上品だなぁ」「まあね」「いいとこの坊ちゃんなのか?」
なんてなぁ、とケラケラ笑うを見て、ガイはほんの少しだけ笑みを強張らせた。それをごまかすように、テーブルの上に置いてあるカップに手を伸ばす。ごくっと紅茶を飲んで、ぷはあ、と息を吐き出すときには胸のわだかまりは消えていた。「まさか。だったらファブレ家の使用人なんてしてないさ」
けれども、ほんの少しの違和感がある。「だよな」と頷きながら、首をかしげた。そして先ほどの会話をごまかすように、クッキーを持つ手元へと目を向ける。「なあ、ガイ」「ん? なんだ」「このクッキーさぁ、別に俺のために作ってくれたんじゃないぜ」
うん?
話が見えない。だからさぁ、とはもぐっと口元へクッキーを運んで、「くれたメイドがさ、よかったらガイさんも一緒にって言ってたんだよ」「ふうん。後でお礼を言わないとな」「あーもー、にっぶーい!」
男ってこれだからヤーネー! と声を一オクターブ高くして、は口元へ拳を持っていき、ぶるぶると頭を振った。そんな彼の素振りを見て、ガイはほんのしばらく意味を考えていたのだが、「ああなるほど」 多分わかった。
本当にわかってんのか? とが訝しげな目で見つめてくる。
まあ恐らく、「ああ、本当に分かってるよ。いい返事を返すことはできないけど
自分は女性が好きなのに、女性恐怖症だというなんとも奇天烈な男だ。相手の女性を不幸にするだけなので、イエスと言葉を返すことはできない。けれども好意を持たれているという事実は嬉しい。(けど……なんとなく、複雑だなぁ) 事実はともかく、自分と付き合っていることになっているをわざわざ経由してだなんて。
嫌な気持ちを伴ってということではないだろう。そうだったならば、は自分にそれを伝えないだろうし、渡すこともないだろう。女性は複雑だ。そして少しだけ申し訳ない。
もで、思うところがあるのだろう。コップの中に突き刺したストローを、ぶくぶく泡立てて難しげな顔をしている。というかそれは行儀が悪いからやめなさいほんとに。「どうしたんだい?」 訊いてほしそうな顔をしていたので、訊いてみた。
そしたらは綺麗な顔を思いっきりしかめて「お前は、もてるなぁ」 ぶくぶくぶく。
「ん? ああ、ありがとう?」
「ほめてねーよ。それも仁徳が成せる技なのかなぁ。お前いいやつだもんなぁ」
「ほめてるじゃないか。ありがとう」
「ほめてねー!」
調子に乗ってんじゃねー! とは叫んでいるが、どう考えたってほめている気がするのだが。なんだなんだ? とガイが首を傾げると、はで唐突に凹みながら、「なのに、俺ってばさぁ」と彼は口元をへたつかせ、小さくつぶやいた。いやあ、それは。きみねぇ、ちょっと。ガイは彼の恰好を、上からテーブルから見える腰元まで、じーっとみてみる。「そりゃあ、その恰好じゃあ……」 メイド服だし……。
「ちっげぇよぉー」 いったい何が違うというのか。「俺はだねー、どんなカッコしてても、顔でもてんだよ。決め手は顔。全てはフェイス。俺の価値は顔なんだぞ!」
俺は顔で生きてる男なんだー、とばしっと駄々っ子みたいにテーブルを両手で叩く彼を見て、ガイはパチパチと瞬きをした。一体何を言っているんだ。
ぐりぐり自身の眉間に人差し指を突き付けて、瞼を瞑った。そのとき、ああなるほど、とガイはわかった。そうか。前々から、ちょっと不思議だったのだ。
「もしかして、。君は、君のいいところは顔だけだと思っているのかい?」
図星をつかれたように、彼はぐっと口をつぐんだ。ぶくぶくと泡ぶく音が響く。ばかだなぁ、とガイは苦笑した。「きみはとってもいいやつじゃないか」 そんなの、関わってみればすぐわかることだ。
何を言っているんだ、お前は、と抗議するように、ぶくぶく響く音が大きくなる。彼の顔がじわじわ赤くなっている。うん、そうだ。
彼は自分がいいやつだってことを知らないのだ。だから必要以上に照れるのだ。「そりゃあもちろん、外見は大切さ。けど、人間中身が伴わなきゃ、好きにはならないよ」だから大丈夫。
「きみは、少し照れ屋なだけで、いいやつさ」
勘弁してくれ、とでもいうように、は真っ赤な顔をテーブルに伏せた。そして勢いよく顔を上げて、ストローで紅茶を一気に吸い込む。ズコー! ズコー! ぷはぁ!
鼻息を荒くさせて、いつもの美女顔もどこへやら。テーブルを乗り越し、ガッとガイの顔を勢いよくつかんで、「お前もな!」
バシッとガイの顔面を片手ではじいた。「あぐっ」
椅子にもたれかかり、ぽかんと空を見上げたガイは、くくく、と静かに肩を揺らした。まったく。本当に。(いい友人ができたもんだよ)
ガシャン! と大仰な音とともに、ガイとが使っていたテーブルが真横に倒れた。一人の男がテーブルの上で、紅茶まみれになりながらもたれかかっている。気のせいだろうか。ガイは、その男をどこかで見たことがあった。顔は腫れていて、唇も真っ青だが、どこかで。が男の名を叫んだ。やっぱり聞き覚えはない。
男が、ふらふらと顔を上げた。唇はガラスのコップの破片で切れてしまったらしい。慌てて手当をしようとするガイの手をつかみ、を見つめた。「、俺、わるい、ほんとに……!」「え?」
「知らない、30くらいの男が、お前のこと知らないかって……。俺の傷見て、誰かの殴り方と似てるって。それで、俺、お前のこと、しゃべっちゃったんだヨ……! ファブレ家に勤めてるってことも、ごめん……!」
何やら穏やかではない内容だ。ガイはを窺った。は彼の言葉を聞き、みるみるうちに顔の血の気をなくしていった。ふと、ぽつりと呟いたのだ。「まさか……ここまで……」
次の日、はファブレ家から姿を消した。
彼と入れ替わるようにして、一人、奇妙な男がファブレ家を訪ねた。
「という男を、知っているかい?」
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2011.08.08