このところ、ライがおかしい。
おかしい、と気にするほどでもないかもしれないけれど、ちょっと変だ。朝のご飯の仕込みの時間には厨房に立っていて、おいお前ら遅いぞ、なんてにっと白い歯を見せていたのに、厨房はがらんと静かだ。
庭ではぶつかり合う木刀の音もしない。稽古相手のいないルシアンはぼんやりと座り込んで空を見上げていた。
妙だな、と思うのに、声を掛けられない。彼はいつも自分の中で結論を出して、自分で解決できた人だ。は彼とは短い付き合いだが、それくらいのことは分かる。
「ライさん」
「うん」
「変ですねえ」
「うん」
そうだね、大丈夫かな、なんて声は街中のざわつきの中で消えていった。
どうせ二人で公園に行くくらいなら、ついでに一緒にお買いものでもしてきなさいな、と店長代理の店員アカネに申し付けられ、とアルバはメモを片手に商店街を歩いていた。いつもの活気はどことなくない。やはり、前回のマナ枯らしが尾を引いているのだろう。紐で繋がれる亜人はぴんしゃんしたものだが、その紐の先の人間達は正反対だ。
持ってきていた買い物袋はすぐにいっぱいになってしまった。「、そっちも持つよ」「大丈夫ですよ」「いいから」 ひょい、と荷物を片手でかっさらわれた。「はぐれるよ」 ついでとばかりに手のひらをひっぱられる。びっくりして指に力を入れると、アルバはピタリと止まった。それから思い出したように耳を赤くした。でも手は放さずに、ぎゅっと握ったままだ。は口をつぐんだ。
すっかり、この街にいることに慣れてしまっていた。いつの間にか、少し髪が伸びていた。軍にいるときは邪魔になるからとあまり長く伸ばさないようにしていた。
後ろ襟がそわそわする。気づいたら、アルバの尻尾髪も少し伸びていた。ほんのちょっと、笑ってしまった。
「……ん? どうかした?」
「あ、いえ、アルバさん。髪、のびたなって」
「もね」
同じことを言われてしまった。「切らないと、と思うんですけれど、きっかけがなくって」「伸ばしててもかわいいから、いいんじゃないかな」 さらりと言われた。
じゃあ、のばそうかな、と思ってしまった。今までずっと短くしていたくせに。「おいらはそろそろ邪魔だなって思うんだけど」「アルバさんの長い髪、かわいくて好きですよ」 歩くとぴろぴろ揺れる。
「えっ、いや、そうだなあ」 思わずアルバは照れた。自分では言うくせに、言われてしまうとどうしていのか分からない。アルバはが好きだ。だって、アルバが好きだ。自分ではきちんとそのことを分かっていないくせに、彼の背中ばかりをいつも目で追ってしまう。
いつまで、は彼と一緒にいるんだろう。この騒ぎが治まるまで。それは一体いつだろう。もしかすると、がこの場を消えてしまうのは、もっと早いかもしれない。帰って来い。そう命令されれば、に選択権はない。そうだろうか。
本当にそうなんだろうか。
このところ、ときおり考える。それから、それはどうだろう、と首を振って、いやいや、と思考を深める。その繰り返しだ。
いつの日か、彼が言っていた。
誰かのために、何かをしたい。そんな騎士になりたい。ひどく、は共感した。それは軍にいてできることなのだろうか。それとも、軍でなくてはいけないことなのだろうか。
は、一体なんのためにあの訓練を生きて残ったのだろう。
「あれ」
アルバの唐突な声に、は思考を止めた。手のひらは握ったままだ。「すごいな、卵がいっぱいだ」 山盛りにつまれた卵を見ると、なんだかわくわくする。「ライ、卵料理、好きだったよね」「はい」 割れた殻の中から飛び出た丸くて黄色い小さな玉を見るとわくわくする、だなんて言いながらよくお玉を回していた。
「買って帰ろうか、おつりで買えるよね」
うんうん、とは頷く。
早くライに元気になってもらいたい。そう思うけれど、彼にどう言っていいのか分からない。アルバのようにじっと待つこともできない。中途半端だ。「あれ、ライくん、ちゃん。お買いもの?」 おっとりと聞こえた声に、は顔を見上げた。とよく似た髪の色が、ゆるく風の中で揺れている。
「ミントさん」
声を出した。ふと、ミントの視線が下にあることに気づいた。それからアルバと一緒に慌てては手を放した。ミントが優しく笑っている。アルバが問いかけた。
「ミントさんは、買い物……じゃ、ないみたいだよね」
「うん。ちょっとね、亜人達の健康診断……みたいな感じかな」
私も一応蒼の派閥から来ているからね、と瞳が柔らかい。「ほら、マナ枯らし、解魂病ってあったでしょう。その原因調査と、実態調査を依頼されてて」 さすがに原因までは言えないけど、なんて声が一瞬聞こえた。
繋がれた召喚獣の牛馬が、退屈気にあくびをしている。
「みなさん、元気そうですよね……」
「うん、人間なんかよりも、よっぽどね」
ここは大丈夫そうだから、農園の方に行ってくるよ、と手のひらを振る彼女に、「そういえば、グラッドさんが」 心配してました、と言おうとして、ふと足元を見つめた。「グラッドさんが?」「あ、なんでも、ないです」「そっか。じゃあね」 はたはた、と手のひらを振った。
つないでいた手のひらは離れたままだ。「オヤカタは庭園の見守りかな」 ふと呟いたアルバの言葉に、そうですね、と笑った。
は、一体いつまでこの場にいるんだろう。いてもいいんだろう。
(出来るだけのことをしよう)
ふと、そう思った。
前を歩くアルバは、相変わらずぴよぴよとしっぽが揺れている。卵屋に目を向けていたアルバの手を、えいとは握りしめた。瞬間、アルバは体を固くしてドサドサと荷物を落っことした。「あ、うわ!」 大丈夫だろうか、と荷物を見て、大丈夫そうだと安心した。がんばりますから。
呟いた声はひどく小さい。
絶対に、絶対に頑張りますから、と彼の硬い手のひらを握った。お互い自分からは手が握れるのに、握られると驚いてしまう。瞬きを何度かするほどの間のあとだ。
アルバがの小さな指を、おそるおそると、ほんの少しだけ。
握り返した。
***
悩みなんてふっとんだ。そんな顔をしたライがみんなの夕食を作ったのはその日の夜のことだ。珍しく宿屋の入り口には本日休業の札を出している。「まあ、なんつーか、食いながらでいいんだけどさ」 軽い口調だ。
「俺の母さん、人間じゃなかったみたいなんだよなあ」
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2015/09/23